
下北沢では、時計を見るのを忘れた。
下北沢に着いたのは、午後2時ごろでした。
駅を出ると、古着屋とコーヒーと、どこかの劇場から漏れてくる木材の匂いが混じっていました。空気に層がある街だな、と思いました。
目的は、何も決めていませんでした。
「下北沢に行こう」と決めただけで、どこへ行くかは白紙のまま。この街はたぶん、計画が似合わない気がして、あえてそうしました。
路地が多い街です。
駅を中心に、細い路地が思い思いの方向に伸びていました。どの路地も、入口から奥が見えません。
10メートル先で曲がっているか、建物が張り出しているか、とにかく続きが見えない。それが気になって、ついていってしまいます。
路地の途中に古着屋がありました。入口にワゴンが出ていて、500円のTシャツが無造作に積まれています。
素通りしようとしたのに、気がついたら立ち止まっていました。3分後、何も買わずに出てきました。でも、不思議と満足していました。
小さなライブハウスの前を通ったとき、扉の隙間から低音が漏れていました。
昼間なのに、です。立て看板に「本日16:00開演」とありました。気がついたら、帰る前に戻ろうかと考えていました。
下北沢は音楽の街と言われますが、音楽はどこか表に出てこない印象でした。路地の奥から、窓の隙間から、見えないところから届いてくる。
この街の音楽の出し方は、そういう感じです。
古い喫茶店に入りました。
外から見て、入っていいのかどうかわからない店でした。ガラス張りでもなく、看板も小さく、ただドアが開いていました。中は8席ほど。ホットコーヒーを頼みました。550円。
窓の外をぼんやり見ていたら、1時間が経っていました。
下北沢には「つい長くいてしまう」何かがあります。
目的地がないから、次に向かわなくていい。大きな観光スポットがないから、「見終わった」という感覚が来ない。路地を一本入るたびに、また別の路地が気になる。
気がついたら夕方になっていて、駅の改札で初めて時計を見ました。3時間、経っていました。
計画のない午後が、いちばんよかったです。
この街は、そういう使い方が合っていると思います。