普通の家に生まれなかっただけ
それが普通だと思って、生きてきた。
普通だと思っていた日常は、
誰かにとっては普通じゃなかった。
気づかないまま積み重なったものが
静かに人を壊していく。
ドアは、少しだけ開いていた。
閉めるタイミングが分からなかった。
中から音がする。
何かがぶつかる音と、聞いたことのない声。
笑っているのか、怒っているのかも分からない。
入っていいのかも、分からなかった。
私は、ただ立っていた。
床に、赤いものが落ちていた。
それが何か、考えないようにした。
分かってしまう気がしたから。
隣で、お姉ちゃんが先に泣き出した。
声を押し殺すみたいに、ぐちゃぐちゃに泣いていた。
それを見た瞬間、
自分がどうすればいいのか分からなくなった。
泣いていいのか、分からなかった。
怖がっていいのかも、分からなかった。
泣くのは、お姉ちゃんがやっているから。
私は、何も出さない方がいい気がした。
だから、やめた。
何も感じないことにした。
ドアの隙間から、ただ見ていた。
その時から、私はあまり泣かなくなった。
あの日から、それは特別なことじゃなくなった。
最初は体が固まっていたのに、
そのうち音で驚かなくなった。
何が起きているのか、ちゃんと見なくなった。
見ない方が楽だと分かったから。
お姉ちゃんは、前より早く泣くようになった。
私は、前より何も出さなくなった。
同じ家にいるのに、
それぞれ違うやり方でやり過ごしていた。
外に出ると、全部なかったことにした。
普通に話して、普通に笑った。
それが普通だと思っていた。
父がいなくなったのは、そのあとだった。
理由はちゃんと聞いていない。
聞かなくてもいい気がした。
もう、家の中で起きることに理由を求めるのはやめていたから。
外では、普通のふりをした。
でも、その“普通”は長く続かなかった。
引っ越しのたびに、名前を最初から覚え直された。
「どこから来たの?」と聞かれて、
答えるのが少しだけ面倒だった。
仲良くなりそうになると、また離れた。
だから、最初から深くならないようにした。
笑うタイミングだけ覚えて、
それ以上は出さないようにした。
気を遣うのは、家の中だけでよかったはずなのに、
外でも同じことをしていた。
いつの間にか、
どこにいても“本当の自分”を出す場所がなくなっていた。
帰り道は、いつも同じだった。
同じ道で、同じ景色で、
何も起きないはずだった。
でも、その日は少しだけ違った。
何もないのに、後ろが気になった。
誰もいないのは分かっているのに、
足音がついてきている気がした。
振り向く。
誰もいない。
また歩く。
少しして、また気になる。
また振り向く。
何もない。
それを何回か繰り返して、途中で気づいた。
「なんでこんなに気にしてるんだろう」
理由が見つからなかった。
怖いことが起きたわけでもないのに、
体だけが勝手に警戒していた。
その時、少しだけ思った。
自分は、どこかおかしくなっているのかもしれない。
原因は、一つじゃなかった。
ただ、気づかなかっただけだった。
これでも、普通と言えるのかは分からない。
でも私は、
それが普通だと思って、生きてきた。