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Photo byr68929

あの倏のホむットニヌ シロクマ文芞郚

    みらっち

     砂浜で、バスタオルをひき、おが぀かない手぀きで片方ず぀有線の黒いむダホンを装着した。手に入れたばかりのこれたた黒いりォヌクマンに砂が぀かないように気を぀けながら再生ボタンを抌す。カシャッずいう特有の音。波音のかわりに䞡耳に流れ蟌んできたのはホむットニヌ・ヒュヌストン。デビュヌアルバム『そよ颚の莈り物』の䞀曲目は「恋は手さぐり」。
     この日の為にスクヌル氎着以倖で初めお買ったタヌコむズブルヌの氎着はあたり䌌合っおいないしサむズもあっおいない。スクヌル氎着のほうがたしだったず思うほど寂しい䜓぀きをした私の脳裏には、スタむル抜矀のホむットニヌが癜い氎着を着お砂浜に立ち、海をバックに腰に手を圓おお空を芋䞊げおいるゞャケット写真が浮かんでいる。

     16歳の倏、私はホむットニヌず海にいた。

     レンタルショップでLPレコヌドを借りおカセットテヌプにダビングし、満を持しお海に持っおきた。それがど田舎の名もない寂れた砂浜だろうが、郚掻の合宿で安宿に泊たっおいようが知ったこっちゃない。
     それは私にずっお、家族ず過ごさない初めおの海だった。
     矎術郚の合宿で、顧問の先生が懇意にしおいる日本海に面した枩泉地に行くこずになった。日本のどこかには湘南や葉山ず蚀ったオシャレで玠敵な倪平掋の海があるのは知っおいた。でも平成が始たったばかりの頃の田舎の女子高生にずっおは湘南だろうがロサンれルスだろうが別䞖界に倉わりはない。そもそも海に行く、ずいうこずだけで満足で、しかも「写生をする時間」ずいう実質䜕をしおもいい䌑憩時間がある。ずおも自由だった。

     顧問の先生はうるさいこずを蚀わないおじいちゃんだった。よく描けるず耒めおくれたし、適圓に描くず茫掋ずしたようすで「きみは本圓は絵が奜きじゃないのかな」ず蚀った。絵は骚栌から曞くんだよ、骚が倧事なんだよ、ず教えおくれたのも、線だよ、線はシャヌプじゃなくおはず教えおくれたのも先生だった。RCサクセションの歌に『僕の奜きな先生』ずいう歌があるけれど、たさにそんな感じ。孊校での憩いは郚掻に行っおだらだら過ごすこずだった。
     先生は自分が絵を描きたければ郚宀の奥の郚屋に籠っお出おこなかったし、出おきたら気たぐれに郚員に声をかけた。来たければ来ればいいし、来たくなければ来なくおいい、来おも描きたければ描けばいいし、描きたくないずきは䜕をしおいおもいいず先生は蚀った。先生の絵のタッチを、今でも芚えおいるけれど、その幎だけで定幎退職しおしたったその埌の先生のこずは、䜕も知らない。翌幎赎任しおきた新しい顧問の先生は、おじいちゃん先生ずは䌌おも䌌぀かぬストリクトでスタボヌンなタむプだったから、郚掻の憩いは倱われ、私は幜霊郚員になった。

     ずにかくあの倏、私は海にいたのだ。ホむットニヌず。
     砂浜でバカンスずいう「絵」に私は憧れおいた。矞恥心などない。なぜなら閑散ずした浜蟺には郚掻のメンバヌしかいないから。日焌けもどうでもいい。むしろサンオむルを塗るような時代だった。そしおなにより、みんな各々楜しんでいお、私のこずなど芋おいない。陞偎には鄙びお人のいない海の家。目の前には日本海の䜕ずも蚀えないゞャパネスクな颚景が広がるばかり。でも党然気にならなかった。そんなこずはどうでもよかった。目を閉じればロスにいるから。いやそのゞャパネスクな颚景を写生しに来たんですけどずいうこずは眮いおおいお、私は目を閉じ、瞌の裏に倪陜の光を感じながらちょっず手を額にかざしたりしおいた。ダシの朚のそばにパラ゜ルか䜕かがあるビヌチを想像しお。それからちょっず䜓勢を倉えお芋たり、う぀ぶせになっおみたりした。䜕床も蚀うが誰も芋おいない。でも私は私を芋おいた。なんお玠敵なのかしら。私は海にいる。ホむットニヌず。

     あのころの倏はそこたで殺人的な日差しではなかったはずだが、それでも二曲目の「オヌルアットワンス」が終わるころには、私はもうその遊びに飜きおいた。のそりず起き䞊がる。日差しを济びお身䜓がだるい。「Greatest Love of All」を味わっお聞いた。聞き終わるころ、今床はちゃんず、バスタオルに䜓育座りをしお、目を现めお顔をしかめ、日本海の深緑がかった海ず砂浜が終わったずころから続く岩だらけの磯、その奥に芋える岩の䞊に束が生えおいる島々を眺めた。
     ——぀たり珟実を眺めた。
     ぀らい珟実だったが、それでも海は開攟的で陜気な気分を私にもたらした。おあ぀らえ向きにそよず颚もふいおいた。その圓時はただハヌドコンタクトレンズだったので倱くしたら倧倉ず海には入らない。ただ、その時間をホむットニヌず過ごした。ただ私の知らない「恋」を歌うホむットニヌず。

     私の掋楜デビュヌは高校生で、圓時は掋楜ブヌムでもあった。友達からレコヌドを借りお、たくさんの掋楜に觊れ始めたばかりのころ。ホむットニヌの透明でそれでいお重量感のある声は魅力的で、アルバムは繰り返し、繰り返し聞いた。倏ず蚀えばサザンの時代。ただTUBEの「シヌズン・むン・ザ・サン」は出おいなかった。杉山枅貎オメガトラむブず迷っお、ホむットニヌにしたのは正解だった。オメガトラむブだったら、行ったこずもない葉山や湘南の海ず目の前の海ずの萜差が倧きすぎる。䞖界が違い過ぎお想像が远い付かないロスくらいがちょうどいい。どうしおかはわからないが、私の䞭でホむットニヌはロサンれルスの海にいた。

     調べおみたら、日本版のアルバム『そよ颚の莈りもの』は、米囜版ず曲順が違っおいたらしい。米囜版は文字通り「そよ颚の莈りもの」から始たっおいたのだずいう。昔のアルバムはA面ずB面があるドヌナツ版だったので、日本版はそのA面ずB面を入れ替えお発売しおいたのだず、さっき知った。知らなかった。私の思い出の䞭のアルバムは「恋は手さぐり」から始たっおいる。

     「TheVoice」ず称されたホむットニヌ・ヒュヌストンずいえば、その埌の映画『ボディガヌド』の「I will Always Love You」のほうが有名なのかもしれないが、私は『そよ颚の莈りもの』がやっぱり奜きだ。そしお「All at once」は最高だず思う。い぀もなぜだか胞が締め付けられる。私がこれたでの人生で魂が震えるず思った女性シンガヌは、ホむットニヌずミヌシャずスヌパヌフラむ。ホむットニヌは䞀䜍の座から降りたこずが無い。

     若くしお残念な亡くなり方をしおしたったが、圌女の歌声を聎くず、あの倏のあの日がありありず蘇る。そしお、曲に党くあっおいなかった日本海の海を、カセットテヌプの回る様子を、あの日の日差しず颚を、もう消息も知らない先生ず郚員のみんなを、たるで去幎の倏のこずのように思い出すのだ。

     あたりいい思い出がなかった高校時代のこずは虫食いだらけで、いろんなこずを忘れおしたったけれど、ホむットニヌの歌ず結び぀いたあの砂浜の思い出だけは鮮明だ。今振り返ればわたしは、あのずき圌女から「莈りもの」をもらっおいたのかもしれない。あの倏描いた絵は塗り぀ぶしおしたったけれど、あの倏のホむットニヌはい぀だっお思いだせる。すっくず立っお空を芋おいる。

    了


    【远蚘】海carettaさんが、ホむットニヌ・ヒュヌストンの曲ず蚘事を玹介しおくださっおいたす。「そういえば懐かしいけどどんな曲なんだっけ」「ホむットニヌ・ヒュヌストン知らなかったけど、どんな曲なんだろう」ず思われた方は、ぜひ、この蚘事にお立ち寄りください




     小牧郚長、宜しくお願いしたす。

    #シロクマ文芞郚









     
     
     
    旧吉穂みらいのペヌゞです。「みらっち」はこちらに統合したした。旧みらっちはアヌカむブずしお残しおいたす。