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【創作】マネージャー採用試験で失敗した私が、本当に大切なことを見つける話【カミカン一擲編#2】


    前回までのあらすじ

    地元企業で事務として働いている西えり。
    彼女は、推しバンド・カミンカンラの音楽に救われていた。

    ある日、そのバンドがマネージャーの募集をかける。
    未経験者も可。

    「あの人の支えになりたい。なってしまいたい」

    そうして無謀にも挑んだ西は、書類選考、一次面接、二次面接をどうにか勝ち抜いていく。
    一方、カミンカンラ側では、二次面接を終え、大本命だった三木と荒田の最終面接進出を確定させていた。

    しかし、その直後。
    三木から、突如として採用辞退の連絡が届く。

    彼からの指摘を受け、カミンカンラは面接体制を立て直す。
    だが、結果として、最終面接に残ったのは、業界経験者の荒田と、未経験者の西。
    ヤソ自身が面接官となる最終面接。西は、ヤソに必要な人間だと示せるのか。

    そして、失敗した彼女が、本当に見つけた大切なこととは?

    キックオフ、キックアウト。

    おことわり

    • 本作品は「一擲」の後編にあたる作品ですが、前編や関連エピソードを未読でも全く問題なく楽しめるよう作成しています。前編は下記リンクから。

    • 本作品は、ChatGPT等のAIツールおよび人力によるネットリサーチを軸に、細心の注意を払って人力で作成しましたが、内容に誤りを含む可能性があります。あらかじめご了承ください。

    • 末尾にて、参考にさせていただいた記事や動画等をまとめています。この場を借りてお礼申し上げます。

    • 当作品はフィクションです。

    • わかりやすさや物語の没入感を重視するため、実在するアーティスト様、楽曲名、ウェブサービス名、番組ジャンル等が登場する場合がありますが、各権利者様・関係者様とは一切関係がありません。また、著作権に配慮し、歌詞の直接引用等は行っておりません。

    • 諸事情により、非実在の施設名、あるいは現状とやや乖離した施設が出る可能性があります。

    • その他、実在の人物・団体・事件等とは基本的に関係がありません。

    • 本編には、ハラスメントやプライバシー侵害、それに類する不快な行為への言及・描写が含まれますが、それらの行為を肯定・助長する意図は一切ありません。

    • PhotoAC様、CHARAT様、かんたん似顔絵様(https://charat.me/portrait/)の素材などを使わせていただきました。

    • 作中の表現はあくまでフィクション上のイメージであり、実在のお守りや縁起物を毀損することを推奨したり軽視したりする意図はありません。また、そうした点を考慮し、お守りの画像はAIで生成した架空のものを使っています。

    登場人物・設定

    西えり
    熊本県在住の22歳。地元製造系企業で事務職として働いている。
    カミンカンラの古参ファンであり、今回のマネージャー募集に未経験ながら応募した。
    真面目で、事務職における実務能力は高いが、マネージャー経験や業界経験はない。

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    荒田修次郎
    都内在住の27歳。本人曰く、現役の芸能事務所マネージャー。
    業界経験ありのため、カミンカンラ側から有力候補と見られている。

    三木理人
    都内在住の30歳。
    本人曰く、現在は一度仕事から距離を置いている元コンサルタント。
    実務能力は高そうで、当初は大本命候補だった。
    しかし、カミンカンラ側の面接体制に不安を覚え、採用を辞退するメールを送った。

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    カミンカンラ(Kami'n'Kan-Ra)
    カバー曲を週2ペースで投稿するネット発の音楽集団。YouTubeの登録者数は3万人。
    インディペンデント型(独立型)のため、実務や動画投稿、外部対応などもメンバーが行っている。

    神尾ヤソ
    175cm。カミンカンラのリーダー。ギターボーカル。
    活動拡大により業務が集中し、心身に疲労が溜まっている。
    今回の最終面接では、彼女自ら面接官を務める。

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    星野カン
    180cm。カミンカンラのメンバー。シンセベーシスト兼マルチプレイヤー。
    書類選考や一次面接を担当した。
    軽口は多いが、候補者を見る目は意外と鋭い。

    空入エルム
    162cm。カミンカンラのメンバー。人気配信者で、ドラマー。
    彼は、今回の採用では直接の面接官ではない。

    相沢マコト
    186cm。カミンカンラのメンバー。家事や生活面を支える兄貴分。
    今回の採用では、面接官の一人として候補者を見ている。

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    シェアハウス
    練馬区西側の大型家屋で、神尾ヤソの持ち家。
    鉄筋コンクリート製で、1FのLDKや地階のスタジオが存在する。
    ヤソの他にも相沢マコト、空入エルムが居住している。
    また、星野カンなどが宿泊することもある。
    事務所やスタジオを兼ねている。
    そうしたシェアハウスの存在についてはメンバーたちの秘密である。

    3章 ご健闘をお祈りします。

    採用4日目、12:40。東京、アパート。

    都心からやや離れた、軽量鉄骨造のアパート。
    3階の居室で、三木はゆっくりとスクワットをしている。

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    彼は、30分ほど前に、カミンカンラに採用辞退メールを送ったばかりだった。

    ミミミ

    三木は1か月前まで、中小企業のコンサルタントをしていた。
    だが、自分だけが改善できる範囲には限度があった。
    その限度を何度も見た。
    熱意も、燃え尽きてしまえば何もなくなった。

    そこで、いったん仕事をやめて、俗っぽく自分探しをしていた。
    その折、流れてきたのがあの募集ツイートだった。

    危ない職場だ。久しぶりにそう思った。

    改善したい、とにかく改善したい。食指が動きかける。

    だが、採用辞退の決め手は、2次面接における情報のごく小規模な漏洩だった。
    氏名や評価欄の一部。致命的ではない。だが、見えてはいけないものだった。

    実は、採用側たちは気づいていなかったが、自分の面接時に、他の候補者の情報が間違って映ってしまっていた。何度も。

    改善などという段階ではない。苦渋の決断だった。

    ミミミ
    三木「うおおおお」
    この時期の冷水シャワーはなかなかに堪えた。

    髪をドライヤーで乾かし、部屋着を着直す。
    ディスプレイを見ると、メールが増えていた。

    ミミミ

    三木理人 様

    相沢です。
    このたびはこちらの不手際で不安を与えてしまい、申し訳ありませんでした。
    組織体制や情報管理が未熟なことは、言い訳のしようがありません。
    私たちの責任です。
    いただいたご指摘は、必ず共有させていただきます。
    このたびは、貴重なお時間をいただき、本当にありがとうございました。
    また、この度のご無礼をお許しください。
    大変おこがましい発言で恐縮ですが、今後、三木さんがご活躍されることを願ってやみません。

    相沢 誠

    三木は、返信を読み返した。

    若い。未熟だ。危ない。
    だが、どこか誠実だ。

    ため息を吐く。
    もう関わるべきではない。
    そう思った。

    そう思ってはいるのに、

    返信メールを打つ手が止まらなかった。

    三木です。
    相沢さんになら、伝えてもいいでしょう。
    差し出がましいことを承知で、今後の面接について、助言をさせていただきます。
    一、候補者に見せる情報と、見せない情報を分けてください。
    二、業務内容は、綺麗に見せず、実態に近い形で伝えてください。
    三、採用するかどうかだけでなく、相手がこちらを選ぶかどうかも見てください。

    特に三は重要です。
    採用後に想定との違いが大きければ、早期離脱や不信につながります。
    いま必要なのは、皆さまをよく見せることではなく、実態を理解した上で残る人を見極めることだと思います。

    相沢さんご本人の対応は、誠実なものだと感じました。
    だからこそ、申し上げています。

    そして

    健闘をお祈りします。

    で、終わらずに

    もし他に何かあれば、要点をまとめてくれれば対処します。

    とまで送ってしまった。

    4章 お手柔らかに

    採用4日目、13:00。東京、シェアハウス。

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    マコト「……見せる情報と、見せない情報を分ける」
    カン「普通だね」
    マコト「その普通が、できてなかったんだろ」
    ヤソ「やる」

    そして、マコトが下書きを書き上げ、ヤソを中心にもう一度確認した。
    最後に三木へ確認を依頼したところ、
    修正案を2か所ぶん提示され、「これらを修正すればいけます。」とだけ返ってきた。

    そうして出来上がった文言。その一部を抜粋する。

    現在、活動規模の拡大に対して、運営体制が追いついておりません。
    業務はスケジュール管理だけでなく、家事・連絡・経理補助・制作進行・外部調整・情報管理の立て直しを含む可能性があります。
    現時点では、一般企業のように整備された職場環境ではありません。
    その点をご理解のうえ、最終面接への参加可否をご判断ください。

    まず、上記文言を最終面接の候補者である西と荒田に送付。

    また、最終面接に進ませる予定だった候補者が3人から2人に減ったため、その穴埋めとして、2次面接でいったん落とした3人に繰り上げの文言を入れて、上記文言を送付した。

    返答は、全体的に微妙なものだった。

    荒田「問題ございません。そのような職場はむしろ大歓迎です。綺麗ごとだけでは回りませんから。」
    堂島「想定していた業務範囲と異なるため辞退します。」
    須恵「現職との調整が難しいため辞退します。」
    濃飛「活動は応援しております。貴重な時間を戴きありがとうございました。」
    西「教えていただきありがとうございます。もし採用いただけたなら、微力を尽くして頑張ります。」

    最終面接者は、再び2人まで減った。
    カン「まあこんなもんか。」

    ミミミ

    対面での実地面接の場所は、本来なら外部会議室などを借りるべきだっただろう。

    しかし、それらはどこも予約で埋まってしまっていた。
    また、ヤソの体調が芳しくなかった。
    さらに、内情を見せる、という意味でも、シェアハウス内のほうが良いと判断した。
    その判断が正しかったのかどうかは、その時はまだ誰にも判っていなかった。

    2人の候補者に聞いたところ、都内在住の荒田はいつでも良いとのことだった。
    西は熊本在住だった。
    最終面接のスケジュールを打診したところ、明後日、採用開始7日後の13:40までなら、始発に乗れば間に合うとのことだった。

    ミミミ
    採用開始6日目。19時ごろ、熊本、西家。
    マットレスの上で西は思った。眠れない。

    今日は早く寝なければならない。
    明日は4時に起きるのだから。

    最終面接は明日。始発で熊本駅を出ないといけない。
    遅れてもいいとは言ってくれたが、迷惑をかけるなんてもっての外だ。

    …ちょっと水を。

    ミミミ

    台所に入ると、帰ってきたばかりの父が、薄水色の作業服のまま、晩酌を始めている。
    テレビでは、豆知識系のバラエティ番組が流れていた。

    父「おお。起きとったか。えり。」
    西「おかえり。」

    父「明日、東京やろ。はよ寝らんば」

    西「うん。寝ようとはしてる」
    父「寝ようとして寝られるなら、苦労せんたい」

    少し笑った。
    西は、コップに水を注いだ。

    その間、TVではサッカー特集をやっていた。
    時折、原曲のKing GnuのStardomが流れている。
    いや、原曲版などとそれを呼ぶほど、カミカンのカバー曲が大層なものかといえば、すみませんと言うしかないのだが。

    画面に映ったマスコットキャラクターが、ヘリウムガスを吸ったような声で言った。
    マスコットキャラクター「ジャイアントキリングのジャイアントって、なーに?」

    その問いかけを起点として、TVの解説が始まった。
    ジャイアントにはいくつかの説があるとのことだった。
    1つ目は旧約聖書に登場する人物のゴリアテ。
    ダビデが投げた石が直撃して倒された。

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    画像:Osmar Schindler『David and Goliath』(1888)/ Public Domain / Wikimedia Commons

    父「おお。かっこよかね。やっぱ、燃えるばい」

    2つ目はジャックと豆の木、ではなく、その元になった「ジャイアントキラーのジャック」。イギリスの民話の人物とのこと。
    ジャックは頭が回る男で、例えば城に閉じ込められたところから、ロープで巨人の首を吊って倒したのだった。

    3つ目になってようやく「ジャックと豆の木」だった。
    豆の木を伝って降りてくる巨人。ジャックは豆の木を切り倒して、巨人を転落させて倒した。

    父「ほー。石投げて、紐ばかけて、足場ば崩す」
    西「……うん」
    父「強いやつ相手に、真ん前から殴り合わんでもよかっちゅうことたいね」

    父は笑い、また焼酎を飲んだ。

    西は、テレビを見た。
    画面の中では、スペイン戦のゴールシーンが流れている。

    自分には、何もないと思っていた。

    業界経験もない。肩書もない。東京の人間でもない。
    自分以外の候補者がどれだけいるのかは知らないが、
    きっと自分よりずっと立派な人たちなのだろう。

    なら、正面から殴り合っても勝てない。

    父「えり。」
    西「…なに?」

    父「負けても、帰ってくればよか」
    西は、少しだけ眉を寄せた。
    西「負ける前提?」

    父「勝つ前提で行って、帰る場所もある。そんくらいがよかろ」
    父「負けて得られるものもある。」

    西は、目線を下にやって思った。負けたら、何を持って帰れるのだろう。
    父は、テレビを見たまま言った。

    父「まあ、石でも紐でも、なんでも持っていけ。」
    西「お父さん!物騒。」
    父「たとえ話たい、」

    父「頑張れ。えり」

    西は小さく笑った。

    ミミミミミ

    採用開始7日目、12時ごろ。東京駅。
    西は、パンツスタイルのリクルートスーツ、ベージュのトレンチコートという出で立ちだった。
    熊本駅から博多駅、そして博多駅から東京駅に到着。
    新幹線を乗り継いで、ようやくここまで来た。

    東京駅に到着する前に、駅構内の地図を頭の中に叩き込んでおいた。
    そのおかげで、なんとか池袋方面の電車に乗り込めた。

    目的地までは、さらにもう2つ電車を乗り継いで、練馬区西側にある大泉学園駅まで行く必要がある。

    身体はやや疲れているが、頭はまだ回るだろう。

    仮にこのあと不合格になったとしても、ハンデを言い訳にするつもりは毛頭なかった。
    不合格になるつもりはもっとなかった。

    ミミミ

    採用開始7日目、13:40。東京・練馬のシェアハウス。

    リビングには、すでに荒田が通されていた。
    明るいグレーのスリーピーススーツ。
    同素材のジャケット、ベスト、スラックスで揃えた、隙のない服装だった。

    荒田「しかし、実際に見るとかっこいいですね、相沢さん。」
    荒田「これからも、できるだけ対面で、そう」
    荒田「Face to Face でやりとりを続けていきたいですね。合格したら、近くにいられるよう頑張りますよ!」

    マコトは笑った。やはりこの人しかいない、と。

    インターホンの音。マコトが出ていく。

    ミミミ

    リビング。西が通された。
    西「西です。本日は、よろしくお願いします。」
    深々と頭を下げた。

    荒田「こちらこそよろしくお願いします。」
    荒田「お手柔らかに。」

    ミミミ
    面接10分前に、この事業の内訳を示す資料が配られた。

    説明が続く。マコトは紙を一枚めくった。
    マコト「次に、神尾ヤソへの業務集中についてです」

    西は、ペンを持ち直した。

    マコト「制作判断、投稿管理、外部対応、最終確認。現在、重要な判断の多くが神尾に寄っています。直近では、本人の稼働も落ちています」

    荒田「体調不良ですか」
    荒田が、少しだけ声を柔らかくした。

    マコトは、苦虫を噛み潰したような顔をした。

    ヤソ「お待たせしました。」
    西は、神尾ヤソを見た瞬間、少しだけ息を呑んだ。

    黒いパンツスーツ。
    同じ黒のベスト。
    シャツも黒だった。

    顔色は、資料で想像した通りによくなかった。
    けれど、姿勢は崩れていなかった。

    弱っている。
    なのに、弱く見えない。

    西は、それが一番まずいと思った。

    最終面接における各候補者の印象・回答内容

    以下は、最終面接における面接官の印象と、各候補者の回答をまとめたものである。
    大まかな流れとしては、西が崩した会話のテンポを、荒田が整え、それを繰り返すようなものだった。

    最終面接者の第一印象(マコト視点)
    荒田→常に落ち着いていて、姿勢も声も崩れない。
    西→かなり丁寧だが、ぎこちない。やはり熊本から来た疲れもあるのかもしれない。ただ、力が入りすぎている。

    最終面接者の第一印象(ヤソ視点)
    荒田→仕事ができそう。距離が近い。しかし、こちらの顔色を見て、声の高さを少し落とす余裕がある。
    西→カミンカンラではなく、私自身を見すぎている。熱がありすぎて痛い。

    ミミミ

    マコト「神尾が無理をしている場合、あなたならどうしますか」

    荒田「止めます。神尾さんが無理をする必要はありません」
    荒田「そのためにマネージャーがいるのだと思います」
    荒田「彼女は、最終的な判断だけしていただければいい。細かい管理や調整は、私に任せてほしいです」

    西「絶対に止めます」
    西「ただ、神尾さんの判断は尊重したいです」
    西「全部を奪うのではなく、最低限、神尾さんにしか決められないことを残したいです」
    西「そのうえで、周りが持てるものは、こちらで持ちます」

    ミミミ

    ヤソ「私、あるいはカミンカンラのカバー曲で、一番好きなものを教えてください。」

    荒田「私は、King Gnuさんの曲の、『Vinyl』のカバーが好きです」
    荒田「原曲への敬意を残しながら、神尾さんの声が前に出ている」
    荒田「バンドとしてのまとまりもありますが、やはり中心に神尾さんがいるのだと感じました」

    西「最近の、『Stardom』です」
    西「あれを昼休みに聞いていました」
    西「工場の休憩室で、イヤホンをつけて」
    西「周りには、あまり分かってもらえませんでした」
    西「でも、私は、あのカバーで何度も戻ってこられました」

    ミミミ

    マコト「現在のお仕事について、転職を考える理由を教えてください。不満でも、前向きな理由でもかまいません」

    荒田「不満というより、次の挑戦です」
    荒田「前職では多くを学びました。ただ、より近い距離で、成長段階のチームを支えたいと思うようになりました。」
    荒田「完成された場所より、これから形になる場所に関わりたいんです」

    西「……不満は、あります」少し、間が空いた。

    西「でも、それを全部、会社や周りのせいにしたくありません」
    西「自分で選ばなかったことも、動かなかったことも、あります」
    西「だから、今度は自分で選びたいです」

    ミミミ

    マコト「働き方はどう考えていますか。フルコミット、パートタイム、住む場所も含めて教えてください。」

    荒田「現職との調整は必要ですが、かなり寄せられます。都内在住なので、急な対応も可能です。必要なら近くに拠点を移すことも考えます」
    西「熊本在住です。採用いただけるなら退職して上京します。ただ、即日フル稼働は難しいです。数日は手続きと引っ越し準備が必要です」

    ミミミ

    マコト「最後に質問はありますか?」

    荒田「採用後、最初に任せていただける業務範囲を確認してもよろしいでしょうか」
    荒田「スケジュール管理、外部対応、収支管理、問い合わせ対応。このあたりを、どこまで私の判断で進めてよいかを確認したいです」
    荒田「もちろん、最終判断は神尾さんに仰ぎます。ただ、神尾さんの負担を減らすには、確認の回数そのものを減らす必要があると思います」

    西「採用された方が最初に確認すべき資料は何でしょうか」
    西「それと、今日このあと、神尾さんは休めますか」
    西「……すみません。質問の順番を間違えました」
    西「今週中に、止めてもいい業務はありますか」

    ミミミ

    最終面接者の最終印象(マコト視点)
    荒田→実務経験がある。都内在住。働き方の調整も早い。
    秘密の扱いにも慣れている。ヤソの決定権を尊重すると明言した。
    受け答えに無理がない。
    西→言っていることは悪くない。むしろ正しい部分もある。
    ただ、若い。未経験。熱が強い。今の自分たちには育てる余力がない。

    最終面接者の最終印象(ヤソ視点)
    荒田→うまい。経験がある。こちらを安心させる答えを知っている。
    だが、どこか私たちカミンカンラに合わせすぎている気がする。
    西→ぎこちない。未経験。遠方。熱量が重い。
    けれど、答えが自分ではなく、仕事に向いている。
    私を支えたいと言いながら、私を止める前提で話している。……ありがたい。

    5章 落ち着いて聞いてください

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    採用開始7日目、15:00。シェアハウス内。
    面接終了後、1F空き部屋にヤソとマコトが立っていた。

    ヤソ「難しい。」

    ヤソ「確かに、肩書や経験では荒田さんだ。ただ、公平に。」
    ヤソ「公平。」
    ヤソ「いや、できるだけ公平に、客観的に見ようとした。それでも、西さんのほうが――」

    マコト「言いにくいが、西さんはちょっと危ないかもしれない。ヤソのことが好きすぎる。」
    マコト「それに、事務職だから多少の素養はあるだろう。だが、マネージャーとして育てきれるか?俺達に。」

    ヤソ「報酬を抑えれば、時間はいくらでも作れるぞ。」
    マコト「ヤソ。」
    マコト「あんた自身が報酬を惜しむな、といってたんだろ?」

    ヤソ「……。かなわんな。だが。」
    ヤソ「惜しい。本当に惜しい。」
    ヤソ「せっかく熊本から来てくれたのにか?」

    ヤソ「2人雇うのは……。」
    マコトはかぶりを振った。

    ヤソ「すまない……。」

    ミミミ
    少しして、リビングにヤソとマコトが戻り、椅子に座り直した。

    荒田は笑った。
    西は祈った。

    マコト「落ち着いて聞いてください。」
    マコト「合格者は――」
    ヤソ「いや、私が言う。」マコトを制した。憎まれ役になった。

    ヤソ「荒田さんにお願いしたい。」

    ミミミ

    西は、それを聞いた。後の言葉を聞く余裕などなかった。
    不合格。終わり。熊本に帰らないといけない。何もなせなかった。

    怒りや憎しみもなかった。
    やっぱりそうなんだ、人生は。私が勝手に舞い上がっただけなんだ。

    順位だけ見れば私は2位なのだろう。でも、1位にならなければ何の賞品もないのだ。
    銀メダルも、努力賞も私の世界にはないのだ。
    はなからなにもなかったのだ。

    もう、もう。荷物をまとめる。

    マコト「西さん。落ち着いて」
    呼びかけられる。
    でも、無意識が、カバンに荷物を放り込み続ける。感情が動かないように。

    西「だ、大丈夫です。全部これまでの情報は処分します。め、迷惑をこれ以上かけられません。無駄ですから。」
    ヤソ「西さん。ちょっと。」

    西「もう、終わりです。終わっているんです。」

    その時、ヤソさんが立ち上がった「終わってない。」
    西「終わりです。本当に――」

    「終わってない!」大きな声だった。

    ヤソ「終わっていない。……そこにいなさい。不合格は揺るがない。荒田さんを採用することは変えようのない事実だ。」

    マコトさんが片眉をピクリと上げた。

    ヤソ「君を雇うことも出来ない。だが、」
    ヤソ「だから、話を聞くぐらいはさせてくれないか。」
    じっと目を見た。

    その顔が歪んでいく。
    西「ごめんなさい……。」

    ヤソさんは、荒田とマコトに向き直った。
    ヤソ「済まないが、2人とも席を外してほしい」

    ミミミ

    泣きじゃくりながら、スマホを取り出す。そのケースのポケットから、お守りを取り出す。
    取り出して、また泣いた。

    ヤソ「お守りか。」
    西「……お母さんから」
    ヤソ「良い家族だな……。」

    ミミミ

    ひとしきり泣いて、落ち着いたのを見届けて、ヤソは封筒を差し出した。西は両手で受け取る。

    ヤソ「少ないが、ホテル代だ。熊本まで6時間ほどかかるらしい。もしよければ、一旦東京にいなさい。今日すぐ帰るにしても、その封筒は返さなくていい。」

    封筒が透けて、中に5枚ほどはいっているのが見えた。しかも、サイズを見ると1000円札ではない。それは1ま…

    西「そんな。受け取れません。」
    ヤソ「いい。受け取ってくれ。」
    西はまた泣き出した。

    ミミミ
    玄関。ドアの窓越しの日光が、仄暗い雰囲気を作っていた。

    西「ヤソさん。もっとわがままを言っていいでしょうか。」
    西「思い出だけでも…ごめんなさい。やっぱり」
    ヤソ「何だ?」
    西「記念に…その。」

    ミミミ

    その数分後、玄関の外で、ヤソは西を見送った。

    敷地を出た後、西はお辞儀をした。彼女はまた泣いてしまっていた。
    ヤソは、小さく片手を上げた。
    西の姿が見えなくなっても、ヤソはしばらくそこに立っていた。

    ヤソ(最後まで、こちらに迷惑をかけないようにしていたな。)

    その背後で、玄関のドアが開く。
    「神尾さん」 荒田だった。
    玄関の照明に照らされ、その顔がやや赤っぽく見えた。

    荒田「西さん、最後まで真剣でしたね」

    ヤソ「……そうだな」
    荒田「きっと、彼女にも彼女の道があります」

    ヤソは返事をしなかった。
    荒田は、そこで一歩だけ近づいた。

    荒田「誰にだって未来はあるんです。」
    荒田「神尾さん。そう、あなたの手には、無限大の可能性がある」

    ヤソの頭に、横倒しの8の字が浮かんだ。
    荒田は、ヤソの手を両手で包んだ。

    荒田「僕は、それを一番近くで見ていたいんです」
    ヤソは、そこまで悪い気はしなかった。距離が近いとは、思った。

    6章 ごゆっくり

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    練馬西部。駅前のビジネスホテルの客室。
    ベッドの上。西は日差しを受けて目が覚めた。

    髪の毛もぐちゃぐちゃ、目の下が痛い。

    腕時計は7時を指していた。
    西「最後まで優しかった。」

    もう合うことはないのだろう。本当に迷惑ばかりかけてしまったな。
    それでも、これからも熊本から応援し続けよう。死ぬまで。

    もらった封筒は、ずっと取っておくことにした。中のホテル代も、絶対に使うもんか。一生大事に持っておく。

    昨日のことをもう少し思い出す。

    シェアハウスを出て、しばらく歩いた。
    シェアハウスが見えなくなってから、タクシーに乗って、近くのビジネスホテルに来たんだった。
    車の中でも泣いてしまって、運転手さんに心配された。

    チェックイン後、フロントマンさんに「ごゆっくり」と言われた。
    なんとかシャワーを浴びて、色々済ませてからベッドに突っ伏して、また泣いて。そのまま寝てしまったらしい。

    カバンを探っていると、大変なことに気づいた。あれがない。

    西「スマホケースに入れておいたのに……。」
    すぐに連絡する気力はない、後で。

    それはさておき。

    西「アラタ シュウジロウとか言ってたかな。」
    持ってきていた古いノートPCを開き、自分に勝った合格者の悪評を検索していく。
    それが何かにつながるとは思えなかった。
    でも、ちょっとだけなら、こんなお行儀の悪さだって許されるだろう。
    それに今日は日曜日だし。

    西「……今日は日曜日だし。」

    西(どうせ何も見つかるはずが……。)

    しかし、5分後、彼女は固まった。

    西「あれ…?」

    たまたまだった。
    彼は自分が所属する会社名を名乗っていたので、それを調べた。
    いや、正確には"アラタが名乗っていた、在職中の会社"の名前である。

    たどり着いた会社は、とある芸能事務所だった。
    そのHPのマネージャー一覧に、”アラタ”と読む苗字も、彼の顔もなかった。

    いや、そもそも全員の名前を載せているとは限らないだろう。
    プライバシーの問題だってある。更新が遅れているだけかもしれない。

    過去の記事と比較できるならまだしも…。
    いや、もしかして。

    HPの「魚拓」、いわゆる過去の更新履歴を検索できるサイトの存在。
    知識としては知っていた。
    そういうのが、ネットの怖いところであるとも。

    あった、荒田 修次郎。ご丁寧にふりがなまで振ってあった。
    しかし、アーカイブを辿っていくと、3か月ほど前のある日を境に、公式サイトから名前が消えていた。

    それ以上の情報は得られなかった。
    試しに、荒田の名前と事務所を一緒に検索する。

    匿名掲示板がヒットした。
    どきり、とする。

    匿名掲示板の情報は玉石混交で、デマや誹謗中傷も多いと聞いていた。
    戦々恐々としながら少しだけ、見た。
    それでも、見た。

    すると、彼の名前に関連した書き込みが増えた時期と、事務所のHPから荒田の名前が消えた時期は重なっていることが分かった。

    掲示板内の空気がだんだんつらくなり、口に手を当てた。
    そして、途中から日付だけを見るようにしていたのだった。
    だが、あるユーザーがHPのお知らせ欄のスクショをでかでかと貼り付けていて、それが目に入る。
    しかも、周辺の書き込みが地味に目に入った。盗撮がどうの……。

    ――――
    スクショと同じお知らせが、現在のHP側で見つかった。
    お知らせの掲載日時も、3か月ほど前のその日よりやや遅いぐらい。

    弊社元社員による不適切行為について。

    所属タレントおよび関係者のプライバシーを侵害する行為が確認されたため、当該社員を懲戒解雇処分としました。
    詳細は、被害者および関係者の保護のため差し控えさせていただきます。

    ……つまり、荒田はプライバシー侵害で、およそ3か月前に芸能事務所を辞めさせられていた可能性がある?

    椅子から跳ね上がった。

    いや、いやいや。そんなはずはない。
    だって、職歴を偽るなんて。そんなことが……。

    そのとき、自分の経験が頭をよぎった。

    私は事務の下っ端だけど、採用にも少し関わったことがあった。
    学歴は卒業証明書があればいいし、取得資格も合格証明書があればいい。

    でも、職歴を確認するのは少し面倒なのだった。

    ……カミカンは緊急募集だった。そこを省略した可能性はなくはなかった。
    少なくとも私は卒業証明書と簿記の合格証明書だけしか出していない…。

    いや、もちろんカミカン側がそんなことを知っている可能性もある。
    カミカン側が事情を知った上で、彼の前歴を伏せている可能性もあった。

    それだったら良い。
    私の思い過ごしや早合点や空気を読めない行動であったら、それでいい。
    そのほうが絶対にいい。

    でも……。

    この情報を伝えないといけないのかもしれない。

    メモとペンを取り出し、状況を整理する。
    不思議と筆圧が強くなっていった。

    最初に電話が思いついたが、そもそも電話番号なんて知らない。

    次に思いついた案は、これまで使った仕事用メールアドレスや公式アカウントのDM、あるいはお問い合わせフォームに連絡することだった。
    だが、もし仮に荒田が悪人で、それらをすでに掌握しているとしたら?

    個人直通のDMだったらいいのでは?だめだった。
    ヤソさんもカンさんもエルムさんもDMを閉じていて、カミカン垢のDMや、お問い合わせフォームに誘導されるようになっている。

    マコトさんはTwitter自体やってなかった、かわいい。
    西「いけない!」両手でパンパンと両頬を叩いた。

    それに、仮にDMが開いていたとしても、今のDMはスパムだらけだ。
    その中から、不合格者の怪情報をまともに取り合ってくれるだろうか?

    行くしか、ない。

    そして5分後。
    頭の中がまとまった。感情はまとまらなかった。
    すぐに着替え、荷物をまとめる。

    焦燥が、足を走らせた。

    ミミミ

    タクシーを降りた。
    走り去る車を尻目に、右手でポケットを探る。

    メモ帳とボールペンと財布、それと……。
    つい最近手に入れたお守り。それを取り出して、じっと見つめる。
    そして、シェアハウスに忘れたそれを思い浮かべ、こいねがう。

    西「どうか神様、ヤソさんに何も起きていませんように。」

    ミミミミミ

    (再掲)現時点で公開可能な設定4 2次面接における各候補者の印象・回答内容

    (前略)

    荒田 修次郎(あらた しゅうじろう)
    首都圏の私立大学卒。27歳。普通自動車免許あり(AT限定でない)。
    ”本人曰く”、芸能事務所の現職マネージャー。

    ミミミミミ

    時は遡って、採用開始7日目 夜 東京、シェアハウス内。2Fの休憩室。


    荒田は隠しカメラをシェアハウス内某所に設置し、録画の確認を続けていた。やった。問題ない。

    合格後、業務説明と設備確認の名目で、荒田は一通り屋内を案内されていた。
    ただ、マコトが電話で外したり、ヤソも疲労で時折休憩を挟んでいた。

    その隙を突くのは容易かった。

    正式に業務が始まれば、動線も役割も固まる。
    だが採用直後は、案内、説明、引き継ぎ、疲労、油断が混ざる。
    この家が一番ゆるいのは今日だ。

    それに、早く脅迫すれば、早く言いなりにできるのだ。
    ゆっくりするはずがない。

    彼によって、エルムとヤソ、マコト、泊まり込んでいたカンの露骨な映像が盗撮されてしまった。
    (※作者注釈、悪用を避けるため場所は伏します。)

    隠しカメラの保存先は、SDカードスロットのSDカード、ではなかった。
    荒田のスマホのストレージである。
    カメラから、シェアハウスのWi-Fiを経由して、転送されたのだ。

    7章 これからもよろしくお願いします。

    採用開始8日目8:30、シェアハウス内。地下スタジオ。


    画像
    ※イメージです。実際にはもっと白っぽいデスク周りです。

    ヤソはデスク前に陣取って、カバー予定の曲の分析に取り掛かっていた。
    まだ本調子には戻っていないが、手を止めるわけにもいかなかった。

    隣の配信室には誰もいない。

    エルムもいない。
    昨日の配信が長引いていたのだ。

    4時半に、寝る準備をするエルムと話したとき、目の下に特大のクマが出来ていたのを覚えている。

    ミミ

    朝、リビング、エルムがヤソを見ていた。
    黒い服。黒いシャツ。きちんと留められたボタン。
    彼は「かっこいいね」と言って、二階へ戻って寝た。

    ミミ
    思い出して苦笑した。

    いつも4、5時間しか寝ないとはいえ、それでもあんなクマができるのだろうか。
    ともかく、今は2Fの自室でぐっすり寝ていることだろう。

    マコトとカンは買い出しに行っていた。
    作業を続けていると、階段から人が降りてくる。

    荒田「ヤソさん。」人懐っこい笑みを浮かべている。
    ヤソ「荒田さん。シェアハウスのことは大体伝わりましたか?」

    荒田「ええ、十全に伝わりました。」
    荒田「この家は本当にすごいです。理想的だ。」
    荒田「事業も、創作も、生活もある。」

    荒田「ないのは、警戒心と相互監視とプライバシーだけ。」

    荒田「さて…。落ち着いて聞いてほしいのですが。」
    荒田「これなんだかわかりますか?」
    スマホを差し出す。そこには――。

    彼女自身の露骨な映像が映っていた。
    ガタッ。ヤソが椅子ごと飛び退く。

    荒田は口元に人差し指を立てた。
    荒田「落ち着いて。大丈夫ですから。」
    荒田「ただ、大きな声を立てたり、私に歯向かったりしたら、色んなサイトに流出させてしまいます。」

    ヤソは目を見開いて、歯の根が合わない。
    ヤソ「け、けい」

    荒田「け、けい?」
    荒田「ああ。警察。」
    荒田「いいですよ。そのかわり、あなたが警察に説明している間に、これは世に出ます。」

    荒田「もし、警察に呼び止められたら。ほんの10秒…ほんの10秒だけあれば流出させられます。」
    荒田「任せてください!マクロ組んでますから。」

    荒田「大丈夫。」
    荒田「…さあ、リーダー。お願いしますよ。ご奉仕。」

    荒田は、ヤソのもとににじり寄る。
    ヤソは座りながらも抵抗する。
    服が乱れる。
    ボタンがちぎれる。

    荒田がため息をついた。スマホを操作して見せつける。
    荒田「追加の証拠を提示します。空入さんの動画です。」
    その画面には…エルムの…

    ヤソ「…ッ。」抵抗をやめる。

    荒田「さすがリーダー。わかっていただけたようで何よりです。」
    荒田「”これからも”よろしくお願いします。」

    画像


    男の目は、黒く輝きを失っている。男の角ばった指が、ヤソの顎を掴んだ刹那、

    ピンポーン。
    インターホンだ。
    (※脚注 1階と地階にはインターホンの子機が設置されている。)

    そんなことかとでもいうように、荒田は居留守を決め込もうとする。が、
    ピンポーン、ピンポーン。
    ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。

    荒田「はぁ…。興ざめも良いところですね。」ヤソを離すと、彼女には目もくれず玄関へ向かった。

    ミミ

    採用開始8日目8:40。東京、シェアハウス内、玄関前廊下。

    荒田はドアのチェーンをかけてから、ドアの鍵を開けた。作り物の笑顔を浮かべ、ドアを開ける。
    そこに立っていたのは、
    西「お忙しいところ失礼します!あっ、これはこれはどうも!アラタさん!」

    最終面接で落ちた、西えりだった。ドアの隙間から顔を覗かせている。

    荒田「西さんでしたか。」
    西「本当にすみません、ちょっと忘れ物を取りに来ました。」

    荒田「いいですよ。何を忘れましたか?」
    西「ありがとうございます!スマホを忘れてしまいました。ホームボタンがあるiPhone SE3です。リビングです。」

    荒田「リビングですね。」
    西「あっ、そ、そ、そそれと。」

    西の顔がかすかに紅潮する。

    荒田「なんですか?」
    西「けけけ、決してやましいことはないんですが、できれば画面を見ずに持ってきてくれると嬉しくて…」

    荒田「……は?」
    西「いや、ほんとに。通知とかでヤバいものが映ってるとかそういうことはなくて。」

    荒田「…なにか仕組みましたか」

    西の顔が青ざめる。
    西「あ、ほほほ…」

    西の顔が視界の下に吸い込まれた。
    西は土下座した。

    西「本当に!すみませんでした!」
    通行人の老人が不思議そうにこっちを見ている
    荒田「ちょ、ちょっと。とりあえず上がってください。」

    ドアの鍵を開けた。西がおずおずと入ってくる。

    西「実は、面接練習のためにiPhone側で録音をしていて、録音させっぱなしにしていたかも知れません。」

    荒田「!?」荒田はたじろいだ。

    西「ど、どうしました?」

    荒田(まさか、地階の音声が漏れて音が入ってしまっている?あの女、叫びやがって)
    荒田(い、いや、大丈夫か?)
    荒田(それに、襲った場所も防音の地下室だ。大丈夫。)
    荒田「…コホン」息を整えた。

    西「ほ、本当にすみませんでした。」

    荒田はわずかにため息をついた。
    荒田「もしかして、練習のためにボイレコを付けていたのではなく、ヤソさんの声を録音したかったから付けていた、とかですか?」
    西「いいえ、滅相もない!」
    荒田「ともかく、今回だけは大目に見ます。その代わり、このようなことは避けてください。」

    西「はい、二度と近づくつもりはありません。」 そこだけやや語気が強かった、ように感じた。

    ミミミミミ

    採用開始8日目、8:45。東京、シェアハウス内、リビング。

    荒田は西を家の外に出し、5分ほどリビングを探した。
    しかし、見つかる気配はない。
    カウンターの上には、マコトとエルムのスマホしかなかった。
    それらが通知のたびに光った。目障りだ。

    両方の電源ボタンを押す。押し続ける。
    どちらも電源が切れただろう。

    探し物の邪魔になる。
    電源をつけるのに時間がかかるだろう。良いことだ。
    人が苦しむことは、悪くないだろう。

    小さく舌打ちをすると、地階へと向かった。

    ミミミミミミミ

    地下スタジオで、ヤソは固まっている。
    泣くこともせず、椅子に浅く腰掛けた姿勢のまま。

    しかし、階段の音に肌を粟立てた。先程より差し迫っていた。

    ミミ

    荒田「来てください。西さんがスマホをリビングでなくしたようです。」

    ヤソ「えっ、それは」
    ヤソが二の句を継ぐ前に、荒田は踵を返し、つかつかと階段を登っていった。

    ヤソの足は、勝手に動いた。慌ててついていく。
    荒田に逆らうという選択肢は、もうない。

    だが、
    心を取り巻いていた絶望に、
    ほんの少し、
    ほんの一筋だけ、
    ひびが入ったような、そんな気がした。

    ミミ

    3分間探したヤソだが、依然として見つかる気配はなかった。
    ヤソ「駄目だ。」

    荒田はまた舌打ちをした。今度は大きく、全力で。
    あの女のiPhoneだ、古い形だった。劣化していて、電池だって切れてるに違いないと。

    実は先程、盗撮や盗聴についての情報収集をしたときのことを思い出していた。
    iPhoneの録音時間は画面点灯なしで十数時間程度となっていたことを。

    そして、あの女のiPhoneはホームボタンがあった。つまり古い機種に違いない。電池が持たない可能性が高い。

    それに、声を小さくすれば拾えるはずがない。
    安物だ。指向性も音質も、どうせカスに違いない!

    だから、地階の音声が入ってくるはずはないと思い至っていた。
    しかし、そんなことより、いいところだったのにと、イライラしていた。

    その時、ヤソが円卓の椅子の前で止まった。

    荒田「お」

    駆け寄ると、ヤソの肩を掴んで、引き剥がした。
    これでも痕が残らないようにしたつもりだった。

    椅子のクッションは昨日のままになっている。
    ちょうど、西が座っていた椅子とクッションの間に、小さな布袋が落ちていた。

    金糸で、肥後神社。
    勝守だ。
    その下に、小さく、必勝。

    荒田の顔に血の気が戻った、戻りすぎた。真っ赤になる。

    右手でつまんだそれを、床に振り抜いた。
    音も立てずに床に叩きつけられる。

    画像

    赤みの残る顔で微笑んだ。小声でささやく。
    荒田「高卒が……。いやいや、神頼みするようになったら終わりですよね。神尾さん」

    ヤソは答えなかった。がっくりと肩を落としていた。

    荒田「おっと」
    そのかかとが、お守りを踏んだ。

    荒田「椅子の下に落ちていたものを、椅子の脚が踏んでしまったようです」
    荒田「お天道様に見られたら大変ですね。見てますか?」

    布が、床にこすれる音がした。

    その時だ。玄関のドアが開く音。

    カン「おじゃましまーす! ただいまー!」

    ミミミミミ

    荒田が地下スタジオのヤソを呼びに行く、その少し前に遡る。
    外に出された西。

    その目は使命感に燃えている。
    絶対にただでは帰らない、と。

    冷静に、冷静にやらなければならないのだ。
    頭の中で、念のためのハッタリと、明確な事実を再度見直した。

    にわかに、敷地内に車が入ってくる。
    水色の軽ハッチバックだ。
    静かな音だった。

    地下のスタジオにいた人には、車の音は聞こえないのかもしれない。
    そんなことを思ったが、役に立つかはわからなかった。

    小さな車体だった。
    そのドアを力強く開け、相沢マコトがのっさりと出てきた。

    折りたたまった大きな体を戻して立ち上がると、こちらに怪訝そうな視線を向ける。

    マコト「……どうしました。西さん。何かありましたか?」
    困惑と焦りだけでなく、少しばかりの敵意も感じた。

    仕事上、怒鳴られることはある。
    いい気分ではないが。

    間をおいて、飛び出してきたのは星野カンだ。
    ドアを閉めると、車の窓の隙間からスマホを放り込む。

    カン「まあまあ。マコト落ち着いて。どうしたの?」
    カン「……不合格者さん。」

    彼は彼で、人を食ったように口元を歪めてみせた。
    仕事上、煽られることも、なくはないか。

    声を小さくして答える。
    西「すみません、これだけでも聞いてください」

    カンは面白そうに、マコトは怪訝そうに西を見ている。

    西「荒田修次郎さん。性加害で懲戒処分を受けている可能性があります。それをどうしても伝えたくて……。」

    マコトは眉を吊り上げた。ますます状況は悪くなったかもしれない。でも言うしかない。

    ミミ

    西「断定はできません。だから、ネットには書けません」
    西「でも、何かあってからでは……と思いまして。」

    カン「……へえ。続けて」

    西「荒田さんは、現在も芸能事務所に在籍中と話していました。」
    西「ですが、現在の公式サイトに名前がありません」
    西「古いスタッフ紹介の魚拓には、名前があります」
    西「つまり、以前は載っていて、今は消えています」

    マコト「最近退職しただけ、という可能性は?」

    西「ありません。魚拓から消えたのは3か月ほど前です。」

    マコトが、少しだけ目を細めた。

    西「しかもその時期に、同じ事務所から“元社員による不適切行為”のお知らせが出ています」
    西「内容は、所属タレントと関係者のプライバシー侵害です」

    カン「……名前は?」
    西「出ていません」
    マコト「なら、荒田さんとは限らない」

    西「はい。限りません」
    西「でも、荒田さんが今も在職しているという説明が事実かどうかは、念のため、確認が必要だと思いました。」
    西「それに、もしこの関係者が荒田さんなら、ヤソさんたちは危ないです」

    マコト「……」

    西「間違いなら、私が謝ります」
    西「でも、何か起きてからでは遅いんです。」

    西「お願いします。」頭を下げた。

    8章 残念です

    採用開始8日目 8:50。東京、シェアハウス内、リビング。

    カン「おじゃましまーす!」 そして、軽快な足音。

    次に、力の入った足音に、
    マコト「荒田さん、いますか?」いつにもまして低い声だった。
    それともう一つ、控えめな足音があった。

    荒田(めんどくさいことになりそうだ。)
    荒田はヤソの肩を掴んで、無理やり立たせた。

    リビングのドアが開く。カンとマコト、そして西も入ってくる。
    三人は、荒田を囲むほど近づかず、一定の距離を置いた。

    マコト「荒田さん。単刀直入に聞きます。」
    マコト「恐れ入りますが、本当に、在職中ですか?」

    荒田は、黙った。少しずつ、うつむいた。

    荒田「本当に、すみませんでした!」頭を下げた。

    ミミミ

    荒田は涙目になりながら話した。
    自分がはめられたこと。
    それでも信じてもらえるとは思っていないこと。
    でもヤソに無限の可能性を感じたこと。
    そうした話を、涙目で並べた。

    荒田(自分の嘘のせいでこうなってしまうとは。自縄自縛……か。)

    その合間に、横目でヤソを睨む。ヤソはやや怯えきった表情を浮かべている。

    その様子に、マコトは気づかなかった。
    マコト(なにか起こる前で本当に良かった。)
    と、安堵していたのだから。

    西とカンは廊下に立っていた。
    そのうち、西が一歩前に進み出た。取り乱した様子だった。
    西「あの!本当に、皆さん、すみませんでした!」頭を深く下げた。
    西「荒田さんも、こんな大ごとになるなんて、思ってなくて。」

    荒田「い、いいんですよ。」
    荒田(馬鹿が。チクりにきたのに、自分がどうなるかも判ってない。高卒の限界ってやつか。)

    その時だ。トコトコと走ってきたのはエルムである。

    エルム「みんな!おはよー!」

    場の空気がどこか和らいだ。

    エルム「あれ、ヤソ」
    エルム「その服、どうしたの?」
    エルム「ぼたん、取れてるよ」

    一拍、二拍

    荒田「ははは、何を言ってますか。もとからこんな服でしたよ?ロックです。」

    エルム「荒田さん。今朝はぼたんついてたよ」
    エルム「それに、ヤソ。かみ、乱れてる」
    エルム「それにつらそう。だいじょうぶ?」

    ヤソの喉が震える。言葉が出ない。

    一拍。二拍。

    その場にしゃがみ、堰を切ったように泣き出した。
    ヤソ「ごめん、みんな…。ごめん、荒田が…。」そこからは声にならなかった。

    しゃがみ込みながら、ヤソはヤソ自身を抱きしめていた。

    荒田は、反論するでもなく、スマホをポケットから取り出すと、操作を始めた。
    まるで、自分は蚊帳の外だ。
    変な人に絡まれているとでもいわんばかりに。

    一拍、二「おい!」マコトだ。
    マコト「荒田ッ……!」

    荒田は深く息を吸い込むと、それを吐き出した。
    荒田「はあ。バレたんなら仕方ないですね。」
    荒田「それはそれとして、前から言ってみたかったんですよ。こんなセリフ。」

    荒田「動くな。」伸びやかな、外連味たっぷりな声だった。

    荒田「一歩でも近づいたら、盗撮データが流出する。」
    スマホを掲げた。

    マコトが目を細めると、動画サイトのアップロード画面があった。さらによく見ると、「Yaso.mkv」と表示されていた。そのサムネイルは……。
    そして、親指は、青いボタンの上に乗りかけていた。

    荒田「おお。見えましたか。あとちょこっと操作するだけ。」
    荒田「それだけヤソさんが世界中で使われるようになる。」口角をこれでもかと吊り上げている。

    荒田「ヤソさん。あなた、音楽は安く届くと仰っていました。なら、盗撮動画はもっと安い。タップひとつで、悪意と欲望を抱えた連中に届く」
    荒田「あなたの音楽じゃない。あなた自身が、あなたの意思とは関係なく消費されるんです。世界を変えるどころか、日本中で使われる側になる」

    荒田「どいたどいた。少しでも近づいたら、押しますよ。」
    そして、家から出ようとする。

    荒田「手を出してみてくださいよ、もうちょっと、そこまで――
    挑発するように荒田がマコトに向かって、歩み寄る。
    マコトは何も動けない。
    荒田はリビングの出入り口に近づく。ヤソに背を向けた。

    ……しかしその刹那、
    ヤソが音もなく立ち上がる。

    駆け出す、そして、
    がつん、と肩から荒田にぶつかる。
    荒田「がっ…。」

    荒田はうずくまり、スマホは床に転がっていった。

    ミミミ

    地下スタジオでの脅迫された時から、神尾ヤソは絶望の中にいた。
    自分の人生が壊される。
    実家にも知られる。

    そう、何もかもが終わってしまった、絶望の中に。

    だから、西が落としたお守りを、荒田が踏みつけた後に、隙を付いて拾った。
    役に立たないのだろう。価値はないのだろう。それでも、持っていたかった。それでもすがっていたかった。

    それでも、絶望の闇が晴れることはなかった。

    いや、違う。
    自分は仲間の人生すら預かっている。
    それを投げ出してしまうのだ。

    そんなわけには……いかない。

    荒田「あとちょっとで……ヤソさんが世界中の男たちから使われるようになる。」

    ふむ。もし仮に突撃したら、流出するのは私のデータなのだろう
    エルムを、仲間を守り抜ける。

    な ら ば

    それを右手に握りしめた、もっと強く握りしめた、そして、
    床を蹴った。

    ミミミ

    気がつくと、荒田が倒れていた。スマホは床に転がっていた。

    体全体が痛い。疲労もある。もとより体調も良くない。
    寝転がる。フローリングは、存外、柔らかだった。

    力が抜けた右手から、藍色のそれが、ぽろ、と落ちた。

    ミミミ

    カン「ヤソ!」
    エルム「しっかり!」ヤソに駆け寄った。

    しかし、荒田はやる気のようだ。
    荒田「このブスが…ぐぐぐ…流して…や」
    スマホに右手を伸ばす

    ゴキッ
    荒田「ぁ”ぁ”ああ」荒田の腕を大きな足が踏んだ。手の付け根周辺の骨の部分を狙って
    マコト「そんな声出すんだな。痛みなんてないのかと思ったぜ。この人でなしが」
    荒田「この野郎…この糞女もお前らも、全員流出させてやる」
    ぐりっ
    荒田「がっ。」
    マコト「関節を踏まねえだけありがてえと思え」

    マコトはひょいとスマホを持ち上げた。

    荒田「くそ、消すな!消したら取り返しがつかなくなるぞ!」
    マコト「あいにく、お前に付き合う暇はないんだ。」

    カンは、荒田の方を見た、その口元がひとたび歪んだ。

    マコトは盗撮データを、その大本のフォルダごと選択する。

    荒田「やめろ!消されたら終、おおお、おわる!それしかデータはないんだ!やめてくれ!」

    ぽちっ。削除が始まる。

    ”それ”にカンが気づいたときには遅かった。

    マコト「終わり。残念だったな。」

    …次に聞こえたのは歓喜のファンファーレではなかった。

    「……あはは、はははははは」
    荒田が呆けたように笑っていた。
    荒田「…そうですね。全く残念でした。」

    9章 さようなら


    荒田「……そうですね。全く残念でした。」

    マコト「開き直りか。このクズ野郎が。」

    荒田「もう一度言います。盗撮データはデバイス上にあったあれが唯一のものでした。コピーやスペアはありません。つまり――」

    マコト「それがどうしたんだ?お前は盗撮犯だ!」
    マコト「それを流出させることは失敗した!」
    マコト「このままサツに突き出してやる!」

    荒田「つまり、あれが消去されたことで、盗撮の証拠は……なくなった。」
    荒田「カンさん、遅かったですね。カンカンに怒ったマコトさんに、あと少しだけ、及ばず。」

    荒田「”誠”に、ご愁傷様です」

    カン「ま、待てよ!データを復旧すれば……」

    荒田「今どきのスマホのストレージはSSDみたいなもんです。復旧できても、ファイル名ぐらいしか出ないでしょうね。Yaso.mkvですか?中身は何でしょうね。」

    荒田「ああ、そうそう。監視カメラですが、小型でかわいいやつでしたよ。」
    荒田「粉々に砕いたのですが、燃え尽きて灰になったのか、汚泥の底に沈んだのか、そこまでは覚えてません。砕いたかどうかすらもあやふやです。」
    荒田「何が言いたいか。」

    荒田「このシェアハウス内に証拠なんてありゃしないんですよ。」
    荒田「あなた達が喚こうが、何をしようが、証拠物品も音声も映像もありゃしないんですよ……!」

    マコト「そんなわけないだろ!お前は前職の件だってあるだろうが!」

    荒田「…状況証拠と物的証拠の区別もつかないんですか?」
    荒田「解雇歴?ネット上の街談巷説?そんなもので立件できるなら、じきに刑務所が足りなくなりますね!」

    荒田「それに、この家には、監視カメラもボイスレコーダーもない。スマホも今、全員が持っていない。」
    荒田「全く……。」
    荒田「あなた達、本当に文明人ですか?猿山の猿のほうがまだ賢い。」

    荒田は笑って、再度考え直した。
    荒田(ヤソのスマホは2階にある。エルムとマコトのスマホはリビングで電源が切れている。)
    荒田(高卒さんは、スマホをリビングでなくしたと。録音できていたとて、電池はすでに切れているはずです。)
    荒田(星野カンも、この様子だと録音していなさそうです。)
    荒田(つまり、完全勝利ですね。)

    一方、カンは顔を歪めた。
    カン(不合格者が来たときに、録音しておけばよかった。そこまでいかなくても、スマホを……、スマホを車の中に入れっぱなしにしなければ!ブラフにはなったのに!)
    カン(くっ。証拠なしでも、ブラフは……。)

    カン「僕が録音してないとでも?」
    荒田「じゃあどうぞ。出してみてください。録音を!防音性能が高いこの家の外ですよ。たとえ西さんから内情を話されたとして、証拠保全のために録音を回していたなんて、よくもまあそんな芸当ができるもんですね! カンさん。見直しましたよ。ほら、出してみてください。」
    カンは唇を噛んだ。
    荒田「図星ですね。あなたにそんな事ができるわけがない。」

    荒田「それに、頼みの綱の西さん。彼女はスマホをここでなくしたんですよ。」
    荒田「彼女の古いスマホをずっと録音させっぱなしなんだったら、今までに電池が切れてますね。」
    荒田はほくそ笑んだが、一瞬だけ別の可能性を考えた。

    ボイスレコーダー。
    予備のスマホ。
    あるいは、別の録音機器。

    だが、すぐに切り捨てた。

    家電量販店は24時間やっていない。
    リサイクルショップやディスカウントストアに売っている可能性はなくもないが、そこまで頭が回るはずがない。
    それに、つい最近落ちた女が、朝までにそこまで仕込めるはずがない。

    荒田「つまり、この家にはスマホも含め、証拠なんてあるわけがないんですよ!その他の証拠もない!」

    ヤソはうつむいた。西は、状況が掴めていないという顔だった。

    荒田「ちまちました状況証拠ですか。」
    荒田「まっ。これ以上は弁護士つけて戦ってもいいんですよ。ヤソさんに証言台にじっくり立ってもらうとしましょう。」

    荒田「決定的な証拠がないんだ。主観的な証拠を使わなきゃ勝てませんから。」

    荒田「どこを触られましたか?どう嫌でしたか?どこを見られたのが嫌でしたか?どんな感触でした?」

    ヤソは何も言えるはずがなかった。限界だったから。

    荒田「いやいや。考えるだけならタダ。脅すだけでもタダ。楽な時代ですね。」

    荒田「私が勝つ必要なんてないんですよ。あなたたちが嫌がればいい。戦い事態が起こらなければ良い。それだけなんです。」
    荒田(つまりは、不戦勝――。決定的な証拠がないかぎり、裁判所にいくらでも引き出せるはずです。そう、私は聞きました。)

    目をパチクリとさせていた西が、割って入った。
    腕を踏まれたままの荒田に目をやる。

    西「あ、アラタ シジロウさん、ちょっと。こ、これはどういう。というか、私のスマホは…」
    事態が飲み込めていないという様子だった。

    荒田「修次郎です」
    荒田「あ・ら・た・しゅ・う・じ・ろ・う」
    荒田「高卒さんには少し難しかったですか?」
    荒田「大丈夫ですよ」
    荒田「貴方と話すことなんて何一つありませんから。」

    西は、口を閉じた。

    マコト「クソ…」拳を振り上げる。

    荒田「言っときますが、これ以上は暴行、傷害。この時点でも傷害ですが、ね。」
    荒田「さ。そろそろどいてもらっていいですか。」
    荒田「10!9!。ふふ。3!2!1!」

    マコトが足をどける。

    荒田は立ち上がり、ポンポンと服を叩いた。椅子の上にあったカバンを取る。
    マコトにもヤソにも目をくれず。もっとも、警戒していないわけではなかったが。

    ヤソは、荒田の目線がやや外れたのを機に、ある人物を強く見た。
    目が合うと、その人物は唇をぎゅっと結び、わずかに頷いた。

    ――

    リビングの入口に近寄ると、西が飛び退いた。カンが強く睨んできた。
    荒田は思った。それくらいしか出来ないよな。高卒どもは。

    エルムはうつむいている。

    リセット。うまくいかなかったが、次はもっとうまくやろう。

    振り返ることもしない。革靴に足を入れていく。
    立ち上がると、右手を上げる。

    玄関から家の内部に向かって言う。
    荒田「それでは皆さん、さようなら。」

    ドアのチェーンを外していく。
    さあ、新しい人生が始ま「それでは皆さん、さようなら」


    え…。
    気のせいだ。

    「それでは皆さん、さようなら。」
    また鳴った。

    その声は、神尾でも、西でも、相沢でも、星野でも、エルムでもなかった。

    その声は――
    荒田『それでは皆さん、さようなら。』

    自分のものだった。首だけが振り返る。

    画像

    西だった。眉根を寄せて、口を結んでいる。右手を掲げていた。赤いスマホがあった。

    西は操作を続ける。スマホが喋った。
    荒田『動くな。』
    荒田『一歩でも近づいたら、盗撮データが流出する。』
    荒田『ああ、そうそう。監視カメラですが、小型でかわいいやつでしたよ。』

    画像

    なぜスマホがある
    荒田『とにかく、弁護士つけて戦ってもいいんですよ。ヤソさんに証言台にじっくり立ってもらうとしましょう。』
    荒田『考えるだけならタダ。脅すだけでもタダ。いや。楽な時代ですね。』

    荒田『修次郎です』
    荒田『あ・ら・た・しゅ・う・じ・ろ・う』

    りくつがくずれていく

    画像

    なぜすまほのでんちがきれていない
    なぜりびんぐですまほがみつからないのに
    なぜなくしたすまほをもっている

    な
    なななななななななあああああああああああああそうか

    ミミミ

    西は、録音画面を荒田に向けた。ホームボタンがあるiPhoneの画面を。

    西「決定的な証拠ならあります。荒田さん。これは警察に提出します」
    西「これでヤソさんを法廷に出すことなく、貴方を裁くことができるはずです。」
    西「ヤソさんたちを、あなたのためにもう一度傷つけるつもりはありません。」

    西「私は警察を呼びます。相沢さん、念のため、荒田さんを抑えていてください。」

    荒田「スマホをなくしてなんかいなかったのか。」
    荒田「みつからなかったわけです。」
    荒田「ここにもどってきたときから、スマホでろくおんしていた。」
    荒田「はんそく……。そんなのはんそくだ。」

    西は、口をつぐんだ。
    そして、意を強くした。スマホを握り直した。

    赤い背面が、キラリと輝いた。それはまるで……。

    荒田「一発退場、ってわけっすか。」

    荒田「そうですね」

    荒田「これ以上は、弁護士を通してください。」

    10章 お元気で

    今度は、別のタクシーがシェアハウスの門の前に停まっていた。
    白黒の車体と、車体上の赤い行灯。
    割高な料金を払うことはもちろん、行き先を選ぶ必要もなかった。

    敷地内から道路に向かって荒田は、うつむいたまま歩かされた。
    布のかかった手首には、銀色の2つの輪が鈍く光っていた。

    ミミミ

    時は遡って、採用開始7日目、面接終了後。玄関。

    西「ヤソさん。わがままを言っていいでしょうか。」
    西「思い出だけでも……ごめんなさい。やっぱり」
    西は言ってから、自分で情けなくなった。
    ヤソ「何だ?」

    西はiPhoneをインカメを向けて掲げた。

    ヤソ「こんなことしかできない。」
    西「いいんです。」

    玄関の薄い光の下で、二人は並んだ。
    西は笑おうとして、うまくいかなかった。
    ヤソも、笑わなかった。

    それでも、写真は撮れた。

    疲れながらも笑うヤソと、泣き腫らした目をした西、その2ショット写真。
    ミミ

    玄関で西のスマホで撮影され、その後西はホテルに出発した。
    だからこそ、スマホをリビングに忘れているはずがないことを、ヤソは知っていた。

    そして本日の突入前。
    エリはケースから外したスマホを、トレンチコートのポケットの中に忍ばせ、ずっと録音していた。

    厚いポケットの上からでも、ゲインを上げて、あまり動かないようにすれば、録音ができることは確認済みだった。

    また、ケースから外すことで、iPhoneをより薄く、仕込みやすくすることが出来た。
    さらに、iPhoneは、アプリにもよるものの、画面のスリープ中も録音できるので、コートの中で誤作動を起こすことも避けられた。

    ミミミ

    そこから2日、西は帰らなかった。
    むしろ、有給をさらに追加した。電話越しに主任から苦い顔をされているのが分かる気がしたが、何度も謝った。

    警察への説明。録音データの提出。時系列の整理。荒田の前職に関する資料の控え。
    そして、ヤソさんとエルムさんに見せないで済むものを、できるだけ自分とマコトさんの前で止めること。

    西は、採用されてもいない仕事をした。
    たぶん、一番やりたかった仕事だった。
    もう二度とやりたくない仕事でもあった。

    けれど、これからは第三者だ。
    何の関係もない人間として、何の関係もない後始末をする。

    ミミ
    採用開始10日目、14:00、リビング。

    後始末があらかた終わり、後はマコトとカンでどうにかなるレベルになった。
    西は、すでに荷物をまとめていた。

    リビングの空気は、まだ重い。
    誰も大きな声を出さなかった。

    マコト「そうか……。やっぱり俺が、荒田のデータを消したのは、間違いだったか」
    カン「責めてない。あの場で消したくならない人間のほうが怖いよ」

    マコト「本当に申し訳なかった。あんなふうに睨んでしまって。」
    西「い、いえ!」
    西は首を振った。
    西「それこそ、私だってそうしますよ。全然大丈夫です。」
    マコト「そうだな。ありがとう。西さん。」

    ――

    マコト「行ってしまうのか。そうか。」

    西「はい。私は、これ以上彼女の近くにいるべきではないんです。」

    カン「そんな。僕がヤソを説得するよ。」
    マコト「カン」

    カンが、西を見た。
    西は、その目を見返せなかった。

    西「いいんです。ヤソさんが一刻も早く、私ごと、あんなやつごと、こんな事件を記憶からなくしてほしいんです。」

    私の人生は灰色のままなのだろう。
    それでも、そうだったとしても、世界が灰色であっても、立ち向かう勇気をもらえたような気がした。
    それだけで十分だった。

    ミミミ
    玄関。

    マコトが何か言いかける。
    カンも、口を開きかけた。

    西「みなさん、お元気で。」

    私はドアを開け、一歩を踏み出した。

    ミミ

    「待て。」

    足が止まった。
    聞き間違えるはずがなかった。
    その声だけは――。

    「帰るな」
    私は振り返った。

    ヤソさんだった。
    背筋はやや曲がっている。それでも自分の足で立っていた。

    西「……いえ」
    西「私は、もう、ここにいるべきではありません」
    ヤソ「誰が決めた」

    西「私が決めました」
    ヤソ「却下だ」

    短かった。
    あまりにも短くて、ひどい言い方だった。
    それなのに、胸は詰まった。

    ヤソさんは、玄関の奥に立っていた。
    顔色はまだ悪い。
    声も、万全とは言いがたかった。

    それでも、目だけは戻っていた。
    ヤソ「私は、人を見る目がなかった。組織も作れていなかった。お前を落とし、あいつを選んだ」

    マコトが、唇を噛んだ。
    カンは、黙っていた。

    ヤソ「私は失敗した。本当に失敗した。だが、見つけた」手のひらで私を指した。
    ヤソ「お前だ」

    ヤソ「ここで働け。」

    なんてひどい口ぶりなんだろう。でも、不思議な気持ちだった。

    ヤソ「お前は採用されていない。金も払っていない。契約もしていない。命令もしていない」

    ヤソ「なのに仕事をした」

    西「違います。私は、勝手に」

    ヤソ「勝手に動ける人間がいるなら、私は欲しい」

    西「ごめんなさい、でも。」
    彼女は咳払いをした。

    ヤソ「知らなかったのか?私は家主だ。バンドリーダーだ。社長みたいなものだ。」
    カン「みたいなもの、なんだ」
    ヤソ「黙れ」
    カン「ハイ」

    ヤソ「だから、私はお前が断っても採用する。拒否権は認めない。」
    西「そ、そんな」

    ヤソ「虫が良いか」

    西「……はい」
    ヤソ「そうだな」

    ヤソは、あっさり認めた。

    ヤソ「虫が良い。都合も良い。私は失敗したあとに、お前を欲しがっている」

    だけど…。
    ヤソさんはぎこちなく笑った。
    ヤソ「ここに残って、私たちと一緒に戦ってくれないか?」

    「エリ。」

    私は形だけは作った。だって、心は決壊寸前だったから。どうして良いかわからなかった。でも、

    「はい!」

    返事だけは、まっすぐ出た。

    エピローグ 灰色の世界へ。

    「判決を言い渡します。」

    何度も聞いた。
    何度も調べた。
    弁護士からも、その可能性はある、と。

    「主文。被告人を懲役一年に処する」

    荒田修次郎は、唇を噛んだ。

    まだだ。
    ここからだ。

    ただし――、そう、ただし、だ。
    その3文字が来れば、まだあちらの世界に戻れる。
    スーツを着て、名刺を持ち、別の場所でやり直せる。

    「本件は、悪質かつ計画的であり――」

    荒田の膝から力が抜けた。
    刑務官に支えられる。
    傍聴席の空気が、ほんの少しだけ動いた。

    隠しカメラの購入歴。
    下水溝から見つかったカメラの残骸。
    録音された本人の声は、それらの証拠を探すための起点となった。

    そして、彼に「ただし」は、来なかった。

    執行猶予は、つかなかった。

    ミミミ

    前科は、ついたのだった。

    周囲はモルタルで覆われている。
    当たり障りのないことしか書かれていない新聞。
    黒かった髪の毛が剃り上げられ、露出した地肌。

    世界のどれもが、灰色だった。

    個室の窓の鉄格子は何本も上から下に垂れていた。
    それらは頑丈で、太く、冷たかった。

    蜘蛛の糸には、なってくれそうもなかった。

    エピローグ ただいま!

    一時的に、エリは熊本に帰ることになった。

    東京への引っ越し手続き。元の職場での引き継ぎ。
    家族への説明。
    その他、細かいことを数え上げればきりがない。

    早くても、1週間はかかる。その前に。

    採用開始11日目、夕方。リビング。

    エリは早速書類を作っていた。

    カン「仕事早」

    カンがコーヒーを持ってくる。

    カン「エリ、本当にお手柄だったけど、あの日、なんで突撃してきたの?」
    エリ「もし何もなければそれはそれでよかったんです。」
    エリ「それに、何かあってからでは遅いんです。ヤソさんは、あの人のせいで心に傷を負ってしまいました。治らないかもしれません。」
    カン「ふむ。偉いね」

    カン「あ、でも、バカにしたこと言っていい?」
    エリ「はい?」
    カン「下心。あったんじゃないの?」
    カン「ここで手柄を立てれば採用される。とかさ。」

    エリが少しムスッとした。
    カン「あっ、いや。」

    カンは気づいた、言い過ぎた。
    というかそもそもエリが来なかったらもっとひどいことになっていた。
    カンは、コーヒーのカップを両手で包んだ。
    カン「あ。ごめん。だめだね僕。」
    エリ「否定はできません。」

    カン「た、たださ。モチベも能力も段取り力もない人より、エリみたいな人がいたほうが絶対に強いとは思う。」
    エリ「むむ」
    カン「褒めてる褒めてる。」

    カン「でも?」
    エリ「少しでも、ほんの少しだけでも、最後にあの人のそばにいたかった。」

    その時、エリのLINEが鳴った。出る。

    ヤソ「エリ。今すぐ来い。」

    エリ「はい、」

    「ただいま!」

    あとがき、関連リンクなど

    あとがき

    まずありがとうございました!読んでいただきまして誠に光栄です!

    荒田戦のロジックを練るのが大変でした。
    また、面接パートなどは、リアリティを出すのに腐心しました。

    一度完成したと思ってからも、完成後の作業もまた大変でした。
    大変なうえに、大変でした。はい。

    多分97%ぐらいは問題ないと思います。残りの3%は、今後もこっそり直していきます。

    この物語でみなさんが愉しんでいただければ本当に嬉しいことこの上Nothing Phone。

    作者 横井フェイバー昇輝

    そいでは!関連リンクのコーナーとなる予定の未整備文言!

    まず、情報の引用元や、ロジックの補足や言い訳などのリンクはこちらです。

    当プロジェクトのおことわりなどはこちらにまとめています。

    次編 責任編はこちらから。


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