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元うつ病患者の心理カウンセラーが心を守るために手放してきたこと

    うつ病を患ったのは25歳、医療現場で理学療法士として働き始めて5年目のことです。社会人5年目といえば、どの仕事でも丁度脂が乗ってきて、仕事が面白くなってくる頃かと思います。

    私も仕事のノウハウはある程度身に付き始め、責任ある仕事も任せてもらえるようになていました。楽しかったです。とても充実した日々でした。

    ただ、ちょっと私自身の状態が「変」でした。

    突如として昼休み中に涙が出てきたり、注意された言葉が一週間頭に残って心を苦しくしたり、休みの日も仕事のことで頭がいっぱいになっていたりと、なんとなく、自分でもおかしいと感じることが多くあったのです。

    でも、見て見ぬふりをしていました。

    「私はちゃんと社会人ができている」と絶対にそう思いたかったからです。

    でもある日、その願いはあっけなく崩れます。

    起床後にメイクをして、服を着替えて、朝ごはんを食べて、玄関で靴を履いて、さて玄関を出ようとしても体が動いてくれなくなってしまったのです。

    靴を履こうと思っても、足が出ない。その代わりに涙ばかりが出る。

    完全に体が会社に行くことを拒絶した瞬間でした。

    会社に行けなくなり、電話やメールで上司と相談を繰り返し、私に勧められたのは数か月間の休職でした。

    休職生活は、全く気が休まるものではありませんでした。

    当時の私は「早く元気になって、仕事に戻らなければ」という焦りと、自分に対する失望感で常に苛立っていました。

    会社員と続けられなかった自分、自己管理ができずに心の病気になった自分、寝てるしかできない自分を責め続けていたのです。

    半年後に復職したものの、すぐに体が拒絶反応を起こし朝出社できなくなり、結局休職を何度も繰り返すことになってしまいました。後で書きますが、最終的には色々あって退職することになります。

    退職に対して解放感なんてものはなくて、喪失感と絶望感とやりきれなさだけが私の心を支配していきました。

    「仕事だけが人生じゃない」なんて言葉が聞こえては、「みんな普通に仕事しているじゃないか。その普通ができない私は人生終わってるわ」と本気で、そう思っていたのです。

    理学療法士は中学生の頃に抱いた憧れの職業でした。大学に通い、つらい実習を乗り越え、国家試験に合格してやっと夢が叶ったのに、続けらえなかった。

    その厳し過ぎる現実は、気持ちを底まで落とすには十分な理由になってしまったのです。

    その後結婚し、子どもも生まれて将来のお金のことが少し不安になってきた頃、やぱり医療職にもう一度挑戦したいと理学療法士として再就職しましたが、1年半しか持ちませんでした。

    精神的にも体力的にも、私には明らかに無理な仕事になっていたのです。

    次は長く続けられる仕事に就きたくて、以前から興味があった「心」に関係する仕事、心理カウンセラーを目指してみることにしました。

    カウンセリングの勉強は、心の仕組みを知りながら、同時に自分の心と向き合って、分析していくことから始まります。

    それがとにかく楽しくて、面白くて、いままでの苦悩の理由も絡まった糸が解いていくようにスルスルと分かっていきます。

    「あ、この仕事に就くために過去のつらいことがあったのかも…」と思えるほど、私には合っていると感じられる仕事でした。

    民間のカウンセリング団体で資格取得に必要なカリキュラムを履修し、心理カウンセラーの資格を取得しました。そして、2022年にフリーランスの心理カウンセラーとした活動を始めます。

    駆け出しの個人事業主は始めからちゃんと稼げません。稼ぐことの難しさを痛感しながらも、少しずつ私は明らかに生きることが楽になってきました。

    もちろん、すんなり「急に楽になりましたー!」というわけではありません。

    そこに至るまで、たくさん考えて、たくさん試行錯誤をして、たくさん泣いて、たくさんのことに気づいて、徐々に私の心を重くしていたことを手放していました。

    ここでは何を手放して、その結果どんなことが起こったのか、お伝えします。

    このエッセイがどこかでうつ病でつらい思いをしている方の背中を、優しくさすれたらいいなと、最初は思っていました。

    でも、そんな近くに来ないでほしくないと思うので、ベンチで一人分スペースを空けて座らせてもらって「ルマンド一本食べませんか?」と、おずおすど差し出すくらいの気持ちで書きます。

    もし良かったら、受け取ってください。

    しっかりした人になろうとするのをやめた

    私は不器用な人間です。

    冷蔵庫の中身は把握できないし、トースターでパンはほぼ毎回焦がすし、自転車の鍵をかけたまま動かしてしまって車輪を折ってしまったこともあります。他にも色々あるような気もしますが、あまりにも日常過ぎて覚えていません。

    それくらい、毎日が不器用の連続です。

    でも見た目はしっかりしているように見えるらしいのです。ただボーっと「今日は風が気持ちいいなぁ」と思っているだけなのに、その姿が難しい事をたくさん考えている人の顔のように見えるらしく、第一印象はものすごく良いのです。

    だからなのか、ある程度お互いのことを知るようになると「もっとしっかりしていると思ってた」と勝手にガッカリされます。

    その様子に私が一番ガッカリしているのにね。なんて。

    こんな出来事が幼稚園生の頃から定期的にあると、自然と「頑張って、ちゃんとしよう」という気持ちが芽生えます。

    頑張っていると、必ず大人が褒めてくれて嬉しかったし、頑張ること自体も爽快感と達成感があって楽しかったんです。アドレナリン全開で集中して頑張ることは、私にとってある種のエンターテイメントでもありました。

    学生時代は特に頑張る甲斐があって、相当頑張りました。

    勉強はやればやるほど成績順が上がります。部活動も、生活態度も、頑張れば内申点という数値で目に見えて成果が出るのです。こんなに分かりやすくて頑張り概があることはありません。

    この調子で22歳で、社会人になりました。

    社会に入ってみたら、驚くほど学校とは全く違う世界が広がっていたのです。

    まず頑張ってもできないことばかり。できなくて、怒られることの連続。

    私は理学療法士として病院に勤め始めたのですが、技術も知識もコミュニケーション能力も足りず、上司からの指導は毎日のようにありました。

    それは当然のことではあるんです。むしろ、新人が放っておかれる現場もある中で、ちゃんと指導してもらえる職場に就職できたことは幸運でした。

    でも当時の私は、そんな恵まれた環境にいたことや指導されることが普通であることに気づかず、私だけが落ちこぼれのように感じていたのです。入職した同期も同じ様に毎日指導はされていたのに目に入っていませんでした。

    そんな落ちこぼれの私は、「指導され続けるということは、努力が足りないんだ」と判断したのです。

    分からないことは積極的に上司に質問し、患者さんにはどんなに困った人(殴られたり、怒鳴られたり、嫌味を言われたり)に対しても真摯に優しく対応し、他の医療職のスタッフともコミュニケーションを密に取ることを自分に課しました。

    休日は勉強会に行き、専門書を読み、常に仕事について考え続けている日々を送っていることを日常に組み込んでいきます。

    次第に仕事にも慣れ、責任のある役割も任せてもらえることになり、後輩への指導も始まった社会人5年目の頃、冒頭でもお伝えした通りうつ病を発症します。

    休職中は「ちゃんとした人になりたかった」と何度も泣いた記憶があります。

    ちゃんとした人になれば、怒られることはないと思っていたのです。

    ちゃんとした人になれば、たくさんの人に愛されると思っていたのです。

    ちゃんとした人になれば、自分のことを好きになれると思っていたのです。

    そんな自分自身を責める日々に終止符を打ったのは、娘でした。

    娘を妊娠した直後に酷いつわりが始まり、検診で病院に行った時に「飢餓状態にある」と診断され緊急入院となります。

    ベッドで安静にすることを強制され、点滴生活が始まり、気合と根性だけでは本当にどうにもならなくなって、ボロボロの自分の姿を直視して、ようやくその時に退職する決意が固まったのです。

    もしかしたらお腹の来た娘が、無理矢理仕事に行かせることストップさせたのかもしれません。

    その後、娘は無事生まれます。

    そこでも、私がちゃんとした人間になれない事実を突きつけられます。

    頻回な夜間授乳で常に寝不足な状況になり、心も体もボロボロ。離乳食に移行してもまともに食べてもらません。「私はちゃんとした母親にはなれないんだな」と、諦めるしかない状況になっていきます。

    だから、たくさんの人に頼りました。

    夫を初め、両親、義両親、地域の子育て支援センターの職員さん、近所のおばちゃん、みんなに助けてもらうことで、なんとか生活を続けていけたのです。

    最初はこんなにも母親としてちゃんとできないのかと、心底ガッカリしていました。

    ただ、同時にある根本的な真実を気付き始めるのです。「私って、元々しっかりしてなかったよな」ということです。

    同時に、徐々に自分に受け入れていったことは、しっかりした人にならなくてもいいんじゃないかという、諦めです。

    このことを自分に納得させるために、5年以上は掛かったように思います。

    しょうがないですよ。20年近く、ちゃんとした人になるために努力してきたんだから。簡単に諦めるなんて、もったいなくてできなかったです。

    ちゃんとしていない不器用な自分でいることを諦め始められた私は、今も色々な人に支えてもらいながら生活しています。

    しっかりしようと努力を続けた時期は楽しかったけれど、正直に言えば苦痛も伴っていました。

    でも、今は苦痛はないです。

    しっかりした人になりたいという願いを手放し、元々しっかりしていない自分でいることを諦めたことで、私の心は明らかに軽やかになっていきました。


    自分のことを無能だと思うのをやめた

    以前は一つの問題に対して、最低でも3日間は考え続けていました。それは幼い頃からの癖です。先生がふと言った一言、友達から何気なく言われた冷たい言葉、それらの言葉の意味を熟考することが癖でした。むしろ趣味でもあったのかもしれません。

    そのことを仲良くなった人に話してみると、必ずと言っていいほど「そんなの考えても仕方ないのに…」と少し憐れんだような、少し怖がっているような目を向けられることが、しばしば。

    それでも、私は長時間悩むことをやめられなかったのです。

    だって私は無能だから。

    そう思ってしまうキッカケは、過去にいくつかありました。

    話を順序立てて話さず、結論から話してしまう癖のせいで、友達や家族に「何言っているかよく分からない」と言われては、消えてしまいたいと声に出さずに嘆くことが何回もありました。

    マルチタスクができないから、やらなきゃいけないことを忘れてしまうことも多かったし、忘れ物も多く、その度に注意をされては、もう誰とも関わりたくないとどこかに閉じこもりたくなる衝動に駆られます。

    そんな失敗が続くと、どう考えても「私は無能」としか思えなくなっていったのです。

    だから私は、長い時間考え続けました。

    もう二度と怒られないように。恥をかかないように。憐れんだ目で見られないように。

    ずっと考えていたら、夜は眠れなくなります。睡眠不足でぼーっとした頭で昼間も考え続けるから、頭が疲労困憊になります。考え続けて疲れ果てて、ようやく眠れるようになるのです。

    あまりにも不健全な生活です。この生活も、今考えればうつ病を発症する一因になっていたかもしれません。

    ただある日から、この不健全生活は徐々に収束していきました。

    一つのキッカケになったのは「私は素晴らしい」と思ってみることにしたことです。

    これはカウンセリングを勉強中に、先生方からいただいた言葉です。

    「あなたは素晴らしい」と書かれている手紙をいただいたのです。

    全く理解が追い付きませんでした。私は無能なのに、この人達は何を言っているんだろうと、本気でピンときていませんでした。

    だって、パンは焦がしてるし、シャンプーの替えを買い忘れちゃうし、うつ病になって最終的に理学療法士の夢を捨てるしかなくなったし、素晴らしいわけはないだろう、と。

    でも、尊敬していた先生方が真っ直ぐにそう言うのだから、「私は無能」を手放し「私は素晴らしい」を信じてみることにしました。ほぼ無理矢理です。

    そうしたら、なぜか、思い悩むことも減っていきました。

    「私は素晴らしい」と思えたら、自分の良い所がぽつり、ぽつりと発見していけたのです。

    人の話をちゃんと聞けるじゃんとか、優しいじゃんとか、丁寧な言葉遣いが当たり前にできるじゃんとか、お味噌汁と野菜炒めは割りと美味しくすぐできるじゃんとか。

    他人に大々的に自慢できるようなことでないけれど、私の素晴らしいところに気付いていけたら、自分をこてんぱんに責めることがなくなってきました。

    そして失敗もほんの少し面白がれるようになってきたのです。

    パンを焦がしても「また焦がしちゃった~!アハハ~!」って笑えます。

    今では、私の失敗を娘も一緒に笑ってくれます。笑っている娘はなんだか楽しそうだし、私も楽しいです。


    誰かと比べて自分を卑下するのをやめた

    うつ病になって一番こたえたのは、他の人と比べることでした。

    同年代の人はしっかり働いてお金を稼いでいるのに、自分はなにもできていない。

    人を助けて感謝されるようなことはできず、人に助けてもらってばかりの自分。

    キラキラした毎日を送っているSNSに写る女性と、ベッドに横になっているだけの、どうしようもない自分。

    自分を卑下するには十分な情報ばかり目に入ってきます。

    最初は勝手に入ってくるから制御できるものではないと思っていました。でも途中から、自分を傷つける情報を自ら得ようとしていることに気づいたのです。

    「お前はダメな人間だな。どうしようもないな!」とキツイ言葉を自分で自分にぶつけて、叱咤激励をして、どうにか自分を奮い立たせて、うつ病を完治させる方向に無理矢理でも持っていきたかったんだと思います。

    大きく間違った叱咤激励です。でも、その手段を取ってしまうくらい、もうどうしたらいいのか分からなくなっていたのかもしれません。

    そんな私が人と比べなくなったのは、カウンセリングを学んでからです。

    自分が見ている他人は、その人のほんの一部だけだということを学びます。そして、「100%完璧な人なんていない」ということも知るのです。

    どの人にも欠点があって、どうしようもない所が合って、そこを必死に改善させるのではなく、お互い様だと許容し合う。そしてお互いに得意なことで補いあうことで、感謝が生まれ、誰も我慢も無理もしない関係性が作れるという考え方も知ります。

    これは理想論かもしれません。現実はそんなにうまくいくわけがないという声も聞こえてきそうです。でも、できないことではないと思っています。

    ラグビーのチームのように、サッカーのチームのように、家庭内や会社内でも得意不得意をうまいこと扱っていけるんじゃないかと、私は信じています。

    カウンセリングを学んで、私は他人と比べて卑下すること手放せました。それは、自分の長所を知って、長所を活かし、短所は他者の長所の部分で補ってもらって、罪悪感なく素直に感謝できることを知ったからです。


    嫌いな人と繋がっていることをやめた

    連絡先を消去したことってありますか?

    私はあります。近しい関係性だった人の連絡先を消しました。うつ病になって数年経ってからの決断です。

    その人とはちゃんと繋がっていた方が、何かと良かったかもしれません。それくらい、近い関係性でした。

    でも、その人から連絡が来ると激しく緊張し、返事に何を書こうか何時間も熟考し、それなのに返ってきた返事の中には傷つく言葉が羅列されていることも少なくなく、落胆したり傷ついたりする日々が長年続いていたのは事実です。

    そこで、思い切って、関係性を手放すことにしました。

    これは私の中で大きな、大きな決断でした。

    その人には良くしてもらったこともあり、ものすごく悪人というわけではないのです。私が小さな我慢をいくつかすれば、関係性を保っていけることもできたように思います。

    でも関係性を断つことにしました。自分が傷つく言葉をこれ以上聞かないための判断です。

    「間違ったかもしれない」と不安になる時は、今でも正直あります。

    本当は、全ての人に優しい人になりたかったんです、私。

    それは全ての人とうまく関係性が築ける人が「素晴らしい人」だと思っていたからです。

    でも、全ての人とうまく関係性が築けるなんてことは無理で、特に私のことを悪く言ってくる人は、本当に無理でした。

    このことに気づけたのは、うつ病になったからでした。

    うつ病になったら、良い意味で我慢が効かなくなったんです。心がとても弱くなったんです。

    弱くなって始めて、私は私を守ることができるようになりました。

    本当は元々弱いくせに、鎧を纏い続けて、どんな悪口も受け止めていたら、きっと心だけじゃなく体もボロボロになっていたかもしれません。


    会社員をやめた

    理学療法士は全く向いていないと確信して当時勤めていた職場を退職した後、心理カウンセラーとして起業しました。起業って言葉にするとカッコいいですが、ただ逃げただけです。

    私は心を守るために逃げました。

    理学療法士として最後に働いた所は上下関係が厳しいところで、上の立場の人は毎日怒鳴っていました。医療現場では、この状況はよくあることです。

    患者さんの命と健康が直接的に関係してくる現場です。緊張感を保ち、誰もが責任感を感じ続ける必要がある必要があるので、仕方がないこともあります。

    でも私は怒鳴り声を毎日聞き続けることは拷問のように感じていました。人の怒鳴り声が、怖かったんです。

    そうです。私が起業した一番の理由は、誰かに怒られたくなかったからです。

    私にとっての起業は全然カッコよくもなく、キラキラしていないスタートとなりました。

    フリーランスの心理カウンセラーとして起業したものの、最初からうまくはいかず、落ち込む日々が続きます。

    情けなくて、家計を支えてくれている夫に申し訳なくて、逃げ出したくなる気持ちを抑え込み、毎日毎日奮闘し続けました。

    大変でしたが、この大変さは会社にいた時の苦痛とは質が違うもので、大変な中でも楽しい日々でした。

    フリーランスなので突き付けられる結果は全て自分に向けられるのですが、それすらも心地良さを感じていました。

    ただ一つ、私の心をキュッとさせるのは、収入がものすごく不安定なフリーランスではなくて、国家資格の理学療法士として頑張っていた方が良かったんじゃないかという考えです。

    誰かに直接的に言われたことはないですが、自分が一番、そんな正しさに押しつぶされそうになっていたは確かです。

    そんな時に私を支えてくれたのは、心理カウンセラーの仕事が好きという思いでした。

    心の仕組みを勉強することも好きだし、悩みをクライアントさんと一緒に紐解いていく工程も好きです。おばあちゃんになるまで、ずっと続けていきたいと本気で思っています。

    理学療法士として活躍する夢は途絶えてしまいましたが、今は心理カウンセラーとして「誰もがカウンセリングを受けることが普通になること」という大きな大きな夢を叶えるために、今もこれからも一歩ずつ進んでいます。

    全ての人に会社員をやめることをおすすめはしません。会社員に向いている人の方がきっと多いと思いますし、安定収入があること自体が、心の安定に繋がります。

    でも私は、心の健康を最優先にして会社員を辞めてよかったと思っています。


    最後に

    うつ病になったことは、もしかしたら私にとっては良かったのかもしれません。

    もし、うつ病になる過程を人生の中で通っていなかったら、本来の弱い自分を隠しながら向いてない仕事をして、毎日疲れ切って、自分の人生を完全に見失っていたと思います。

    中学生の頃に掲げた理想の自分は完全に手放すことになってしまいましたが、手放してみたら無理のない生き方を少しずつ生活の中に入れていくことができて、毎日ゆったりと楽しいです。

    中学生の頃の私が、今の自分の様子を知ったらガッカリするかもしれないですね。でも、39歳の私の顔をじっと見て「なんだか幸せそうだね」って言ってくれるような気がしています。

    ということは、私は今の「うつ病になった後の自分」の方が好きってことなんだと思います。

    きっとその好きは、これからちょっとずつ大きくなっていくような予感がしています。そうなったらいいなという希望を抱きながら、今日も弱いまま生きていこうと思います。


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