
真っ当な大人になった証明のごとき東京駅の手土産【歌人・文筆家・上坂あゆ美さん エッセイ】
ヨックモック公式noteでは、お菓子を食べる時間をもっと豊かにしてくれるエッセイシリーズ「おかしな物語 by ヨックモック」をお届けしています!
今回のゲストは、歌人・文筆家の上坂あゆ美さん。
2022年2月に第一歌集『老人ホームで死ぬほどモテたい』でデビュー後、エッセイ『地球と書いて〈ほし〉って読むな』、Podcast番組『私より先に丁寧に暮らすな』のパーソナリティなど、短歌のみならずエッセイ、ラジオ、演劇など広く活動されています。
ひとつのお菓子のまわりにあるエピソード、上坂さんから届いたエッセイを皆様にもお裾分け! どうぞお楽しみください。
2023年の春。草花を根から腐らせるような冷たい雨が、前日から降り続いている。
新型ウイルスの流行によって、一旦フィリピン・マニラで葬られていた父の骨が、1年経ってようやく日本に届いたと連絡を受けた。父の姉である叔母からだ。線香だけでもあげに来ないかとのことで、本当に久しぶりに叔母に会うことになった。叔母に最後に会ったのは小学生のときだったので、約20年ぶりの再会になる。
父は、危うい人だった。ありとあらゆる問題を起こし、その尻拭いはすべて母にいった。わたしが15歳になる頃に両親は離婚、父はすぐマニラに移住して、わたしは彼と一切の連絡を取ることがなくなった。
そうしてわたしが30歳になった春、父は異国の地で亡くなった。父がマニラで三度目の結婚をしていたということは、相続放棄手続きの書類で知った。
わたしはずっと、彼のことを嫌いなのだと思っていた。母を苦しませた父のことが大嫌いだ、わたしが今貧乏でこんなにも不幸なのは父のせいなんだというストーリーを作り、父を仮想敵として生きるほうが楽だったから。人はアンビバレントな感情を持ち続けると辛いから、ついわかりやすいストーリーに流れてしまう。
でも大人になって冷静に考えてみると、良くも悪くも、父はわたしに対して危害を加えたことはなかった。基本出かけていて家にいないときのほうが多かったのだが、たまに家にいるときは、子どもに対してとても優しかった。なんの根拠も具体性もなく「とにかく可愛い」「天才だ」とか言われていた気がする。もっと勉強しろとか、だからお前は駄目なんだとか言われたこともないし、何かの進路を強制されたこともない。小学4年生のわたしがモーニング娘。に憧れてオーディションに応募したときは、「あゆなら絶対になれる!」と言った。一次で落ちた。それを伝えたら「おっかしいな〜」と言っていた。まあ、子育てや教育のすべては母が担っていたため、片手間で可愛がられていただけだとも思う。すがすがしいほど適当に、無責任に、愛されていた。

父は、結婚相手としては最悪で最低である。でも、父としては、一個人としては、どうだろう。わたしは、本当は父のことをどう思っているんだろう。
父は末っ子で、姉弟(きょうだい)で唯一の男性だったことから、家族から相当可愛がられて育った。父と母が離婚するとき、そのすべては父のせいなのに、叔母はわたしの母を激しく糾弾したらしい。そんな叔母に久しぶりに会うとなって、わたしは「真っ当な大人になって幸せに暮らしているんだな」とみなされたい、と強く思った。母の顔に泥を塗りたくないという気持ちも多少あるけど、わたしがわたし自身のために、可哀想な子だなんて絶対に思われたくない。それに、親族がごたついたことなんか取るに足らない、わたしの人生に一切の影響を及ぼしていない、そのように振る舞うことができたら、仏壇の向こうにいるであろう父へのかすかな復讐にもなるかもしれない。
そういうわけで、新幹線乗車時刻の30分前に東京駅に着き、手土産を物色する。「真っ当な大人になった」と思われるために、手土産は欠かせないだろう。どれを買えば一番真っ当な大人っぽいだろうか。相手の家族構成や現在の状況がわからないから、生ものよりも日持ちするもので、量は多過ぎず少な過ぎず、浮ついた新商品よりは、万人に愛される老舗の格があるといい。

色々と見て回ったのち、ヨックモックのシガールとクッキー詰め合わせを選んだ。かつて営業職で外回りをしていた経験がこんなところで活きるとは。たぶん完璧、だと思う。
会ったらまず挨拶と、天気の話などをしよう。家に着いたらお邪魔します、と相手に聞こえるように発声する。玄関に入ったら自分の靴を揃える。荷物を置いたら、流行病のこともあるので洗面台お借りしますねといって手洗いうがいをする。場が落ち着いたら手土産を差し出して……大丈夫。今のわたしなら大丈夫。そんなことを考えていたらあっという間に目的地に着いた。10代の頃は果てしなく遠いと思っていた東京−三島間は、実は1時間もかからなかった。

到着連絡を受けた叔母は、雨のなか傘を差して外で待っていた。気が強いイメージがあった叔母が、今日は随分としおらしい人に見える。20年ぶりなのだから当たり前だろうか。挨拶もそこそこに早速奥の仏間に通される(わたしの考えていた“真っ当な大人計画”は、散々シミュレーションしたのに緊張して小声でぼそぼそ言う感じになってしまいなあなあになった。手土産はギリ渡した)。部屋を二つの仏壇がかなり圧迫しており、それはわたしの祖父と祖母のもので、そこに父の写真も一緒に飾ってある。
これこれ、と言って叔母が指さしたのは、見るからに重厚そうな、ずんぐりと丸い陶器の壺。表面には異国の言葉で何かが書いてある。きっとこれが、フィリピン式の骨壷なのだろう。この中に父が、父の骨が、入っている。抱きかかえてみた。
幼かったわたしが父とハグをするとき、大抵父が先に両手を広げて、わたしがそこに収まりにいく形のハグだった。自ら父を抱いたのは、そういえば生まれて初めてなのかもしれない。わたしはあまり、泣きも甘えもしない子どもだったから。ずっしりと重いけれど、父はわたしの膝にすっぽり収まった。壺の表面を撫でてみる。中身は、なんとなく見なかった。
線香をあげ終わると、居間で叔母がお茶を出してくれた。わたしが買ってきた手土産も一緒に。身の上話をする流れになって、今どこに住んでいるか、なんの仕事をしているかなど話した。叔母夫婦はかつてこの近くでラーメン屋を営んでいたのだけど、今はもう辞めて二人でゆっくり暮らしているらしい。幼かったわたしは彼女のことを「ラーメンおばちゃん」と呼んでいて、今の彼女をなんて呼べばいいかわからず、もごもごと二人称を使わない感じで話した。互いに沈黙が少し気まずくなって、クッキーをつまむ。「これ美味しいね。ありがとう」と叔母が言ってくれて、わたしもすごく美味しいと思っているけど、「いえいえ」と返すほかなく、再び沈黙がきた。クッキーは、まだまだぎっしり詰まっている。
叔母はふと奥の部屋に駆けていき、たくさんのアルバムや写真の束を持って戻ってきた。中を開くと、そのすべてがわたしたちの写真だった。叔母が同席していない場面も多くあったから、これは父が所持していたものなのかもしれない。

久しぶりに父の顔をじっくりと見る。父は今見てもとてもお洒落で、顔が良くて、立ち姿が俳優のように決まっている。これで人当たりがよく褒め上手なのだからそりゃあモテますよね、と自分の親を客観的に見て思う。
ページをめくる。ディズニーランドで遊んでいる写真。誰かの結婚式でご飯を食べている写真。姉の七五三の写真。親族で行った沖縄の写真。わたしが小学生になる前のものばかりだ。この頃はまだ父親が仕事を熱心にしていてお金もあったし、両親の仲もそこまで悪くなかった。あの家で経験したすべてのことが最悪だと思っていたけど、確かに幸せだった頃が、我が家にもあったらしかった。そして写真の中の父は、とても愛おしそうに、わたしと姉のことを見つめていた。
「本当に、大きくなったねえ。あゆちゃんはすごく人見知りで大人しくて、パパやママの後ろに隠れて全然話してくれなかったけど、こんな立派になって」
写真と見比べながら、叔母がわたしにそう言った。
そうだ。わたしは頑張って生きてきたんだ。"真っ当な大人"かどうかはわからないけど、自分の足で立って、自分の頭で考えて、学んで、働いて、どうにもならない夜をたくさん乗り越えてきたのだ。
夜空のような色をしたクッキー缶が、居間の蛍光灯を受けて白くひかった。
叔母はわたしに地元のお菓子を持たせて、最後まで丁寧に見送ってくれた。わたしの乗った車がずいぶん進んでも、遠くに傘を持って軒先に立つ叔母が見えた。
骨を抱いてみても、線香をあげてみても、結局自分が父のことをどう思っているかはよくわからなかった。それでも、今日来ることにしてよかった。叔母と、骨になった父と一緒にお菓子を食べる時間があって、本当によかったと思う。
天気予報によれば、雨はそろそろ止むらしい。
【プロフィール】上坂あゆ美
1991年生まれ、静岡県出身。
歌人・文筆家。著書に、短歌集『老人ホームで死ぬほどモテたい』(書肆侃侃房)、エッセイ集『地球と書いて〈ほし〉って読むな』(文藝春秋)、往復書簡『友達じゃないかもしれない』(中央公論新社)など、多数。
Podcast番組「私より先に丁寧に暮らすな」のパーソナリティも務め、短歌のみならずエッセイ、ラジオ、演劇など広く活動。
Instagramアカウント▶▶▶https://www.instagram.com/aymuesk/?hl=ja
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「おかしな物語 by ヨックモック」の第2回、いかがでしたか?
大人になるって、何だろう。と考える瞬間に、まだ大人になれていないのかな、と感じる自分がいますが、読み終えた後、なんだか背中を押してもらえるような気持ちになりました。
ぜひ、皆さんもお菓子を片手に、思い出をふと振り返ってみるのも良いですね。
ヨックモックの公式Podcast版「ヨックモックpresents おかしなおしゃべり」でも、上坂さんをゲストにさまざまなお話をお伺いしています。テキストとあわせて、ぜひ聞いてみてくださいね!
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(おわり)
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