怪我のはなしまとめ1
マンホール(怪我のはなし①)
2026年5月20日 17:54
マンホールに嵌った事があります。
マンホールと言っても、皆さんが想像するような道路にある重たくてでかい蓋のものではなく、
駐車場とかにある軽い素材でできている小さいやつです。
※厳密にあれがマンホールに分類されるのかはわかりませんが、当時はそれをマンホールと呼んでいました。
とある休日、暇過ぎた私はご近所さんの庭で、その家の息子さんとご機嫌にお喋りをしておりました。何故その息子さんと話していたのか、何の話をしていたのかは全く記憶がありません。
この話の教訓としては、とにかく馬鹿に暇を与えてはいけないということです。
理由は不明ですが、急に私がテンションを上げ走り出したか、歩き回り出した、と記憶しています。
遠くからぼんやりと、そこは壊れてるから危ない、と冷静な忠告が聞こえて来ます。
もう手遅れでした。
思い返せば、ご近所の息子さんは大変利発なお子さんでした。
対照的に突如として駆け出した馬鹿は、とうとう止まることが出来ず、ずぼり。
気が付いた頃には、左脚が脛のあたりまで沈みこんでいました。
自力で引き抜く事が出来ず、たちまちパニックになり騒ぎはじめます。
本当に、馬鹿に暇を与えてはいけません。
その後騒ぎを聞いた大人が出て来て、脚を抜いてくださいましたが、既にマンホールの蓋と馬鹿の脛は崩壊していました。
蓋については、ご近所さんへ親が謝罪しに行ったのですが、恐らく余りにも愚か過ぎたのと、蓋が元々割れていたこともあり、曖昧な記憶ですが、脚(頭?)が大丈夫かを逆にご心配いただいたような気がします。
ただただ、生まれた事を大変申し訳なく思うばかりです。
馬鹿の脛については、まあまあの深さ肉が抉れましたが、何故か出血がそこまでではなく、骨にも異常が無さそうだったため、悲鳴をあげるほどのマキ〇ンと謎の塗り薬と絆創膏で無理やり対処することとなりました。
そう、病院は忙しい。
馬鹿に割ける時間など、勿論ありません。
しばらくはお風呂をはじめ、何をしても激痛でしたが、これほど見事な自業自得も無いのではないでしょうか。
なお、二桁年数経った今でも、しっかり傷跡が残っています。見る度に昨日の事のように思い出し、新鮮に赤面したのち、多方面への謝罪の気持ちが湧き上がります。
しかし残念ながら、この後も馬鹿は馬鹿のまま、しばらくすくすくと成長します。
性懲りも無く、気色の悪い怪我をし続けるのですが、ここでは書ききれないのでまたの機会といたします。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
阿呆は立ち上がるな(怪我のはなし②)
2026年7月1日 01:00
また怪我の話をひとつ。
※(色んな意味で)痛々しい話が苦手な方にはおすすめしません。
怪我は大人になってからとんと減ったので、子供特有の集中力の無さだったのか何なのか、今となっては分かりません。
まあ怪我なんて誰しもするものですが、私の場合、特殊な状況で起こる怪我が大半を占めているので、偶にちょっと変わったエピソードとして人に話しています。
もうずいぶん記憶も薄くなった話ですが、幼少期はとにかく注意力が散漫な阿呆だったので、怪我ばかりしており、果ては入院までするレベルでした。私は馬鹿であり、阿呆、そしてキモい、という全てを兼ね備えたタイプの生き物です。
これは入院が必要となった阿呆の話。
はるか昔、保育園に通っていた頃、
私は極度の人見知りでしたが、人嫌いという訳では無かったので、うっすら誰かの誘われ待ちをしながら部屋の隅で一人でお絵かきやブロック遊びに没頭していました。
随分と昔の話ゆえ、詳細な記憶は曖昧ですが、他の子が室内で追いかけっこをしていて盛り上がっていました。
実に危なげなシチュエーションです。
それを見た私(阿呆)は楽しそうだと思い、輪に加わろうと走り出したところ、持ち前の鈍臭さにより足がもつれたのか、ステーンとひっくり返り、その拍子に木の床に強かに頭を打ってしまいます。
いてて……と起き上がってみると、その姿を見て周りがちょっと引いたのか、単純に飽きたのか、既に駆け回るのを皆やめており、輪は解散していました。儚い、一瞬の出来事でした。
私は何となくの気恥ずかしさを抱え、また隅へ戻って遊び始めました。
そしておやつの時間が近づいた頃、そろそろおもちゃの片付けをしようとした時です。
徐々に視界がぼやけ、霧の中に居るような、周りにあるものの輪郭がなくなり始めました。
何が起きているのか理解が及ばぬまま、遠くで早く片付けなさいと先生の声が聞こえたため、早くしなきゃ、とそのまま片付けを再開します。
幸い色は識別出来たので、床に点在する色をコレは床の模様だ違う、コレはブロックだった良かった、と触って確かめながら、今自分どういう状況なのかをぼんやり考えながら片付けを続けました。
そして私の記憶はここで途切れます。
意識が戻ったとき、私は床に寝かされていました。周りが少しバタバタしていた気がします。
鼻血が出たらしく、鼻にティッシュが詰められていました。
起き上がろうとすると気持ちが悪くなり、そのまま寝ているよう先生に促され、また横たわります。
その後、すぐに親が迎えに来てそのままタクシーに乗せられました。
私はタクシーの中で座席を汚さない程度(多分)に吐き、グッタリした状態で辿り着いた先は、知らない大きな病院でした。
結果、私はよく分からないまま、2週間弱入院する事となります。
入院生活で今も覚えている微かな記憶は、手の甲の点滴が痛かったことと、夜暗くて怖く中々眠れなかったこと、お見舞いでもらったキャラクターのカシャカシャ動かすパズルを貰って嬉しかったことくらいです。
その後、だいぶ時を経てからふと思い出し、親と、同じ保育園だった友人に聞いた話をまとめるとこうです。
微塵も記憶がありませんが、私は片付けをした後、おやつの席に着くまで普通に過ごしていたそうです。
着席してしばらくすると、突如鼻血を出したので、気付いた友人が先生に報告したとの事。とりあえず鼻血を止めるために先生は私を寝かせていたのでした。
病院へ行ったあとは、MRIやら何やらの検査を受け、まぁざっくり言うと、どうやら頭を打ったせいで脳から出血していたらしいです。
脳のどの部分がどの程度の出血だったか、詳細は不明ですが、入院中に血は自然に吸収され、手術などはせず治癒しました。
子供によくある事なのかは専門知識が無いので分かりませんが、とにかく運が良かったという事は分かります。
以上が私の人生における、一番大きな怪我の話です。
実に恥ずかしく滑稽な話なので、出来れば笑っていただけると助かります。
拙い文ですがここまで読んでくださり、ありがとうございました。
まだまだ情けない話が幾つかあるので、またの機会に。
まわってまわる(怪我のはなし③)
2026年7月5日 23:39
また怪我の話を思い出したので、ここに書き留めておきます。
とびっきりの馬鹿であり阿呆であった幼少期、短所を丁寧に伸ばし続けた結果、残念な化け物としてそのまますくすくと育ちました。
前回に引き続き、園児だった頃の話です。
小さな化け物は、保育園にて親の迎えを待っていました。
たまたまその日は迎えの時間が遅く、ほかの園児が1人2人と帰り、数人の園児と先生のみとなりました。
使わない部屋の電気が消され、ゴミ捨てやら掃除やらなのか、先生が一瞬目を離した隙に、化け物はまたもや余計な真似をし始めます。
迎えが来るまでの暇を持て余した化け物は、電気が消えた部屋に気持ち悪いハミングをしながら吸い込まれていきました。
当時TVで流れていた円〇志の名曲「夢想花」が突如脳内で流れ始め、ご機嫌な気持ちとなったのか、両手を開きくるくると回転を始めました。
何の脈絡も無く、共感できる余地が微塵も無いのが化け物の特徴です。
とんで、とんでと、歌を小声で口ずさみながら遠心力を体に感じ、視界が回る事に楽しみを覚えた化け物は、誰も見ていない暗闇でひたすら回り続け、やがて平衡感覚をすっかり失います。
化け物は、園児ゆえにまだ頭が重く、踏ん張る体幹などもちろんありません。
まわって、まわる〜〜♪
と歌い終わると同時、目と体を極限まで回し、耐えられなくなったのか、そのままのスピードでバランスを崩し、近くにあった木製のロッカー(鬼硬)に頭から突っ込んでいったのでした。
気がついた時には、大人に囲まれ、横になっていました。頭頂部と右のおでこを打ちつけた化け物は、迎えに来た親にタクシーに乗せられ、病院へと輸送されます。(デジャヴ……??)
人生幾度目のMRIだったかレントゲンだったかは覚えていません。
診察結果は頭部の打撲のみでした。
頭頂部が少し切れており、若干血が出ていたものの、脳と骨に異常はなく(本当に?)、デカイたんこぶが2つ出来て無事𝒇𝒊𝒏𝒊𝒔𝒉となりました。
持ち前の変な運の良さが発揮されたようです。
ただ、問題はこの後でした。
しばらくして頭頂部のたんこぶと傷は治ったものの、右おでこの方は何故か出っ張ったままとなってしまいました。
腫れているのではなく、骨がそういった歪な形になってしまったのです。
打撃という刺激を与えた事により、変な発達を遂げたのか、徐々に骨が変形したのかは分かりませんが、大人になった今でも、左右差があるままです。
哀れなことに、あの日の化け物の愚行は、戒めとしてなのか、しっかりと頭部に遺されたのでした。
何年経っても、出っ張ったおでこに触れる度に、夢想花が頭に流れます。
とんで、とんで……
今思い返すと、頭をよくぶつける子どもでした。日々の残念な言動が元々なのか、ぶつけたからなのか、どちらが先だったのでしょう。
まぁどちらでも結果は変わりませんが……
前回に引き続き、頭の怪我の話でした。
鼻で笑っていただけると幸いです。
次回は夏の思い出でも綴ろうかと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。