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人混みの中の私

    今年40歳になった。
    若い頃から「自分にはこれがあるのだ」と誇れるようなものが欲しかったが、未だ見つけられていない。
    人生の折り返し地点に立ち、自分には何があるのだろうと考えた。

    ひとつ、本当に些細なことだけれど、これは私の特徴だと思えるものがあった。

    なぜか、人に道を聞かれることだ。

    思い返せば大学生あたりからそれは始まった。

    大学生活を京都で過ごしたことも影響しているかもしれないが、観光客らしき人からホテルの場所や行きたい駅までのルートを聞かれることが多かった。

    地下鉄の切符売り場でフランス人からフランス語で尋ねられたこともある。なぜフランス語が通じると思ったのか分からない。しかし偶然にも私は大学で学ぶ第二外国語をフランス語にしていたので答えることができた。私がフランス語を話せるように見えたのか、あるいは通じるかどうかはどうでもいい、自分はフランス語しか話さないというプライドだったのか。

    友人と3人で韓国旅行に行った時も、韓国人から韓国語で話しかけられた。韓国語は全く理解できず期待に応えることは出来なかったが、話し方やジャスチャーで道を聞かれていることは分かった。どうして韓国で、韓国人が日本人に道を聞くのか不思議だった。

    このように、道を聞いてくる人は日本人から外国人までバラエティに富んでいるし、一人で歩いている時だけでなく友人と一緒にいる時にも、私だけに向かって尋ねられる。

    理由が気になって、道を聞かれやすいのはどんな人か調べたことがある。
    そうすると多くの人が「自分は道を聞かれやすいが何故なのだろう」とインターネット上に投稿していることを知った。その人たちがどんな人なのか文章だけでは分からなかったが、気になる。何人かで集まって一緒に出かけてみたら面白いかもしれないなどと考えながら読んだ。

    そしてそこでは色々な意見があったが、時間に余裕がありそう、とか威圧感がない、などが道を聞かれる人の特徴として書かれていた。

    時間に余裕がありそう、というのはあまり納得できなかった。急いでいる時に声をかけられたこともあるからだ。

    仕事帰り、同僚と一緒にもうすぐ来る電車に乗ろうと駅を小走りしていた時のことだ。券売機で切符を買おうとしていた人がふいに振り返り、私に手を伸ばしながら「すみません」と話しかけてきた。切符の買い方なのか、行き先のことなのかは分からないが、明らかに何かを聞きたそうだった。しかし私はもうすぐ来る電車に乗らなければ子どものお迎えに間に合わない。罪悪感はあったが「ごめんなさい」と手を合わせ改札を通り抜けた。小走りだったのだから時間に余裕がありそうには見えなかったと思うのだが、それでも声をかけられたのだ。駅の券売機前なので、私でなくても駅員がいるし、他のお客さんだってたくさんいるのに。一緒にいた同僚も驚いていた。

    威圧感がない、については自分でも当てはまると思う。だけど威圧感というのはどこから出ているのだろう。

    つい先日、後ろから声をかけられたことがあった。その時の私はスターバックスが併設されている蔦屋書店にいた。興味深い本を見つけ、つい夢中になって立ち読みをしていたところ、背後からすみません、と声がした。振り返ると50代くらいの女性がいて「スタバはどこですか」と聞かれた。併設されているのだから道を教えるというほどでもなく「あちらです」と答えた。ふと周りを見ると書店の店員やスターバックスのカップでコーヒーを飲んでいる人。聞く相手としてはその人たちの方が適しているような気がした。後ろから声をかけてはじめて顔が見える私よりも。それでも声をかけられるのだ。後ろ姿からでも威圧感のなさが漂っていたのだろうか。


    道を聞かれるだけでなく、写真を撮ってほしいと頼まれることも多い。観光地に行くとフォトスポットの前で辺りを見回す家族。大抵目が合って「写真を撮ってもらってもいいですか」とカメラを手渡される。この場合はこちらも写真を撮ってほしい状況にあるので、「ではこちらもお願いしていいですか」と交渉成立。ありがたい話だ。

    逆に私から誰かに道を聞いたりすることはない。分からないことはまずスマホで調べるし、それでも分からなければ店員や駅員に聞く。通りすがりの人に聞くことはない。だから聞く側の気持ちはよく分からない。なぜ私なんだと直接聞いてみたいがその勇気はない。

    道を聞かれるのが嫌かというと、そういう訳ではない。自分から知らない人に話しかけるのが得意なタイプではないが、話しかけられるのは嬉しい。困っている人を助けてあげるのは気持ちが良い。だけど時々、咄嗟に出た答えを後から反芻して、もっと良い答えが出来たんじゃないかと考えてしまうことがある。特に相手が外国人の場合だ。

    ある時、通勤電車の中で、トラブルにより行き先が変更になるというアナウンスがあった。そしてこの電車は次の駅でしばらく停車するが、向かいのホームには別の電車が止まっているから乗り換えてください、とも。乗客は駅に着くとアナウンス通りに向かいの電車に乗り換えた。そこに外国人の親子も乗り込んだのだが、英語で私にいくつかの質問をした。なぜ今みんな乗り換えたのか、自分たちが行きたい駅には止まるのか、など。まわりの乗客は自分が聞かれなくて良かったという表情をしていた。私は発音の悪いカタコトの英語を他の乗客に聞かれるのが恥ずかしくて、小さな声で短い返事をしたのだが、後々伝わったのか不安になってきた。せっかくの日本旅行が、私のイマイチな答えで台無しになったらどうしよう。

    しばらく悶々としていたが、電車が3駅ほど進んだところで、やはりその外国人親子が目的地に辿り着けるか心配になった。勇気を出して今度は私から話しかけ、これからどうするのか聞いてみると、どうやらスマホで調べて詳しい状況を理解していたようで、大丈夫だと答えてくれた。安心するとともに、最初から私が的確な答えをできていればと少し悔しかった。

    最近では夫がこの状況を面白がっている。夫は人に道を聞かれた経験がないらしい。それを聞いて私は一度も聞かれない人もいるのかと驚いたが、日常生活に小さなネタができるこの体験は面白くもあり、聞かれる側の人間で良かった、とも思った。





     
     
    小学生と幼児の2人の娘がいるワーママです。 平日は時短正社員で働きながら、休日は家族でおでかけを楽しんでいます。 日々の子育てや、暮らしの工夫、気づきなどを、同じように忙しいママたちやおでかけ好き家族の方々と共有できたらいいなと思い、日々のあれこれを記録していきます🌷

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