我が家の不思議なルール
家に入りたきゃ風呂に入れ
各家庭には、それぞれ固有のルールがあると思う。
うちの場合は少し特殊だ。
「一度家の外に出たら、お風呂で全身洗ってからでないと家に入ってはいけない」
何を言っているんだと思うだろう。
これは父の作ったルールだ。彼は「汚いもの」への拒否反応が人一倍強い。
家の中は自分のルールと監視が行き届いている安全な場所、家の外は誰がどこでどんな汚いものを触ったかわからない場所。安心できない場所なのだ。だから外に出た者は必ず、お風呂で全身をきれいに洗わないと家に入ることは許されない。
ではどこからが「家の中」で、どこからが「家の外」なのか。
普通に考えれば玄関を出たら「家の外」。玄関を入れば「家の中」だろう。
うちは違う。玄関はもう、外だ。一度玄関で靴を履いて、忘れ物に気付いたとする。もうアウトだ。家の中に取りに戻りたければ、お風呂で全身洗う必要がある。頭の先から、全部。実際に、物理的に汚れたかどうかは問題ではない。「浄・不浄」だ。概念だ。
タオルをレッドカーペットのように
うちの実家は3LDKのマンションだ。ごく一般的な間取りで、玄関入ってすぐ左に洗面脱衣所、そしてお風呂がある。うちの玄関は「外」であるとお伝えしたが、では「中」に入る関所であるお風呂にはどうやって入るのか疑問に思うだろう。
そこで登場するのがタオルだ。玄関上がったエリアから、脱衣所〜お風呂に向けての動線にバスタオルを敷いておくのだ。さながらレッドカーペットのように。そして帰宅した人は決してそのレッドカーペットを踏み外さないようにしてお風呂に入り、お風呂の中からタオルを引っ張って回収、洗濯カゴに入れるのだ。これで「中」を汚すことなくお風呂に入ることができる。そして一番にお風呂に入った人が、次に入る人のためにまたレッドカーペットを敷く。これが、日常。
ちなみに、子供だけでお風呂に入る(=家の中に入る)ことは許されない。
タオルを踏み外さずにお風呂に入ったか?綺麗に洗えているか?なんなら、誤魔化さずに本当にちゃんとお風呂を済ませてから家の中に入っているか(適当に服だけ部屋着に着替えたりしていないか)わかったもんじゃないと思っているからだ。自分の「浄・不浄」を脅かそうとするものは子供であっても信じないし、悪だと思っているのだ。
従って親が帰って来るまではお風呂に入ること=家の中に入ることは許されない。絶対に。例外は無い。
玄関が子供部屋
うちの両親は共働きで夜まで帰らない。友達と一緒に遊んでいても、一定の時間になればそれぞれ家に帰らないといけない。
そうなるとどうなるか。私たち姉妹は玄関で待つのだ。帰宅後お風呂を済ませていない状態で唯一許されているスペースが、玄関のはたきと上がり框(かまち)の玄関マットの幅まで。
はたきの延べ床サイズは大体ドアの幅と同じ80cm×奥行きスペースが160cmくらい。そこで両親のどちらかが帰って来るのを待たないといけない。遅い時は19時を過ぎても姉妹2人でそこで過ごしていた。私が大体上がり框に腰掛けて、姉は靴箱の上で三角座りしていた。
ちなみに、人間はお風呂に入れば家の中に入れるが物はどうすると思うだろうか?外で使っていた物はもちろん家の中には入れない。教科書は?ノートは?お風呂で洗うわけにはいかない。そうなれば宿題は、自然に玄関でするものになる。玄関に勉強机があるわけもなく、膝の上にランドセルを置いて、その上で宿題をしていた。玄関のライトは赤っぽくて薄暗かったのでこの習慣のせいで目が悪くなった。これは私の自慢なのだが、そういう環境だからって宿題ができないとか、忘れて叱られるなんてことが悔しいと思っていたので、出された宿題は一度も忘れたことがない。
サンタさんの終わり
外の物は家の中に入れない問題だが、では買ってきた物はどうするか?一つは水拭き。これは書籍などを買った時によく使われる手法。新しい本=中のページは清潔という前提に基づくので、拭くのは表紙と裏表紙だけ。先述の教科書やノートはもちろん中のページを子供が外で読み書きしているのですから、中まで拭かない限りは家に入れない。毎日全ページ拭くなんて現実的では無いので、(というか拭いたところで「不浄」とされるのが目に見えていたので)これは試したことすらない。
もう一つの方法はパッケージを開けて出すこと。シュリンクなどのパッケージに入ってる物は親が玄関で開けて、中身を家の中に向かって投げ入れるのだ。投げが甘くて玄関マットエリアなんかに落ちるとアウトなので、ポーイと勢いよく廊下に投げる。一度、目の前で父がかわいらしい陶器製の小物入れを箱から出して廊下に投げたことがあった。蓋に小動物とフルーツがあしらわれた素敵なデザインだった。数日後のクリスマスの朝、枕元にそのプレゼントがあった。うちにサンタさんが来たのはその年が最後だったと思う。
たくわんジャンケンとテント村
話を放課後の玄関に戻そう。宿題をしながら両親の帰りを待つのはいいが、学校終わりから夜までとなると当然お腹も空く。ラッキーなことに実家のマンションは1F部分がテナントになっており、当時はスーパーマーケットが入っていた。どうしてもお腹が空くと、姉がお小遣いをもってスーパーに連れて行ってくれた。そこで鶏の唐揚げと、白いご飯を惣菜コーナーで買って、二人で分けて食べるのだ。白いご飯は一食分の炊いたご飯がトレイに入って売られていて、黄色いたくわんが二切れ付いていた。子供なので姉も私もたくわんは好きでは無かったのだが、なけなしのお金で買ったせっかくのご飯を残すのは勿体無いので、いつもジャンケンをしていた。買った方がもらえるのではない、負けた方が食べないといけないのだ。
そこのスーパーには本当にお世話になった。お腹が空くなら当然トイレにも行きたくなる。でもトイレは「家の中」なので、両親が帰って来てお風呂に入るまでは使えない。そこで、いつもスーパーのトイレを貸してもらっていた。お客さん用のトイレだが、場所は商品倉庫の中を通った先にあった。なので連日通っていたら店員さんとも顔馴染みになる。
中でも一人、とても優しくしてくれるおばちゃんが居て、パンを買ってシールを集めたらもらえるタイプの景品を、交換期間が終わった後にくれたりした。当時、たしか「テント村」というテントの形のポーチがもらえるパンのキャンペーンがあった。暗いところに持っていくと、蛍光塗料で書かれた星が光るのだ。CMで見て、いいなぁと思っていたらある日おばちゃんがそれをくれて、すごく嬉しかった。私はそのおばちゃんが大好きだった。
今思えば、不憫に思って気にかけてくれていたんだろう。小さい子2人で決まった惣菜を買いに来る。毎日トイレを借りに来る。どう見ても困っている子供だ。
いつもお手洗いを貸してくれてありがとうございました。その節はお店に大変ご迷惑をおかけしました。おばちゃんにもらったテントのポーチ、まだ大切に持ってます。
限られたエンタメ
宿題をしたところで、そんな何時間も潰せない。暇な時間に何をしていたかと言うと、明るい内はマンションの廊下で姉と遊んでいた。姉は運動神経が良かったので、一輪車やローラースケートをよくやっていた。私はそのどちらもできなかったので、小さい頃に載っていた三輪車を乗り回していた。ご近所さんから見たらとても異常だっただろう。でも当時は自分がそんな「変な子」であるとわかってはいなかった。
家の中(注:玄関)ですることもある。一つは歌だ。小学校では、子供が歌うたくさんの曲が載った小冊子がもらえた。それに載っている曲を、1ページ目から姉と一緒に1曲ずつ歌うのだ。パートが別れている曲はそれは見事にハモった。どちらがソプラノでどちらがアルトを歌うか打ち合わせせずに歌い始めて、選んだパートが被ると大笑いした。今みたいにSNS見てれば時間が潰せる、携帯なんか無かった時代の工夫だった。
もう一つの暇つぶしは「みかん」だった。うちは祖父がみかん農家で、毎月段ボール箱いっぱいのみかんと、お菓子と、「りぼん」「なかよし」を送ってくれていた。そのみかん入りの段ボールは、届いた後はずっと玄関に置かれていたので良い水分補給にもなったし、空腹も満たしてくれた。そして、暇つぶしにもなった。変わった形に皮を剥いてみたり、なるべく長く剥いてみたり、ただただ食べることが暇つぶしだったり。そんなに連日食べているものだから、触っただけでそのみかんがもう傷んで美味しく無いかわかるようにもなった。
ただ、このみかんの暇つぶしにはデメリットもあった。当時ずーっとみかんを食べながら漫画を読んでいたのだが、そうすると本が黄色くなるのだ。小口の、指で触る部分だけがズラーっと黄色い。食べた手も洗わずに読んでいるのだから当然だ。
もてなし方がわからない
こんなルールの家ですから、私は友達を家に呼んだことがない。親に禁止されていたから。放課後誰かの家で遊ぼうとなっても、いつも私はお邪魔するばかりで、うちにお招きできないことに引け目を感じていた。うちの妙なルールの詳細を話すわけにもいかず、「呼んだらあかんって言われてるから」と言い訳するしかできなかった。よく嫌われなかったものだ。(もしかしたら親御さんには嫌われていたかもしれない。)
自分はこんなお家に住んでるんだよー、こんなおもちゃを持ってるんだよー、とか、友達にお披露目だってしてみたかったな。
友達だけではない。うちには祖父母も滅多に来ない。私の記憶では通算2回だ。3歳の頃母方の祖父母が来た時はお風呂ルールは無かったはずだ。その後父方の祖父が来た時はお風呂に入らされていた。その他は一度もない。いとこも、叔父も叔母も、うちに来たことは無い。
そんな家庭で育ったものだから、私はいまだにどうやって人を家に招けばいいかわからない。まさか風呂に入れなんて言わないのは当たり前として、どこまで丁重に扱えばいいか加減がわからないのだ。食べ物、飲み物、どれくらい用意すればいい?おかわりしやすいようにテーブルにずっと置いておこう。エアコンの暑い寒いがあったら言い出しにくいだろうからリモコンは渡しておくか?遊ぶ準備は何があればいい?泊まりに来るならタオルは何枚用意したら安心?もう、なるべく備えて置かないと失礼がありそうで怖いのだ。適当にお迎えして、適当なとこ座ってもらって、「好きにしててー」みたいな気軽さが私にはどうも、難しい。
9時間耐久テスト勉強
中学生になった頃には、家の中に一つ「外」として使っていいエリアが増えた。3LDKの間取りの内、玄関入ってすぐ右手にある部屋だ。ここは長らく「開かずの間」だった。私が小学校に上がる前は出入りしていた記憶があるが、その後なんの理由か父の「不浄」判定が下ったようで、「出入りしてはいけない部屋」としてそこにあった。
中学生は中間・期末テストもあるし、いつまでも玄関で勉強というわけにもいかないということで、「外」としての使用が解禁されたと記憶している。ただ、「外」は「外」なので、お風呂に入らないで「家の中」のトイレが使えるようになったわけでも、冷蔵庫の食べ物を取って食べることができるようになったわけでもない。わかりやすく言えばただ、玄関が少し拡張されたのと同じだ。
スペースが広くなったからといって、勉強がしやすくなった訳では無い。宿題だけならまだしも、テスト勉強は1時間や2時間で済ませられない。私は勉強熱心だった方なので、どうしても高得点が取りたかった。小学生時代に宿題をサボらなかったのと同じ理由だ。「こんな環境のせいで成績を落としたくない。負けたくない!」しかし長時間勉強していると当然トイレに行きたくなる。その当時は先述のスーパーはもう潰れていて、トイレに行きたければお風呂に入るしかなかった。トイレに行きたくなる度にお風呂に入って髪乾かして着替えて「外」の部屋に戻る?そんなの効率が悪すぎる。
父が「もう諦めて風呂に入れ」と言ってくる。ムカついた。せっかく娘が勉強のために頑張って、自分の決めたクソルールのせいで苦しんでるのに「諦めろ?」ますます屈したくなかった。半ばヤケ、半ば当てつけで我慢し続ける。集中して勉強するのにこんな逆境があるだろうか。あまりに癪だったので、連続最長何時間耐えられたか数えていた。9時間だった。
私は中学3年間、中間・期末テストで5教科450点以上を取り続けた。これは反抗だった。
お迎えに来て欲しい
うちは、娘の帰りが夜遅くなっても駅に迎えに来てくれることはなかった。
誰かが迎えに行こうして一度家の外に出たら、お風呂に入らないといけないから。
お風呂のめんどくささ > 娘の安全 だった。母が迎えに行こうとしてもきっと父が止めていただろう。「ややこしいことするな」と。
幸か不幸か、実家は最寄駅から歩いて10分かからない距離だったので、「頑張れば一人で帰ってこれるでしょ」と思われても仕方なかった。駅まで車で送迎してもらわなきゃいけない立地のご家庭とは、違うのだ。
冬の時期など日が短くて特に夜は怖い。変な人が居る話も聞く。でも、そんなことでは迎えに来てくれないのだ。
部活などで帰りが遅くなると、寒くて怖い夜道をダッシュで家まで帰ることにしていた。走ることで体もあったまるし、走ってれば変質者に近寄る隙も与えないだろう。
迎えて来てくれるというほんのそれだけのことが、私には得難い無償の愛だった。
帰ってくることを望まれている、帰ってくることを待ち侘びてくれる人が居る、安全に家に連れ帰ってくれる人がいる。それが私の人格形成の過程にもっとあったなら、自分のことはもう少し好きになっていたんじゃないかなと思う。今でも私は「お迎え」に憧れている。
(この「お迎え」に関するエピソードは30代になってから携帯のメモに残していたのだが、たまたまこれをメモした日に、母が迎えに来てくれた。生まれて初めて、駅まで迎えに来てくれた。母は、私がそれがどれだけ嬉しかったか、きっと想像できないと思う。)
最後に
物心ついた頃にはすでにこのルールはあって、母をはじめ誰もそれを変えることができなかった。
私は20年以上前に独り立ちしてもうすぐ40になろうとしているが、実家に帰ればこのルールはいまだに現役である。