
谷折り
noteに消そうと思ってる記事が二本ある。
再スタートする前に書いたものだ。再スタートして5本ほど書き上げたとき改めて読み返した。
上手く言えないが、誰が書いたのか、見えてこなかった。
確かに自分が書いたはずなのに、文章から自分を感じない。文章の中身に、重さがない。面白くない。つまらない。スクロールの指が進まない。あの時もそうだった。キーボードを打つ指が止まっていた。
あの頃は、書く楽しさよりお金儲けの方が頭にあった。noteは誰かに役に立って、読まれて、利益が出て、初めて価値がある。そんな考えでまた、何者かになりたがっていた。
そうやって、無理に絞り出していた。絞ったタオルをさらに絞っていた。そこから出たほんの少しの水を寄せ集めて文章のような何かを作っていた。
そんな文章を愛することができなかった。書いている時は愛することなんて考えてなかった。
だから今、畳む。
下手だから消すのではない。恥ずかしいから畳むのではない。
愛せないから、畳む。
捨てはしない。畳む。役目を終えたものを、そっと畳んでしまっておく。手放すのではなく自分で持っておく。あの二つの記事と自分との距離感はこの程度がちょうどいい。
あの頃の自分を、責める気はない。
無理して書いていたおかげで、無理して書いたものがどうなるか、知ることができた。だからこそ、今は、伸び伸び書けている。それだけで、あの二本には大きな役割があった。
書くことが好きなのは、あの頃も、今も変わらない。だから、あの頃の自分に無理するならやめろとも言わない。ただ、辞めずに書き続けてくれてありがとう、お疲れ様。と、労い、感謝する。
この記事を書き終え、投稿したら、あの二本を消す。
だから、これを読んでいるあなたは、もうあの記事を読むことができない。
どんな記事だったのかは、自分だけ知ってればいい。