
【創作大賞2026応募作品】それでもまた、花を咲かせて
34歳。無職。貯金ゼロ。
わずか3ヶ月で終わった結婚生活。
人生のどん底。
ドラマの見出しのようなこの文字列は、6年前の私の人生の一部である。
2020年。世界中がパンデミックで大変だったあの頃。
私の世界も真っ暗で落ちるところまで落ちきっていた。
***
「30歳になったら起業する」
20代でそう心に決めて、訪れた2015年。
始めた時期が良かったのだろう。念願のフリーランス生活はすぐに軌道に乗り、毎日があっという間に過ぎていく。
充実した日々を送りながら、心と身体に少し余裕ができた翌年の某日。
ウォーキングレッスンの先生が、Facebookに筋トレ中の写真をアップしているのが目に留まり、俄然興味が湧いた。『ワクワクしたら即行動』で生きている私は、すぐに体験レッスンの予約を入れる。
そのジムこそが、のちに『人生のパートナーとなる人』との出逢いの場となることを、この時の私はまだ知る由もない。
体験レッスンで筋トレの魅力にハマった私は、即決で入会を決める。世はまさに筋トレ女子ブーム。せっかくだし何か目標を設定しようと考える。
そうだ。『ホノルルマラソン2017』に出場しよう。
完全に思いつきだった。
42.195km。気候も地形も日本とは違うハワイ。
さらに『サブ5(5時間以内にゴールすること)達成』なんて目標も加えた。ドMの本領発揮である。仕事仲間やジムのスタッフに決意表明し、身体づくりに励んでいる頃、担当トレーナーが退職することになり、新しいトレーナーを紹介される。
こんがり焼けた肌。澄み切った川の水のようなピュアな瞳。
「あぁ、あの俳優さんみたい。目に力があるなぁ」
なんて思いながら挨拶を交わし、話の流れで同県出身だと知る。
年齢は私より10歳も年下だ。
色んな意味でピチピチな新トレーナーのスパルタ指導に負けじと汗を流し、全身を強化するためにキックボクシングも追加で始めた。周りの友人からは「一体、どこに向かってんのさ?」とつっ込まれる始末。
しかし努力の甲斐あって、どんどん長く速く走れるようになり「このままホノルルまで頑張るぞ!」と思っていたら、新しいトレーナーも退職することになってしまった。実家の旅館経営が乏しく、再生させるために家業を継ぐことにしたらしい。
「亡くなったじいちゃんが築き上げた旅館を守りたいんです」
澄み切った瞳が、熱を灯して私を見つめていた。がむしゃらだった20代の頃の自分と重なる。
「いつか、泊まりに来てくださいね」
LINEとInstagramを交換して、彼はジムを去っていった。
そして迎えた2017年12月。
初のフルマラソンを無事完走し、サブ5も達成。清々しく2018年を迎え、近所の神社へ新年のご挨拶に行った。
「神様。2017年は仕事に趣味に、とても有意義な日々を過ごすことができました。今年のテーマは『愛』。一緒にいて心地の良い人とめぐり逢いたいと思っています」
挨拶というか『愛、見つけます宣言』だった。
同年の秋。小学生の頃から大ファンだった平成の歌姫が引退し、心にぽっかりと大きな穴が空いてしまった私は、この喪失感を何かで埋めたいと思っていた。そんな矢先に一通のLINEが届く。
「お久しぶりです。元気ですか?」
約2年ぶり。あの時のトレーナーからだった。
「遅ればせながら、ホノルルマラソン完走おめでとうございます」と変わらない真面目な彼の人柄が、文章から溢れ出ている。
「良ければ、お祝いがてら遊びに来ませんか?今ならまだ紅葉が綺麗です」
ワクワクした。きっと紅葉が私の心を癒してくれるに違いない。
すぐに荷造りを始めた。2泊3日分の荷物を持って向かうは、岐阜県飛騨高山のさらに奥。
『奥飛騨温泉郷』
高山バスセンターまで迎えに来てくれていた元トレーナーと、久々の再会を果たす。日焼けしていた肌はすっかり白くなっていたが、澄み切った川の水のような瞳は、あの頃のままだった。
旅館に向かう道中、観光名所である滝へ案内してもらい、ゆっくりと紅葉を楽しみながら散歩をした。燃えるようなさまざまな赤と水の音が、渇いた心を潤してくれた。
3日間、彼はずっと観光ガイドをしてくれた。
自然の中を巡り、飛騨牛を食べ、温泉に癒され、子どものようにはしゃぐ。旅はあっという間に終わってしまい、家路に向かうバスの中。
行きには無かった何かが、心の中で赤く染まり始めていた。
数日が経ち、元トレーナーからLINEが届いた。「会いたい」と。
戸惑いながらも、同じ気持ちでいた私は「いいよ」と返信する。
片道約4時間かけて、彼は私の住む街までやって来た。
映画を観て、少し早めの夕食をたらふく食べ、満足してお店を出た後。
急に彼がそわそわしだした。何かを言い出そうと緊張している様子。
180cm近くある筋肉男がモジモジしている。そっと後ろを振り返るようにして、バレないように笑った。
「あの、えっと…。俺と、付き合ってください」
透き通った瞳が揺れながら、真っ直ぐ私を見つめて言った。
「はい。私でよかったら」
初めて繋いだ手が、とても温かかった。
元トレーナーから恋人へ。これが私たちの始まりだった。
***
付き合い始めてからは、色んな事が瞬く間に進んでいった。
私は休日を使って旅館の仕事を手伝い、宿泊業の厳しさや楽しさを少しずつ学ぶようになった。紅葉した葉はすっかり落ち、厳しい奥飛騨の冬がすぐそこまで迫っている。
「この日から予定を空けてほしい」
どうやら、少し早いクリスマス旅行を計画しているようだ。
ずっと『自分の足で生きていく』と駆け抜けてきた私にとって、恋人と行く初めてのクリスマス旅行。オーナメントを飾りつけながら首を長くして待つ子どものように、私の心は舞い上がっていた。
旅行当日。行き先を内緒にされたまま、車は北西に向かって進んでいく。
寄り道をしながら着いた先は、石川県にある和倉温泉。なんだかすごい旅館に着いてしまった。検索するとそこは『プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選』において素晴らしい記録を樹立した日本最高峰の老舗旅館だった。
客室に入ると、一面オーシャンビューの景色が私たちを迎え入れてくれた。青い海と空を楽しんだのは束の間、私たちは隅々まで部屋の観察を開始する。
「半纏をこういうクリップで留めてかければ、畳む手間が省けるね」
「地域や旅館の歴史が分かる冊子が素敵っ」
「物の配置にも心遣いを感じる、流石だ」
写真フォルダの中は景色や2人のツーショットよりも、洗面台や茶箪笥の中などの写真で埋め尽くされた。
「景色は最高だけど、泉質は奥飛騨の勝ちかな…」
そんなことを考えながら水平線を見つめ、温泉で旅の疲れを癒した。
客室に戻ると、すでに夕食の支度が整っていた。
着物をピシっと着た年配の仲居さんが、にっこり笑って挨拶をしてくれる。
一目見ただけでベテランなのが伝わった。高級老舗旅館の接客ってどんなものなのだろうとドキドキしていたが、その仲居さんはとても気さくで温かく、夕食がより美味しく感じられた。
料理も終盤に差し掛かった頃、いきなり部屋の電気が全て消えた。
「えっ何?」と慌てていると、奥から仲居さんがケーキを持って現れた。
「お誕生日おめでとうございます」
なんと。少し早いバースデーをサプライズで準備してくれていたのだ。
しかも、私の一番好きなモンブラン。少し前に彼と好きなケーキの話をしていたことを思い出す。この日のためにこっそり聞き取りをしていたのだ。
ほろ酔いだった私の目から、ぽろぽろぽろと涙が溢れ出す。
そっか。旅行って、旅館って、こんなにも人の心を温かい気持ちに包んでくれるものなんだね。凄いお仕事だ。お客様との出逢いも、大切な人と過ごす時間も『一期一会』なんだ。
デザートもケーキもペロリと食べ終え、余韻に浸っていると、向かいに座っている彼が急にそわそわしだした。この姿、前にも見覚えがあるな。
意を決したように彼は立ち上がり、椅子を私の横に置いてきちんとした姿勢で座った。
「手紙を書いてきました」
彼は緊張すると敬語になる。
それが堪らなく可愛いのだが、「手紙?このご時世に?」彼の緊張が伝わり、私もつられて背筋をピンと伸ばす。
手紙からは彼の青さ、熱さ、一途さが感じとれた。晴れた朝の森のように清々しく、それでいてほんわかと温かい手紙だった。
「こんな僕ですが、結婚してください」
手紙に落としていた目をこちらに向け直し、彼は真っ直ぐ私に向かって言った。嘘も偽りもなく、等身大の彼の気持ちが伝わってくる。嬉しいに決まっているが、不安ももちろんある。
「私、10歳も上だよ?私の方が先に老いて皺くちゃになるんやよ?途中でやっぱり若い子が良かったなんて言ったら、ストレートアッパーだけじゃ済まんから。覚悟できとるの?」
お酒で饒舌になった私は、ロマンチックだったムードを一瞬で壊してしまうが、彼はニコニコ笑いながらそんな私も受け止めてくれる。
また、ぽろぽろぽろと涙が溢れる。彼はそっと優しく力強く、私を抱きしめてくれた。大好きな温もりと匂いだった。
旅行から帰った後、彼のお母さんとおばあちゃんに結婚の報告をした。
つい先日、宿泊して挨拶を交わしたばかりなのに。付き合い出してから結婚の報告までが急展開すぎる。認めてもらえるだろうか?可愛い一人息子の相手が、よりによって10歳も年上の女だなんて。
「うちの息子なんかの一体どこがええの?」
予想もしていなかった第一声に拍子抜けした。私の不安をよそに2人とも何も言わず、結婚を承諾してくれた。問題は私の父の方だった。
「私、結婚しようと思う」
「結婚!?相手はいくつ?何しとる人よ?」
「旅館の息子さん。私の10歳年下。格好良いよ」
「駄目や!お前に旅館の仕事が務まるわけないやろっ」
「もう決めたもん。私、もう今年で33歳やよ」
この歳になるまでの間、父にはだいぶ迷惑をかけてきた。型破りな性格の娘が、旅館の息子と結婚して働こうだなんて。ゆくゆくは女将になるということだ。転職ばかりしてきた娘に務まるわけがないと思っているのだろう。
しかしザ・昭和な父の中では、娘の年齢は結婚適齢期をとうに過ぎている。頑なに反対をしていた父は、渋々条件を出してきた。
「1年くらいお付き合いしながら働いてみなさい。結婚はそれから」
そう来たか。私が早々に音を上げて、泣いて帰ってくるとみてるな。
でも、確かにそうだよな。その通りだ。父の条件を呑むことにした私は、長年住んだ愛着のあるマンションに別れを告げ、今度は大荷物で奥飛騨へと向かった。
***
旅館での仕事は想像を遥かに超える忙しさだった。スタッフは私を含め9人。そのうち6人は全員シニア層だ。この人数で80弱ほど客室がある旅館を回すのは、至難の業。
尚且つ私が引っ越してきた時期は、毎日というほどバスツアーの団体予約が入っており、忙殺の日々。閑散期に有難い予約とは言えど、文字通り心を亡くしてしまいそうになり疲労困憊。
1日の始まりは朝の5時。温泉の温度チェックからだ。
それから朝食・チェックアウト・お見送り。その後はすぐに着替えて、清掃と今日の予約の準備。午後からはチェックイン・夕食・翌朝の準備をし、全ての片付けを終えたら会計処理と口コミの返信をして、業務終了。
長い1日がようやく終わる。時計の針は22時を回っていることが多かった。
1日の半分以上を仕事に費やす毎日。
弱音を吐く日もあるけれど「ありがとう。最高だったよ」と言ってくださるお客様の一言で、一瞬にして疲れが吹き飛んだ。
「心が安らぐ温もりのある旅館にしたい」
それが彼の口グセだった。
すきま時間をつくっては家族会議を開き、何度も改善や新しいチャレンジを模索する毎日が続く。
やっと休日だと思っても、やることは山積み。
次の予約の為に大量の仕入れや大浴場の大掃除、周辺の草むしりなどであっという間に日が暮れる。仕入れは隣の県まで車を走らせ、何軒も店を回る。もちろん大女将と女将も一緒。
心臓が半分の大きさになったようで、帰宅する頃には心まで疲弊していた。でもそれはお互い様。70代の大女将も頑張っているのだ。私も頑張らなければ。
体力仕事だけにとどまらず、人間関係も非常にややこしかった。
料理長は気に入らないことがあると怒鳴る・物に当たる・最終的には仕事を放棄するという瞬間湯沸かし器タイプ。
しかし、その難しい気質が料理の味と、見事な盛り付けを創り上げているのは紛れもない事実。非常に厄介だ。声をかけるだけでも精神を削がれた。
先輩仲居のおばあちゃんも気に食わないことがあると、質問しても聞こえているのにフル無視をかましてくる。なのに女将や大女将の前では良き先輩アピールをするから、その性根の悪さに何度も拳に力が入った。
「あぁ、思いっきりパンチをかましてやりてぇ」
キリキリしている私の心を察して、彼はムキムキな二の腕をすっと私の目の前に差し出してくる。遠慮なくパンチを入れると、テンションを上げて「良いねぇ、もっと来い!」と私以上にドMをかましてくる。これはかなり心が救われた。
しかし一緒に過ごす時間が長くなるほど、衝突は起きてくるものだ。
日々のルーティンを理解してきた頃、女将から経理を引き継いだ私は、数字を見てこれまでのどんぶり勘定な経営に唖然とする。
事前に経営がかなり傾いていることは聞いていた。V字回復するため力を合わせ、頑張ると決めてここに来たけれど。
ここまでの状況だったとは…。
とりあえず無駄な出費が多すぎる。時代が昭和のまま止まっているようだ。利益を出す方法を考える前に、削れるものをどんどん削らなければ。
きっと限られた時間と人数で、目の前の業務に手一杯だったのだろうな。
そう考えることにして気持ちを鎮める。しかし、脳が爆発しそうだ。
やる事と悩む事が一気に増え、この頃から一秒でも早く寝たいと思うようになり、食事を疎かにしてしまう日が増えていく。
そんな不安定な時に大事件は起きた。
事の発端は本当に些細なことで、配慮の無さと言葉が足りないことが引き金となり、大女将と私の長い冷戦状態が始まってしまったのだ。気まずい空気が流れる中、大女将の一言で私の堪忍袋の緒がブチンと切れる。
「アンタの喋り方が、そもそも嫌いやねん」
……は?
待てよ。それはもう、ただの悪口やんか。
一瞬でタガが外れてしまい、大粒の涙と一緒に今までの不満と、杜撰な経営に対してのストレスなどが吐き出されていく。
陰で「子どもがちゃんとできるのか」と大女将が漏らしていることを、私は知っている。歳の差があるからそう思われるのは致し方ないと思っていた。自分の仕事ぶりや日々の態度で認めてもらえるように頑張ろうと踏ん張っていたのに。
食の好みが全く合わないのも、文句ひとつ言わず我慢してきた。私は寿司はそんなに好きじゃない。魚介よりも肉・フルーツ・野菜が食べたいんだ。
お好み焼きばかり出てくるのだって、作ってもらえるだけで有難いと言い聞かせてきた。
もう止まらなかった。泣きすぎて言葉にするのもやっとで、ぐちゃぐちゃだった。私があまりにも泣くので大女将が折れて謝り、最終的に仲直りということで冷戦は幕を閉じた。
しかし、あの時の大女将の言葉を忘れることはどうしてもできなかった。
繁忙期の夏もトラブルやケンカがあったもののなんとか乗り越え、彼と再会した紅葉の季節を迎えようとしていた。「入籍するならこの日にしよう」と言っていた日が近づいている。約束した1年より早いけれど、深呼吸をして父に電話をかける。父は、半ば諦めたような声で結婚を認めてくれた。
両家顔合わせの日。婚姻届の記入を済まし、お礼を伝えようと父の方を見ると、目が赤く染まっていた。男手ひとつで私を育ててくれた大好きな父。
ありがとう。いつも心配かけてごめんね。
頑張るよ、私。
翌日、晴れて私たちは夫婦となった。
正式に旅館の若女将となったのだ。より一層、精進せねば。
そうこうしているうちに、年末が近づいてきた。
忙しくなればなるほど、心と体力が擦り切れていつもケンカになる。そうなるのは避けたい。短期の派遣スタッフや友人に声をかけて、人員を確保する。しかし、次から次へとトラブルはやってくる。
今度は料理長が体調不良という理由で、年越しを前に辞めると言い出したのだ。料理長レベルの新しい人をこの時期から見つけるという困難な状況に、家族全員で頭を抱える。
悩んだ末、新たな料理長は迎えず自分たちで厨房の仕事も担うことにした。料理長への給与払いも、もうかなり厳しい状況だったのだ。
支出は減ったが、私たちの労働時間はさらに増える。仕入れだけでなく、仕込みまでしなければいけない。真夜中に名物である朴葉味噌の仕込みをする時もあった。眠い目を擦りながら、火にかけた味噌が焦げないように混ぜ続けた。
「もう若女将なんだから、簡単に弱音を吐かないでね」
年越しの日。
夫のこの一言で、二度目のタガが外れた。
簡単に弱音など吐いた覚えはない。一緒に旅館を守るために、できる限り努力して踏ん張ってきたつもりだ。でもこのやり方ではいつかみんな共倒れしてしまう。年齢的に子どもだって生みたい。初めて結婚したいと思ったあなたとの子を。しかし年齢の差が優先順位の壁をつくる。
悪意のない言葉だったとは思う。みんな限界だった。女将や大女将のこれまでの努力に比べたら、確かに私は甘ったれだと思う。
それでも、これまでの私の全てをいとも簡単に踏みにじられたようで、我慢ならなかった。
仕事を途中で投げ出し、部屋に帰る。1人になりたかった。
気を紛らわそうとテレビの電源を入れると、毎年家族で見ていた年越しの音楽番組が流れてくる。
澄み切った川の水のような瞳の俳優が、画面越しにこちらを見つめて『まちがいさがし』を歌っている。
私は、選択をまちがえてしまったのだろうか…?
洗面台の鏡に映る自分の顔を見つめる。
酷い顔だ。頬がこけている。この一年でこんなに老け込んでいたのか。
美容院にも、もうずっと行けていない。キラキラしていたあの頃の自分が蘇る。顔を洗いながら眼に溜まった涙を一緒に流す。
夜遅く部屋に戻ってきた夫と一言も会話をせず、2020年は幕を開けた。
***
怒涛の年越し営業も終わり、遅い正月休みがやってきた。
1日中ベッドの上で読めていなかった本を開いて、自分だけの世界に浸りたかったが、夫が出掛けようと言い出し渋々準備をする。
せっかくの年始初デートだし、しっかりメイクして気分を上げていこう。
「ねぇ、まだ準備かかるの?」
もう色々と駄目だった。こんな一言でも、もう気持ちの制御ができなくなってしまっていた。帰宅した時のためにストーブの灯油を入れておくとか、軽く掃除をするとか、待ち時間にできることはたくさんある。
「もう、無理。出掛けない。私、実家に帰る」
ケンカが増えていく日々にも、仕事もプライベートもずっと一緒にいるこの状況にも、もう絶えられなくなっていた。夫はいつものように、すぐにこの状況を女将に伝えに行く。
仕事で嫌な思いをした時も、大女将とケンカした時だって父には決して言わなかった。心配をかけたくなかったし「ほらみろ」と言われるのも悔しかったから。それなのに、夫ときたらどうだ。私がああだこうだ言っていたと、何でもかんでも女将に話す癖をやめてと言っても全く直らない。
荷物をまとめながら、父に電話をかける。
入籍して日も浅いのに、怒るだろうな。帰ってくるなって言われるかな…。
「もしもし」
「パパ…ごめん…。私、そっちに帰ってもいいかな…?」
父の声を聞いた途端、涙が止まらなかった。
父は「すぐに帰ってこい」とだけ言い、何も怒らなかった。
急いで高速バスの予約を取り、荷造りを続けていると女将がやってきた。
女将は12月分の給与と言って10万円を私に渡してきた。あの激務を時給に換算したら、一体いくらになるのだろうか。
籍を入れた後も、変わらず私のことを旧姓で呼び続けた女将。見えない壁がひんやりとそこにも存在した。その壁を壊すほどのパンチは、もう持ち合わせていなかった。
降車するバス停が窓から見えた時、そこに父の姿があった。
「パパ……ごめんね……」
何も言わず車を走らせる父の優しさに身を委ねながら、家路につく。
家に着いた頃、夫から「ごめん」とLINEが入っていたが、そっとスマホの電源を切った。ずっと張り詰めていた気持ちを実家の懐かしい匂いがするりと緩めてくれ、深い眠りへと導いてくれた。
「ほら、飯を食え」
カレーライスだ。スプーンを差し出してくれる父の変わらない手。
泣き腫らした目から新しい涙が溢れる。
「お前、このままじゃお母さんみたいに死んでまうぞ」
頬のこけた私の顔が、病室で苦しんでいた母の顔と似ていたのだろうか。
父が旅館の仕事を反対していたのは、私の身体や性格が母と似ていることも関係したのかもしれない。自分の体のことを顧みず、家族のために頑張りすぎる母だった。
「お父の最大の失敗は、お母さんを死なせてしまったこと。もう同じ失敗をするわけにはいかない」
まさか。父がそんな風に思っていたなんて。
今まで一度も聞いたことがなかった。
ごめん。心配かけて、本当にごめんなさい…。
こんな娘で、ごめんなさい。
食欲なんて全然無かったけど、カレーを頬張った。子どもの頃と変わらない父の味だった。
逃げるようにして帰ってきた私を、責める人は誰もいなかった。
いつも厳しい姉も「手遅れになる前に逃げてこられて良かった」と優しい言葉で抱きしめてくれた。
ボロくて汚くて恥ずかしくて、友達も呼べない実家が大嫌いだった。
大人になったら絶対にここから出て、理想の生活を送ることが原動力になっていたのに。帰る場所があること、変わらず待っていてくれる家族がいることが、こんなにも有難いことなのだと今更ながらに気づく。
数日して、夫と女将が実家までやってきた。
まだ、会いたくはない。心が話せる状態ではなかった。怖くて布団にうずくまっている私のことを思ってか、父はずっと外で話をしてくれた。
「今の状態の娘をそちらへ帰すことはできません」
父はどんな状況でも決して人を傷つけるような物言いはしない。もう何日も泣き続けているのに、涙は止まることを知らない。
どれくらい話していただろうか。父が家の中に入ってきて、私に一枚の紙を差し出す。
離婚届だった。
もう戻ってくるつもりがないなら、これで終わりという意味だろうか。
それとも過酷な環境から解き放ってくれようとする最後の優しさなのか。
入籍をしてから3ヶ月。
たった一枚の紙切れが、私たちの終わりを告げる。なんともあっけないものだった。
仕事も愛した人も一瞬にして失くしてしまった。空っぽだ。
こんなの生きている意味があるのだろうか。考え出すと気持ちがどんどん深いところへ沈んでいく。新しい一歩を踏み出す気持ちも場所も、全く生まれてこない。私は完全に枯れてしまった。
同時に世界までも歩みを止める。新型のウイルスが猛威を振るい、日本でも不要不急の外出禁止。この状況が、一人置き去りにされてしまった私の孤独感を少しだけ軽くしていた。未曾有の事態だというのに、ホッとしてしまう自分に嫌気がさす。
どこまで最低な人間なんだ、私は。
毎日、自分を責める日々が続く。夢にも元夫が現れる。起きたと思ったらいきなり泣き出す私を、父は1人にしまいとずっとそばにいてくれた。
一緒に生きていきたいと思えた人との未来も築けなかった。
途中で投げ出して逃げてしまった。私は何をやっているんだ。
このままでは駄目だ。立ち上がらなきゃ。歩き出さなきゃいけないのに。
答えの出ない自問自答を繰り返し、心ばかりが焦る毎日だった。でも家族や友達がいつも寄り添ってくれた。特別なことは何もなく、ただいつも通りに他愛もないことをリモートでたくさん話した。
不思議だ。時が経つほどに傷ついた心は少しずつ回復していく。
そうだ。何もないなら、何かを見つける旅に出てみるのはどうだろうか。
まずは、一歩。とにかく足を動かせば、何かに出逢えるかもしれない。
パソコンを開いた私の目に、もう涙は流れてこなかった。
心をちぎられ、地面に押し潰されても根はちゃんと生きていた。
ふかふかの土に守られ、温かい太陽に照らされて、降り続いた雨さえも恵みに変え、何度も力強く咲く一輪の花のように。
あの日。
私は貴方と再会して、一緒に旅に出た。長いようで一瞬だった儚い旅。
いつか、あの日々を懐かしく愛しく思える日がきっとやって来る。
心の底からあなたを愛せたことに「ありがとう」と言える日が。
生きている限り、また嵐の日もやってくるだろう。
でも、大丈夫。
それでもまた時間をかけて、私だけの花を咲かせてみせる。