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私の人生の主人公


    2026年1月1日。

    忘れもしないこの日、長年のオタク友達からのLINEでその報告を知った。新年が明けてから18分が経った頃だったらしい。

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    結論から言うと、私は起きていた。
    何をしていたかというと、某事務所のカウントダウンコンサートを見ていた。電波が悪いこと以外はよかった、楽しい新年を迎えた、と記憶している。

    私がその事態に気づいたのは24:27。いや、どれだけコンサートに集中したらその時間までスマホ見ないんだよ?と思うかもしれないが、それほどに集中していた。そのLINEのメッセージを見て、びっくりしすぎて震えが止まらなかった。

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    こう言い放った私にかける言葉などなかったはずだが、「おめでとう!」「生きろ、そなたは美しい」と言ってくれた友達2人とは、これからも一生友達でいたいと思う。彼女たちを信じている。

    さて。
    ここから先はかなり長くなると思うので、まず初めにこれだけは言っておきたいと思う。本郷奏多さん、ご結婚おめでとうございます。

    この記事を更新するのに5ヶ月もかかってしまった。私は心からこの報告をお祝いしたい。この言葉に嘘はない。人生で初めて好きになった芸能人で、初めて会いに行った芸能人で、初めて会話を交わした芸能人が、本郷奏多であった。気づいたらその年月が20年も経っていた。ここまでよく好きでいたもんだと感心したりもするけれど、だからと言うべきなのか、だからこそと言うべきなのか、いつかは幸せになってほしいとずっとずっと思っていた。この言葉も嘘ではない。そんな気持ちを持てるほどに、本郷奏多が大好きだった。


    何よりここまで1度もスキャンダルを出すことなく、心ゆくまで好きでいさせてくれたことに生涯感謝すると思う。「ファン」のことを「応援してくれる皆さん」とわざわざ言い換えるところもとっても好きだった。ただのファンが、たったの一言でものすごく大切にされているような気さえした。皆さんがいての僕なのでと言われたらそのままお返ししたいくらい、あなたがいての私の人生だったと大袈裟ながらに思ったりするくらいに。

    さて、想像してみてほしい。
    初めて応援しようと思った芸能人が、スキャンダルも不祥事も、事故も事件もなくここまでずっと夢を見させてくれる、こんな夢みたいなことを。そしてその人がずっと表舞台で活躍し続けてくれて私たちの見える場所で輝き続けてくれることを。これは到底簡単なことではない。

    ここからは余談で、ここ数年はオタクの勘(?)なるものが働き、「あ、そろそろかな‥」なんてファン(親しい数少ないお友達)の間でも度々話題にしていた。何かを意識していたわけではないけれど、その頃くらいから少しずつわたしは現場に行かなくなった。その日が来るのを何となく待っていたように思う。そして2026年1月1日。私の人生最長のファン物語が、その幕を閉じた。


    1.出会い

    思い返せば色々なことがあった。
    好きになったきっかけ(そこから?)は2006年、彼が演じたとある役がきっかけだった。越前リョーマである。私は原作のテニスの王子様をとにかく愛していたので、何様なの?と思うかもしれないが、あのテニミュですらなかなか受け入れられずにいた。実写映画になるなんて聞いた時には「ふざけるな!!!!」と永遠に愚痴垂れていたと思う。それくらい実写なるものが苦手だった。(その後実写作品を代表する俳優になるとも知らず)


    でも、実写映画の前売り券だか入場特典だかに「テニスの王子様」と書いてあるだけのシリコンバンドが付いていて、もうお分かりかもしれないがそのシリコンバンドが欲しかった。シリコンバンド欲しさに映画を見る権利を得たわけである。期待はしていなかったけれど、テニスの王子様は好きなもんで!!!という気持ちと、シリコンバンドがもらえる!!!✨という理由で見に行った。私らしいなと思う。

    今でも変わらず、人生で一番繰り返し見た映画は何か?と聞かれたら「実写版テニスの王子様です!!!」と言うくらいには何度も何度も繰り返し見た。つまり、めっっっっっっちゃくちゃよかった。いや、よかったどころではない。人生を狂わされたのだ。スクリーンで彼が喋り始めた時の衝撃は今でも忘れられない。なぜかって、あまりにも私の知っている越前リョーマ(CV:皆川純子)の声だったからだ。「皆川さんの声被せたんや‥?本気のやつなんやなぁ‥」と思った。(アホの子)。それでも私にはそれくらいの衝撃があったことを覚えている。もちろん被せてない、本人の声だった。疑ってごめんなさい。


    その後頭の中が当たり前に彼(実写版越前リョーマ)のことでいっぱいになって、その頃は出演作品も少なかったのですぐ履修が済んだ。本郷奏多という名前が本名だと知って驚いた。当時は公式HPもなかったし、ファンがやっていたファンサイトを舐めるように眺めては彼のことをもっと知りたくて、更新されるわけでもないそのページを何度も何度も眺めたものだ。何かを“知る”ことを楽しいことだと思った、初めての経験だった。

    2.初舞台「キネマの神さま」

    そこから月日は流れ、学生時代は学校終わりにHPのメッセージボードにコメントを残すのが日課になっていた(かわいい)。これが何かにハマってる!ということなのだと知った。そしてそんな私が初めて本郷奏多を見ることになるのは2011年6月のことだった。初舞台「キネマの神さま」である。当時仲良かったファンのお友達と行く予定で、私と彼女どちらもチケットを持っていた。彼女の元に私より少し先にチケットが届き、話を聞くとその席が3列目。やばいね、やばいねとはしゃいだ。その後私の元に届いたチケットを見て驚愕した。生きてたらいいことがあるもんだ、と思った。最前列だった。


    その後も舞台には何度か出演したが、キネマの神さまは本当に本当に良かった。俳優本郷奏多を好きになって、最初の現場が舞台だったことも良かったと今では思う。目の前でお芝居が見れるというのはすごい経験であったし、奏多くんが舞台に登場した時には、言葉に言い表せられない高揚感に包まれた。とても綺麗な人だった。せっかくの機会、元を取る勢い(?)でまじまじと見た。お茶を飲むシーンでこぼしてしまったのも覚えているし、小声で「こぼしちゃった‥」と隣の役者さんに耳打ちしてるのも鮮明に覚えている。綺麗でお茶目で、これが生身の本郷奏多なんだと泣きそうになった。憧れの人に会えたことが信じられなかった。


    その頃くらいから会える機会がどんどん増えた。
    今ではお馴染みの学園祭トークショーもその年が初めてだったと思う。奏多くんの誕生日が近かったのでみんなでバースデーソングを歌った気もするし、ケーキが出てきたような気もする。


    3.初めての会話

    そこからさらに月日は流れ、初めて直接会話をしたのは2011年7月15日(金)である。高校生のわたしは、初めて補習をサボった。GANTZのBlu-ray発売イベント「GANTZ 西VS田中星人 トークバトル!?」に行くためだった。今思えば21時スタートという何だか時代を感じる(?)イベントではあったが地方からの遠征だったため、大変ありがたかった。ハイタッチのことで頭がいっぱいでイベント内容は全然思い出せないけれど、ハイタッチのあの一瞬、今でもあのドキドキした瞬間を覚えている。手が大きくて、あたたかいなと思った。あの大好きになったあの声で、私の名前を呼んでくれたことで、人生のピークを迎えたものだった。


    第一次本郷奏多ブーム(?)として、GANTZを皮切りにファンが増えたと思う。二宮和也と松山ケンイチが主演の超大作映画に呼ばれたことは驚いたけれどすごく嬉しかったし、誇らしかった。そして西くんは、本当に本当に美しかった。この頃の黒髪でちょっと長め&重ためのビジュアルもだいすきだった。星人式の奏多くんのビジュアルは伝説だと今でも思っている。気になる方は必ず検索してみてください。


    4.恒例行事カレイべ

    いつからか毎年カレンダーを出すようになり、1年に1度は本人と話せる機会ができた。◯冊券なるもので特典を変えてくる小技を効かせ始めた時は、事務所もなかなかやりよるな‥と思いながらも言われるがままにきちんと踊らされた。大量に積み重なるカレンダーを見て一旦後悔はするものの、「買って反省、行って正解」をモットーに人生を楽しむ心があるので気にしていない。‥当たり前に反省はする。


    この手の特典会があると色々と思い出も増えるのだけれど、今まで親しい友人以外に明かして来なかった。今日は少しだけそんな話も書いてみようと思う。

    5.思い出の特典会

    特に思い出深いのは、コロナ禍に1度だけ行われたオンラインお話会である。この形式は今では当たり前だけれど、そんな流行りに乗ってくれるなんて思ってもみなかったのでひとしきり会話を楽しんだ最後に、「来年は会えるといいな‥」的なことを言った私に対して「会えるように‥うん、なるといいね」と言ったのだった。一見塩対応じゃね?と思うかもしれないけど、私はそうは思わないようにした。この先のことなんか誰も何も分からない中、会えるよ!会いたいね!みたいな無責任なことを言わない誠実さを私は彼から感じ取って、とても心打たれた。ああ、わたしの好きな人ってあの限られた時間でこんなにちゃんとファンの言葉と向き合える人なんだ、と。私が普通に干された可能性も捨てきれないが、奏多くんは本当に切ない顔で笑ってた。後に思うのが、本人の様々な経験が影響していたのだろうと思う。想像のつく人にだけ分かればいいと思うので割愛しますが、その言葉を聞いて思った。この時ばかりは余計なことを言ってしまったと、やはり反省した。

    他にも嬉しかった会話や思い出深い会話はあったように思うけれど、今更だけど私の印象を教えてくださいと話した時に「素敵な人」と言ってくれたことや、来世もファンでいたいの見えるところにいてほしいと言ったら「じゃあ生まれ変わっても本郷奏多になる!」と言ってくれたこと。おでこ出してるのがかっこよかったのでそのままYouTubeも撮って欲しいって言ったら本当に撮ってYouTubeに公開してくれたこと。全部全部特別でかけがえのない思い出である。


    そんな特典会の最後にはいつも決まって「来年の抱負」を訊ねていた。長年現状維持!と言っていたので、今年もそうかな〜と思いながら聞いたある年に、奏多くんは「売れたい」と言った。「現状維持やめたの‥?」と聞いたら「うんもうあれはね、やめた」と笑った。そして「お母さんに大きなお家を買ってあげるんだ〜!」と言っていた(‥‥かわいい)。そこからの快進撃は本当に凄かった。大河ドラマに朝ドラ、俳優としてずっと夢に見ていた姿をたくさん見せてくれた。俳優として、1つ、そしたまた1つと大きくなっていく姿をまだこんなにも楽しめるんだ、楽しんでいいんだと思った。俳優を応援していてこんなにも嬉しいことはない。わたしは知らない。ちなみに日曜劇場と月9と日本アカデミー賞に出るその日をまだ諦めていない(そうですか)。

    YouTubeを始めます!と言った時は、あまりにもびっくりした。それまでSNSのイメージが全くなかったので。たま〜に書いていたHPのブログも不慣れな感じがかわいいな〜って思ってたし、初手SNSがYouTube!?!?やはり思ってもなかった。でも奏多くんらしいなと思った。自分の金儲けのために(?)という言い方をしていたけれど、人を喜ばせる天才だと思った。奏多くんは周りにいる人を楽しい気持ちにさせることに一生懸命な人だし、お友達がものすごく多い。慕われているのがよく分かる。自分が作ったオリジナル曲を歌う動画が出た時は赤飯を食べようかとすら思ったし、今まで歌なんてポケモンの舞台挨拶でちょっと歌ったくらいで披露してこなかったのに、YouTubeではそんな姿も見せてくれてびっくりした。マジでびっくりした。ちなみに78人目のチャンネル登録者であることを自慢しておく。


    さて、思い出話は一旦これくらいにして。
    冒頭にも書いた通りここ数年はほぼ会う機会がなかった。会いたいと思ったこともあったけれど、会いに行くのを何となくやめた。最後に奏多くんに会ったのは2024年10月。忘れもしない大雨の遊園地である。あんな辺鄙な遊園地に大雨の中奏多くんを見にいくなんてまだまだ大好きなんだな〜と思ったけれど、今日を最後にしてもいい、と何となく思った。奏多くんがステージに出てきて、小さく手を振るたびに胸が踊る。顔の小ささ、手足の長さ、何気ない仕草を今でもかっこいいと思うし、これから応援するであろう芸能人がもし仮にできたとしても、ステージに出てきてこれほどに感動する人は後にも先にも本郷奏多だけだと思う。


    さてここからはいただいたマシュマロに対してお返事を書いていきますが、

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    「結婚するからファンをやめるんだな」などという言葉がちらほら聞こえてきそうな気もするな‥と思っていた矢先にちょうどいいマロが届いたので言っておきたいんですが、大正解!間違いなく結婚を理由に、ですよ。私が勝手に好きになって始めた物語なので終わりのタイミングも自分で決めて、よし今だな!と思いました。

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    まず私は結婚に関しておめでとうという気持ちが1番大きいので腹いせはお門違いです!ということは言っておきます。あと、これからも奏多くんのことを応援するファンの方の気持ちに関しては、ごめんけどほんっっっっっとに1ミリも考えていません!ごめんね!!!(笑)
    あと、これを書いてくれた方はこれからも奏多くんを応援していく方だと思うので言わせてもらうんだけど、お相手は誰かな?などと詮索しているような人たちはファンですか?ファンならそこまで踏み込んでもいいんですか?お相手が一般人なので詮索しても分かるわけないよね、という話ではなく、モラルの話です。奏多くんの報告にあった「そっと見守って」に込められた意味を考えられなかったのかなーと、誰だろうと予想して盛り上がるのは自由ですが、公の場で発言することではないです。反省して欲しいのでこのマロを通じて言いました。そしてこれからも奏多くんのことを応援する方達が、本人が望まないことをしないように祈ります。

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    本郷奏多という人間に憧れて、奏多くんのような大人になりたいと願っていました。俺みたいな大人にはならないで、と奏多くんは言ったけれどどうしようもないくらいに大好きで仕方なかった。好きなことを好きと言える人間になりたいと思ったのも、好きなことを仕事にしようと思ったのも、今この道を選んだのも、全部あなたがいたからでした。


    奏多くんと出会っていなければ出会えなかった人がたくさんいて、奏多くんのことを好きになっていなければ、見ることができなかった景色がたくさんあります。奏多くんがいたから私の人生はここまで輝かしいものになったし、その人生を彩ってくれた人が、あなたで本当に良かった。


    本郷奏多くん。
    誰かを応援することの楽しさと、素晴らしさを私に教えてくれて、心から感謝しています。ありがとうございました。
    紛れもなく、ここまでの20年の人生の主人公は私ではなく、あなたでした。



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