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ボクとせんせの、ヒミツ夜話〜ぁ。

    ☆ あらすじ ☆
    ちょっと風変わりな歴史好きのおじさんのお話をつまみに、
    夜な夜な酒盛りをしながら繰り広げられるヒミツのトーク。
    人前では絶対言えない荒唐無稽な話の結末。
    だが、もしかしたらそうなのかもしれない。
    ふたりの歴史談義は今宵もヒートアップしてゆくのであった。
    今まで当たり前だと思っていた常識を疑う事で、
    新しい歴史の扉が今開かれる。
    読み終わったころには、あなたの常識が覆っているかもしれない。

    1話 完結 「あっぱれ、本能寺!?」

    2026年7月7日火曜日、今日は七夕だ。
    織姫と彦星が出会うロマンチックな夜に、30代も半ば過ぎたというのにこの未だ独身男は今宵もコンビニで仕入れたお酒とつまみを持って、歴史好きでちょっと一風変わった『せんせ』の事務所を訪れている・・・
    僕はこれでいいのだろうか・・・
    「いいんです。」 そう言い聞かせて、扉を叩く・・・


    「せんせ、こんばんわ。 今日も一杯いかがですか。」
    「お〜、いいねぇ〜。 あ〜ちょっとそこ片付けるから・・・」

    僕は歴史の話などはさっぱりだけど、
    せんせの話にはなぜか惹かれるとこがあり、
    ついついこうして夜な夜な遊びにに来てしまう。
    歳の頃なら60前後のおそらく独身であろうおじさんだが随分と物知りで、未だにせんせが何の仕事をなさっているのか知らないが、
    以前何度か聞いてみた事はあるのだが、
    いつも「まぁまぁ。」と言ってはぐらかされてしまうのだ。
    だがその容姿は小さい頃に見覚えのある学校の先生のような、
    ヨレヨレのワイシャツにいつもチョーク避けの黒い袖カバーを付けていて、
    銀縁のメガネの真ん中を中指でチョンと上げるのが癖で、
    その上どこぞの大学教授くらいはあるだろう博識は、
    きっとどこかの先生なのでは?と勝手に思い込んでいるので、

    いつしか僕は『せんせ』と呼んでいる。
    そういえば未だに・・・名前も知らなかった。

    6畳ほどの部屋は壁が見えないほど本棚で埋め尽くされていて、
    その本棚も床に積み上げた本で半分は見えないほど溢れかえり、
    辛うじて真ん中のテーブルを囲むように足の踏み場を残している。
    このネット社会においてこうした本の虫は今や大変貴重な存在ではないだろうか。

    「今度はなんの調べ物ですか?」
    「あ〜、坂本龍馬だよ。 知ってるだろ?」

    「坂本龍馬は知ってますよ〜名前くらいですが。」
    「明治維新の立役者と言われた人物でな、新しい世を目前にしながら京都で暗殺されてしまったんだが、その犯人が未だはっきりしないという幕末最大のミステリーだと言われているんだよ。」

    「へぇ〜、昔は今みたいに科学捜査なんて無い時代ですから、より犯人探しが難しそうですもんねぇ。」

    「ところがだよ、後に今井信郎という男が自分が犯人だと名乗り出たんだがな・・・不思議な事に政府は自供した今井が見張り役で主犯ではないからって禁固2年で釈放するんだよ。」

    「それはおかしな話ですねぇ? 見張り役なら立派な殺人幇助だし、2年で出られるなんて普通なら考えられないですよ。」

    「だろ〜。 それから数十年して今井は『俺が坂本龍馬に直接手を下したんだ』と告白するんだがな、その真相を最近面白く考察しているのが『忠孝の木』という小説なんだが、今井が真犯人を炙り出すためにこうした嘘の証言をしているって言うんだがねぇ・・・これが少々眉唾でなぁ〜・・・犯人像は薄らぼんやり見えるんだが、結局犯人がわからないんだよ。 まぁ〜だからミステリーなんだろうけど・・・で、自分でも調べてみようと思って、いろんな資料を引っ張り出してたんだけど・・・元の位置に片付けようと思ったんだけど・・・もうどこに何があったかも解んないや・・・。」

    逆にこの本の山を見てどこに何の本があるのか全て解る人がいたら、その人はきっと天才だろう。
    テーブルの上の本などは床に置き、買って来たつまみを広げて缶ビールを開けて、二人だけのささやかな酒盛りが始まる。
    僕がとりとめのない話を切り出すと、せんせは「ふんふん」と聞き流している。
    浮世離れをしているせいか日本経済や政治、世界情勢の事などには全く興味がないようで、おそらく明日の天気も知らないのだろう・・・。
    よく『髪のセットが決まらないから明日は雨だ!』と言うほどだ。
    そういえばこの部屋には、テレビさえ見当たらない。
    そうした中で僕は日常を一通り話すと歴史好きのせんせを気遣い、
    僕の知る歴史の知識である大河ドラマの話を振るというのがいつものスタイルだ。
    そしてこれこそが、せんせのやる気スイッチを入れる方法なのだ。

    「今テレビでやってるドラマなんですけどね、もうすぐ『本能寺の変』なんですよ。」

    「お〜っ、本能寺か! 今まで数々の物語が語られていたなぁ。 私は萬屋錦之助の信長が好きでねぇ〜、あの日信長は3千ほどの兵を率いて清州の城を出立し、およそ10倍の3万近い兵をもって攻めて込んで来る敵の大将今川義元の首一つを狙って、雷鳴轟く豪雨の中を駆けてゆき見事今川義元の首を討ち取ったのはなんとも痛快だったねぇ〜。 ただあのドラマには桶狭間までの信長しか描かれてなくてね、本能寺の話は出て来ないんだよ。やはり桶狭間以降は信長理不尽説が多いからねぇ。 ヒーローから遠く離れた存在になってしまったから、いつ謀反を起こされたとしても致し方なかったんだろうねぇ。」

    「あ〜たしかに、なんかドクロに金箔を貼って杯作っちゃったり、お寺を燃やしちゃったり、女子供まで磔にしたりと・・・結構残酷な事をしていたそうですからねぇ〜、そりゃ〜恨みを買いますよねぇ。」

    「ところで、その本能寺の変を起こした人は知ってるかい?」

    「明智光秀ですよねぇ〜、さすがの僕でも知ってるくらい有名人ですよ〜。」

    「お〜。 じゃ〜大まかな話は知っているようだから・・・」

    「いや、よくは知らないですよ。 明智光秀の謀反によって織田信長が本能寺で命を落とすくらいしか・・・。」

    「ではその辺のところからだけど・・・

    その本能寺の変の時に光秀は信長を討ったという証として信長の首を本能寺の焼け跡で探していたんだが、どれだけ探しても全く出て来なかったんだ・・・
    実はその理由がね・・・
    私の研究ではね・・・
    聞きたい?」

    ニヤリと笑みを浮かべ、もう話したくて仕方がない空気を醸し出しているのが見て取れる。
    この勿体振った物言いはいつもの事だが、僕はこの機会を待っていたのだ。
    ここはいつものように持ち上げて・・・

    「そ、そこまで言われたら気になるじゃないですか〜。 なんで信長の首は出て来なかったんですか?」

    「これ絶対に他の人に言っちゃだめだよ・・・
    ここだけの話だけど・・・
    実はね・・・
    あの信長の首・・・
    家康が失くしちゃったんだよ。」

    「えっ!? 家康って徳川家康が? そんな話聞いた事がないですよっ! しかも失くしたって? 信長の首ですよ〜っ?」

    僕は「はい、待ってました!」とばかりにわざとらしく返事をする。
    おそらく嘘であろう話をまことしやかに話すせんせが好きなんだ。
    お酒がじんわり効いてくる。

    「じゃぁ〜『秘密の話』するけどね・・・絶対にっ! ぜ〜ったいに他言無用で聞いてな〜。

    本能寺の変とは、時は1582年(天正十年)6月2日未明に、明智光秀率いる兵1万3千人が羽柴秀吉の援軍とし備中へ向かう途中で引き返し、京都の本能寺にて宿泊中の織田信長を急襲し、自害せしめたという事件だが・・・

    信長公記という後世に書かれた書物によると、その日明智光秀は・・・

    『六月朔日、夜に入り、老の山へ上り、右へ行く道は山崎天神馬場、摂津国の皆道なり。左へ下れば、京へ出づる道なり。爰(ここ)を左へ下り、桂川を打ち越え、漸く夜も明け方に罷りなり候。』

    つまりこの時、西からの備えの為に山陰道そばに築かれた亀山城から明智光秀は羽柴秀吉軍の加勢へと備中に向けて出立したはずだが、この話だと目の前の山陰道を右へは行かずに初めから老ノ坂垰に向けて進軍しているんだ。
    どういう事かと言うと・・・
    亀山城から山陰道へ出る道はもっと手前にいくつかあったはずだろうが、おそらくは軍勢の多さから少し広い道を選んで随分と遠回りして山陰道へ出ようとしたのかもしれないが、この老ノ坂垰の分岐点であの有名な『敵は本能寺にあり!』と言って京都へ進軍したと言われているんだ。

    ここで私は一つ思ったのだが、随分と遠回りをしたのはひょっとすると最初から京都へ向けての進軍だったのではないかということなんだ。

    よく物語では、この分岐点で信長を討つ事を決断したと言われているが、亀山城から京都本能寺まではおよそ23キロ強、老ノ坂垰まではおよそ12キロ・・・

    だいたい半分くらいの場所での話しなんだよ。

    一日も早く加勢に向かう者が逆方向へ12キロ、休まず歩いて3時間強も移動するなんて、どう考えたってありえないと思うんだ。要は端から城を出る前より信長を討ち取りに行くのが目的だったと思われるんだよ。

    まぁ最初から京都を目指していたこの行動を、信長に見せる馬揃えのパレードだったと言う研究者もいるんだけどね、戦時にそんな悠長な時間があったとは到底思えないんだがねぇ。

    まぁしかしね、信長を討ち取ると決断していたものの未だどこかで決心が揺らいでいて、山陰道を摂津へ向けて引き返すには『ここが最後だぞ! どうするんだ?』という人間光秀の心の声との葛藤がなんともドラマチックな場面なんだよなぁ。」

    いつ聞いても解るようで解らない・・・
    これもせんせの独壇場で、妙におもしろいのだ。

    「さて、最初から京都へ向かうつもりになって考えると・・・ではどのように移動したのかだ。
    山陰道と言っても都から遠い田舎道だから道幅は思っている以上にかなり狭いはずなんだ。
    鎧を着た1万3千人の兵が移動するにはせいぜい2列行軍であろう。
    それが1万3千人だと2列で割って6500人・・・
    一人の幅を1メートルの円周とすると・・・
    6.5キロ強の長い行列だ。
    それをおよそ20キロ以上、しかも高低差の厳しい峠道であれば京都までは少なく見積もっても6時間は優に掛かり、最後尾の兵が目的地に到着して揃うまでにはおそらくプラス1時間ほど掛かるだろうなぁ。

    とすれば、明け方4時過ぎに本能寺に到着するには遅くても夜9時頃には出立していることになるんだが・・・それでも闇夜で松明照らしてとなると、もっと早く出立していたかもしれないねぇ。

    そして全軍が一箇所に集合するまでどこか市中入口付近の街道の整備された広い場所で待つとなると、烏丸通と堀川通の二箇所だろう。

    信長の手勢は精々100人あまりと聞くが、この時信長の息子の信忠というのが本能寺から北へおよそ500メートルほど行った今の烏丸御池の交差点近くの妙覚寺という場所に宿泊していて、手勢が1千人いたそうだから、およそ10倍の兵をもってしても狭い区割りの京都という土地柄では、まともに戦えば相当の被害が予想できるし信長を逃走させてしまう可能性も出てくる。

    だから私は光秀が軍勢を、烏丸通の部隊と堀川通の部隊と二手に分けてそれぞれ別行動で進軍し本能寺と妙覚寺を包囲したのだろうと考えるんだ。

    烏丸、堀川の二つの大路で一旦隊列を整えて一気に進軍すれば短時間での兵の配置も可能になり、それぞれの部隊が二手に分けて四方向から一気に包囲できるという寸法だ。

    特に本能寺においては内側の境内を取り囲み、大路を含めた二重の囲みを作ったものと考える。

    さて細かく説明するとだ・・・

    本能寺から北へ500メートルほど行った所にある妙覚寺に息子の信忠が供回り1千人といたから、光秀はもし信長だけをかまっていたら背後を突かれて謀反が失敗する事を恐れていただろうから当然兵の数を厚くしていたはずだ。計算するに・・・

    1万3千人の内、本能寺を囲むのに3千人だとして・・・

    本能寺の大きさがおよそ一辺が120メートルとすると一周480メートル・・・1人1メートルの円のスペースと考えて一周480人・・・3列で囲みを作ると、およそ3倍の数だからだいたい1500人で包囲したことになる。残りの1500のうち1000人は東西の大路と南の筋に配置し二重で取り囲む。

    光秀本隊は数百人程度で本能寺正面入口に陣取る。 これで本能寺の包囲網は完璧だ。

    残り1万強の兵は妙覚寺を包囲するのだが、妙覚寺の規模は本能寺とさほど変わらいんだが、なぜ1万もの兵を配したのか? 敵が1千人だとしても10倍の数で寺を包囲するには多すぎると思うだろうが、実は妙覚寺の隣には『二条新御所』という城にも似た信長が築いた要塞があったんだ。 今の烏丸御池の交差点を北へ少し入った所だが、要塞というからには、さすがに10倍の兵でも籠城されたらすぐには落とせるものではないと明智軍は考えていたのだろうが、結局信忠はこの二条新御所に追い詰められて奮戦虚しく自害したんだよ。蟻の這い出る隙間もなく用意周到に計画された作戦はさすが智将と呼ばれた明智光秀でも、こればかりは運が味方したのかもなぁ。

    さて・・・

    ここからが本題なんだが・・・」

    「えっ!? ここまで前フリだったんですか!」

    「そりゃ〜本能寺の変と言ったら、ビックスケールだからねぇ〜。」

    「あっ、家康が失くし・・・」

    僕が言い掛けた途中でも話が止まらないほど、せんせの講釈は燃え盛る本能寺のように火を吹くのだった。

    「でだ・・・知ってると思うが、言ったか言わないかあの有名な台詞「是非に及ばず!」って言い残し、信長は100人の手勢と共に戦って、紅蓮の炎に包まれて自害したと伝わっているんだが・・・
    光秀は信長の遺体をその焼け落ちた本能寺の中で必死に探したんだが・・・ついに首はおろか遺体すら見つからなかったと言われているんだよ。
    さてここで謎がでてくるんだ。
    火災が起きた場合に遺体はどうなってしまうのか?
    焼け焦げて身元は不明になるのだが最悪は炭化してしまうことも稀にあるようだが、どんな状態にせよ焼け残るそうなんだ。

    もし身元不明な状態だとしたら、いったいどうやって「これが信長です!」と証明できるのかが謎なんだ。
    信長の首を探していたということは、こうした状況においても身元が解る証拠か何かが当たり前のようにあって、これが信長であるという証明ができることを予見できたという話だ。

    もしそれで証明ができなかったとしても、誰か似たような背格好の焼けた遺体を見つけて首を切り落として『これが信長の首です!』と示せばよかったはずだが、光秀はあえてそれをしなかった・・・
    つまり・・・

    『信長はここにいなかった?』もしくは『信長はどこかへ逃げた?』という事を、光秀自らが証明した形になるんだよ。
    じゃ〜信長はどこに行ったんだ?

    ということになるんだが・・・

    ・・・

    これは私だけが知る話なんだが・・・
    これ絶対に他の人に言っちゃだめだよ・・・
    ここだけの話だけど・・・
    実はね・・・
    信長は地下に掘られた抜け道から逃げたんだよ。」

    「え〜っ!」

    いつもしれっととんでもないことを言うけれど・・・
    それがまた本当っぽくて面白いんだよなぁ〜。

    「と言っても、昔誰かが本能寺から南蛮寺に繋がっている地下のトンネルから逃れたという話もあったがなぁ、話は面白いがそれには裏付けがないんだよ・・・

    だが私の話にはちょっとだけ裏付けがあるんだ。」

    「ちょっと・・・だけですか・・・」

    「そう! その裏付けは『可能性』だっ!」

    「えっ!? せんせ、それはさすがに無理が・・・」

    「まぁ細かいとこは気にしないでな・・・

    さて、その抜け道は抜け道でも・・・どこに繋がっていたと思うよ。」

    「はて? その南蛮寺とかいう所ですか?」

    「南蛮寺は東に100メートルほどの場所にあるんだが、そこまで穴を掘ってトンネル作るには大工事になるだろうし、当然運び出した土の処分にも困るんだ・・・まぁ武田家を滅亡させた折に金山衆を連れて来ていたらそんな工事もコンパクトにできたかもしれないが、時間も掛かるだろうしこれほどの大規模な謀反を想定していたとも思えないから可能性は低すぎるんだよ。・・・ちなみに金山衆とは山で金を掘り起こすエキスパート集団の事なんだが、武田家はその金で相当潤っていたというから、いつか私も金を掘りに行ってみたいんだよなぁ〜。 まぁそれは置いておいて・・・仮に南蛮寺までトンネルを掘っていて逃げたとしても、すぐ目の前の烏丸の大路には明智軍の手勢の二重の囲みで警戒が厳しいし、東へのルートを行けば安土城へ逃げられそうだが当然橋は封鎖されて渡れないはずだ。
    そこで私の可能性としての考えだが・・・
    これ絶対に他の人に言っちゃだめだよ・・・
    ここだけの話だけど・・・
    実はね・・・
    本能寺の南側に隣接した民家辺りに逃げ込んだと思うんだよ。」

    「民家ですか? でも周りを囲まれていて警戒が厳しい中をどうやって?」

    「うん、それは可能性から考えるんだけどね、距離が短く道幅の狭い場所の下になら抜け穴も容易に掘れるからねぇ。 工期も短く掻き出した土も少なくて目立つ事もない。 その裏付けとしてなんだが、信長の家臣に南蛮人の弥助というのがいたんだが、信長は事の次第を信忠に伝えるよう彼に指示していたと言われていてね、仮にその話が本当だとすれば信長は抜け道があるからこそその指示を出せたという事になるんだよ。 さて彼は、その厳重な囲みをいったいどこから破って外へ出たのか? そう! それが南に隣接した民家への短い抜け道という訳なんだよ。」

    せんせはなぜか得意げに笑みを浮かべながら喉を潤し、益々口が軽妙になってゆく。

    「つまりだ、仮に信長が本能寺ではなくこの二条新御所にいた場合、敵がこれを包囲するには南から東西の大路を進行して、西の堀川大路から北へ周り込む。すると全ての退路が絶たれる事を信長は解っていたからこそ堅牢な要塞を作ったのだ。要は逃げ道など初めから考えられていない籠城専用の砦にすることで、必ず来る援軍を短い時間ただ待てばいいので、敵は短時間で是が非でも落とさない限り勝ち目が無くなる事を解っているからこそ、この二条新御所に多くの兵を差し向けなければならなかった。だからこそ信長は本能寺で一番手薄な逆方向の南へ逃げるしかないと解っていたんだ。 そして信忠が堅牢な二条新御所に立て籠もり時間を稼ぐ間に逃げ延びた信長は明智討伐を既に考えていたと思うんだ。 信長にとってまさに南の非常口だ。」

    「でも仮にその民家から外に出たとして、弥助さんが信忠さんのいる二条新御所へ辿り着くにはどこかで警戒の厳しい大路にぶつかるのでは?」

    「そこなんだよ! いいところに気がついたねぇ〜。 そう、最低でもどこかで一箇所は強行突破しなければならない場所があるはずなんだが、南の民家から烏丸通を民衆にまぎれて横切り大きく迂回しながら北上したとして、妙覚寺の真北側から入る時に強行突破したと考えたら、二条新御所に主戦場が移った時を見計らい手薄になったところで妙覚寺に入るしかないと思うんだがなぁ。 そしておそらくは妙覚寺と二条新御所はどこかで繋がっていたはずだから、妙覚寺の敷地のどこかに二条新御所内に入る抜け道があったと考えるのが筋なんだろうなぁ。 実際に信忠は妙覚寺から二条新御所へ移っているのだから、その時に通った道はそうやすやすと敵に見つかるものだとは考え難いからねぇ。」

    「なるほど〜、でその後はどうなったんですか?」

    もはや僕の頭の中ではだいぶ理解できない状態になっていたが、嬉しそうに話を続けるせんせには敵わないのだった。

    「でだ、まぁ〜弥助がその後どうなったのかは解らないままだが・・・話を戻すと、本能寺をなんとか脱した信長の一行は4,5軒先の民家で夜になるまで待っていたのだろうな。本能寺が炎上崩落して二条新御所が落城し、明智軍の大部分は一旦二条の大路に集結したと思うんだよ。それは被害状況や部隊の編成の見直しなどが必要だからねぇ。本能寺と二条新御所では引き続き遺体の捜索が行われていたが、主要な大路と橋や街道筋以外は手薄になったんだ。

    そんな時に信長の一行は夜陰にまぎれて南下したのだと考えられるんだよ。」

    「なるほど〜・・・ということは、信長さんは上手く逃げ延びたんですよねぇ?」

    「まぁ〜ここまでの話の『V』を容易してあるから・・・ちょっと見てみる?」

    「Vって、VTRですか?」

    「よっこらしょっと・・・」

    「ビデオデッキとブラウン管テレビじゃないですかっ! 懐かしい〜って、テレビ持ってたんですね。」

    『ガチャ!』

    時は天正10年6月1日、亀山城内では重臣たちが評定を繰り返していた・・・

    「殿はあの状態だ、このまま備中への行軍には出立できんぞ。」
    そう、明智光秀は度重なる心労から病に伏せり、気鬱の症状が悪化していたのだった。

    「だが信長様には逆らえないし、先日の叱責もあってもう後がないぞ。」

    「なんとかもう一日だけでも、日延べできないかのぉ・・・」

    「一日たりとも遅れる事は許されないだろう・・・」

    「あいつさえいなけりゃ!・・・」

    「あいつ!? 信長様の事か?」

    「そうだ! 信長さえいなけりゃこんなにも怯える事もないし悩む事もないだろ!」

    ・・・

    「信長は今、どこにいる?」

    「本能寺だ。 100人ほどの手勢を率いて本能寺で茶会だそうだ。」

    「茶会!? ふざけおって!」

    「いっそ信長を討ち取るか・・・」

    「我らでか? 殿にはなんて言うんだ?」

    「どうせこのままでは、殿も我らも信長に殺されちまう! やるしかないだろう!」

    「そうだ! 我ら1万3千でならやれるだろう!」

    「もし露見して討ち漏らしたなんて事になったらどうするんだ!?」

    「秀吉は備中、柴田は越前、他の戦力も随分と離れているから、今の京はもぬけの殻だ。 それに万が一にも本能寺で討ち漏らしたとしても、東の街道筋と橋さへ抑えておけば、信長は袋の鼠だ。」

    「妙覚寺と二条新御所には信忠の手勢1000ほどがいるが、我らなら2日もあれば間違いなく落とせるはずだ。」

    「これは神がくれた好機だっ! どうせ死ぬなら華々しく散ってやるか!」

    「もう後には引けねぇ!」

    「敵は備中にあらず! 敵は本能寺にありっ!!」

    「信長討つべし! 信長討つべし!! 信長討つべし!!!」

    「明智の天下取りっ、見せ付けようぞっ!」

    こうして亀山城から山陰道を東へ向かい京へ入るのだった。

    隊列は松明の灯りでおよそ7キロに連なっていたのだろう。

    二列に組みし隊列は桂川を渡り道幅の広い市中に入ると四列に組み直され、

    妙覚寺方面へ1万、本能寺方面に3千の二部隊に編成し北上する。

    本能寺方面の部隊3千が東西二方向から包囲し攻撃を仕掛ける。

    万が一に逃げられても、行先は北の二条新御所・・・袋の鼠だ。

    続いて妙覚寺方面の部隊1万が包囲する。

    本能寺での鉄砲の音を合図に妙覚寺の北西部から戦闘が始まる。

    信忠軍の北西部への牽制の間に、明智軍が二条新御所の東側からの包囲を完了する。

    本能寺では周囲をおよそ2千人が囲む中、正面のおよそ500ほどの兵が突入し、

    500対100・・・

    時間の経過と共に信長の兵は次々と命を散らしてゆく。

    信長は弥助に『二条新御所で籠城し持ち堪えるように』と信忠に伝えるよう指示する。

    秘密の抜け穴から脱した弥助だが、この後消息不明となる。

    このメッセージが伝わったかどうか定かではないが、妙覚寺では信忠が隣にある二条新御所へ移り戦ったのだった。

    さて本能寺では火の手が上りはじめ、信長が奥の間に入っていったのが最後の姿だと言われている・・・

    この時であろう、信長は数人の家臣を引き連れて弥助を脱出させた抜け穴から隣の民家に逃れたのだ。

    数軒先の民家に身を隠し、翌日夜陰に紛れて南下、東海道を避けて一路堺を目指すのであった。

    しかし信長の運命の歯車は皮肉な方向へと回り始めるのであった。

    つづく。

    「とても解りやすいですねぇ、せんせの長い話が3分も掛かりませんでしたよ。」

    「まぁ〜映像付きだと余計な言葉の表現が省略できるからコチラとしても助かるんだけどねぇ。」

    「ただなんていうか、映像が今っぽいというか、気のせいでなければ着物がゆかたのようだったり、鎧姿の中に中世の騎士みたいなのもいたような?・・・違う意味で妙にリアルというか・・・このビデオ、誰が作ったんですか?」

    「もちろん私だよ〜、予算の関係上近所のよしみで高橋さんと田中さんと小林さんなどに破格値で手伝ってもらってね、公民館を借り切って撮影したんだよ。 君は気が付かなかったかもしれないけれど、田中さんなんて後ろの方で剣道の防具付けて出てたんだよ。」

    せんせの話は一から百まで怪しすぎて笑いが止まらない中・・・
    2本目の缶ビールを開けるのだった。

    「さて、どこまで話したっけ?
    あ〜そうだ、信長が南側の民家辺りから夜陰に紛れて京都を脱出したところだったな。 そう、信長が南に活路を見出していたのには二つの理由があって、一つは大坂の堺へ逃げ込みたかったからなんだ。堺は自治区として守られた都市で外部から手を出し難い場所だったから、単身逃げ込むにはうってつけの場所だったんだよ。だから信長の一行はひとまず堺で身を隠して諸国に散らばっている配下の者達がこの急変を聞きつけ京都付近に集結するのを待つ腹づもりだったんだ。

    そこで信長が堺から配下に向けて明智軍討伐の号令を発すれば、再び京都を抑え、その足で丹波の亀山城を攻め落とし、取って返して光秀の籠る近江の坂本城へ総攻撃を仕掛けて明智軍を跡形もなく粉砕するつもりだったんだよ。

    さてもう一つの理由は、大坂に遊興に来ていた徳川家康と合流することだったんだ。 つまり家康と共に船で三河方面へ脱出する事も考えていたんだ。」

    「待ってました! ようやく家康の登場ですね。」

    「君ぃ、喜ぶのはまだ早いんですよ。 話にはまだ続きがあるんだから・・・

    だがそれにはまず、信長自らが堺へ辿り着かなければならない。明智軍に見つからずに堺へ向かうには、街道筋を避けながら南に真っ直ぐ南下して宇治を経由し、大和郡山へ向かい、さらに南下して橿原に入り、そこから西へ向かい堺に入るというおよそ90キロほどの距離だから〜だいたい3日程度は掛かる行程だ。

    ただここに一つ大きな問題があったんだ。
    それは大和郡山を通過することなんだ。

    この大和郡山を治めているのが筒井順慶という者で、彼は明智光秀の執り成しで信長に仕えるようになった者だから、当然光秀とは近しい仲なんだよ。

    つまり光秀謀反の知らせが彼に届いていれば、いくら信長と主従関係だとしても十中八九近しい光秀に加担するだろうと思われたんだ。

    だから大和郡山で筒井方に見つかる前に急ぎ通過してその先の橿原を目指したかったんだ。

    だが皮肉なことに筒井順慶は光秀よりも初めから生死不明の信長を選んでいたんだ。

    それは秀吉が中国大返しで山崎へやって来た時だ、八幡辺りで秀吉軍と明智軍が睨み合っていた際、筒井はどちらにも加勢せず近くの洞ヶ峠で双方の戦の様子を伺っていたんだ。 

    それは漁夫の利を得るというような話ではなく、主君を裏切るような人間がその先の政治をまとめる事など出来るわけがないということをきっと悟っていたからなんだろうねぇ。
    そしてもし、信長にこの大和郡山へ立ち寄る勇気があったら・・・また大きく歴史が変わっていたと思うんだ。

    とまぁ〜ここまでは架空の話なんだがね。」

    「えっ? 今のお話し、ほんとにあったかなかったか解らない作り話だったんですか? 半分以上信じちゃいましたよ〜。」

    本当は最初から作り話だと解って聞いていたのだけど、そうしたおとぎ話だと思って聞いていればこれほど酒のつまみになる痛快な話はないと思って聞いている。

    「だから最初に言ったじゃない・・・ここだけの話だよって。 これ、他で言っちゃだめだよ、私の研究の成果がパクられちゃうから。」

    「大丈夫、信じてくださいよ。 けして人には言えませんから、いつも口にチャックしてますから。」

    「そういう人間が一番漏らしやすいんだよなぁ〜。 あ〜、そうだ、信長が南下して宇治へ向かった所だったな。」

    「随分戻りますねぇ。」

    「ではここからは、小説風で話しを進めていこうと思う。」

    なんだかんだ言っていても、自分の話した事はちゃんと覚えていて、順序よく構成されているのがまた凄いところだ。

    「信長の一行は3日の夕刻には宇治田原町辺りの掛谷辺りまでやって来たのだ。
    獣道よりは少しだけましであろう山道を抜けると少し広くなった場所に出た。
    灯りを持ち合わせていなかったから今宵はここで休息を取り、明朝に備える事とした。

    しばらくすると正面からこちらに誰かがやって来る気配がする。
    信長たちは直ぐ様散らばり木や茂みの中に隠れて身を潜めた。
    そこへ茂みを掻き分け辺りを警戒しながらやって来る人影が見え初めた・・・
    少し広くなった場所を月灯りが差し込み、その人影は2人、5人、10人・・・
    総勢20人ほどいるように見える。
    話し声に耳を澄ますと、どうやら何処からか逃げてきたようだ。
    水先案内の者だろうか、この先の伊賀を抜けてどうのと言っている。

    「誰だっ! そこにいるのはっ!! 潔く出て参れっ!!!」

    この時信長は不覚にも腹の虫が鳴ってしまったのだ。
    信長は観念したかのように立ち上がり茂みの中からゆっくり躍り出ると、
    隠れていた家臣も一斉に飛び出してきて刀を抜き、信長を守るように囲んだ。

    「お主ら、どこの者だ!」

    その問いかけに信長たちは何も語らず構えを崩さない。
    ただお互いが追ってではなく何処からか逃げて来たということは、その軽々しい身なりで解るものだった。
    中でも信長の白装束が月灯りに反射して異様な光景を漂わせている。

    「何か訳ありの者とお見受けいたす。 お互い無益な殺生は好まぬものと存ずる。 願わくば直ぐ様この場より立ち去さられよ。」

    お互いに距離を保ちながら信長たちはその場を立ち去ろうとしたその時だった、ほんの一瞬すれ違う信長の顔を月灯りが照らしたのだ。

    「・・・信長様?!」

    この時、家康の堺見物の世話係にと信長が付けていた茶屋四郎次郎が気付いたのだった。

    「信長様っ!」

    「んっ・・・茶屋か?!」

    「あ〜確かに信長様じゃ〜。 御身を案じておりましたぞ。」

    信長たちはこのような場所で偶然にも仲間に出会えた事で、張り詰めていた緊張が溶けて一気に心を落ち着かせたのだった。

    そこへ足早に家康がやって来る・・・

    「上様っ! 家康、これに罷り越しました。」

    「お〜、これは三河殿ではないか。・・・もしや堺も光秀の手に落ちたのか?」

    「我らの物見によれば、数百の騎馬が堺へ向かっているという知らせを受け、急ぎ堺を脱して三河に戻り軍勢を整える最中にございました。」

    「そうであったか。」

    「まさかこのような場所でお会いできたのもまさしく天のお導き、吉兆にございます。」

    「三河殿が言うからには間違いないな。」

    皆が安心しきる中しばしの静かな休息をいただく。

    「こんな美しい月夜の下で夜を明かすのは童の頃以来だな、元康よ。」

    信長は家康に対してそう親しみを込めて言ったのだった。

    「そうでございますね。 あの頃をとても懐かしく思います。」

    家康は遠くの星を見つめながらそう返したのだった。 

    しかしこの時、家康の心の中では戒めという杭の先端が突然壊れるように弾け飛び、石の岩盤がお互いにぶつかり合いミシミシと音を立てて崩れ初めていたのだ。

    それは同盟を結んだ証として家康の嫡子信康と信長の娘が夫婦になり、同時に名前を元康から家康に改めた時の事を思い出したからだった。

    元康と呼ばれていた時代に妻であった築山殿と息子信康との良き想い出が、信長との同盟によって全ての歯車が狂い初め、元康という名を捨て、築山殿と信康は武田と内通していたという半ば言い掛かりのような話によって、二人を処分せざるを得なくなったのだ。 そう、二人を亡くした日も・・・こんな月灯りの夜だった。

    元康という名が、封印していた過去の過ちをふたたび呼び覚まし、言い知れぬ悔しさ辛さ悲しみその全ての恨みがふつふつと湧き上がってくる。『この男がいなければ、この男がいなくなれば、この男が死んでくれれば。』と、何度もそう心が叫ぶのだ。

    眠れない刻の中で天国と地獄が走馬灯のように駆け巡る。

    心の崩壊もそろそろ限界を迎える頃だったのだ。

    数時間後、辺りがまだ明るくならないうちに一行は伊賀方面へ出立する。

    家康が家臣の一人にこそこそと耳打ちをする。

    その家臣が次の家臣にまた耳打ちをする。

    「足を挫いて膝を付いたら全員斬り伏せろ。」

    それが家康からの耳打ちだった。

    家臣たちは顔色一つ変えもせず、ただひたひたと進んでいたのだ。
    それは家臣の誰しもが、これが千載一遇の機会だということを理解できるほど、信長という男が恨まれていたからに他ならなかったからだった。

    山の谷間筋を進み、木々の生い茂る小高い丘を上りその先に少し広くなった場所に差し掛かる。

    左右は谷に向かって急な斜面がだいぶ下の方まで続いていて底が見えないような場所だ。

    その時が来た。

    家康は足を挫いたといい膝を折り座り込む。

    家臣は一斉に信長の供回りを斬り伏せる。

    信長が刀を抜きかけた瞬間、背後から刃が胸を貫いた。

    家康は何事も無かったようにすくっと立ち上がり、自らの刀で信長を切り裂いたのだった。

    絶命した信長の遺体を家康は何度も何度も蹴り飛ばし、最後は家臣に首を取らせたのだ。
    その首を家康は涙を流しながら眺めつつ空に向かい手を合わせたのだった。

    その涙が枯れた時、家康はふたたび信長の首を蹴り飛ばしたのだ。

    ゴロゴロと転がりながら斜面へ落ちてしまい、気づけば首はどこかへ消えてしまったのだ。

    その脇で茶屋は震えながら怯えていたが・・・

    「案ずるな、お主の面倒はわしが生涯見てやる。だから今日見た事は生涯忘れるんだ、いいな。」

    茶屋は小さく頷き手を合わせて祈るのだった。」

    「これが信長の顛末だが・・・けして他人に話さないでな。」

    「いやぁ〜、物語の世界になんか凄く引き込まれちゃいましたよ〜。」

    「ところで、一つ大事な事を忘れている事に気が付かないかい?」

    「はて? う〜ん・・・解らないです、降参。」

    「亀山城にいた、本物の明智光秀の存在だよ。」

    「あっ! そうだ、寝込んでましたよ。」

    「そう、実は本能寺の変の時に指揮を取って攻め込んだのは明智光秀になりすましていた弟の秀満だったんだよ。 見れば顔も容姿まるで別人だが大将の顔が解るのは極近しい側近だけだったからねぇ。」

    「じゃぁ本物の光秀さんは、どうしてたんですか?」

    「・・・知りたい?・・・」

    「気になるじゃないですか〜。」

    「じゃぁ〜これ絶対に他の人に言っちゃだめだよ・・・

    ここだけの話だけど・・・

    実はね・・・

    病気療養でどこぞの寺に預けられたんだよ。 そして光秀は病から回復した後、僧になって修行の旅に出るんだ。 そして家康が関ヶ原で天下を握り落ち着きを見せた頃、一人の僧が突然駿府城にやって来たんだ。 家康はどこぞで見覚えのある顔だと思い、数々の質問をしたというんだ。 その質問をことごとく答えるその僧に家康は喚起し涙したという。その僧の名は天海、そう明智光秀その人だったんだよ。」

    「え〜っ、凄いめぐり合わせじゃないですかっ! たしかその明智光秀が天海だという話は、僕もどこかで聞いた事がありあすよ〜ほんとだったんですねぇ〜。」

    酒が切れかかり、シラフのままではさすがにツッコミたくなるが、ここは堪えてせんせの話に耳だけ傾けるのがいつものボクのスタイルなんだ。

    「家康にとって、そして徳川にとっても、明智光秀という男は大恩人だ。 万が一にも粗略に扱うことはできない。 そのため重要な役割を担う人物になるんだ。 その証拠に、日光東照宮の創建に関わり、瓦の紋などを見ると明智桔梗の紋が入っていたり、江戸の都市計画も主導し上野寛永寺の瓦や灯籠などにも明智桔梗があるんだ。」

    「それだけの物的証拠があるなら、噂も本物になりますね。」

    「さぁ〜、それはどうだかわからないが・・・

    さて最後に、不思議な逸話があるのだが・・・

    本能寺の変の後、備中で知らせを聞いた羽柴秀吉は毛利方と早々に和睦し、10日後には京都の山崎にて明智軍と戦になるという、世に言う中国大返しだ。 明智軍は敗北を喫し、史実では光秀が居城のある坂本へ落ち延びる途中の小栗栖にて土民による落武者狩りに合い竹槍にて殺害されたと言われているんだよ。 随分とあっけない幕切れだと思わないかい。 首は家臣が切り落としてどこかに埋めたとも言われ、その首が発見されて秀吉の前で首実検が行われたそうなんだ。 その後首は本能寺と粟田口に晒されたといわれているんだが・・・

    さて、何か不思議な事に気が付かないかい?」

    「え〜と・・・もしかして、また首ですか?」

    「正解! 家臣が埋めたとされる首・・・誰がどうやって見つけたのか不思議だとおもわないかい。」

    「まぁたしかに。・・・秀吉が猿なんで、鼻の効く犬ですかねぇ。」

    「君、面白いこと言うねぇ。」

    「当たりですかっ!」

    「違いますよ。

    土に埋めたのというのは敵に奪われないために一時的やった事で、後で掘り起こすつもりだったと言うのだが、これは後世に書かれた逸話らしいんだが、土に埋めてあった首を掘り起こして秀吉方に持ち込んだのは間違いなさそうなんだ。

    ではその首を掘り起こしたのはいったい誰だという話だが、それは名も知れぬ農民が届けたという話があるんだよ。」

    「じゃぁ〜その農民は褒美がたんまり貰えたんじゃないですか?」

    「お〜、ある意味当たりだよ。

    実はこの農民、首を届けてまもなく姿を消すんだよ。 敵の大将首を届けたら宝くじで10億円当てたようなものだが、至る所で落武者狩りが行われているような環境で、褒美も受け取らずに忽然と消えるなんて普通は考えられないよなぁ。」

    「たしかに、姿を消すのは不自然ですねぇ。」

    「でもね・・・その農民はどうしてそれが光秀の首だと解ったんだろか? 農民に殿様である光秀の顔が解ったとも思えない。 さらに言えば6月といえば今の暦ではもう夏だ。 生物だから相当に傷んでいたと思われる。その裏付けとして、首実検は随分と簡単なものだったとも言われているんだよ。」

    「ではその農民は、誰かも解らずに持ち込んだということですか?」

    「実はそうとも言えない事実を私は発見してしまったんだよ。
     ・・・知りたい?」

    「そこまで聞いてしまったら後戻りできませんよ〜。」

    「じゃぁ〜最後のトラップだけど・・・
     これ絶対に他の人に言っちゃだめだよ・・・
     ここだけの話だけど・・・
     実はね・・・
     秀吉方の前で首実検した首って・・・
     信長の首なんだよ。」

    「えーっ! さっきたしか崖に蹴り落としたって言ってたじゃないですかっ!!!」

    「あの後、服部半蔵の手下が信長の首を回収して隠していたんだよ。」

    さすがに荒唐無稽過ぎるからか、一気に酔いが覚めてしまった。
    でも、それはそれで悪酔いしなかったとすれば良しとしなければと自分に言い聞かせてしまう。
    だがそれも毎度の事なのでいつしか慣れっこなっていた。

    「せんせ、さすがにそれはないでしょ〜。」

    「いやいや、私なりの研究で裏付けもあるのだよ。」

    「ほんとですか〜?」

    「それは続きを聞いてからだと思うんだが〜・・・聞きたい?」

    「いや、それはぜひとも覗いたいですよ〜。 このままじゃ眠れませんよ〜。」

    「じゃぁ〜これ絶対に他の人に言っちゃだめだよ・・・
     ここだけの話だけど・・・
     実はね・・・
     首は2つあったんだよ。」

    「またまた〜・・・えっ、誰の首ですか?」

    「じゃぁ説明しよう。
     まずは首が晒された場所だが、本能寺と粟田口と言われているが・・・
     この本能寺と粟田口の距離がおよそ4キロほどなんだが、
     割と離れている んだよ。
     史実では14日に本能寺で首を晒すのだが、18日に粟田口へ移動し、
     斎藤利三ら重臣とともに22日までさらされたんだが・・・
     ここでおかしな事に気がつかないだろうか?
     なぜ全員本能寺で晒さなかったのか?
     なぜ後日粟田口へ移動させられたのかだ。

     そして、決定的なのが斎藤以下重臣たちは18日から22日、
     およそ3日間晒されて埋葬されているのだが、
     光秀の首は14日または15日に本能寺に晒され、
     22日に埋葬されている。
     つまりおよそ1週間以上も晒されたことになる。
     本能寺から移動の際、塩漬けにして3日ほど長持ちさせたとしても、
     一度傷んだものはさほど長持ちしない。
     本来討ち取りし首の扱いは『3日2夜』と相場が決まっていて、
     のちに関ヶ原で敗北した石田三成も三条河原で3日2夜晒されたのだ。
     位も高ければそのルールも厳格になるはずなんだ。
     それを1週間、しかも季節は夏だ。
     正体も解らなくなりこれでは見せしめにもならなくなる。
     落とした首を同時に埋葬したくなる気持ちは我々現代人の考え方であって、
     当時の考え方では晒した順に埋葬していたのではないだろうか?
     もし史実のような話ならば、
     3日と1週間の見た目の差なども記述があってもおかしくはないのではと考える。
     ということは、
     14日に本能寺で晒された首と、
     15日に発見されたという首は別物ではないだろうか?
     本能寺で14日に晒してしまった首は相当な傷みを発している可能性があり翌日塩漬けにしても腐食は止められないと思われる。
     つまり15日に持ち込まれたものは最初から塩漬けにしていたならば数日は持つのかもしれないのだ。
     では14日になぜ本能寺で晒されたのか?

     それは14日に届いた首が信長の者だとしたら、
     信長の胴体がこの本能寺にあるのではと考えたからではないだろうか?
     その裏付けとして、
     晒された位置が高すぎて首が見えないと史実には残っているからだ。
     それとは対照的に18日に粟田口で晒されたものは、
     首と胴体を再びつなぎ合わせて晒したとする記述があり、
     まさに見せしめの格好なのだ。

     また日付のトリックだが、
     15日に届けられた首が光秀のものだとする確証がつかめなかったからこそ、
     他の重臣たちと晒す事で本物の光秀の首なのだというアピールをしたかったのではないだろうか。
     つまり2つ目の首は、
     背格好の良く似た替え玉の首を雇った農民に持ってこさせたというわけだ。
     そりゃ〜代金を先に受け取っているんだから褒美も受け取らずに帰るわなぁ〜。
     さて、どうだい今回の考察は。」

    「いやぁ〜・・・おもしろかったです。」

    「あ〜、そうかいそうかい。 喜んでくれたらそれでいいんだよ、うん。
     あ〜ちなみに、
     のちにできる大阪城と坂本城を線で結ぶとそこには粟田口の刑場があるんだが・・・これも何かありそうなんだよなぁ〜。」

    あまりにも荒唐無稽過ぎる話ばかりだけれど、こうして歴史を楽しんだり興味の扉に触れるのは、いくつになっても大切なことだと思うんだ。
    初めは間違っていても、あとで調べて修正したら、また一つ新しい自分の可能性が広がるのだと思えるから。
    今宵も大切な『せんせ』に感謝です。

    「次は〜源頼朝と義経の話でもしようかねぇ。
     あっ、ちょっとだけ中身知りたい?
     これ絶対に他の人に言っちゃだめだよ・・・
     ここだけの話だけど・・・
     実はね・・・
     あの二人、ほんとは・・・」 完

    #創作大賞2026 #エンタメ原作部門

     
     
    こんにちわ♪ 作詞作曲活動を主に、幅広く創作活動を楽しんでいる『 きら よしお 』です☆ この度、小説に初挑戦いたしました♪ 拙い文章や表現など、まだまだ勉強不足ですが、一生懸命がんばりたいと思います☆ 皆々様、よろしくおねがいいたします☆☆☆

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