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F20 17歳の冒険記①

    ヨッシャマン


    シダ植物が生えていたくらいの大昔のガラクタを整理していたら、懐かしい手記が出てきた。

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    それはもう、ゆでたまごのようにつるんとした17歳のヤングヨッシャマンが残した旅行記である。
    33年前の夏。
    なんとなくキリがいい。
    44年後まで寝かせると、はたして私の方が棺桶に寝かされている可能性があるので、今のうちに書いておこうかと思った。

    パラパラとページをめくっていて、驚いた。
    字が汚い。
    それは机に向かって書いたわけではなく、大きなボストンバッグに寄りかかり、下半身は寝袋に突っ込んだ状態であったにしろ、あまりにもひどい。
    書いた本人が読めないレベル。
    しかし、考古学者や暗号の専門家を頼るわけにもいかないので、砂絵のような記憶を頼りに何とか解読していく。


    私はその夏、相棒の自転車と共に埼玉から北海道へ旅行する計画を立てた。
    高校2年の夏休みを全部突っ込んでやろうという、ともすればキラキラとした青春をどぶに捨てるような覚悟がそこにあった。
    私は憶えていないのだが、心配性の両親には反対されたらしい。
    言って聞くような性格なら私ももう少しまともな人生を送ったのかもしれないが、私は琵琶奏者の芳一のように聞く耳を失っていた。
    母親が今でも当時の話をするが、
    「何か事故でもあったらどうするのか」と説得を試みる両親に対して、
    「やりたいことをやって死ぬなら構わない」
    と私は言ったそうだ。
    中二病だと思う。
    それを聞いて、母親は「だめだ、こりゃ」とあきらめたそうだ。


    前置きが長くなってしまった。
    早速、手記の1ページ目を開く。
    「8月21日 夏休み初日」
    と書いてある。

    1行目から間違えている。

    これでは両親が心配する気持ちも、今となっては少しくらいは分かるような気がしないでもない。
    まぁ、いい。
    ともかく私は夏休み初日の7月21日に埼玉を旅立ったのである。
    朝日と共に、私は冒険心をたぎらせ出発した。……ように記憶していたのだけれど、そうではなかった。
    せっかくの夏休みなのだからとのんびり9時まで寝ていた。
    さらに、昨日からやってた24時間テレビを観て、買い物に出かけている。旅用のナップザックを購入。

    当日買うの?


    それから荷造り。事前準備の怠り具合もここまで来ると大物かな、と思ってしまう。
    お昼ご飯を食べて、ようやく出発とあいなった。
    相棒の自転車の荷台に、父に借りたボストンバッグをくくりつけ、ナップザックを背負う。
    荷物がかさ張るので、思い切り足を振り上げないと自転車をまたげない。そんなどうでもいい情報まで書いてある。
    午後1時。
    私はようやく出立した。

    炎天下。
    顔や腕には日焼け止めを塗っているが、首の後ろが盲点になっていることは後々気付く。
    埼玉のはずれに「昭和橋」というのがあって、利根川の上を通っているのだが、自転車が通れるスペースが30センチしかない。
    恐怖の橋だ。
    すぐ脇をダンプやら大型トラックも走り抜けていくから生きた心地がしない。川上からの風にあおられたら、私は蛙のようにぺしゃんこになってしまう。
    まさに昭和の橋。安全管理などというものは、書類の上に飾りとして載っているだけの時代。
    「通りたくば通ってみよ、埼玉人!」
    そんなあざけるような声に屈することもなく、私は秘境の地「群馬」へと入国をはたした。

    暇で暇で、あまりに暇すぎて悪に手を染めようかというほど暇な人は、グールグルのマップで私の旅を追随してもらえたら、いくらかは暇潰しになるだろう。
    私は群馬の最初の地「明和町(当時は村だった)」に降り立ったあと、「館林市」から国道50号を目指して北上していく。
    もちろん初日から道を間違えつつも、栃木県「佐野市」に入る。
    あらかじめ断っておきたいのだが、私はまともな地図を持っていない。
    中学の地理の授業で使った「関東全図」と「東北全図」の2枚だけ。
    私の頭にあったプランはこうだ。
    島国日本。まっすぐ行けばいつか海に着く。あとは海岸に沿って走っていけば本州最北端まで行ける。
    これだから若者は困るのだ。
    時間などというものは、水のように湧き出てくるものだと思っている。
    もっと計画性をもったらどうなのかと17歳の私に言ってやりたいが、おそらく70歳の私も今の私にそう思うのだろう。
    行き当たりばったりの氣質は、そう簡単には変わるまい。おそらくは、死ぬまで。

    ただひたすら体力に物を言わせてペダルを漕ぎつづけ、栃木県「小山市」に入ると日が傾いていた。
    今日はここまでにしよう。
    日誌によると、1日目で宇都宮まで進む予定でいたらしい。

    半日で着くわけがない。


    我が事ながらあきれる。
    ざっと倍の距離を見積もっているのだ。

    1日目の宿場町を小山市に決めた私は、いい感じの公園を見つけた。
    東屋まである。
    大抵の公園は水もトイレもあるし、17歳の私にとって公園とは無料のアパホテルである。
    寝床が決まったので、銭湯を探しに街内に行く。
    今ならば、「近くの風呂屋」とスマホに言えば瞬時に場所を出してくれるだろう。
    しかし、昔からもっと簡単な方法がある。
    そのへんのおっちゃんに聞くのである。
    すぐに教えてくれるし、いらん追加情報ももらえてたりして嬉しいのだ。
    他人に話しかけるというのは最初は氣遅れするものだけど、なんでもすぐ慣れるものである。
    手記にも書かれている。
    「この旅で道を尋ねたときに、親切に教えてくれなかった人は1人もいなかった」


    またしても目安にしていた2000字をうっかり通り過ぎてしまった。

    まだ半日終わっていないのに。


    もう少し計画性を持って書いたらどうなのかと思う。
    もはや何部作になるのか分からないが、始めた以上は引っ込めるわけにもいくまい。

     
     
     
    1974年生まれ。はからずもX(バツ)を2つ付けたまま独身中。猫と同居。 趣味は妄想と武術。 地球に遊びに来ています。

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