祖母の死が教えてくれたこと
このnoteを見て頂きありがとうございます。
今日は祖母の葬儀が終わり、東京に帰ってきた。
祖母の死を通して大切なことを学び感じた。
忘れないうちに書き留めておきたい。
5/27 祖母の葬儀を終えた。
葬儀までの数日は、みんな実感がなくて
従兄弟達と遊んで過ごしていた。
けどやっぱり最後はみんな声あげて泣いた。
祖母は戦時中生まれで、享年83歳だった。
いつもちゃきちゃきと働いていて
家族のために色んなことをしてくれた。
遊びに行くと美味しいご飯を沢山用意して
待っていてくれた。
洋服を作っては私達に着せてくれた。
クリスマスには総勢8人のいとこを全員呼んで
各々にプレゼントを用意してディナーをご馳走してくれた
花火大会の日には必ずBBQとお泊まり会を
開催してくれた。
祖父は生前、時計屋・宝石屋を営んでおり
地元の人にとって欠かせないお店だった。
それを裏で支えていたのも祖母だ。
3人の娘がいて、その長女が私の母だった。
東日本大震災の翌年に祖父が亡くなった。そこから祖母の親類が立て続けに亡くなり、今年の3月には愛犬も亡くなってしまった。
みんな死んでしまって悲しいと祖母は溢していた。
元気が少しづつなくなっていた。
台所に立たず、部屋に籠るようになった。
とはいえ、ばーちゃんのことだしなんだかんだで
長生きするでしょ〜と親類皆思っていた。
それが突然呆気なく亡くなってしまった。
人の死とは突然なんだと思った。
そして当たり前にあるものは、
当たり前じゃないのだ。
私は初めての女の子孫ということで、
大層可愛がってもらった。
残されていた大量の写真と祖母の日記を見て、
自分がどれだけ愛されていたかを実感した。
祖母の日記には、みんなで過ごした行事のこと
些細な出来事がたくさん書かれていた。
祖母の家に集まった日のこと、クリスマスを皆で祝った日のこと、忘れ物をしたこと、どれも私は忘れてしまっていた。けど、祖母は日記に書き留めて読み返し、いつも忘れていなかった。
そして、叔父叔母、従兄弟達。
暫く共に過ごす中で、
自分がどれだけ大切にされていたか実感した。
各々が大学に進学してからは
全員が揃うことは何年もなかった。
子供時代とみんな変わらなかった。
我が子同然に世話を焼いてくれる叔父叔母
兄弟姉妹のようないとこ達
私は充分すぎるくらいの愛を貰っていた。
従兄弟達と、またこうして集まろうねと話した。
親族皆んなで、相撲の秋場所を見に行こうねって話した。
東京へ帰るときは従姉妹と共に帰った。
1つ年下のいとこは大手有名企業に就職したが
仕事で大変な思いをして鬱を患い
死にたいとも思っていたとのこと。
知らなかった。
大手有名企業に入って、お給料も良くて
同棲してる彼氏もいて、
正直言うと羨ましく思っていた。
人生順風満帆なんだろうなって。
けど直接話を聞くと、それは単なる私の思い込みだった。表面上のことしか見れていなかった自分を
浅ましく思った。
東京は辛いね。どうしても人と比べてしまうから
自分の存在価値がわからなくなる。
でも私達はものすごく愛されてたし、
帰る場所があるねって。
そして次は私達がそれを受け継いでいこうねと
話しながら東京に帰った。
励まし合いながら一緒に頑張ろうと言ってくれる
妹のようないとこ。
祖母の死を通して、
私はこんなにも恵まれているんだと気づけた。
私は1人じゃないのだ。
鬱になってからは、孤独でいつも満たされなかった。
愛が欲しいといつも思っていた。
でももう充分すぎるくらい持っていた
祖母が家族を作ってくれたように、
次は私がこの幸せを受け継いでいきたいと思った。
そして、私は自分らしく生きていいのだ。
どんなことがあっても
それを受け入れてくれる家族がいる。
祖母の死が私に教えてくれたこと。
目に見えないけどいつも想ってくれてる。
帰る場所がある。
これからは大丈夫だと思った。
死にたいなんてもう思わない。
