
それでも私を否定していい理由にはならない
これは私宛に書いたようなものだ。
“本当に幸せで温かい気持ちになったら自然と涙が出る。
涙が出ないのであれば、それは本物ではない。”
“心が限界な人は涙が出る。自分の意思ではなく、勝手に。
涙が出るなら、休んだほうがいい。”
そんな風な言葉を聞いた。
しかし、私は涙が出ない。細かく言えば、作品を見て涙が出たり、自分の気持ちを話していると堪えられない涙が出てくる。
でも、幸せだと感じ心が満たされて気持ちが温かくなっても、辛くてしんどくて心が限界だと感じても涙は出ない。
では、私は幸せを感じてないのか。辛くてしんどくて心が限界だと思うのは私の勘違いなのか。
いや、そんなことはない。確かに私の心は動いている。これは自分自身にしか分からないことだ。
じゃあ、なぜ泣けないのか。
泣くことに私は抵抗がある。強く。
作品を見て泣く以外のことは基本的に泣いた後、後悔する。
母親がよく泣いていたのを見ていた。一緒に泣いていてはどうにもならない。むしろ、私がここで泣いたら母親に罪悪感を与えてしまうとさえ思った。そばにいる、話を聞く、慰めるが私に残された選択肢だった。
今のパートナーは私が泣くと困った様子を見せる。いつからか私が泣いてもティッシュを差し出すことも、そばに来ることも無くなった。
それは彼自身に余裕がないのもそうだと思うし、彼のこれまでの生き方やどうしたらいいのか分からないなど色々あるんだろう。
でも、その様子を見てこの人の前で泣いてはいけないなと自分が学んでしまった。勝手に。
これについてはパートナーに相談し「これは本当に自分の中でも課題である」と彼から聞けた。今後、少しずつお互い無理のない程度で感情の吐き出し方、受け止め方を二人なりに見つけていく予定だ。とはいえ、まだ現状泣くことに対する抵抗は変わらない。
自分の中でなんで泣けないのか振り返ったときに一番最初にパッと浮かんだのは泣くこと=悪だった。そこから記憶を振り返ると母親とパートナーが浮かんできた。二人に「お前たちのせいで泣けなくなった」なんて思ってはいないが、事実、泣けないと思ったタイミングはそこだった。
ずっと私は強くならなきゃって気持ちが強かった。ただ、それだけを強く思っていた。私が強くいないと母親が死んでしまうかもしれないし、パートナーを困らせてしまうから。死んでほしくないし、困らせたくないのに。
それでも泣けない自分が異物のように感じて、強く泣きたいと思っていた。矛盾だ。
涙が出るを判断基準にされると凄く嫌な気持ちになるのは、そういった自分の気持ちが反応しているのだろう。そして“やっぱり私は”と自分を否定し始める。
深く理解しなくていいから聞いて欲しい。まず、泣けないことで自分を否定しなくていい。泣けないのには理由がある。理由がなくてもそういう自分だと自分だけは認めてもいいのではないだろうか。
最初は違和感があるだろうし受け入れ難いと思うけど、その度に何度も泣けなくても心は動いていること、泣けなくてもおかしくないことを自分から自分へ伝えてほしい。人間の脳は繰り返し聞いた情報を重要な情報として記憶するのだとか。繰り返し聞くことで海馬から大脳皮質へ送られて、長期記憶に変換される仕組みらしい。
泣けなくても確かに心は動いている、記憶している。
泣けないからといって私を否定していい理由にはならない。
ま、泣けた方がいいなって思うけどね。