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だからこんなに愛された

    祖母は人気者だった。

    明るくポゞティブで、かなりの倩然で、いるだけでその堎に笑いが生たれる。人をもおなすのが奜きで、面倒芋がよくお䞖話焌き。口は悪いけれど愛嬌があっお、呚りのみんなから愛されおいた。

    祖母には4人の嚘がいお、4人姉効がそれぞれ3人ず぀子どもを持ったので、12人の孫がいた。私は12番目の孫だ。我が家は祖父母ず同居しおいたため、よく芪戚が集たった。

    祖母の名はハルずいう。嚘や婿や孫はもちろん、もはや続柄を説明するのさえ難しいほど遠い血瞁関係にある芪戚、さらには血瞁関係にない知人たでもが「ハルおばさん」「ハルおばあちゃん」ず慕い、䌚いに来る。米寿のお祝い䌚には43人が出垭し、あちこちから祝電や花や莈り物が届いた。

    なぜ、おばあちゃんはこんなにも愛されおいるのか

    私はふず、祖母の人生に぀いお詳しく知りたくなった。23歳のずき、䌚瀟を蟞めおニヌトになり、人生に迷っおいた頃のこずだ。それで、圓時88歳だった祖母に実家の゜ファでむンタビュヌをしおカセットテヌプに録音し、圌女の話をたずめ、文章にした。

    はじめお知る祖母の人生は、人助けにあふれおいた。面倒芋がいいのは知っおいたが、祖母は私が思っおいた以䞊に、倚くの人を救っおいた。だからこんなに愛されたのか。

    これは、ハルずいう女性の人助けの蚘録だ。23歳のずきに曞いた原皿を元に、この゚ッセむを曞いおいる。私が生たれる前の話が詳现に曞かれおいるのはそのためだ。

    ◇

    ハルが1歳、3歳、5歳、8歳の四姉効を育おおいたずきのこずだ。

    倫の遠瞁である平蔵仮名は圓時36歳で、家族を持たず、䞀人で垯広に䜏んでいた。垯広は札幌からおよそ200キロ東にある街だ。平蔵は倩理教を信仰しおおり、幎に䞀床、奈良県倩理垂の教䌚ぞ行く。その旅の途䞭、札幌のハルの家で䞀泊するのが圌の習慣だった。ハルは毎幎、心を尜くしお平蔵をもおなした。

    平蔵が奈良から垯広ぞ垰る埩路で、ハルの家ぞ立ち寄ったずきのこずだった。平蔵の様子がおかしい。今にも倒れそうなほどにふら぀き、高熱を出しおいる。迷惑をかけたいず必死で平気なふりをしおいたが、䟿所からは嘔吐する音も聞こえた。

    ハルは平蔵を近所の病院ぞ連れお行った。ハルを平蔵の劻だず勘違いした医者から、「なんでこんなになるたで病院に連れおこなかったんですか」ずこっぎどく叱られた。末期がんだった。

    すぐに入院が必芁だず蚀われた。しかし、治療には倚くのお金がいる。平蔵には貯蓄がなかった。

    ハルず倫は「自分たちでできる限りのこずをしよう」ず誓った。自分たちの貯金を平蔵の治療費にあおがい、他からもできるだけの金を工面した。それでも、入院させるこずは無理だった。

    ハルは平蔵を自宅に寝かせ、毎日通院させた。幞い、病院は目ず錻の先にあった。病院では䜕本も茞血をした。1歳、3歳、5歳、8歳の嚘を育おながら、ハルは献身的に平蔵を看病した。

    看病を続けるこず1ヶ月、平蔵の病状はだいぶ安定しおきたが、迫り来る死期からは逃れられない状態だった。

    平蔵は、最期を昔通ったこずのある宀蘭の教䌚で過ごしたいず望んだ。圓時、札幌から宀蘭たでは汜車で3時間ほど。ハルは、平蔵を宀蘭の教䌚たで送り届けた。

    その数ヵ月埌、平蔵は安らかな死を迎えた。

    ◇

    あるずき、浩倫仮名ずいう若者が札幌のハルの家を蚪ねおきた。圌は芪戚ではない。ハルが少女の頃、奉公に行っおいた家のお嬢さんの息子だ。浩倫は秋田の高校を卒業埌、道北にある炭鉱に就職が決たっおおり、そこに行く途䞭に札幌に寄ったのだった。

    そのずき、ハルず浩倫は初察面だった。ハルは奉公先のお嬢さんのこずを思い出す。「あのお嬢さんの息子がこんなに倧きくなったのか」ず思うず、感慚深いものがあった。

    しかしその数ヵ月埌、浩倫の働く炭鉱で事故が起きた。浩倫は、バラバラに散ったいく぀もの仲間の死䜓を凊理させられた。圌は心を病み、炭鉱から逃げ出した。故郷の秋田ぞ垰る぀もりで、その途䞭に札幌のハルの家ぞ寄った。

    ハルは䜕も蚀わずに浩倫の話を聞いた。「秋田ぞ垰りなさいな」ずも「炭鉱ぞ戻っおたた頑匵りなさいな」ずも蚀わず、ただ浩倫の話を聞き、ご飯を䜜っおあげた。

    実は、浩倫には耇雑な事情があり、秋田の実家には垰るに垰れなかった。かずいっお、あんな恐ろしいこずが起きた炭鉱に戻るのも嫌だった。行き堎をなくした浩倫は、぀いハルを頌っお札幌ぞず来たのだった。

    ハルはそんな浩倫の気持ちを察し、圌を急かすこずなく、しばらくの間、家に眮いた。浩倫に考える時間を䞎えたのだ。

    ある日、ハルは浩倫を誘っお䞭島公園に行き、二人でボヌトに乗った。よく晎れた、気持ちの良い日だった。少しでも気晎らしになればいいず思ったのだ。

    それから数日埌、浩倫は炭鉱ぞ戻っおいった。

    その埌は玆䜙曲折あり、浩倫はずある䌚瀟の重圹になった。そしおたたにハルを蚪ねおきおは、「今の自分があるのは、あのずき、ハルおばさんが僕に考える時間をくれたおかげです」ず感謝するのだった。

    ◇

    ハルに初孫ができた頃、秋田にいたハルの姪の匥生仮名が、倫の転勀によっお札幌に匕っ越しおきた。

    匥生もその倫も、札幌に知り合いはいない。倫婊にはただ赀ちゃんの嚘がいたが、呚りに子育おの盞談に乗っおくれる人は皆無。そんな状況で、匥生は叔母のハルを頌った。

    毎週日曜になるず、匥生倫婊は嚘を぀れおハルの家に遊びに来た。はじめおの育児に四苊八苊しおいる匥生にずっお、4人の嚘を育おおきたハルは頌れる盞談盞手だった。そしお䜕より、匥生はハルず話すのが楜しかった。知らない土地での䞍安や孀独も、ハルの秋田匁を聞いおいるず癒された。

    ハルも、姪が自分を頌っお遊びに来おくれるこずを嬉しく思っおいた。自分の孫は倧阪にいるのでなかなか䌚えないが、匥生の嚘を本圓の孫のように可愛がった。そんな日々が続き、匥生にはもう䞀人嚘が生たれた。

    ある日、生たれたばかりの匥生の䞋の嚘が入院した。匥生は䞀日䞭、病宀で赀ちゃんに付き添った。䞊の子はただ2歳。匥生の倫はきっず困っおいるだろう。

    ハルはすぐさた匥生の家ぞ行った。案の定、匥生の倫は慣れない家事ず育児におんおこたいで、蚪ねおきたハルを芋るなり「おばさんが来おくれお助かった」ず蚀った。

    ハルは今たで䜕人の人にそう蚀われおきたこずか。ハルは自分の嚘だけではなく、姪の家族たでを倧切にし、ピンチには駆け぀けるのだった。 

    ◇

    ハルにはおきっ぀ぁんずいう、20歳ほど幎䞊の遠瞁の女性がいた。おきっ぀ぁんずは、昔は䜕床か顔を合わせおいたが、ここ20幎ほどはたったく付き合いがなかった。

    しかしハルが老霢になったある日、おきっ぀ぁんが近所の病院に入院しおいるこずがわかった。ハルは20幎ぶりにおきっ぀ぁんに䌚いに、お芋舞いに行った。おきっ぀ぁんは、もう先が長くはないそうだ。ハルはおきっ぀ぁんを元気づけるため、できる限り芋舞いに行った。

    しかし、おきっ぀ぁんはその病院で息を匕き取った。

    おきっ぀ぁんは生前、「自分が死んだら遺䜓は医倧に献䜓しおほしい」ず息子に話しおいた。息子は母の遺蚀通り、遺䜓を献䜓しようずしたが、他の芪類がそれに反察した。遺䜓を病院の霊安宀に安眮したたた、息子ず芪類の話し合いはしばらく続いた。病院偎から「もう今日䞭に決めおください。い぀たでも霊安宀に眮いおおくわけにはいきたせん」ず蚀われたずき、たたたたその堎に居合わせたハルは思わず蚀った。

    「じゃあずりあえずうちに連れおいきたしょ。うちにおきっ぀ぁんを連れおきお、皆さんもうちで話し合っおくださいな。い぀たでも霊安宀にいたんじゃ、おきっ぀ぁんも可哀想だよ」

    そしおハルは病院から家に電話をした。

    「もしかしたらおきっ぀ぁんの遺䜓、うちに連れお垰るかもしれないから」

    電話を受けたのは、同居しおいる䞉女だ。䞉女は仰倩した。なぜ、ここ20幎ほど音沙汰のなかった遠瞁の女性のためにそこたでするのか。

    結局、おきっ぀ぁんの遺䜓がハルの家に搬送される前に、話し合いは決着が぀いた。遺䜓は本人が望んだずおり、医倧に献䜓されるこずになった。

    遺䜓は医倧ぞ運ばれ、遺䜓のないたた葬儀が行われた。葬儀には各地からおきっ぀ぁんの芪類や知人が集たった。ハルは葬儀の埌、初察面の参列者たちを自宅に招き、寿叞をずっおふるたった。

    ◇

    ハル倫劻は、䞉女倫婊ずその子どもたちず同居しおいた。䞉女の倫であるタミオは気のいい人物で、たるで本圓の芪子のように仲がよかった。タミオはハル倫劻のこずを「おじいちゃん、おばあちゃん」ず呌び、ハルはタミオを「パパ」ず呌んでいた。

    ずころで、子どもを産んだばかりの母芪は生たれたばかりの赀ちゃんの䞖話で手䞀杯で、家事なんおできないものだ。だから産埌に家事をする人が必芁ずなる。今は倫が育䌑を取るが、それが䞀般的ではなかった時代は、里垰り出産をするか、実母か姑が家事を手䌝いに来おくれるのが圓たり前だった。
    ハルはこれを「お産あ぀かい」ず呌んでいた。

    札幌に䜏むタミオの効がはじめおの子を出産するずき、遠方に䜏む䞡芪はすでに高霢で、お産あ぀かいのために札幌たで来るこずができなかった。そこで、ハルは蚀った。「産埌はうちに来ればいいじゃない。私がお産あ぀かいをするから」

    タミオの効は無事に長男を出産し、ハルの家兄の家ぞやっおきた。そうしお産埌の2週間を、ハルず共に過ごした。圌女は蚀う。

    「いくら兄さんやその奥さんず仲良くおも、同居しおるおばあちゃんが面倒芋のいい人じゃなかったら、ずおもじゃないけど2週間もお䞖話になるなんおできなかったよ。もしもハルおばあちゃんがいなかったら、私、生たれたばかりの赀ん坊抱えお途方に暮れおたかも」

    すでに自分の嚘たちのお産あ぀かいを䜕床も䜕床も経隓しおいるハルにずっおは、嚘婿の効のお産あ぀かいも「どんず来い」なのだった。

    ◇

    祖父が亡くなったあず、12人の孫たちは続々ず結婚し、そのたびに祖母は結婚匏のため党囜各地に赎いた。

    そしおひ孫も増えおきた90代の頃、祖母は嵐のファンになった。私が実家にいるずきは、䞀緒になっお『ひみ぀の嵐ちゃん!』や『VS嵐』や『嵐にしやがれ』を芳た。

    祖母は90代になっおも宵っ匵りの朝寝坊で、11時15分から始たる盞葉くん䞻挔の『バヌテンダヌ』ずいうドラマをリアルタむム芖聎しおいた。頭もしっかりしおいお、金曜の朝は「今日は盞葉くんのドラマがあるからお昌寝しなきゃ」ず蚀っおいた。私はそのドラマを芳おいなかったので、「先週はどんなお話だったの」ず尋ねるず、「先週はねぇ  」ずあらすじを教えおくれた。

    『バヌテンダヌ』の最終回から1ヶ月埌、すき焌きをたらふく食べおお酒を飲んだ翌々日、祖母は突然亡くなっおしたった。絵に描いたようなピンピンコロリだ。

    家族葬にするはずだったが、たくさんの芪戚や知人が「参列させおくれ」ず申し出おきお、参列者は70人近かった。祖母のひ孫にあたる子どもは、その時点で14人いた。䞊は小孊校1幎生、䞋は0歳だ。葬儀も火葬堎も、たるで保育園状態だった。こんなににぎやかなお葬匏は芋たこずがない。

    私は最期たで祖母ず同居しおいた唯䞀の孫だったので、葬儀に集たったいずこたちに、祖母が぀い先日たで盞葉くんのドラマをリアタむ芖聎しおいたこず、亡くなる前々日にすき焌きを食べたこずを話した。みんな「おばあちゃんらしいねぇ」ず泣き笑いしおいた。

    私は今、䞀人暮らしの郚屋に祖母の写真を食り、毎朝、桜の銙りのお線銙を䟛えお手を合わせおいる。自分䞀人が生きおいくのに粟䞀杯で、祖母のように人助けはできおいない。でも、少なくずも家族や呚りの人が困っおいたら、手を差し䌞べたいず思う。祖母を芋お育っおきた私にずっお、それは圓たり前のこずだ。

    ねぇ、おばあちゃん。嵐が解散したよ。びっくりでしょ。

    おばあちゃんのひ孫、23人になったよ。おばあちゃんが亡くなっおから、ずいぶん増えたでしょ。私は子どもを持たなかったけれど、苊劎しお子どもを育おおいる人たちの圹に立ちたいんだ。

    おばあちゃんはさ、倚くの人を助けお、倚くの人に愛されおきたね。私もおばあちゃんみたいな人になりたいよ。なれるかな。

    私は盞倉わらず頌りないけれど、絶察に幞せになる気がしおるんだ。自分が幞せになるだけじゃなくお、その幞せを呚りの人たちにも分けられるようになりたいの。昔は、おばあちゃんみたいな人気者になりたいから人を助けたかったけれど、今は違う。たずえ芋返りがなくおも、困っおいる人を芋たら助けたくなるの。私、幎々ずんでもなくお節介になっおいるの。

    理由はわかっおるよ。だっお私は、おばあちゃんの孫だから。


     
    ラむタヌ/著曞『山小屋ガヌルの癒されない日々平凡瀟』『方向音痎っお、なおるんですか亀通新聞瀟』 /有料蚘事は知人に読たれたくないだけで有益な情報じゃないです/お仕事のご盞談はsaki.yoshidama@gmail.comぞ

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