ペットボトルの蓋
生まれたときからずっと、私はばあちゃんに守られてきました
そして気づけば、少しずつその役割は入れ替わっていきました
たぶん、ばあちゃんみたいな存在が欲しくて、結婚相手も選んだ気さえします(笑)
絶対的な味方が欲しかった、ということなのかもしれません
80代に入っても、その関係は変わらなくて
重い荷物を持とうとしても、「いい🤚」の一点張り
ふとした家事の場面でも、力がいることや工夫がいることは、全部ばあちゃんがやってくれていました
でも、少しずつ少しずつ、ばあちゃんができないことが出てきました
ペットボトルの蓋が開けられなくなり、私が開けてから渡すようになったこと
一緒に過ごすときは食器の洗い物はばあちゃん担当だったのに、洗い残しを見落とすようになって、私が担当するようになったこと
かわりにアイロンがけをお願いしてみたら、うっかりアイロン台に熱したアイロンを置いてしまったこと
そして、いつの間にか荷物も持たせてくれるようになり
「るり子が強くなったね」と言われたこともありました
甘ったれの私は、それがなかなか受け入れられなくて
ばあちゃんに怒ってしまったこともありました
「しっかりしてよ」と言ってしまったこともありました
いまなら、もう少し優しく受け止められたと思うけれど
当時の未熟な私は、ばあちゃんにきつくあたってしまっていた気がします
ばあちゃんこそ、つらかっただろうに
認知症と診断されてから、関連する本をたくさん読んで
やっと私は、「役割の交替」というものを受け入れられるようになりました
前のように苛立つこともなくなり
ただ、その時間を大切にできるようになりました
もし、もっと早く受け止められていたら、と考えてしまうことがあります
そう思うと、いまでも少しだけ苦しくなります