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短編小説【老い先短い私の、話を聞いてくれまいか】

     わがままを言わない青年は余命が短く、わがままばかりの老人は、お迎えが当分先のようだ。
     七十も過ぎると、頭は思うように働かず、体は言うことを聞かない。言葉を忘れてあれしか言えず、夢枕に立つ亡き妻を見ては、ついに来たかと思う日々であった。
     それでも医者には「島倉さんは、あと十年以上、生きられますよ」と太鼓判を押される始末だ。この老いた体で十年も生かされることに嘆息するが、鳴子の紅葉があと十回しか見られないのか、と考えると焦燥もした。
     若いころに比べて、できないことが増えた。社会の動きについていけず、置いてけぼりになっている私をそこはかとない怒りが襲う。ばかにされているのかと思えば、ひとりでに頭に血が上る。文句の一つや二つも出てくるだろう。老い先が短いから、許される。最後のたわ言だから、堪忍してくれ。それらは、当たり前にある老人の権利みたいなものなのだから。

     吉池という名の青年とは、松島にある円通院で初めて会った。そういえば、名字だけで名前を聞いていなかった。私も名前は名乗っていなかったが、私と青年の関係には名前など必要なかったのかもしれない。
     青年は彼の妻と、円通院の庭を望むベンチに座っていた。二十代後半の、若い夫婦だった。青年のうつろな表情は、あの日の空模様と同じだった。私は、彼の妻から叱責を受けた。重苦しい陰気な雲たちが、私の体を押しつぶしてしまいそうな、木枯らし吹く午後だった。

     松島海岸駅のホームに降り立つと、私を出迎えたのは厚い雲だった。海から吹き上がる寒風に襲われると、思わず体がよろけてしまった。視線を海に向ければ、松島湾には珍しく白波が立っていた。あいにくの空模様だからか、冬の平日ということを差し引いても、人影はぱらぱらとどこかさびしそうだった。
     駅前にある遊覧船の乗船券販売所の入口には、仰々しく「本日、運航中止」の看板が立っていた。乗船するのも最後かもしれないと思い、老体を押して松島まで足を運んだ。だのに、中止とは何事か、と腹を立てていた。
     
     遊覧船の運航が台風以外で中止になるとは聞いたことがない。定年後に仙台へ移住してから十年以上になるが、初めてに違いない。販売所の戸が半開きになっていたから、中止の理由を問うため中に入った。
     先客が、中には鏡に映した私のような老人がすでにいた。強風じゃあるまいし、運航しないとは怠慢だ、という声が聞こえて、言い放った客は私と同年代だろう、七十過ぎの高齢の男性だった。
     沖は風が強くて、と言う平身低頭の若い従業員が心底困り果てた表情で、筋肉質な体を丸めて小さく見える。客もまた、老いからくる不安にさいなまれているのだろうか。ばかにされていると思っているのだろうか。哀れみが、私の胸を締めつける。同時に、客がいなかったら、私が彼のような客になっていたかと思うと、恥ずかしさが迫ってきた。人のふり見て我がふり直せか。私も彼と同じようなことをしてきたのだろう。後悔の念にかられながら、なにも言わずに外に出た。

     せっかく松島に来たのに、幸先が悪くて気は晴れなかった。寒々しい枯野のようなたたずまいを見せる松島に、なぜ来たのか。一度不満がわきたつと、とどまるところを知らないで、もう後悔などみじんもなかった。相手のいない文句は、吐き出されることなくのどにつかえる。湾内の波が高いことを想像する力もなく、松島に来た理由を思い出すことも放棄して、文句を垂れる客の姿が頭の中にこびりつき、残像が溜飲を下げる。客の姿が私に置きかわり、悪態をついているのだ。

     海岸には向かわなかった。予定が狂えば、やはりいらだちが募る。どうせ海など、いつ見ても変わらないだろうし、ましてやうらぶれた海を見ても、憂さを晴らすことはできないだろう。
     まばらながら、道行く人とすれ違うが、観光客だろう、浮かない顔をした人は誰一人いなかった。私と、あの客は感情を抑制する力が衰えているのだ。観光地で文句が出るのも、北風が骨身にしみて愚痴が出るのも、老化現象なのだから。

     石畳の小路に入ると、木々に囲まれているせいか海風が遮られて、いくぶん風は弱まった。円通院を指し示す看板が目に入り、うろ覚えだが、妻の好きだったお寺かもしれない。初めてではない記憶もあるが、もしかしたら隣の瑞巌寺と間違えているかもしれない。奥まった院内ならば、ちょうど風も穏やかだろうと安易に考え、円通院に足を入れた。
     本堂でお参りをしたのち、寒さが体にこたえたのだろう、腰部がぴりぴりと痛み始めた。腰をさするが、立ったままだと思うようにいかない。座るところがないかと探せば、石庭を望む場所にベンチがあった。だが、すでに若い男女が先客として座っている。私はとくに気にかけることはなかった。無意識なのだ。高齢者が優先されると思うのに意識など必要なかった。
    「ああ、腰が痛い」
     思わず私の声が漏れる。男女の顔は曇っているように見えた。狭い空間に割って入る老人を、不愉快に思ったのだろうか。腰部に鈍痛を覚えた私は、彼らの心中を推し量ることなくベンチに腰をかけた。冷えたのが原因だな、とぶつくさ独り言を言いながら。
    「若いから、いいよね。どこも痛くないでしょ」
     隣に座る青年に羨望の目を向けた。青年の口がわずかに曲がる。青年は覇気がないように見えた。私の若いころは、毎日午前様でも疲れ知らずだった。今どきの若者は、という常套句が頭の中を巡る。
    「ちょっと疲れちゃいまして」
     青年の顔は青白かった。眼前に広がる庭の白砂よりも、白かった。
    「若いのに、どうしちゃったの。だめだよ、私より疲れてるなんて」
     腰をさすりながら、顔をしかめる。
    「体力つけないと、いけないですね」
     青年の顔が歪んだ。それでも必死に笑おうとしている。青年の隣を一瞥すると、わなわなと震えた手で、自らの洋服をつかんでいる彼女が目に入った。彼女は怒りに震えていたのだろう、小刻みに揺れる体を、必死に抑えようとしていたのだ。だが、鈍痛が背部までに広がった気がした私に、もはや人様のことを考える余裕はなかった。すでに思索にふける時間など残されていないのだ。
    「若いんだから、なんでもできるでしょ。がんばりなよ。私が若いときなんて」
     昔話はとうとうとあふれてくるものだが、彼女に遮られてしまった。
    「夫はできないんです。もう十分、夫はがんばったんですよ」
     静謐の円通院に怒声が響く。私に言ったのだろうか。反応が鈍い私は口を半開きにしたまま、ふぬけた顔をさらしていたのだろう。彼女の顔が見る間に閻魔のようになり、激しい怒りに満ちている。私は固まってしまった。あまりの突然なできごとに、なにが起きたのか理解できなかった。老いは、頭の混乱をも招くのだろうか。
     円通院が再び静寂に包まれた。彼女は立ち上がると、すたすたと歩いて木立の中に消えてしまった。
    「妻が、すみません。僕、緩和ケアを受けてるんですよ。今日は外出許可が出たので、松島に来たんです」
     青年は胃がんを患っていた。腹膜に転移して腹膜播種となり、もう抗がん剤の効果も得られないということだった。
    「手の施しようがないんですよ」
     青年は白い顔に、懸命に笑みを浮かべようとしている。
    「そうでしたか」
     ようやく事態を飲みこめた。だが、私の口から出た言葉はほんの一言だった。
    「三十まで生きられないみたいで。もう残された時間は少ないんですけどね」
     医者の言葉が頭をよぎった。老人の私にはあと十年以上も残された時間があり、青年の彼に残された時間は一年もないのかもしれない。いや、ないのだ。
    「松島が好きで、よく来てるんです。でも、この天気のせいか、体が動かなくて」
     青年は、席を譲れなかったことを申し訳なさそうにしていた。私は、円通院の庭を前にしばらく放心していた。覇気がないとはいえ、二十代の青年と、ぐったりとした七十代の高齢者がベンチに並んで座っている。はたから見れば、お迎えが来るのは私だろう。
     青年は呼吸を荒くしながらも、まばたき一つせず庭を見つめていた。一秒、一秒を逃さぬような鋭い目つきだった。同じ庭を見ているのだが、青年の目に映るものと、私の目に映っているものは、きっと違うのだろう。
     私はいたたまれなくなり、逃げるようにして青年と別れた。隣の瑞巌寺にも寄らず、五大堂を見ることもなかった。それでも、自らの体を痛めつけることで罪滅ぼしにしようと、わざわざ松島湾の周りをぶらつき、寒風に身をさらして駅に戻った。

     帰宅すれば、当然だが家には誰もいない。もう妻はいない。子も授からなかった。親戚はいるが、年賀状じまいをしたから、どこでなにをしているか。ここで私が倒れて天に召されれば、孤独のままこの世を去ったと思われるだろう。それもまた、誰かを悲しませることもなく、迷惑をかけずに永眠できるのかと思うが、現世から離れるのに後ろ髪を引かれる思いもあり、心ぜわしくなる。
     仏壇に、妻の好物だったずんだ餅をそなえると、あの世に行けば孤独でもないか、と頭をよぎった。遺影を見れば、妻が苦々しげな表情をしている。まだ来るなということか。生前、妻は私の小言が気に食わないと、渋面するのがつねだった。言葉よりも先に、表情で私を諭していたものだ。
    「円通院は縁結びで有名なのよ」
     そういえば、妻が言っていたことを思い出した。今度は屈託のない笑顔をする妻が浮かび、知らなかったでしょ、と言われたような気がして、妻の顔は消えていく。
     今思えば、山門を入ってすぐ、縁結び観音たるものを横目に通りすぎたか。しかし、縁結びとは男女の縁を結ぶものだろう。私には関係ないものだと薄笑いを浮かべながら、妻の遺影に投げかける。がらんとした仏間に、ぽつんと老年の男性が一人、へらへらとしているさまは不謹慎に思えた。妻の遺影をじっくりと見ることなく、仏間の明かりを消した。
     
     早朝覚醒だろうか。眠った心地のかけらもなく、目を閉じたら一瞬にして夜明けを迎えてしまった感覚で、さえる頭は寝る前のままである。けれども、松島に行ったことが確かなことか、もしかしたら夢なのか、あやふやな現実として記憶に定着していない。
     定年を迎えたら、妻がいなくなったら、なにをすべきかわからなかった。仙台に移住をしたのも、妻がこの地を気に入ったからだ。一人になると、体の衰えが間近に迫っていることを、いやおうなしに突きつけられる。あの世が、いつのまにか隣家のように身近になり、気ばかりが焦ってしまう。もう人生は限られた時間しかないのに、私は松島に行ったことさえも、覚えることができないのか。
     不意に円通院の白砂が、青年の青白い顔が、口元を必死に緩めようとする青年の表情が、はっきりと脳裏に現れた。青年に、残されている時間は、少ない。

     私は再び、松島にいた。青年に会うためだった。失礼をわびていないことが心残りだったからなのか、自分でも、明確な理由はわからなかった。ただ、のどのつかえが取れないのは、青年に原因があるのだろう。松島によく来ているという青年の言葉を頼りに、松島をくまなく歩いたが、青年はいなかった。
     私の気は晴れなかった。だが、松島は穏やかな一日を見せてくれた。冬晴れの松島湾は、柔らかい陽光を浴びた多島海のきらめきを放ち、私の目に光を走らせた。青年を見つけられず、途方に暮れている私に、松島はそっと手を差しのべているようだった。

     夕刻、家に戻り、仏壇にずんだ餅をそなえようとしたら、同じものが目に入る。昨日、そなえたものが、そのままになっていた。昨日の今日かと愕然し、これが認知症の始まりかと嘆いたら、押し寄せてきた疲労で、くたびれた老体が朽ちていくようだった。
     妻の遺影をこわごわとのぞきこむ。満面の笑みでいる妻は、腹を抱えて笑っているようにも見えた。
     昼間、松島を歩き回っていたときには眠気がなかったのに、今ごろになって睡魔に襲われる。だが、長い時間歩いたせいか腹の底から食欲がみなぎってきた。目の前のずんだ餅を平らげると、いつのまにか眠りこけていた。

     それから、私は松島に通った。青年と出会ったのが平日の午後だったから、平日の同じ時間帯に行くのがよいだろう。青年の体調は芳しくないから、あちこち回ることをしないだろう。ならば松島公園の芝生で待ち伏せするべきか。もしかしたら、人混みを避けるかもしれない。そうすると、にぎわう瑞巌寺や遊覧船には近づかないだろう。そもそも、駅で待てばよいのかとも思ったが、電車で来るとは限らない。思い巡らせて、やはり円通院に行くことで落ち着いた。ではいつ行くべきか、あれこれと予想を立てたが、毎日、朝から閉門の時間まで円通院にいることにした。
     芸もなければ、体力的にも厳しいのに思い至ることもなく、私は松島に、毎日通うことに決めた。妻の渋面が頭をよぎる。加齢すれば、人は頑固になるのだ。頭の上で手を振り払い、私は家を出ていった。

     老年になっても、教えられたことがあった。初めのうちは青年を探すことに夢中で、風景のわずかな移ろいを見過ごしていた。松島に、一日として同じ日はなかった。変わらぬものなどなく、絶えず変わっている。空も海も山も、人も空気もだ。ぐずついた天気の日もある。遊覧船が欠航になる日もある。青年がいない日もある。永遠に変わらないことなどないのだろう。
     円通院の庭は、昨日見た庭と同一だろうか。一日の中でも、庭の姿は変わる。苔むした岩に降りた朝露は消えていく。白砂にたたずむあの岩が、斜陽を浴びて輝くのはほんの一瞬だけだ。
     砂一粒でも揺れ動けば、すでに違う庭だろう。枯れ葉がひらひらと庭の上を舞っている。もう二度と同じ軌道で舞うことはない。
     森羅万象を表しているという円通院の庭で、私は変わりゆく庭の姿をまのあたりにしていた。松島を、ふらふらとさまよい歩いていた私の足が地につき、庭を吹き通す風の音が、諸行無常の響きのように聞こえた。

     どれくらい通ったのか忘れてしまったが、ある日の午後、妻の言うとおり、縁結びゆえか、庭の向こうを歩く人影に目を凝らせば、紛れもなく青年の姿だった。
     青年に初めて会った日を思い出す。その日は、妻の命日だった。私は、天気が崩れても、妻の好きだった松島を巡ろうと心に決めていたのではなかったか。
     憎まれ口をたたくのは、物忘れの憂さを晴らそうとしているからか。体も頭も、言うことを聞かないのは、自然の流れだろう。生老病死を避けることはできない。
     石庭を、凝視する青年の顔つきには、覚悟がにじみ出ていた。もう二度と見られないかもしれない事物との、対峙だろうか。氷が張りついたような彼の顔をまじまじと見ていると、毎日、松島に来ていた自分に嫌気が差した。
     青年の倍以上も生きているのに、いつまでたっても腹が据わらない。老いは、人格をも変えてしまうのか。私は足がもつれようとも小走りで、青年に駆け寄り頭を下げた。

    「この前は申し訳なかった」と私がわびれば、青年は「気にしないでください」と言って、微笑を浮かべようとしていた。
     私は、正直に話した。あれ以来、青年を探すために毎日松島に来ていたことを。青年は、一瞬目を見開いたが「僕はたいした人じゃないですよ」と言って、白面をほんのりと赤らめた。
     青年が吉池と名乗り、名取のがんセンターに入院していることを聞いたら、私はのどのつかえが取れた。病室の番号を聞き忘れたが、青年の所在さえつかめばよかった。私の体を重くしていたわだかまりが、消えていく。
    「ここに来ると、生きてることがわかるんですよ」
     青年は白砂を見つめていた。庭が松島のようだから、庭が好きだ、とつぶやいた。私は、妻も松島が、と言いかけて、私も好きで、と言い直した。いつのまにか、私も松島が好きになっていたようだ。庭が森羅万象になっている、と青年に話すと、彼はゆっくりとうなずいた。
    「僕も、やがて庭の一部になるのかな。松島の一部になるのかもしれませんね」
     瞬間、虚空を見つめた青年は、顔に影をまとわりつかせて、物憂げな表情を浮かべた。時が止まってしまったのか、青年は枯木のように微動だにしなかった。
     皮膚を貫く冷えた空気が、冬の円通院をりんとして、張りつめているのは生気だ。寒々しく、草木は眠りについているが、生きている。色を失ったとしても、春になると鮮やかに芽吹く。それが自然の摂理なのだろう。

     私の行き先が、松島から病院に変わった。今度は、毎日病院に通うこととなった。妻が入院したときでも毎日は通わなかったことを思い出し、自分の行動に思いもよらなかったが、罪滅ぼしだったのかもしれない。
     はたから見れば私が患者だろう。院内であたふたとする私を気遣う目があふれていた。初日は、青年の妻が気まずい顔をして出迎えてくれた。あの日は私が悪かった、と腰を低くして謝った。彼の妻は、夫のために来てくださり、ありがとうございます、と礼を述べて深々と頭を下げた。夫がここを教えるなんて、と言葉をつけたして、少し戸惑っている様子だった。
     緩和病棟には木材がふんだんに使われ、木漏れ日のような優しい明かりが降り注いでいた。ぬくもりのある病室に入り、青年と膝を突き合わせる。ここでは不平や文句が頭をかすめることはなかった。場所が場所だけに、そうなのか。いや、それどころか、言葉が出てこなかった。単純に青年となにを話せばよいのか、わからなかったからかもしれない。

     静黙の日々を重ねた。さすがに沈黙し続けるのが悪いと思った私は、話の種になると考え、黄緑色の小箱を手にしていた。
     中には、ずんだ餅が入っている。妻の好物だからというのもあるが、私も好きで、おいしい食べ物といったらずんだ餅が思い浮かんだ。
     青年に食べてもらおうとひらめいたのだが、私の浅はかな了見をさらしてしまった。彼はもう固形物を食べられなかった。妻がいてくれたら、私の軽率な行動をとがめてくれただろうに。
    「上のずんだのあんは、食べられると思います」
     私が深く自省するのを制するかのように、青年は、僕もずんだ餅が好きなんです、と言って目尻を下げる。
     青年は、つまようじで器用に黄緑色のあんだけをすくい、少量をなめるように何度も懸命に口に運んでいた。豆粒の感触がのどを刺激するのか、ときどきむせながら。青年は泣き笑いしながら「島倉さんも、どうぞ」と言って、すすめてくれた。
     私も青年にならい、あんだけをすくって食べた。不器用なせいか、半分ほどがつまようじからこぼれ落ちてしまい、米粒大のあんだけが口に入る。それでも舌先から、濃厚な味わいが唾液をとおして口中に広がった。続けざまに口に含めば、つぶつぶとした感触が舌に残り、ざらついたまま飲みこむと、盛大にむせた。だが、私は笑わなかった。
    「大丈夫ですか」
     青年が声を絞り出す。僕のことは気にせず、餅も食べてください、と言うものだから、私はそのままのずんだ餅を食べた。甘味と塩味が餅によく絡み、かむごとに味わいが深くなった。何回もかみしめると、塩辛い味がわいてきた。
    「島倉さん、どうしたんですか」
     青年は動揺していたが、私は冷静だった。涙が出るほどうまいよ、と私がつぶやくと、彼は安心したようで、おいしいですよね、と答えた。
     悔し涙は辛いようだ。青年と食べたずんだ餅は、海水のように塩辛かった。

     私は、嘘を隠すことができるような、自らをだますことのできる人間ではない。日々募る悔しさに身を切られていく。朝目覚めて、私があることに安堵すれば、悔しい気持ちが湧き起こる。体の痛みに曖昧な記憶力、老いていく私に、不平や文句が口をついて出ることはなかった。老化を受容したからではない。悔しかった。青年に残された時間の少ないことが、ただただ悔しかった。

     個室である青年の病室に、日中いるのは彼と私だけだった。彼の妻は仕事をしていた。ちょうど私が帰るころに、いくどか顔を合わせることがあった。私が驚くと、彼は、妻にはやるべきことをやろうと伝えているので、と言っていた。
     青年の病室は、彼と私だけで作る空気をまとい、夜が明ける前の静けさに満ちていた。個室を出れば、院内はにぎやかだ。人の声が鳥のさえずりのように聞こえ、誰かがいるという安心感に包まれ、見守られているようだった。
     ときどき、廊下で交わされる声々が耳まで届き、ここが病室だというのがわかる。やがて、そばで立ち上った声たちもささやきとなり、いつしか消える。かすかに聞こえるのは青年の息づかいだけで、深い静まりが訪れる。目を閉じれば、病室にいる自覚が失せて、風景が目に浮かぶ。松島の風景だった。島々を縫うように進み、多島海を旅しているようだ。情景が移りゆくと、行き着いた先は円通院だった。
     円通院の庭に、いるようだった。私は、青年に話した。松島にいるようで、青年と再会したときの、あの円通院の庭が見えることを。
     青年は同意した。病院にいるとあれこれ考えてしまうらしかったが、最近はここでも無になれると、うなずいていた。
    「きっと、島倉さんがいるからですよ」
     私は謙遜した。病室を松島に、ましてや円通院にできる力など持ち合わせてはいない。円通院の庭で共有した空気を作り出しているのは、青年だ。彼は、時間に限りがあることを受容している。狼狽することなく、泰然として構えている。
     私は、青年よりも長く人生を歩んできた。だが、残された時間の少ないことに焦り、老化に戸惑い、不平不満が口をつく。青年が落ち着き払っているのに、私がうろたえることなどあってよいのだろうか。
     瞑想にふける青年と静黙する高齢者が向き合う時間は、はたから見れば異質だったかもしれない。談笑し和やかな時間を過ごした記憶はなかった。だが、庭が日々変わるように、病室にも私たちにも、ときとして同じ時間はなかった。移りゆく時間をともに過ごしていた。そして青年は、ただ静かにあるときを待っていた。私も、待たねばならない。静かにそのときを。あるがままの私を受容しなければならない。

     東京で桜が開花したという記事を見た。仙台でも春の日和が増えてきた。私は病院の帰り道、仙台駅前の高架橋を歩いていた。若いころのように急いで歩いているのだが、皆、私を避けるように追い抜いていく。置いてけぼりをくわぬよう、必死に皆の背中を追うが、息が切れる前に足が思うように動かない。やがて足がもつれて転びそうになった。
     それでも、ここの人波は優しいかもしれない。遠い昔に東京の雑踏を闊歩していた私は、私だったのだろうか。今の私には、もう東京に行く勇気も気力も残されていない。社会からはじかれたような嘆きが、ひしひしと心身に伝わってきたかと思えば、ぴたりと止まった。青年の顔が眼前に現れた。青年は決して文句を言わない。
     老いることも幸せなのかもしれない。私は、残された時間を懸命に生きるが、執着はしないつもりだ。彼の生に対して清らかに向き合うさまが、私の心を突き動かしているのかもしれない。
     白石川に桜前線が到達しても、青年は桜を見ることができなかった。日ごとに生気を失い、もう外出することも厳しい状態だった。桜が散るのは早い。花盛りかと思えば、いつのまにか青葉が芽吹いている。青々とした桜の木も、秋には色づき、冬には枯木となる。そしてまた春になり、見事な花を咲かせる。

     病院に行かない日が、一度だけあった。その日は松島にいた。青年の「島倉さん、松島の様子を知りたいです」という要望にこたえるため、私は松島にいた。彼の妻は仕事で忙しいだろう。だが、きっと青年には友人もいるだろうし、なぜ私がと思いもしたが、時間を持て余した老人にはうってつけだと納得した。

     初夏の松島は、どこも青々としていてまぶしかった。大型連休明けで人通りもまばらだったが、人波にあふれた余韻が松島には残っていた。快晴のもとに光る島々に向けて遊覧船が出航すると、私を乗せた船は丸ごと多島海に溶けこんでいく。松島の一部になったようだった。
     下船して歩みを止めると、しばらくしても光の残像がまぶたに映し出されていた。島と海が光彩を放ちながら浮遊しているきらめきは、この世とは思えなかった。私もそろそろここに来るのだろうか。すがすがしい海風に包まれると、身も心も若返ったようだ。まだ早い。真一文字に口を結んだら、また歩を進めていった。
     松島公園の土をかみしめながら、ゆっくりと歩き回った。一つ、一つを体に記憶させるように。老年にもなると覚えられる容量には限界がある。だが、昔の記憶など捨ててもいいから、今の松島の記憶で脳を埋めつくしたかった。この瞬間、生の輝きを放っている松島を、余すところなく青年に伝えたかった。
     この松島の風景を、青年はもう二度と見ることができないだろう。私は、まだ何度も見ることができる。だが、今見ている松島を忘れないように、忘れないようにと目に焼きつけた。乾いた目から涙が垂れようとも、まばたき一つしなかった。今日の松島は、もう二度と現れることはないのだ。
     円通院の庭では新緑が出迎えてくれた。むせかえるほどの青葉の匂いに、生命力が満ちている。あふれ出る庭の生気が、私の体にひしひしと伝わってきた。頭が思うように働かなくても、体が言うことを聞かなくても、老いた身で生きねばならない。焦ることはない。できないことが増えても、静かに受容しなければならない。老い先が短いと思うなら、懸命に生きねばならない。
     青年が知りたかった松島は、輝いていた。翌日、私は青年に伝えた。たどたどしい言葉ではあったが、目に焼きつけた風景を映写するように。
    「ありがとうございます」
     青年の青白い顔が、崩れていく。相好を崩していたのだろう。私は顔を伏せて、指で丸を作って合図した。

     窓外の梅雨空を眺めていた青年は「島倉さんに伝えたいことがあります」と言って、空よりも暗くくすんだ顔つきをしていた。思わず姿勢を正した私に、青年は紅葉の話をしてくれた。鳴子や秋保も息をのむ美しさだったけど「意外と松島も紅葉がきれいなんですよ」と教えてくれた。紅葉の時期は鳴子に行くのが私のつねだったから、松島を見逃していた。青年は「だから、ぜひ見に行ってください」と言った。私は、一人では行かないから、とそっけなく言葉を返した。目の輝きが失われ、失望した青年の顔を見たのは、初めてだった。私はすぐに「君と行くんだ」と言った。
     青年と約束をした。前にした約束など覚えていないほど、久しぶりにした約束だった。十一月一日に松島で、円通院で会おうと。青年は快諾して「うれしいな」とつぶやいた。私が聞いた青年の最期の言葉だった。
     
     妻をみとったから、わかっていた。青年にも、その日が迫っているということが。だが人間は、やらなければいけないことがあると、生きねばならないと気力が湧いてくるはずだ。秋になったら松島で、青年と私はもみじ狩りをする。約束は果たさなければならない。
     青年は眠っている時間が多くなり、ときおりうめいて、病室にいることがわからなくなっていた。私が訪ねても、反応は鈍かった。青年が言葉を発することがなくなっても、私は「松島で会おうな。約束だぞ」と声をかけた。聴覚は最期まで残る。私は何度も声を振り絞った。そのたびに青年の頭がかすかに動いたのを認めた。
     青年は、松島の目の覚めるような青い海に浮かぶ島々が、円通院の石庭に漂う大海のような白砂が、見えているのだろうか。やがて青年も庭の一部になり、松島の一部となる。

     院内は時間を刻む音さえ発せず、黙りこくっていた。青年の病室だったところには、もう誰もいない。青年がこの世を去り、生気がよみがえった老人が取り残されてしまった。

     青年は緩和病棟に入院する際、家族にしか知らせなかったと彼の妻から聞いた。なぜ自分だけが、という怒りに任せて、交友関係は絶ってしまったそうだ。だから、私が見舞いに来たとき、彼女はまごついていた。
    「島倉さんがいてくれてよかったです」
     青年の妻が頭を下げた。私は、青年の力になれたのだろうか。私はなにもしていない。ただ、同じ時間の流れに身を投じただけだ。青年が懸命に生きるのを、静かに見守っていただけだ。

     妻が他界したとき、涙は出なかった。放心状態だったのもある。慣れない死後の手続きに忙殺され、悲しみに暮れる暇がなかったのかもしれない。若い命が尽きるのは、こんなにも悲しいのか。私は生かされ、青年はなぜいかねばならないのか。何度も自問自答するが答えはない。確かなことは、私も懸命に生きなければならないということだ。
     
     仏壇にあげた線香が燃えつきたら、妻の遺影に、今日は約束があるから、と声をかけた。日付は十一月一日だった。遺影の妻は、笑みをたたえている。
     家を出たら、青空に光を描いたようなすじ雲が、松島に向かってうっすらと流れていた。秋うららで心までも澄みわたるほど、どこまでも空気が透明だった。
     松島海岸駅のホームに降り立つと、すじ雲が行く先を導くように、松島湾の空をたなびいていた。青々とした多島海が空にも映り、終わりのない色が広がっている。柔らかい秋風が私の体を包むと、足取りも軽くなった。行楽日和だからか人影が目立ち、松島は活気に満ちていた。初めて青年に出会ったときの記憶がよみがえる。季節が違うと別の場所に来たようだ。目に映る風景だけでなく、私の心持ちも変わったのだろう。

     松島公園のベンチに座り、黄緑色の小箱を開ける。ずんだ餅だ。つまようじで、あんだけをすくって食べた。もたもたとしてしまうが、少しずつゆっくりと味をかみしめる。豆粒のざらつきが舌に残ると、追想にふけった。残った餅だけを食べると、かすかに甘かった。
     松島の紅葉は、きらびやかに主張をしていなかった。静かにたたずみ、松島に彩りを添えている。主役が松島の風景だと、自らを受容しているかのようで、青年らしい紅葉だった。

     もう日が傾いてきたころ、円通院に向かった。縁結び観音にお礼参りをして、庭を望むベンチに腰を掛けた。赤く染まったカエデの葉が白砂に散りばめられていた。沈みゆく夕日が、庭の表情を刻一刻と変えていった。鋭い目つきで庭を見ていた青年の姿が投影されて、青年も私と一緒に庭を見ているようだった。私たちの目には、きっと同じものが映っている。
     私は一人だったが、孤独ではない。老いてなお寿命がある限り、まだまだ懸命に生きていくつもりだ。ありがとう、また来るよ、と松島に言い残した。
     私は約束を守る。十一月一日は松島に向かう。来年も、再来年も、この先もずっと。すでに来年のカレンダーの十一月一日を赤く塗りつぶしてきた。鬼が笑っても構わない。十一月一日は、松島の日である。

    #創作大賞2026 #オールカテゴリ部門

     
     
    各地を尋ねて。そして、小説を書きます。

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