
【火種帖】青森ショック、という言葉をつくりたいのだ。
「青森って、田舎だよね」
便利な言葉だなと思う。
遠い。寒い。田舎。
たしかに間違ってはいない。
でも、その三語で片づけるには、だいぶ雑だ。
そしてこれは、
青森の問題じゃなくて、届け方の問題だと思っている。
なぜ青森は「田舎」で処理されるのか。
理由は単純で、外に出ている言葉が
「田舎」を肯定する方向に設計されているからだ。
「自然が豊か」「のどかで癒やされる」「ゆっくり流れる時間」。
どれも間違っていない。
でも私は最近、その「正しさ」が少し危ないと思っている。
なぜなら、その言葉はきれいすぎて、
たいていどこの地方にも使えてしまうからだ。
つまり、正しいけれど、ありきたりで、弱い。
地方の魅力は、足りないわけじゃない。
むしろ、すでに十分ある。
でも、その魅力が「誰にでも当てはまる言葉」に入った瞬間、
輪郭がぼやける。
言葉が、印象を作っている。
青森側は魅力を伝えているつもりでも、
受け取る側には「よくある普通の田舎らしい場所」
として記憶されてしまう。
これが構造的な問題だ。
私が「青森をPRしてください」という
仕事を受けたら、最初にやることがある。
「癒やされます」を全部疑うことだ。
春の弘前で花見をした人が、思わず息を飲む瞬間がある。
夏祭りで、魂が「じゃわめぐ」瞬間がある。
食べものを口に入れた瞬間、
「うまい」より先に「濃い」の驚きが来る。
これは「癒し」なのだろうか?
私がねぶたに行った最初の記憶は、小学生のころ。
テレビでも見ていたから、知っているつもりだった。
でも実際に目の当たりにした瞬間、
その「知っていた」が崩れた。
山車はもっと大きく、跳人はもっと迫力があって、
お囃子はもっとグっと身体に入ってきた。
初めてのはずなのに、無性に心が躍った。
じゃわめいだ。
歩道にいながらも一緒になって跳ねた時には、
もうすっかりねぶたの虜だった。
そうだ、「青森=癒やし」じゃない。
私は敬意をこめて、「青森ショック」と呼びたい。
「癒やし」として届けると、
刺さる相手は「ゆっくりしたい人」だけになる。
でも「少し揺さぶられる場所」として届けた瞬間、
刺さる相手が変わる。
何か非日常を感じたい人、ちょっと刺激がほしい人、
そういう人まで届きはじめる。
私は、そっちのほうがずっと広いと思っている。
足りないのは、魅力そのものじゃない。
どんな感情として渡すか、だ。
だから「主語」を変える。
「青森はすごい」を伝えるより、
「まだあの青森を知らないあなたが惜しい」
を伝える方が、人は動く。
人が動くのは、「行かなきゃ損だ」と思った時じゃない。
「知らないままの自分が、少し惜しい」と思った時だ。
主語を青森から、相手に移す。
これだけで届く人が変わる。
青森は、近づくほど輪郭が出る土地だ。
「田舎」で処理されたままにしておくには、
もったいなさすぎる。
その「もったいないほどの輪郭」を、
遠くにいる人にも届く言葉に変える。
それが、私の仕事だと思っている。
X・Instagramも毎日更新(@yukik0_aomori)
お仕事のご相談はDMへ