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桜好きすぎる

    姉が麦茶を入れたカップを落とした。麦茶と氷は飛び散り、紫のカップは割れた。コンビニのアイスコーヒー用のカップのような形をしていた。

    姉がここ数年間ずっと使っているもので、毎日見るものだったからその不憫さを笑い、からかっていた僕も今になって少しだけ切ない。
    果たして姉が切ない思いをしたのかはわからないがきっと切ないだろう。食器をよく割る父が食器を割るたびにあれ大事だったのにと愚痴を言うくらいだから、多分。

    風景は常に変わる。桜もほぼ散った。桜を見るだけで嬉しくて楽しくてしょうがなかった。子供の頃、年に1、2度訪れていた祖父母の家を離れるときも同じようにさびしかった。

    まず行きの車にワクワクした。いつもより早い時間に車に乗せられてドライブする。珍しく朝マックを食べたりしてレンタルCDをダビングしたお手製のCDで音楽を流し、ゲームをしたり寝たり車窓から風景を眺めたり。街がモザイクのようになるのが不思議でそれが時々スローモーションになってくっきりとそこにあるものが見えるのもまた不思議だった。

    祖父母の家に到着すると、祖父母がお犬におやつをあげるように話しかけてきてくれる。ちょっと会わない間に成長しているのを感じるのだろうか、そういう趣旨のことを言ってくれるのだが、子供に対する愛ある言葉すぎて、自分が成長したのかそれとも年を重ねただけで実感よりもまだまだ果てしなく子供なのかわからなくなった。しばらく一緒に過ごしてから二階にあるお気に入りの部屋に行った。天井に大きな扇風機がついた部屋で、別荘にいるみたいな気分がして好きだった。置いてあるこけしの向きが変わっているのではという疑惑が度々浮上し度々事件になっていたような気がする。

    最初は新鮮で来たい場所に来れた高揚感でいっぱいなのだがそれもだんだん落ち着き、ただダラダラしていた。いつお小遣いをくれるのだろうか、それとも今回はもらえないのだろうかと考えながら過ごしていた。それは一つの大きな目的だった。いつも結局帰り際にもらえる。封筒を渡されて、中身は決まって3千円だった。たしか手紙も入っていた。今の方が3千円を大金だと感じているし、手紙オンリーでもらっても泣くくらい嬉しいと思う。もしニートである今の僕と会ったらどう思うのだろうか、3千円が僕にとってはなんでもできるお金に感じるのですごく感動と感謝をすると思うが、それを目の当たりにしたら心配してしまうだろうか。それとも今どこかで見ていて既に心配しているだろうか、気ままそうで、笑ってくれてるだろうか。きびしいことを言う想像ができないので、そんな楽観的な想像になってしまう。

    これからすぐに梅雨と夏が来る。そしてすぐ秋と冬になる。年末をどういう気持ちで過ごすことになるのだろう。どうやって桜を見るのだろう。

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