季節を運んでくる風と匂い
今日も病院に行ってきました。
家を出る前の様子は、
いつも通りです。
体は重いですが、
病院に行くことは、
多少しんどいだけです。
支度をして、
靴を履いて、
家族と一緒に玄関を出ました。

助手席に座って、
シートに体を預けると、
少しだけ力が抜けます。
走り出してからは、
窓の外を
ぼんやり眺めていました。

通院の日は、
外に出る日でもあります。
家の中にいると
気づかないことが、
車に乗って走っているだけで、
たくさん目に入ってきます。
助手席にいると、
運転のことを気にせず、
窓の外のことだけを
考えていられます。
今日はそのおかげで、
匂いに気づく余裕が
ありました。
窓の外を眺める時間も、
嫌いじゃありません。
その時間があるだけで、
通院の日は
少し違った一日になります。
その途中で、
最初に気づいたのは
匂いでした。
病院へ向かう道に、
銀杏の木が並んでいます。
あの独特の匂いがしてきます。
ああ、
今年も
落ちる季節になったんだな、
と思いました。
景色で秋を知る前に、
鼻のほうが先に
秋に気づきました。
木はまだ緑色のままで、
紅葉の気配は
ほとんどありません。
それなのに、
匂いだけが先に
季節を連れてきます。
助手席から並木が見えて、
通り過ぎるとき、
道路には車に潰された実が
いくつも落ちています。
その上を、
車が次々と走っていきます。

それなのに、
窓の外を
流れていく景色の中から、
匂いがまだ香ってきます。
潰されても、
轢かれても、
匂いだけは消えない。
そのしぶとさが、
私は嫌いじゃありませんでした。
車内の空気に、
ほんのり混ざる程度ですが、
それでもはっきり分かります。
物思いから顔を上げて、
匂いのことを話してみると、
お互いは口に出さなかっただけで
秋が来たねと話しがはじまりました。

あの匂いについて、
少し調べてみました。
銀杏の実は、
外側の皮に酪酸などの成分が
含まれていて、
それが強い匂いの
もとになっているそうです。
実が落ちて、
人に踏まれたり
車に轢かれたりして
皮が潰れると、
匂いはいっそう強くなります。
しかも実をつけるのは
雌の木だけなので、
同じ並木のなかでも、
匂う場所と
匂わない場所があります。
通っている道も、
ある地点から急に
匂いが濃くなって、
少し先でふっと消えます。
ここに雌の木があるんだな、
と思いながら、
窓の外を見ていました。
街路樹には、
実のならない雄の木が
選ばれることも多いそうです。

それでも匂う場所があるのは、
そこだけ雌の木が
混ざっているからなのでしょう。
きれいに並んで
見える並木にも、
一本ずつ違いがあります。
落ちた実が目立ってくるのは、
十月から十一月ごろだそうなので、
今日はちょうど、
その始まりの時期に
あたります。
銀杏は、
「生きた化石」とも
呼ばれているそうです。
昔は世界中に仲間がいたのに、
今は一種類だけが残っていて、
日本ではいったん
姿を消したと言われています。
そんな木が、
今は街路樹として、
私の通う道に何本も
立っています。
車の窓から
眺めているだけの私より、
ずっと長く、
同じ場所で季節を
繰り返している。
そう思うと、
少しだけ
不思議な気持ちになります。

銀杏の匂いは、
嫌いじゃありません。
いい香り、
と言い切れる匂いでは
ないと思います。
それでも私は、
嫌いじゃないんです。
好きかと聞かれたら、
好きとまでは言えません。
ただ、
嫌いじゃない。
その言い方が、
今日の私には
いちばん正確です。
無理に
好きになろうとは思いません。
かといって、
避けたいとも思いません。
理由を聞かれても、
うまく答えられません。
少し考えてみると、
強くて、
はっきりしている
ところだと思います。
ぼんやりした頭でも、
見逃しようがありません。
そのくらい分かりやすい匂いが、
今の私には合っています。
私は、
匂いは音や光よりも
避けにくいものだと思っています。

うつむいても、
イヤホンをしても、
防げません。
だから通院の日に
出会う匂いは、
私が選んだものではなく、
外の世界のほうから
届けられたものです。

最近の私は、
日付の感覚が
かなりあいまいです。
曜日は通院の予定があるので
何となく分かりますが、
月が替わったことや、
気温が変わったことには、
あとから気づきます。
通院の日は、
季節の進み具合を
確かめられる日でもあります。
今は、
置いていかれている感じが、
少しあります。
去年の今頃は
何をしていたんだろうと、
物思いにふけります。
その感じは、
完全には消えません。
でも、
置いていかれたままで
いたいわけでもありません。
カレンダーを見ても、
天気予報を見ても、
季節の実感は湧きません。
それなのに、
銀杏の匂いだけは、
季節が進んだことを
私に教えてくれます。
季節を「感じる」のと
「知る」のは、
似ているようで違います。
今の私は、
感じてはいません。
でも、
知ることはできました。
「今は秋です」という
情報だけを、
短く、
はっきり、
渡してくれる。
そのくらいの距離感が、
今の私にはちょうどいいです。
通院の道は、
何度も通っている道です。
先月まで何の匂いも
しなかった場所が、
今は匂っている。
同じ道を通っているのに、
同じ日は一日もないんだな、
という当たり前のことを、
今日は少し実感しました。
道の両側に並んでいる木は、
私が気づかない間にも、
少しずつ実を
重くしていたのだと思います。

病院の中のことは、
ここには
書かないことにします。
待合室で番号を
呼ばれるまでの時間が、
少し長く感じたこと。
今日の記録としては、
それくらいで十分です。
病院を出ると、
いつも通りの足取りで、
そのまま車に乗りました。
帰りは行きよりも、
家族の隣で窓の外を
眺めていました。
同じ並木を、
行きとは逆の向きから見ます。

同じ木でも、
見える側が違うと、
少し違って見えます。
同じ道を戻ると、
同じ場所で、
また匂いが濃くなりました。
行きに見た潰れた実は、
帰りも同じ場所に
落ちていました。
帰りは気持ちに
余裕があったぶん、
その場所を
少し楽しみにしている
自分がいました。
「ここでこの匂いがする」と
分かっていることが、
道の目印になっていました。

家に着いて、
玄関で靴を脱いで、
手を洗いました。
服を着替えて、
温かいお茶を入れて、
ひと息つきます。
玄関の空気は、
いつも通りの家の匂いでした。
さっきまでの匂いが
少し遠くなって、
ほんの少しだけ名残惜しい気がします。
今日はまだ、
動けそうです。
今日できたことを
数えるとしたら、
病院に行ったことと、
帰ってきたこと。
この二つです。
どちらも、
そこまで大変では
ありませんでした。
それに、
銀杏の匂いに気づいたことも、
数に入れておきます。
この出来事で、
何かが大きく
変わったわけではありません。
銀杏の匂いが私を
元気にしてくれたわけでもありません。
ただ、
帰ってきた今は、
行く前より
少し気分が軽いです。
毎日が同じに感じられて、
時間が止まったように
思えるときでも、
外では季節が
ちゃんと進んでいる。
それを、
この匂いが
知らせてくれました。
それだけです。
次に病院へ行く日にも、
この匂いは
しているのでしょうか。
実がもっと落ちて
強くなっているのか、
掃除されて消えているのか。
どちらになるのかは、
そのときに
ならないと分かりません。
次に通院する日も、
同じ道を、
同じ車で通ります。
匂いがあってもなくても、
私は助手席に座ります。
それだけは決まっています。
これから、
この並木は色づいていきます。
その間も私は、
同じ車の助手席から、
同じ道を
眺めているのだと思います。
今はこのあと、
お茶を飲みながら、
少しゆっくりします。

銀杏の匂いが、
まだ服に少し残っています。
いいなと思ったら応援しよう!
うつと向き合いながら、在宅で記事を書いています。もし気になったらチップを頂けると、その一部が活動の下支えに回っていきます。読んでくださったこと自体が、すでに大きな支えです。無理のない範囲で、力を貸してもらえたら嬉しいです。