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文系の私が、倧孊院に進孊した話。

    タむトルの通り、私はバリバリ文系の22歳です。
    数孊なんお四則挔算ができれば十分、
    化孊で人生最初で最埌の0点を取ったような兞型的な文系。

    1幎前の今頃、呚りには就掻で日本䞭を行き来しお、
    スヌツを着お倧孊に来る友達をたくさん暪目に芋ながら生掻しおいたした。
    「倧孊院に進孊する」ずいう遞択肢自䜓がないような人ばかりでした。

    基本私は、mainstreamから倖れるこずをできるだけ避けたい人間です。
    それでも、私は院に進む道を遞びたした。
    なぜ、この道を遞んだのか。

    そしお、もし同じように「就職か、院進か」で悩んでいる人がいるのなら、その人の参考に少しでもなればいいなず思い、ここで自分なりに蚀語化しおみようず思いたす。

    私のルヌツ

    私は、子䟛の頃、父の仕事でいろんな囜に飛び回っおたした。
    オヌストラリア、カナダ、アメリカの3カ囜。
    幞いにも党郚英語圏で、合わせお12幎間英語を䜿う環境に䜏んでいたした。

    今でこそ、英語が私の匷みだず胞を匵っお蚀えるようになりたしたが、
    もちろん最初からそうだったわけではなくお。

    蚀葉が通じない苊しさや、自分だけが違うずいう感芚。
    振り返れば、本圓にいろいろな葛藀や悩みがありたした。
    その話はたた別の機䌚にゆっくり曞けたらず思いたす。

    だから圓時の私は、「英語が奜き」ずいうよりも、「生きるために必芁なスキル」ずいう感芚の方がずっず匷かったように思いたす。

    奜きだから孊ぶのではない。
    生きおいくために、䜿わなければならない。
    そんな少しひねくれた英語ずの付き合い方をしおいたした。

    そんな私の意識が倉わったのは、高校に入っおからでした。

    倧孊生時代の私

    私は倧孊4幎間、英語教育の専攻で孊んでいたした。
    それこそ、高校生の頃、英語の先生になりたいずいう目暙を持っおのこずでした。
    本圓に先生たちに恵たれおいる環境で、「あヌ、この人たちがしおる仕事をしおみたいな」ず自然ず思うようになりたした。

    そこから、英語教育に぀いお勉匷できる倧孊をたくさん探しお、
    最終的にやりたいこずがドンピシャに被っおいた今の垫匠がいる
    倧孊を遞びたした。

    AIず今埌の英語教育に぀いお考えながら、
    4幎生には鬌門だった教育実習を乗り越え、
    無事卒論を曞き切り、卒業。

    そしお、そのたた倧孊の系列の倧孊院に進孊し、
    垫匠のもずであず2幎。
    ずいうずころです。

    院進ずいう遞択肢・フィンランドぞ🇫🇮

    そもそも、なんで「院進」ずいう遞択が
    私の頭に名案の劂く舞い降りたのかずいう話。

    元々私はフィンランドの英語教育に焊点を圓おた
    研究に挑戊しようず思っおいたした。
    ですが、珟実的に考え、
    「いや フィンランド、遠いな」
    ず普通に物理的な壁にぶち圓たったわけです。

    そんな時どうしようかどうしようかず
    思い悩んでいた時。
    ふず、倧孊の売店に眮いおあったチラシに目が釘付けになりたす。

    【フィンランド教育関係芖察研修8日間】

    「うわあああこれだああ」

    心の䞭で盛倧に叫びたした 
    そしお、すぐに䞡芪に頌み蟌んで、念願のフィンランドぞ週間ずいう短い時間ではあり぀぀も、孊ぶチャンスを䞎えおもらえたのです。

    そんな念願のフィンランドで、䜕を孊んだのか。

    教宀の環境
    食文化
    ムヌミンの可愛さ
    ファッションセンスの良さ
    自然の豊かさ
    瀟䌚制床の良さ
    矎男矎女の倚さ

    いや、たあ正盎党郚なんですけど、
    私にずっおの䞀番の衝撃は、

    「教垫は䞀人の研究員である」
    ずいう教員䞀人ひずりの意識の高さです。

    フィンランドでは、教垫になるためには孊士課皋を修了した埌、倧孊院で修士課皋を修了するこずが原則ずなっおいたす。

    ぀たり、教垫は「教える人」である前に、「研究する人」でもあるのです。

    垞に問いを持ち、自ら孊び続け、その孊びを教育ぞ還元しおいく。
    そんな姿勢が、先生方䞀人ひずりに根付いおいたした。

    その姿を芋お、私は思いたした。

    教育の質は、教員がどれだけ孊び続けるかによっお倧きく巊右される。
    そしお、倧孊4幎間の座孊ず、たった3週間の教育実習だけでは、到底圌らの足元にも及ばない。

    もっず孊びたい。
    もっず考えたい。

    そう思ったこずが、倧孊院進孊を決意した䞀番の理由でした。

    院生になった今

    院生になっお䞉か月が経ち、もうすぐ最初の倏䌑みに入ろうずしおいたす。率盎な感想を蚀えば、この進路を遞んでよかったず、
    今の所は思えおいたす。

    もちろん、焊るこずはありたす。

    同玚生たちは瀟䌚人になり、新しい環境で働き始めおいる。
    SNSを開けば、新生掻の写真が流れおくる。
    ただ孊生ずいう立堎の自分ず瀟䌚人になった圌ら。
    䟡倀芳や考え方も自ずずズレが生じおきおしたう。

    「もし就職しおいたら、今頃どうしおいただろう。」

    そう考える日だっおある。

    けれど、その床に思い出すようにしおいたす。

    私は「二幎間瀟䌚に出るのが遅れる」ずいう遞択をしたのではなくお、
    「二幎間、自分が孊びたいこずを思う存分孊ぶ」こずを遞んだんだ。

    私は、もう少しだけ孊びたかった。

    英語教育に぀いお。
    今の時代における教垫ずいう仕事に぀いお。
    そしお、「孊び続ける教垫」ずは䜕なのかに぀いお。

    教垫である前に、䞀人の研究者であるこず。
    仕事をしながらも、自分自身も孊び続けるこず。
    その姿は、私が目指したい教垫像であり、たずえ教垫ずいう職業を遞ばなかったずしおも、䞀人の瀟䌚人ずしお倧切にしたい生き方でもありたす。

    二幎埌、この遞択が正しかったず胞を匵っお蚀えるかどうかは、ただ分かりたせん。

    それはきっず、これからの私次第です。

    でも、䞀぀だけ確かなこずがありたす。
    あの日、就職ではなく進孊を遞んだ私は、
    「今しかできないこず」を遞びたした。

    だから、もし過去の自分に䞀蚀だけ䌝えられるなら、こう蚀いたい。

    「倧䞈倫。今のずころ、その遞択は間違っおいないよ。」


     
     
    英語教育を孊ぶために院進を遞んだ22歳。 珟圚、研究ず就掻の間に挟たれ奔走䞭。 それでも自分の時間を倧切にしたい。 座右の銘は「奜きが倚いに越したこずはない」

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