
20:私たちの学籍/受験生|京都の異界・京都大学吉田寮に家族で10年暮らした話
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私たちの学籍
吉田寮の入寮選考は、吉田寮自治会によって行われている。年に二度、春と秋に入寮選考期間が設けられ、自治会の「入寮選考委員会」が選考を担当している。
1985年、それまでの「男子学部学生のみ」という入寮資格を拡大し、女子学生の受け入れを開始。1990年度からは留学生を受け入れ、1991年度からは大学院生・聴講生・研究生・医療技術短期大学生(現在の医学部保健学科)を含めたすべての京大生を、入寮募集の対象とするようになった。
さらに1994年度には、「京都大学学生との同居の切実な必要性」が認められる者(身障者とその介護者、親子、夫婦等)も入寮募集の対象となった。私たちは、この受け入れ条件の拡大を活用して入寮した。「学籍のある者(夫)+同居する必要性のある者(私と子供たち)」という形だ。
さて、私たちは約10年間、学籍をどうしていたのか。
当時、連れ合いは現役の学部生だったが、入寮した翌年に卒業。吉田寮では、京都大学に関わる学び手すべてを受け入れる体制を取っていたので、今度は私が学籍を取得することにした。
入寮した年に知り合った農学部のB君は親しみやすい人で、私は彼に大学の講義について色々質問していた。その中で、木材について扱った講義があるという話が気になった。当時参加していたNPOの関係で、木材に興味があったからだ。
聴講を考えていた私は、B君について授業に行かせてもらった。学生が少ない教室の中で、明らかに年齢の違う私は浮いていたが、熱心に聞き入っていたからか、教授も熱心に教えてくれた。
寮籍のこともあったけれど、この機会にあらためて、しかも天下の京都大学で学んでみたい!
私は翌年から、正式に聴講生をやってみることにした。
もともと生活空間に興味があり、大学時代も近い分野の勉強をしていた私は、翌年から工学部建築学科の講義を聴講した。
工学部の聴講生は、半期+半期の原則1年で、継続は1年だけ可能。まずは学部の聴講生を1年+1年で2年受けた。大学院にも聴講制度が設けられていたので、3年目からは大学院の聴講生として1年+1年で2年。これを3回半繰り返し、寮に9年間住み続けたのだった。
吉田寮と受験生
寮では毎年受験生に向けて、入寮者を募るためのパンフレットを作成する。寮生それぞれの熱い想いが綴られた原稿を編集した力作だ。大部屋に事務机を並べ、印刷した大量の紙束を順番に置いて、机の周りをぐるぐる回りながら紙を折ってまとめていく。
参考までに、2026年度の吉田寮紹介パンフレットはこんな感じ。
本文も読める。
出来上がったパンフレットは、入寮選考委員会が中心となって受験生に手分けして配る。2日目にはキャンパス門前で櫓も組む。コタツと鍋を持ち出して、試験を終えた受験生を勧誘するのだ。毎年数人がその怪しげな雰囲気に吸い寄せられ、最終的に寮で一夜を明かすことになる。
「受験生宿泊パック」というものも用意されている。
2日目の試験に向け、受験会場の敷地内にある寮の立地を生かして、宿泊施設として提供するのだ。「近くて安い」を売りに、遠距離から受験しに来る貧乏学生の面倒を一泊見る。
試験問題のアドバイスをしたり、翌朝遅刻しないように起こしたり、トーストとインスタントコーヒーなどの朝食を用意したりする(目玉焼きを付けていたこともあった)。

「数学部」も活躍する。寮でも優秀な連中が結集して、数学だけでなく英語や国語の解答速報を作成する。部員の1人が実際に受験生になって、試験会場から問題を覚えてダッシュで帰ってくる。作成された解答は予備校の向こうを張って、試験が終わって帰宅する受験生に配られる。
宿泊パックで寮を知ってその魅力に取りつかれ、再受験して入寮する者や、寮外生として出入りする者もいた。その他にも、吉田寮に入りたくて京都大学を受験した学生は一定数いた。
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