
人のためか自分のためか
信頼する、ある人と話した時に
自分が何をしに生まれてきたのか、という質問から
自分の中からでてきた答えが、
「遊ぶように楽しんで生きること、自分を通して自由に表現することをやりにきた。」だった。
それをしないようにかけているブレーキはなに?
人ためVS自分のため
これが昔からの私が葛藤する一つのテーマだった。
ホロスコープや四柱推命の統計学にも書いてあるから、私が挑戦したいことなのだろう。
人の為になるようなことをしてないと価値がない。
意味がない。
いつからか、長いこと採用してきた自分の中にある概念。
出たい自分と外に合わせる自分。
自分が!と出ることで、周りとのバランスが崩れるのではじゃないかという恐れから守っていた部分。
自分のためにすること、欲を出すこと、それらはエゴじゃないか。
そんな言葉にしていない胸の内だけどその人には透けていたようで、その人は言った。
「エゴは自分のためだけにあるんじゃないと思う。エゴは悪いものじゃない。欲はあっていい。その欲を叶えようとした時に自分だけではなくて人の願いが叶うことがある。そうした時にそれは自分勝手と言えるのだろうか。」
その言葉でハッとする。
発信や表現に関して
自分の中で知っていればいいことなのかなとも思ったりして、わざわざ外に出す必要あるかなと思ったりすると言う私。
「自分では意味のない発信と思うかもしれない。
だけど誰かにとってそれは意味を持つものになるかもしれない。それは、自分ではなく相手が決めること。それを委ねてみていいんじゃないかな。」
「思っていることや感性自分というものを
世にださなければ、本来出会うべき人達と出会えなくなるかもしれない。」
「自分が世界を創っているのだとしたら。
自分が自由でなければ、世界全体が自由でなくなる。そうしたら1人の問題でもなくなってくる。」
「だから、僕は自分のためにやってますよ。」
自分のためにやろうと思っていいんだ。
やってあげていいんだ。
それは誰かの役にたつように生きなければ
と縛っていた鎖を解放してくれるような
きっかけとなって、視点が高く広くなった日となった。
自分を満たしてからでないと他の人を満たすことはできないとよく聞くけど、
そのスタートは自分のために生きることを許すことなんじゃないかと思った。
真の意味で人の役に立つということとは何か
上っ面の言葉ではなくて、体現したい。
全てのものは自分1人だけのものなんて、ないのかもしれない。
だったら、存分に欲をだしていいし、叶えてもいいし、仲間や大事な人たちと幸せや嬉しいを沢山感じたい✨
そのhappyな感覚は知らぬ間にどこかに連鎖していくと思うし、もっと楽に豊かに生きたらいい。
それは繋がれてる命や細胞や身体や生かしてくれているもの全てへの敬意となる気がしているから✨
人のためか自分のためかは対立するものではなく
人のためでもあり自分のためでもあるという
=の世界だった🌎💖