
わたしはすごい
本を置いて、ラジオ体操をしようと思って屈伸をしたら驚いた。
まさかと思って伸脚をしたら愕然とした。
気持ちいいのだ。
すごくいいストレッチなのだ。
一人暮らしのわたしはコーヒーを淹れるとき「クレバー」という器具を使う。
この抽出方法はハンドドリップなどの「透過式」と区別して「浸漬式」という。
以前働いていたコーヒースタンドでこの方法を知ってから、わたしは毎日この方法でコーヒーを淹れている。
ハンドドリップで淹れるよりも味が安定するので、いつどこで淹れても規定量と時間さえ守れば美味しいコーヒーを淹れることができるのだ。
ハンドドリップの、そのゆらぎが面白いのに、というひとにはいささか退屈かもしれない。
で、いつも通りぼーっとしながら手廻しミルで豆を挽いて、フィルターをセットしたクレバーにお湯を注ぎ、キッチンタイマーを押して3分待った。
鳴ったタイマーを止めて、びっくりした。
わたしはその3分間でシャツを一枚アイロンし終えていたのだ。

子供のころ、体育の準備体操や夏休みのラジオ体操をしながら「こんなことがいったいなんのためになるんだろうか」と思っていた。
それは輪ゴムを両手で持って、ビヨビヨさせては戻しているような、そんな退屈さだった。
しかし、どうだろうか。
いまや万年ダイエッター・アラサー・運動不足のわたしにとって、その準備体操こそが立派な「運動」になっていたのだった。
屈伸をして「え!なんて気持ちいいの」と思って「ここが伸びているのか」といま自分がどんなストレッチをして、どんな筋肉にアプローチしているのかがわかるのだ。
なさけないのか、すごいのか。
いや、子どものころには想像もしなかったようなことができるようになった。
わたしは書店員なので、自分が読んで面白かった本をお店に置いて販売することもある。インスタで紹介したり、キャプションを書いたりもする。こうやってブログを書くこともそうだ。これはじつはすごいことではないか。
アイロンがけもそうだ。
コーヒー豆をセットして、ティファールにお湯を入れてスチームアイロンをコンセントに挿し、本を開いて一節を読む。「カチッ」と鳴ったらお湯を注いでタイマーを押し、コーヒーができあがるころにはシャツにアイロンをかけ終えることができるのだ。
23時に帰ってきて8時に出社することも、わからないことを「わかる」と言ってしまうことも、あなたは違う人間なのだから意見は違うのが当たり前だよね、というところから始まる素晴らしい会話も、あの頃のわたしにはできなかったことではないか。
ラッシュアワーに揉まれながらぶつかってきたひとを振り返らないことも、セクハラ発言をしてくるおじさんを笑ってあしらうことも、未来にはなんだってあるだろうと信じるとか信じないとかそんな次元にはいない。
いまのわたしにはできる。
わたしはすごい。のだろうか。
いまはまだわからない。