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【作品】駆けゆく命

    2025年12月5日。私は5年8ヶ月勤めた不動産会社での仕事を一時休み、産休に入ることになった。
    新卒で入社した頃は、三年働いたら辞めるつもりだった。
    しかし気づけば五年以上が過ぎ、共に入社した同期のほとんどは会社を去っていた。

    「ブラック企業だ」「過労だ」「メンタルを病んだ」
    様々な理由で退職していく人たちを見送りながらも、なぜか私にはこの仕事がよく合っていた。
    営業という仕事の面白さもあったし、会社の空気も嫌いではなかった。
    そんな私が、初めて長い期間仕事から離れることになる。
    これは、産休から出産、そして育休へと続く日々の記録である。

    餃子ときどき犬

    12月21日。福島へ帰省していたその日は弟の誕生日だった。
    夜は実家で餃子パーティーをする予定で、両親と夫、それに私の四人で食材を買い出しに出かけた。行き先は地元のヨークベニマル。冬らしい冷たい空気の中を歩きながら、私は何気なく両親の後ろ姿を眺めていた。
    犬のいない二度目の冬だった。
    二年前まで実家には、ダックスフンドとトイプードルのミックス犬がいた。
    家族の中心というほど大げさではないけれど、気づけばいつも誰かの足元にいて、何気ない日常の隙間を埋めてくれる存在だった。
    亡くなってから、両親はもう犬を飼わないと言っていた。
    それでも休日になると、ペットショップへ行っては子犬を抱かせてもらっているらしい。飼わない。けれど会いたい。その気持ちを思うと少し切なくもあり、どこか微笑ましくもあった。
    スーパーの隣にはペットショップがある。
    「少し寄ってみる?」
    そう声をかけたのは、半分が善意で、半分が悪戯心だった。
    店内に入ると、母はお気に入りだというマルチーズを抱かせてもらった。嬉しそうな顔をしていたが、それでもまだ「見るだけ」の顔だった。
    夫と私は別のケージにいたダックスフンドに目を留めていた。薄いキャラメル色の毛並みに青い瞳。どこか外国の絵本に出てきそうな犬だった。
    しかしショーケースには「ご成約済み」の札が貼られていた。
    犬たちを眺めながら店内を歩いていると、店員さんが声をかけてくれた。
    「この子も抱いてみますか?」
    示された先には一頭のチワワがいた。
    何となく目が合った気がした。
    まず抱いたのは母だった。
    すると不思議なことに、その瞬間から空気が変わった。
    人懐っこくて、無駄に吠えない。愛嬌はあるのにどこか渋い顔つきの女の子だった。
    私と夫も順番に抱かせてもらった。
    夫は犬アレルギーだ。それなのに犬が大好きで、以前実家で飼っていた犬にも真っ先に触りに行っては目を真っ赤に腫らしていた。実家へ帰る時の目薬は必需品である。
    そんな夫が、すっかりそのチワワに心を奪われていた。
    「かわいいなあ」
    何度もそう呟いていた気がする。
    店員さんは、この犬は比較的毛が抜けにくく、お世話もしやすい性格だと説明してくれた。
    私たちはすっかりその気になっていた。
    けれど父だけは頑なだった。
    最後まで抱こうとしない。
    たぶん父は知っていたのだと思う。
    抱いてしまえば引き返せないことを。
    迎える喜びだけでなく、いつか訪れる別れの痛みまで知っているからこそ、簡単には手を伸ばせなかったのだろう。
    「スーパー行こう」
    父はそう言い残して店を出た。
    私たちも後に続いた。
    餃子の材料を買うために来たはずなのに、気づけば二時間近くペットショップにいた。
    買い物を終えて駐車場へ向かう頃には、母も私もすっかり心が決まっていた。
    私は母に父の口座番号を聞き、十万円を振り込んだ。
    少しでも背中を押したかった。
    もちろん、実際に育てるのは両親だ。
    だから最後は二人で決めてほしかった。
    両親はもう一度話し合うと言い、再びペットショップへ戻っていった。
    そして、その時だった。
    父がぽつりと言った。「……抱いてみるか」
    その一言で流れは決まった。
    チワワは父の腕の中で大人しくしていた。
    父の表情がゆっくり緩んでいくのを、私は見逃さなかった。
    そこからは早かった。
    契約書の説明を受け、必要な手続きを済ませ、私たち夫婦は近くのホームセンターへ向かってケージとクッションを買った。
    小さな家族を迎える準備だった。
    すべてが終わった頃には夕方になっていた。
    帰りの車には、四人と一匹。
    朝は餃子の材料を買いに出かけただけだったのに、帰る頃には犬が増えていた。
    弟からすれば、自分の誕生日なのか犬のお披露目会なのか分からなかったかもしれない。
    主役交代もいいところである。
    結局その夜の餃子がどんな味だったのか、私はあまり覚えていない。
    けれど、小さなチワワを抱えて家へ帰ったことは今でも鮮明に覚えている。
    そして何より、あの犬が来てから父はよく笑うようになった。
    以前の犬を亡くしてから見せなくなっていた、肩の力の抜けた穏やかな笑顔だった。
    母はそれが何より嬉しいらしい。
    餃子を買いに出かけただけの日だった。
    けれど振り返れば、あの日連れて帰ったのは餃子の材料だけではなかったのである。

    ファミレス滞在記


    年の瀬のある夜、母は駅前の居酒屋へ忘年会に出かけていた。
    私たち夫婦は午後十時に迎えを頼まれていたが、それまで少し時間があった。居酒屋の隣にはサイゼリヤがある。せっかくだからそこで待とうという話になった。
    子どもが生まれたら、こんな時間の使い方も減るのだろう。
    そう思うと、ただファミレスにいるだけの時間さえ少し特別に感じられた。
    昼食が遅かったせいで、店に入った時はそれほど空腹ではなかった。
    「ピザ一枚とドリンクバーくらいでいいか」
    そんなことを言っていたはずなのに、気づけばエスカルゴが運ばれ、パスタが並び、サラダまで注文していた。最後にはしっかりデザートも食べた。
    少し食べ過ぎたなと思いながらも、その罪悪感込みで楽しい。
    そんな時間だった。
    店内はほどよく空いていて、時計の針だけがゆっくり進んでいた。
    私たちが入店して三十分ほど経った頃だった。
    ひとりのお婆さんが、向かいの二人掛けの席へ案内された。
    最初は何も気に留めなかった。
    遅い時間に小腹が空いたのかもしれないし、一人でも気軽に入れるのがファミレスの良いところだ。
    ところが、なかなか注文をしない。
    メニューも開かない。
    ただ席に座っている。
    少し気になった。
    しばらくして、お婆さんは大きな鞄を開け、ごそごそと中を探り始めた。
    取り出したのは財布だった。
    そして財布の中身を一枚ずつ丁寧にテーブルへ並べ始めた。
    私と夫は思わず顔を見合わせた。
    何をしているのだろう。
    お金を数え終えると財布へ戻し、また取り出して数える。その繰り返しだった。
    やがて今度は茶色い封筒が出てきた。
    封筒の中から現れたのは何枚もの一万円札だった。
    私たちは最初こそ微笑ましく眺めていたが、だんだん言葉が少なくなっていった。
    お金はある。
    けれど注文はしない。
    時間だけが過ぎていく。
    滞在はすでに一時間を超えていた。
    そこで私たちは勝手な考察を始めた。
    誰かを待っているのかもしれない。
    あるいは年金の支給日で、お金の整理をしているのかもしれない。
    もしかすると家に帰りたくない事情があるのかもしれない。
    帰る家そのものがない可能性だって、なくはない。
    もちろんどれも根拠のない想像だった。
    お婆さんはその後も封筒やカードや領収書を次々に取り出し、テーブルの上には小さな金融機関の窓口のような光景が広がっていた。
    不思議だったのは、誰も気にしていないことだった。
    店員はほとんど巡回せず、注文はタッチパネル、料理は配膳ロボットが運んでくる。
    昔なら誰かが声をかけていたかもしれない。
    けれど今のファミレスは、人の視線から少し自由になった場所なのだろう。
    誰にも見られず、誰にも話しかけられず、ただそこにいられる場所。
    午後十時を過ぎ、私たちは母を迎えに店を出た。
    結局、お婆さんが何者だったのかは分からない。
    あのあと食事をしたのだろうか。
    無事に家へ帰ったのだろうか。
    それとも、あの明るい店内で夜を越したのだろうか。
    年末の夜は長い。
    もう二度と会うことのない人なのに、ときどき思い出す。
    あのお婆さんが、あの夜を無事に越せていたらいいと思う。

    クイズこの部位なんだろな


    臨月に入り、気づけば妊娠三十八週になっていた。
    毎週のように通う産院にもすっかり慣れた頃である。
    ただ一つだけ、最後まで慣れなかったものがある。
    担当医の声だ。
    先生は絶妙に声が小さい。
    しかも低い。
    元々私は耳があまり良くないのだが、それを差し引いても聞こえない。
    診察のたびに「たぶん今いいことを言っているんだろうな」と雰囲気で会話を成立させていた。
    その日の健診もいつも通り始まった。
    エコー画面の中で赤ちゃんは元気に動いている。

    「よく動いてるね」
    「元気だね」

    そんな言葉が聞こえ、私はほっと胸をなで下ろした。
    ところが、しばらくして先生の様子が変わった。
    画面を見つめたまま動きが止まる。
    そして少しだけ表情が固くなった。
    嫌な予感がした。
    臨月の妊婦にとって、医師の沈黙はだいたい怖い。
    何か問題が見つかったのだろうか。
    赤ちゃんは大丈夫だろうか。
    私の不安が膨らみ始めた、その時だった。
    先生がぼそりと言った。

    「ねぇ……これ、なにかわかる?」

    一瞬意味が分からなかった。
    何がだろう。
    異常所見の話ではないのか。
    私は戸惑いながら答えた。
    「え……なんですかね?」
    すると先生は少し強めに言った。
    「だから、このパーツだよ」
    どうやら突然クイズが始まったらしい。
    状況が飲み込めない。
    しかし画面を見ても私には何が映っているのかさっぱり分からない。
    謎の黒い影と白い線である。
    私はとりあえず答えてみた。

    「手……ですか?」

    すると先生は即座に言った。

    「あとは〜?」

    違った。

    しかもまだ続くらしい。
    私は焦った。
    診察室に妙な沈黙が流れる。
    これは正解するまで終わらないタイプのクイズなのだろうか。

    「じゃあ……首?」

    恐る恐る答えた。
    すると先生は突然椅子をくるりと回した。
    そして何事もなかったかのように言った。

    「体重は正常。心拍も問題なし。順調だね〜」

    終わった。

    クイズが。

    答えを教えないまま。

    私は置いていかれた。

    いや、待ってほしい。
    私は今、赤ちゃんの健康状態よりクイズの答えが気になっている。
    診察はそのまま終了した。
    先生は急に仕事モードへ切り替わり、次の患者を呼ぶ準備を始めている。
    だが私は諦めきれなかった。
    意を決して聞いてみた。

    「あの……ちなみに、さっきのパーツって何だったんですか?」

    先生は一瞬だけこちらを見た。

    「あー、あれ?」

    そしてあっさり答えた。

    「耳。」

    耳。
    まさかの耳である。
    言われてみれば耳だったのかもしれない。
    しかし私には最後まで分からなかった。
    先生はその答えだけ置いて、すでに次の患者を呼んでいた。
    先ほどまでのクイズ番組の司会者のような雰囲気は跡形もない。
    完全に医師の顔に戻っている。
    どうやら先生の「クイズこの部位なんだろな」は、一回までなら不正解を許してくれるらしい。
    二回目からは説明なしで打ち切りになる。
    また来週もお世話になります。

    子供の子供

    出産予定日まで、あと一週間あまり。
    昨夜、初めて前駆陣痛らしきものを経験した。

    「きっと気のせいだ」

    そう自分に言い聞かせながら痛みをやり過ごしたが、いよいよ本番が近づいているのだと思うと少し身が引き締まる。遠足前の子どものような高揚感もあり、最近は眠りが浅い。
    私の母は私によく似ている。
    いや、正しくは私が母によく似ているのだろう。
    昔から、私がひどく落ち込んだり体調を崩したりすると、母も妙な夢を見ることがあった。
    今朝もそうだった。
    昨夜、私が前駆陣痛の痛みに耐えていたまさにその頃、母は陣痛の夢を見ていたのだという。
    私から前駆陣痛の話をしたわけではない。ただ朝になって、母は何気ない口調でそう話した。
    偶然なのかもしれない。
    けれど私は昔から、母には子どもの異変を察知する不思議な力があるような気がしている。
    母とのへその緒はとっくに切れているというのに、どこかでまだ繋がっているのではないかと思うことがある。
    そんなことを考えていた朝だった。
    外では雪がちらつき、大寒波が東北を襲っていた。
    実家の朝は七時頃から騒がしくなる。
    雪の日は道路が混む。
    仕事場まで徒歩五分の父は、寒さと路面の凍結が嫌だったのか、母に送ってほしいと頼んでいた。
    だが母は、朝から弁当を作り、弟を起こして送り出し、自分の支度もある。

    「え、ハザード出して止まったら突っ込まれちゃうじゃん。嫌だよ。歩いていきなよ」

    そう一蹴され、父はとぼとぼと出社していった。
    その様子を見て思った。

    ……なんだか私にそっくりだ。
    私も夫に同じようなことを言っている。

    母と娘というのは、どうしてこうも似てしまうのだろう。
    母と娘というのは不思議だ。
    夢の中で陣痛を共有してしまうほど深く繋がっているかと思えば、夫への対応までそっくりなのだから。

    陣クス

    今日は出産予定日を一日過ぎた。
    陣痛にまつわるジンクス、通称「陣クス」はほとんど試した。
    オロナミンC、焼肉、スクワット、ヨガ、散歩。
    ありとあらゆるSNSの情報に、私は自ら飲まれにいった。
    痺れを切らして走ったことさえある。妊婦が走るなど本来褒められた話ではない。しかし、ここまで我慢したのだからもう十分だろうという気持ちもあった。
    体力には自信がある。
    妊娠中も一日一万歩近く歩いていたし、特別大きなトラブルもなかった。
    それなのに、なぜ生まれないのだ。
    さっさと産んでサウナに行きたいという、我ながら身勝手な願望もある。
    もともとせっかちな性分なので、十月十日と聞けば十月十日できっちり終わってほしい。
    延長戦にはあまり向いていない。
    予兆なく訪れるという陣痛は、きっと人生最大のサプライズなのだろう。
    とはいえ、待っている側としては落ち着かない。
    これだけ陣クスを試しても何の変化もないのはなんだか報われない。
    私は経過確認のための予定健診へ向かった。
    子供は相変わらず元気だった。
    モニターの向こうで忙しなく動き回り、こちらの焦りなど全く意に介していない様子である。
    子宮口は一センチ。
    どうやら、まだしばらく出てくる気はないらしい。
    私はふと思いついて、

    「大便をした勢いで子供が出てしまうことはありませんか」

    と質問した。
    看護師には見事に黙殺された。
    NSTのモニターを装着して待機していると、隣に金髪で福島弁を話すギャルが座った。
    聞くともなしに聞いていると、そのギャルは予定日の一週間前に破水したにもかかわらず、自ら車を運転して病院へ来たという。
    私はマスクの下で盛大に変な顔をした。
    本を開いて読んでいるふりをしていたが、内容はまるで頭に入ってこない。
    家には母もいたのに、気が動転してそのまま飛び出してきてしまったらしい。
    当然、入院バッグも陣痛バッグも玄関に置き去りだ。
    なんと恐ろしい。
    陣痛とは、ここまで人を変な行動に駆り立てるものなのか。
    私はあと何個、陣クスを試せば子供に会えるのだろう。
    もっとも、今日のギャルの話を聞く限り、出産というのは親の計画などお構いなしに始まるものらしい。
    そう思いながら帰宅した私は、その夜もまたSNSで新たな陣クスを探していた。

    出産編 其ノ壱

    朝六時。
    尿意を感じて目を覚ますと、鮮血がどっと流れ出た。
    おしるしだ。
    血を見た途端、今度はお腹がずきずきと痛み始めた。
    とはいえ、出産は鼻からスイカだという。
    きっとこんなものではないはずだ。これは前駆陣痛だと思い込むことにして、ひとまずやり過ごした。
    しかし出血は少し不安だったので、念のため産院へ連絡を入れた。
    出産予定日を四日過ぎていたこともあり、

    「おしるしでしょうね」

    とのことだった。ちょうど九時から診察の予約も入っていたため、それまでは自宅で待機することになった。
    この日は母も仕事が休みだった。
    私がフーフーと息を吐きながら痛みを無視していると、

    「絶対それ陣痛じゃん」

    と、私以上にそわそわしていた。
    私はこういう時、妙に肝が据わるタイプだ。
    陣痛バッグと入院バッグを車に積み込み、念のため持参して病院へ向かった。
    九時に受付を済ませると、私の様子を見た助産師たちが急に慌ただしくなった。
    しかし私は、

    「大丈夫ですよ。たぶん前駆陣痛なんで」

    と謎の虚勢を張りながら、普通に待合室へ座っていた。
    診察後すぐNSTルームへ通される。
    すると見事に陣痛が来ていた。
    前回の診察で出会ったギャル妊婦から教訓は得ている。

    「平常心がいちばん大事」

    私はその学びを律儀に守ることにした。
    受診した時点で陣痛は既に一〜二分間隔。子宮口は三センチ開いていた。
    高揚する気持ちを落ち着かせるため深呼吸をする。
    ああ、もうすぐ終わる。これが終わったら何を食べよう。

    生卵。

    生牡蠣。

    雲丹。

    サーモン。

    鰻。

    そんなことを考えているうちに、あっという間に午後一時になった。
    子宮口は六センチ。
    痛みと対峙する時間は、驚くほど早く過ぎていく。
    携帯も開かず、水を飲みながらひたすらその後の妄想に耽っていた。

    尊い。

    出産とは、お腹に命が宿った瞬間から、お腹を蹴られた瞬間も、陣痛に耐える瞬間も、すべてが尊い。
    さらに一時間後には子宮口が八センチになった。
    夫も仕事へ行かず、朝からずっと付き添ってくれていた。
    三人で乗り越えよう。
    そう声を掛け合いながら手を握る。
    私は中学も高校も運動部だった。
    だから体力には自信がある。
    夫の手を何度も握り潰すものだから、途中から感覚がなくなっていたらしい。
    誰に教わったわけでもないのに、テニスボールで腰を押し続ける夫は、これまで見たことがないほど頼もしかった。
    不思議なことに、分娩台の上でも私は元気だった。
    冗談を言い合えるくらいには余裕があり、和気あいあいとした時間だった。
    出産も佳境に差しかかる。
    いきむタイミングで右手を高く振り上げ、

    「行っきまーす!!!」

    と叫ぶと、

    「よし来た!」

    と助産師さんたちも良いノリで応じてくれた。

    何度も踏ん張り、盛大な便が出たことも一生忘れないと思う。
    臭いまで漂ってきて一瞬肝が冷えた。
    夫は苦笑いしていたが、こういう所も好きだという少々変わった感性の持ち主で本当に良かった。
    吸引器で何度か頭を引っ張り、助産師さんがお腹の上に乗ってぐいぐい押す。
    俯瞰して見ると少し滑稽で、思わず笑ってしまったら怒られた。

    「あと少しなんだから頑張りな」

    その言葉に、脳筋な私は見事に火が付いた。

    最後の力を振り絞る。

    すると、ギュルルルと何かが身体から抜けていく感覚と、お腹が空っぽになっていく感覚が同時にやってきた。
    この時の解放感は一生忘れられない。
    真っ赤な身体でわんわん泣く息子が目の前に現れた。
    私と夫は顔を見合わせた。

    「ありがとう」

    「お疲れ様」

    何度もそう繰り返した。

    涙が止まらなかった。

    今でも思い出すだけで胸が熱くなる。
    夫に言わせれば、この時の私は人生でいちばん優しい妻だったそうだ。

    出産編 其ノ弐

    一通りの処置が終わると、私は経過観察用のベッドへ移された。
    そこで一時間だけ、改めて息子を抱かせてもらった。
    たった一時間。
    それなのに数分ほどの出来事だったように感じる。
    夫とは翌日の面会まで会えないらしい。
    今日はゆっくり休みなさい。
    そう言われて見送られた。
    異変が起きたのは、その頃からだった。
    助産師さんは後陣痛だろうと言った。
    薬をもらい、安静にしていた。
    しかし痛みは引かない。
    それどころか時間が経つにつれてどんどん強くなっていく。
    呼吸が浅くなる。
    身体がふらつく。
    冷や汗が止まらない。
    お産でほとんど食事を取っていなかった私は、とりあえず部屋へ戻され夕食を出された。
    椅子に座ろうとした瞬間だった。

    「痛ってええええええ!!」

    涙が出た。
    痛すぎて食事どころではない。
    これが後陣痛だというなら、世の中のお母さん達は出産より痛い思いをしているのだろうか。
    鼻からスイカどころの騒ぎではない。
    とはいえ朝から何も食べていない私は極限状態だった。
    フォークで片っ端から料理を突き刺し、味も分からないまま口へ運ぶ。

    グシャグシャ。

    グチャグチャ。

    こんな食べ方、生まれて初めてだった。
    美味しいご飯が評判の産院を選んだはずなのに、私は完全にモンスターになっていた。
    食事を流し込むなりナースコールを押した。
    夜九時を過ぎた産院は静まり返っていた。

    夜勤の看護師さんがやって来る。
    どうやら後陣痛で大袈裟に騒いでいる人間だと思われているらしい。
    処置室へ案内されたが、歩くことすら困難だった。
    手すりを掴みながら、よろよろと進む。

    歩くと楽になりますよ。

    そんな言葉は何一つ響かなかった。
    吐きそうだった。
    目眩がした。
    とにかく痛い。
    処置室へ入った後も訴え続けたが、二時間近く状況は変わらなかった。
    隣の部屋では誰かがお産をしていた。
    悲鳴が聞こえる。
    しかしその日は私の方が大きな声で叫んでいたと思う。
    そして初めて思った。

    私、死ぬかもしれない。

    今日生まれたばかりの息子。
    もう会えないなんて嫌だった。
    そういえば夫は思った以上に頼もしかった。

    父と母にも会いたい。

    死にたくない。

    でも死にそう。

    そんな考えを何度も往復した。

    日付が変わろうとした頃、ようやく先生が到着した。
    診察した先生の顔色が変わる。
    産後の処置で縫合しきれなかった箇所があり、大きな血腫ができているとのことだった。
    そして先生は一言だけ言った。

    「救急車を呼びました」

    私は動揺した。

    「いや、税金の無駄遣いなんで大丈夫です」

    と意味不明なことを言った。

    当然却下された。

    後から聞いた話だが、先生は新年会で酒を飲んでいたらしい。
    一方その頃、夫は私の実家で祝勝会を開いていた。
    数時間前まで感謝に溢れていた妻は、もうどこにもいなかった。
    救急車で運ばれた大学病院は、まるで別世界だった。

    検査。

    説明。

    同意書。

    準備。

    検査。

    説明。

    準備。

    その繰り返し。

    私の願いは一つだけだった。
    早く麻酔を打ってほしい。
    今思えば完全に薬物中毒者みたいだった。
    ストレッチャーで院内を移動するたび、

    「痛ぁぁぁぁぁい!!」

    と叫んでいたらしい。
    後ろには夫がついていたそうだが、私は何も覚えていない。
    ようやく麻酔が効いた瞬間、天国だった。
    死後の世界ではなく、生きたまま辿り着く天国である。
    一時間ほど眠り、目覚める。
    残りの時間は見学に来ていた医大生と雑談して過ごした。
    痛みがないというだけで、人間はこんなにも穏やかになれるらしい。
    三時間の手術が終わり、病室へ戻る頃には朝の五時を過ぎていた。
    結局そのまま読書をして、朝八時に眠った。

    翌日の昼。
    ようやく自由に飲めるようになった私は、ペットボトルを二本一気に空けた。
    人生で一番美味しい水だった。
    悶えている間、何度も飲みたいと口にしたオレンジジュースは夫の差し入れには入っていなかった。
    私は即座に購買へ買いに行かせた。
    やはり優しい妻は帰ってこなかった。
    三五〇〇の血が抜け、一五〇〇もの輸血をした私の身体は驚異的な回復力で大学病院を退院し、元の産院へ戻った。
    息子と再会したと思ったら、すぐに安静を命じられる。
    せっかく帰ってきたのに。
    そう思いながらも、本を二冊読んだ。

    アロママッサージ。
    ヘッドスパ。
    座浴。

    残された産院生活の特典は全て使い倒した。
    大学病院から戻った私には、スタッフの方々が毎日のように謝罪に来た。
    最初は

    「いい経験になりました」
    なんて格好をつけていた。

    だが何度も謝られるうちに、
    いや、やっぱり普通に腹が立つな。
    と思ったので撤回したい。
    そんなこんながあって、息子との生活が始まった。
    二時間おきの授乳。
    終わらない睡眠不足。
    虚無。
    それでも寝顔だけは本当に可愛かった。
    壮絶なお産だったね、と今でも言われる。
    正直なところ、私はあまり覚えていない。
    だから毎回、
    「えへへ」
    と変な笑い方で誤魔化している。

    息子には沢山の人との縁を大切にしながら、大きく羽ばたいてほしい。
    そんな願いを込めて、私たちは結翔と名付けた。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     

    yorimichi

     
     
    本を読むこと、コーヒーや料理が好きです。

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