
世界にはたくさんの人がいるのに、わたしはわたしの人生しか体験できない
親や夫のように近い人でさえ、その人が見ているものをそのまま体験することはできない。
血がつながっているからとか、家族だからとか、同じ家に住んでいるからとか、そういうことはあまり関係ないのだと思う。
今日はどのくらい眠いのか。
どんな言葉にうれしく思ったり、傷ついたりしたのか。
帰り道に何を考えたのか。
同じ家に住んで、同じごはんを食べていても、何を見て、何を思ったのか、ほんとうの内側は見えない。
近い人のことさえわからないのに、なぜか、急に知らないだれかのことを考えてしまう。
深夜にテレビを観ているだれか。
病室で天井を見つめているだれか。
夜勤に向かっているだれか。
その人たちのことを、わたしは何も知らない。
名前も、顔も、どこに住んでいるのかも知らない。
そもそも今、ほんとうにそんな人がいるのかもわからない。
でも、世界のどこかには確実に、わたしの知らない生活をしている人がいる。
そういうことを、ふと、考えてしまう。
世界には、わたしが今生きているこの時間を、同じように生きている人たちがたくさんいる。
それぞれの人生、それぞれの生活。
わたしとはまったく関係のない他人のはずなのに、ふと、自分の中にある別の人生みたいに思えることがある。
別の身体に、自分と同じ魂が宿っているというか。
魂、という言葉が正しいのかはわからないけれど。
ふと考える知らないだれかのことって、自分の中にある別の人生のことだったりして。
もしそうだとしても、わたしはわたしの身体で人生を進めるしかない。
そのことを、さみしいとも、ありがたいとも、まだうまく言えない。
世界は広い、という言葉では足りない気がする。
広いというより、同時に多すぎる。
世界にはたくさんの人がいるのに、わたしはわたしの人生しか体験できない。
そのことが、ときどき不思議でたまらなくなる。
その感覚の正体が、まだうまくわからない。