メインコンテンツへスキップ
見出し画像

スリーミニッツ・マイヒーロー 第1話:赤いビジョン

    ビルの廊下は、夜みたいに暗かった。

    本当は、まだ夕方のはずだった。

    でも、窓はない。

    天井の蛍光灯は、じじっ、じじっ、と音を立てている。

    床には、古いチラシが何枚も落ちていた。細かいガラスの破片もある。

    踏むと、じゃり、と小さく鳴った。

    風見奏太(かざみそうた)は、ゆっくり息を吸った。

    ほこりっぽい。

    それから、何かすっぱいにおいがした。

    「奏太、止まるなよ」

    前を歩く秋津レン(あきつれん)が、軽く振り向いて言った。

    レンはいつも声が軽い。こういう場所でも、昼休みの廊下にいるみたいにしゃべる。

    でも、足音は軽くない。

    いつでも走り出せるように、つま先に力が入っている。

    「わかってる」

    奏太は答えた。

    声が少しかすれた。

    その後ろで、宍戸岳(ししどがく)が黙って周囲を見ていた。大きな体で、奏太の背中側をふさいでいる。

    水瀬結衣(みなせゆい)は、耳につけた小さな端末に指を当てていた。

    「音、少ないね」

    結衣が言った。

    「水の音だけ。奥の方」

    奏太はうなずいた。

    画像

    僕たち4人は、MIA(エム・アイ・エー)という組織の訓練生だ。

    そして今、C級ミミックの確認ミッションでここに来ている。

    ミミックというのは、正式には擬態種(ぎたいしゅ)という生物で、普段は人の姿に化けている。

    その擬態は完璧で、見破る方法はほぼない。

    人間社会に完全に溶け込んで、息をひそめている。

    でも、奴らの食料は僕たち「ヒト」だ。

    擬態をといた瞬間、怪物になる。

    人間よりずっと強い腕でつかみ、裂けた口で、こちらを食べようとする。

    そのことを考えると、足の裏が冷たくなった。

    廊下の奥に、人影があった。

    スーツ姿の男だった。

    画像

    普通の会社員みたいに見える。

    黒い上着。

    曲がったネクタイ。

    少しうつむいた顔。

    「いた」

    レンの声が低くなる。

    結衣が小さく息を止めた。

    男は、こちらを見ていなかった。

    顔は横を向いている。

    なのに、口元だけが、ゆっくり笑った。

    その瞬間。

    奏太の視界の端が、赤くにじんだ。

    絵の具を水に落としたみたいに、赤が広がる。

    心臓が、強く打った。

    ドクン。

    「赤……!」

    奏太は叫んだ。

    画像

    赤は危険。

    確実に、まずいことが起きる合図。

    でも、何が起きるかまではわからない。

    どこから来るのか。

    どれくらい危ないのか。

    そこまでは教えてくれない。

    奏太の「能力」は、こうして危険を知らせることだった。

    男の顔が、バチンと弾けて縦に裂けた。

    顔の真ん中に、黒いすき間が開く。

    その中に、白い歯が何列も並んでいた。

    目は片方だけ残っている。

    その目が、奏太を見た。

    「っ……!」

    奏太は後ろへ下がろうとした。

    足が動かなかった。

    ミミックの腕が伸びる。

    人間の腕ではない。

    関節が一つ多いみたいに曲がり、指先が長い爪になる。

    口が、猛烈なスピードで目の前に迫る。

    画像

    奏太は、自分の息が止まった音を聞いた。

    動け。

    動け。

    動けよ。

    頭の中で何度も言った。

    でも、体は動かなかった。

    「伏せろ、カナリア!」

    横から声が飛んだ。

    次の瞬間、レンが視界に入った。

    速い。

    画像

    床をけった音が、ひとつだけ聞こえた。

    レンの脚は、一瞬だけ人間の限界をこえて加速する。

    それが彼の「能力」だ。

    その勢いを乗せた蹴りを、みんなは「衝撃蹴り」と呼んでいた。

    レンのかかとが、ミミックの胴にめりこむ。

    画像

    ドガッ。

    重い音がした。

    ミミックの体が、廊下の壁にたたきつけられた。

    古い壁がへこむ。

    白い粉じんが、ばっと広がる。

    奏太はその場にしりもちをついた。

    ひざが笑っている。

    息が、うまく吸えない。

    また。

    また、守られた。

    「終わってない」

    結衣の声がした。

    さっきまでの軽い声ではない。

    「まだ動いてる。奥、右側」

    粉じんの向こうで、何かが床をひっかいた。

    ぎりり、と嫌な音。

    ミミックが立ち上がる。

    顔はさらに変形しもう、人間の面影はなかった。

    裂けた口の奥で、歯がこすれ合っている。

    「岳っ!」

    レンが叫ぶ。

    岳は返事をしなかった。

    ただ、奏太の前に出た。

    腕の皮膚が、灰色に変わる。

    石のように硬くなる。

    岳の「能力」は、体を硬くすることだった。

    ミミックの爪が、その腕にぶつかった。

    画像

    ガン、と金属みたいな音がした。

    岳の顔が少しゆがむ。

    それでも、下がらない。

    「奏太」

    岳が短く言った。

    「下がれ」

    わかっている。

    下がらなきゃいけない。

    でも、床に手をついたまま、奏太の体はこわばっていた。

    「奏太、後ろ!」

    結衣の声が耳に刺さった。

    その声で、やっと体が動いた。

    奏太は転ぶように横へ飛んだ。

    ミミックの腕が、さっきまで奏太の頭があった場所を通り過ぎる。

    爪の先が、頬をかすめた。

    熱い。

    遅れて、痛みが来た。

    血が一すじ、あごへ落ちる。

    ほんの小さな傷だ。

    でも奏太には、自分の首が飛んだみたいに感じた。

    「レン、右上段に打って!」

    結衣が言った。

    「岳、二歩だけ左。逃げ道ふさいで」

    「おう!」

    レンがもう一度走る。

    ミミックが飛びかかる。

    岳が受ける。

    その横から、レンの蹴りが入る。

    ミミックの体が曲がった。

    結衣は戦わない。

    でも、誰よりも周りを聞いていた。

    画像

    結衣の「能力」は、声や音を細くつないで、仲間の位置をつかむことだった。

    足音。

    息。

    爪が床をこする音。

    その音を拾って、みんなに短く伝える。

    奏太は壁にもたれたまま、それを見ていた。

    レンは速い。

    岳は硬い。

    結衣は冷静だ。

    みんな、自分の役目を持っている。

    奏太は赤いビジョンを見た。

    危険を知らせた。

    でも、その後が続かなかった。

    守る側になりたいのに。

    父さんみたいに、誰かの前に立ちたいのに。

    今の自分は、また守られている。

    「押し切る!」

    レンが叫んだ。

    三度目の踏みこみ。

    衝撃蹴りが、ミミックの胸に入った。

    同時に岳が肩からぶつかり、壁に押しつける。

    結衣が端末に指を当てる。

    「今。動き止まった」

    廊下の奥から、大人の隊員たちが走ってきた。

    黒い防護服。

    顔の半分を覆うマスク。

    その後は、早かった。

    拘束具がミミックの体に巻きつく。

    隊員の一人が、短く命令を出す。

    ミミックはまだ暴れた。

    でも、もう奏太たちの手を離れていた。

    「スクール生、後退」

    低い声がした。

    任務終了。

    そう言われても、奏太はすぐ立てなかった。

    床には、暴露痕(ばくろこん)という、黒っぽい液体が飛び散っていた。

    ミミックが正体を出した時に残る痕跡のようなものだ。

    回収班が無言で、それを小さな容器に入れていく。

    さっきまでスーツ姿の男だったものが、今は怪物として縛られている。

    そのことを考えると、胃のあたりが重くなった。

    「立てるか」

    岳が手を差し出した。

    岳の腕には、爪の跡があった。

    硬くしていたはずなのに、皮膚が裂けている。

    「ごめん」

    奏太は言った。

    「僕が、もっと早く」

    「立てるか」

    岳は同じ言葉をくり返した。

    責めているわけではない。

    それが、かえって苦しかった。

    奏太は岳の手をつかんだ。

    立ち上がった足は、まだ震えていた。


    MIAスクールの医務室は、白かった。

    白いカーテン。

    白いベッド。

    白いライト。

    さっきの廊下とは別の世界みたいだった。

    でも、消毒液のにおいが強すぎて、胸の奥が落ち着かない。

    レンはベッドの上で足首を冷やしていた。

    「いってー。あいつ、思ったより硬かったな」

    そう言いながら、顔は笑っている。

    無理に笑っているのか、本当に平気なのか、奏太にはわからない。

    岳は椅子に座って、腕の傷を縫われていた。

    針が入っても、ほとんど表情を変えない。

    結衣は端末に任務ログを打ちこんでいた。

    時々、奏太を見る。

    奏太はベッドの端に座っていた。

    頬の傷には、細いテープが貼られている。

    たいした傷ではない。

    本当に、たいした傷ではない。

    それなのに、手の震えが止まらなかった。

    「ビビりすぎだって、カナリア」

    レンが軽く言った。

    「赤いビジョン出たんだろ? 仕事はしたじゃん」

    悪気はない。

    たぶん、本当にそう思っている。

    でも、その言葉は奏太の胸に刺さった。

    カナリア。

    危ない時だけ、鳴く鳥。

    自分では戦えない。

    ただ、危ないと知らせるだけ。

    「レン、その言い方」

    結衣が顔を上げた。

    「あ、わり」

    レンは頭をかいた。

    「そういうつもりじゃなくてさ」

    「わかってる」

    奏太は笑おうとした。

    うまく笑えなかった。

    岳が、包帯を巻かれた腕を少し上げた。

    「生きてる」

    それだけ言った。

    岳なりの慰めだと、奏太にもわかった。

    生きている。

    たしかに、それは大事だ。

    任務では、生きて帰ることが一番大事だと、何度も教わった。

    でも、奏太の耳には、別の意味に聞こえた。

    生きているだけ。

    守られて、生き残っただけ。

    「奏太」

    結衣が、少しやわらかい声で言った。

    「息して。ゆっくり」

    奏太は、自分が浅く息をしていることに気づいた。

    吸う。

    吐く。

    また吸う。

    それだけのことが、ひどく難しかった。


    夜。

    消灯時間の少し前。

    奏太は自分のベッドで、赤いリストバンドを見ていた。

    炎のマークが入っている。

    父のものだった。

    父は、元MIAエージェントだった。

    奏太が七歳の時、任務で死んだ。

    MIAでは、そう珍しいことではない。

    そう大人たちは言った。

    でも、奏太にとっては、珍しいとか、珍しくないとか、そんな話ではなかった。

    父は、火炎の能力を持っていた。

    能力を使うと、全身が真っ赤に染まった。

    炎の中に立つ父の背中を、奏太は今でも覚えている。

    こわくなかった。

    その赤は、こわい赤ではなかった。

    誰かを守る赤だった。

    今日見た赤とは、ちがう。

    今日の赤は、危険の赤だった。

    逃げろと叫ぶ赤だった。

    それなのに、奏太は動けなかった。

    「強くならなきゃ」

    声に出した。

    思ったより、小さい声だった。

    自分でも情けないくらい、小さかった。

    でも、逃げたいとは思わなかった。

    もう任務に出たくないとは、思わなかった。

    こわい。

    こわいけれど。

    父のリストバンドを、奏太は強く握った。

    画像

    手の震えは、まだ少し残っていた。

    それでも、握った。

    その夜、目を閉じても、赤い視界だけが消えなかった。


     
     
    ヨマナイ出版は、読書が苦手な小中学生に「読めた!」を届ける小さな出版社です。1回10分のボリューム。でも本を読んだ達成感のある作品をつくります。第一作『スリーミニッツ・マイヒーロー』連載中

    あなたへのおすすめ