メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo bylikeabird

残念だよ、私。

    こんばんは。

    相変わらず、毎日投稿を宣言したのに
    全然毎日登校できてない、怠惰な私です。

    仕事で疲れた状態から毎日投稿する人って本当偉いと思うし、
    それができるようになりたいと思ってないのが1番の問題。

    私が毎日投稿してもしなくても大した問題ではないですが、
    自分で何か目標を設定してそれを達成する力はなんだか
    弱くなっている気がして。

    何か目標を設定して、そこへ辿り着こうとするアプローチは
    エネルギーを必要とする。

    理想の姿や目標設定の道程にいる時は、
    必ずギャップとの苦しみが伴う。
    まあ苦しまない人もいると思うけれど。

    小さい目標ならいざ知らず、
    大きい目標に対して理想を設定し、
    そこへ向かってゆく時のエネルギーの消費量はとんでもない。

    にわか知識だけど、ニーチェはそういう姿勢を貫いた果て、
    ニヒリズムに到達し、考えないことが答えだというような
    考え方をしたとかなんとか。

    とてもわかる気がする。

    小さい目標を立てて達成できるとか、
    中位の目標を立てて達成できるとか、
    それなりに行動して納得のいく成果を出すことのできた人は、
    どんどん大きな目標を立てるだろう。

    この大きな目標の立て方を間違えると、
    ニヒリズム人間や苦痛を伴った時間を過ごすことになる。

    どういった立て方が間違いかというと、
    定性的な目標というただその一点である。

    どいういうことかというと、
    具体的に何を何時間どのように行えば良いのかわからないというのは
    全くいい目標ではないということだ。

    何をどうしたらいいのかわからないのに設定する目標は、
    達成のしようがないか、
    もしくは達成するために考えることが多すぎるので、
    達成するための行動以前の問題になってしまう。

    具体的かつ定量的で、何をしたらいいのかわかる状態が、
    最も良い目標の設定事項だろうというのが、
    当たり前だがとても大事なことだと思う。

    どうして大事かというと、
    頭の良い人や容量の良い人というのは、
    初期に設定した目標、あるいは簡単な目標というのは
    すぐに達成してしまうことが多いだろう。

    そうすると、次第に達成される目標自体を設定することを
    楽しみ出すことがある。
    最初はなんだか高度で、自己理解がないとできないような、
    かつ達成するためにギリギリの条件を探したりと
    割と充実していることがある。

    しかし、それは答えのない作業であるし、
    段々と設定する目標が高くなってしまう傾向にあるので、
    設定した理想と現実のギャップに苦しんだりすることがある。

    そうして、次第に気分が落ち込んだり病んだり、
    本来のパフォーマンスが出せなかったり生活に影響を与えたりと
    さまざまな悪影響が出てくる。

    目標を設定するために必要な条件や事項というのは、
    慎重に考えつつ、かつ「どれだけ成長できたか」というような
    近代的成長戦略のような考え方だけで設定すると痛い目を見る
    気がするので、
    「どれだけ」の定量的な部分や、
    「楽しい」などの定性的な部分も考えることが必要だ。

    近代企業戦略のように、
    KPIを持って最短でゴールを目指すやり方が人を部品にすることは
    すでに日本人が高度成長時代から何度も味わってきた失敗の側面だ。
    これをどのように、「個」として楽しんだり充実感を得たりするか、
    内発的開放型の動機づけで行うかということは、
    新たな資本主義に繋がるような考え方の一部だということは
    わりかし長い間議論されている。

    情報が渦巻き、新陳代謝が大変活発化しているせいで、
    一つの情報に対して熟考や熟慮を図ることもなくなってきているような
    気がするが、そうした作業における思惟の深さやプロセスにあった
    ある種の納得感や信頼感を得て安心していた作業を忘れたくはない。

    それは情報社会のスピードに沿って生きていないということではなく、
    全く別次元の作業だと思うのだ。

    そういう意味では、人間はサボテンになった方がいい。

    全く動いていないようで、
    土からは栄養を吸収し、
    適度に水をもらい、
    誰の目にもあまり留まることはないが、
    少しずつ大きくなっていく。

    決して見栄えは華やかではないかもしれないが、
    どの花よりも長く持続的に伸び続けることができる。
    過酷な砂漠にも飛び出す耐久力もある。

    見習いたい。

    サボテンが理想の姿を描いているかどうかは知らないが、
    おそらく決めてないだろうという体で話すと、
    基本的に華麗さもないがあの地味だが人の目を気にせず
    黙々淡々と成長する姿は本当に素敵だ。

    あまり人の目を気にしないと思っていた私だが、
    意外と気にしていたということに最近気がつき
    大変ショックなのだ。

    大変ショックだし、いろんなこと、
    例えば「仕事をする意味」とか「なぜ生きているのか」とか
    なんだかそんなところを考えていたり、
    考えることも散々としていて、
    なんだか残念な感じになっていた。

    躁鬱的に躁の状態になってきたのかもしれないが、
    それはそれでどういった状態になるのかは気になるので
    やってみて面白いんじゃないかと思う。

    社会人になって3ヶ月が経とうとしているが、
    最初って誰でも張り切るもんだと思う。
    私もそうだった。

    人間最初の方はできることに大きく出過ぎる。
    最初の半年や、一年で大きな目標を抱えがちだが、
    本当に達成する人は少ないし、
    それを設定することすら本来は難しい。

    ある種、欲望や思い込みといった要素が必要だ。

    そうして最初の期待やエネルギーから少しずつ、
    自分の無力さやできなさを感じていく時間がある。
    当然だ。
    新卒など役に立たんと字面ではわかっていたりしても、
    実際に考えていくと凹むものだ。

    そして社会人となるとさまざまな分野で活躍されている方が多い。
    20代でも何億と稼いだり、頭がとても良かったり、評価される人がいたり。
    情報社会の現代では、そういった人たちが周りにたくさんいるように
    見えてくる。
    目標設定をしているわけではないが、感覚がバグるのだ。

    そういったある種羨望のようなものから自信を守るためには、
    サボテンになることが必要だ。
    サボテンも悪くないのだと。
    私のような凡人はそう考えて生きるのが良い。

    キラキラした人たちはキラキラしていて、
    普通の人は普通にしているのが精神衛生上よい。
    私はそういうタイプなのだろう。
    ちょっと残念な感じもするが、それでよいのだ。

    頑張ってくれるキラキラした人がいるから、
    凡人は今日も美味しいコーヒーが飲めた。

    そんな感じで良いのだ。
    虚しいが、それが現実だ。

    目の前のことを、サボテンのようにこなす力を、
    桜にはできない生き方で私はしていきたいと思う。

     
     
    専門:ライター/取材/編集/環境編集 ・Feellayer/フィールレイヤー(個人事業主) ・ERQ Create Lab. お仕事等ご連絡はこちら → kawatani_y@icloud.com

    あなたへのおすすめ