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『殴り殴られ詩人酒場』ep.26「花茄子と恋慕」

もう腹の虫は満足して眠りこけている。
それでも必要以上に甘い甘い貢物みつぎものをその枕元に並べ続けた。
丸窓の外を駆ける最後の学生服が小石か何かにけっつまずいたその時だった。

「そういやおめえ……図書……館の督促どうした?」
向かいに座る紺衣こんぎぬの男は大ぶりの栗を三個ほど頬の裏で転がしながら訊たずねる。
「ああ、まだあるよ。」
膝に落ちた小豆を一粒摘んで口に放り込む。
「朔ちゃん、案外未練がましいのな。」
なんのことだろうか。
茶屋の娘がこちらを向いていたから、軽く手を振った。

カンッと小皿を打つ音が響いた。

「これだからスケコマシは……! ろくなもんでねえ!」
そう言って大ちゃんは俺の分のかしこまった塩昆布まで口に入れて「しょっぺえ、しょっぺえ」と大騒ぎしている。
「馬鹿か! 茶飲め、茶!」
「熱あっつ!」
人もまばらな茶屋は、満員御礼が如く賑やかになり、俺はわずかに肝を冷やした。

気付くと十草模様の硝子コップが置かれている。
「ありがとう」と声をかけたが、三文字ほどは残して娘の姿は奥に消えている。
乳白色の奥、花茄子の実が揺れる。
並々と注がれた水が、指先を濡らし、爪の上で柔やわらに煌めいた。

大ちゃんは水を飲み干してしまうと、少し落ち着いた様子でため息をひとつこぼす。

「俺はもう懲り懲りだ……」
そう言って、涙目の男は空になった硝子を卓の端へと追いやる。

「何の話?」
俺はそれをわずかに内に寄せる。

「散々横光よこみつの馬車捕まえといてなんだい?」
大ちゃんはひょいとぜんざいの中の焼き餅を口に含むと顔を真っ赤にして呼吸を荒げる。
そして一気に飲み込むと、
「やっぱり俺、スケコマシが憎い!」と吼える。

そして俺はなぜか胸ぐらを掴まれている。
「わ……わかった……わかったから。あの、あれだ。おめえのシャツ、俺が明日洗ってやる。な、だから……」

卓の隅、大ちゃんと俺とを隔てる花茄子の実が小刻みに揺れる。

「赤茄子か……?」
「……」

わかったと言っておいて、その実何もわかっちゃいないのだ。

「あの、ぜんざい! 栗の! もう二つください!」
「大ちゃん? おめえ何言って……」
「食え。スケコマシ……もうなんも食えなくなるくらい、食え。」
「大ちゃん?」

茶屋を出る頃には、俺の顎は二重にも三重にもなっていたように思う。

大ちゃんは革靴を鳴らしつつ、奇天烈な歌を歌っている。

「なんだいそれ。」
「これかい?」

──財布軽けりゃ足まで軽い
足が軽けりゃそら、空飛べよう
空からの懐ふところ、空そら詰めて
詰めたところで何にも変わらん
足も軽けりゃ……

「お経でないね、結構なもんだ! 廉太郎もびっくりするだろうよ。」
「朔ちゃん、おめえスマコ知らねども廉太郎はわかんのな!」

そう言って大ちゃんは俺の背を引っ叩いた。

「痛いってえな!」
「お? やんのけ? やんのけ?」
「ない!」

ただ、ただお道化どけた。
名伏しがたき高揚!

花茄子の如き夕陽に訳のわからぬ歌を聴かせ、紺衣は跳ね跳ね帰路に着く。

学生帽子の大群とすれ違う。
その中の一人が立ち止まる。
昨日の自分とよく似ている、黒衣に金のボタン。
どうにも古ぼけた下駄をつっかけもの言いたげに佇んでいる。

俺はつい、手を振った。

しかし、その黒衣は振り返らない。

大なる夕陽の隅っこで、微動だにせぬその影がただひたすらに伸びている。

大ちゃんと俺は疲れ知らずに歌い跳ねていた。

(続)

↑
まとめ読みはこちら。

↑
直前の話。
松井須磨子を知らない上原朔也である。

↑
現代の恋愛小説はこちら。

↑
バンド小説はこれ。
ベースボーカル・砂川恭平の悲哀。

↑
遺書から始まる、クズの小説。

↑
学生時代振り返りエッセイ。

↑
ゆきお様・作
まさかの爆弾と、二人の青年の茶屋でのやり取り。
大正の世にあってもなお青年はやはり少年の心を持って生きるのである。
すみません、私これ、腹抱えて笑いました。
最高に笑える、傑作です。

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