メインコンテンツへスキップ
見出し画像

親の老いに気づいた日|50代おひとりさまの、少しだけ苦い記憶

    あれ?こんなに小さかったっけ。

    迎えに行った病院のロビーで、
    私は少し離れたところから母の姿を見つけた。


    母がまだ生きていた頃の話。
    何度目かの入院を終えて、退院する日だった。

    一瞬、誰だかわからなかった。

    背が縮んだわけじゃない。
    歩くのが遅くなっていただけ。

    私の記憶にある母は、もっとずっと大きかった。


    念のためにと用意していた車椅子を、
    私はそのまま広げた。

    以前の母なら、自分で歩くと言ってたのに、
    その日は何も言わずに静かに座った。

    その姿を見たとき、ああ、と思った。


    母はもともと世話好きで、 私が実家に帰ると、
    決まって台所に立っていた。

    「これ好きやろ」そう言いながら、
    いくつも料理を並べてくれて、

    帰りには「これ持って帰り」と
    袋いっぱいに詰めてくれる。

    心配性で、少しうるさいくらいだったけど、
    それが母だった。


    そんな母が、
    車椅子を押される側になっていた。

    車椅子に乗った母の表情には、
    なんとも言えないものが混じっていた。

    申し訳ない、という気持ちと、
    もう仕方ない、という気持ちと、
    それをうまく隠そうとしている感じと。

    母は何も言わなかったけど、
    なんとなくわかった。


    したいのにできない。
    ずっと心配していた娘に心配される側になった。

    そのことを母は自分の中で
    どう収めていたんだろう。

    体が思うように動かなくなって、
    やりたいことが、できなくなっていく。

    作ってあげたいのに作れない。
    動きたいのに動けない。

    そのもどかしさを、母はたぶん、
    何も言わずに抱えていた。


    車椅子を押しながら何か言おうとした。
    けど、言葉が出なかった。

    「大丈夫だよ」は違う気がした。
    「無理しないで」も違う。

    何が正解かわからなくて、
    結局、ただ車椅子を押していた。


    母も何も言わなかった。

    病院の出口に向かって、ふたりでゆっくり進んだ。
    春の光が廊下に差し込んでいた。

    あの日から母はまた入退院を繰り返した。


    そして、もういない。


    あのとき何か言えばよかった、とは思わない。
    言葉じゃなくてよかったのだと今は思っている。

    ただそこにいて一緒に歩いたことで、
    伝わるものがあったんじゃないかと。

    そう思うことにしている。
    それとも、そう思いたいだけかもしれない。


    母が小さく見えたあの午後のことを、
    まだときどき思い出す。





    最後まで読んでいただき、
    ありがとうございます。

    こういう日々のことを、
    これからも少しずつ書いていきます。

    よかったら、
    また読みに来ていただけたら嬉しいです🌿



     
     
     
    50代後半・猫と暮らすおひとりさま。 更年期・介護・実家の片付け 一気に押し寄せてきた現実をやり過ごしながら、 それでも自由でいることを諦めたくない。 そんな50代後半の舞台裏を綴っています。 ▶ ブログhttps://yuha-ohitorisama.com/

    あなたへのおすすめ