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なぜ真逆にしたのか?一ノ宮貫前神社に隠された真実とは

上野国一の宮として知られる「一之宮貫前神社」
群馬県富岡市に鎮座し、近くには世界遺産富岡製糸場・こんにゃくパーク・めんたいパーク・サファリパークなど観光スポットも多いエリアです✨

駐車場から石段を登り、総門をくぐって長い石段を降りた先に本殿がある。この特殊なつくりから「日本三大下り宮」と呼ばれていますが、どうやら昔は全然違ったそうなのです。関係者の方から貴重なお話を伺うことができたので、note限定でご紹介します⛩️

総門

明治以前までは「抜鉾神社」とも呼ばれ、歴史書には貫前神社と抜鉾神社両方記載がありました。
由緒も複数存在。物部君性磯部氏が祖神フツヌシを祀ったことに始まり、古代には朝廷・中世以降は武家からも篤い崇敬を受けています。
元は鷺宮の南・蓬ヶ丘綾女谷に社があったそう。

石段を下って拝殿へ
拝殿

磯部氏は、一説には物部氏の一族である石上氏と同族で剣や鉾を信仰の対象としていたと言われています(詳細は不明)

豪華絢爛な彫刻

現在、貫前神社が一ノ宮に君臨していますが元々の上野国では上野国造である上毛野氏が支配し、その祖神(豊城入彦命)を祀る赤城神社が最も格の高い神社だったのではないかと言われています。
周辺地域の豪族だった磯部氏が朝廷と結びつき、物部姓をもらい、上毛野氏をしのぐ勢力になったことから貫前神社が赤城神社を上回る格式を得て一ノ宮になったのではないか。貫前神社が一ノ宮となったのは平安時代から。
この周辺には、5世紀末頃から突然集落が発生して6〜7世紀にかけて約20基の古墳が築造し、一ノ宮古墳群を構成。古墳時代後期の豪族居館跡も発見されているそうです。
ということは、大昔は赤城神社が一ノ宮として崇敬されていたのかもしれません。

本殿

写真を撮り忘れましたが、屋根に雷神窓があり雷神とも関係があるそうです。
また、本殿は下なのに伊勢神宮や末社が高台に祀られているのが不思議でした。末社エリアの方が精霊や自然神がいそうな雰囲気で明るかったのですが、
12年に1度、貫前神社でも遷宮の儀が行われ、その際末社の広場のところに社が立ち神々が休憩するそうです。だから気が良いんですね✨パワースポットともいえるスペースなので、ぜひ末社エリアまで参拝してみてください✨
逆に、本殿付近は鬱蒼としていました

末社

社殿の周りに湧水が流れていたのでは…と思うような囲いがあったり、御神水道の石碑も建っていたので、貫前神社が建つ前は蛇系の水神様がいたのかもしれません。
Googleマップで見てみると、貫前神社の近くには蛇宮神社・宇賀神・諏訪神社など水系神社が集まっているのです

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貫前神社から15分ほど車を走らせ「咲前神社」へ!

正面鳥居

531年、この地で御神体の神石(雷斧石)三柱が出現。「抜鉾大神(健経津主命」を祀り、社を創建し
650年、お告げにより抜鉾大神を現在の貫前神社の地に遷座。
元の場所を先の宮として崇め、咲前神社としたそうです(地名も先の宮→鷺宮へ)
その際、改めて香取神宮からフツヌシの分霊を勧請

咲前神社の神使は白蛇(長虫様)。神社周辺では、古くから養蚕が盛んで、まゆが豊作となるよう参拝する養蚕農家が多かったそうです。
咲前神社にも白蛇が棲んでいるとされ、蛇を拝んで神社から借りてくると蚕が当たると信仰されてきました🐍
ネズミも蚕や繭を食い破ってサナギを食べてしまうため、神に「白蛇をお貸しください」と願い家へ帰ると、白蛇がニョロニョロ這いまわるネズミを退治してくれたのだとか。
白蛇のお札も頒布されるようになったそうです

謎の狛犬?
咲前神社の神使・長虫様
この蛇神様は強い

違和感しか分からなかった貫前神社ですが、ここで貴重なお話を聞くことができました。
まず、貫前神社の元宮が「咲前神社」
ここから貫前神社へ神様が移動されたのも事実で、昔から織物が有名・蚕だから蛇神信仰がずっと続いていた。ということは、貫前本殿で感じた水の気・湿っぽさは蛇神であってたかもしれません。
貫前神社も咲前神社も猿の彫刻が多いのですが、初申の日に神が出現・祭祀を行い社を建てたからだそうです。
一番衝撃だったのが、貫前神社の参道が逆だったこと!
今は木々が鬱蒼としていて見る影もありませんが、車道から藤太杉のあたりまでずっと参道になっていたそうです。拝殿・本殿も向きが逆だったかもしれません。神宮寺の堂塔も多数存在していたので、江戸時代までの境内図が残っていれば真相が分かりそうです。鹿島神宮も参道がまるっきり逆でしたが同じ現象がここでも起きているんですね。
(ネットで検索しても昔の資料は全く出てきませんでした🥲)

咲前神社から貫前神社へ遷座する道のり

咲前神社を夜に出発し、七五三原で神事が行われ(昔は鳥居が建っていましたがほぼ残っていない)
明戸坂で夜が明けて、宇田の御旅所を通り貫前神社へ。この道中には、祭祀跡や土器・礎石が多く発掘されています。
咲前神社から貫前神社までが結構な坂道なのですが、参道が今と逆だったことを考えると納得。
咲前からひたすら坂道を登って参道を通り、貫前に到着するので下り宮ではないんですよね。後付けだそうです
おそらく、道路を作る関係でそうなったのか何かを封印するためあえてそうしたのか…

他にも貴重なお話を聞かせていただき、大変勉強になりました。ここに来なかったら貫前神社についても何も分からなかったので、社務所の方に感謝です✨神様のお導きはすごいですね。
ぜひ皆様も貫前神社・咲前神社、両社合わせて参拝してみて下さい!


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