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【読み物】2024年「Our Song 」第5回と第6回/ディマシュの3曲、妄想感想

    (Dimash 114)
    (13,931文字)
    (初稿:2024年9月20日)
    (改稿:2026年1月19日)
    (見出し写真ⒸSMG音乐频道)


    【イントロ:個人的な妄想感想です】

    今回は、2024年の「Our Song/我们的歌」でディマシュが歌った3曲について、私個人の「妄想感想」です。
    1:『Give Me Your Love』
    2:『レッド・ムーン・ルール(红月亮规则)』
    3:『詩人になる/成为诗人』
    各章の最初に、歌の単独動画があります。
    「妄想感想」ですので、読み物としてお楽しみください。
    長いですけど💦


    【『Give Me Your Love』/「Our Song」第5回 】

    ★YouTube動画:ディマシュの曲『ギブ・ミー・ユア・ラブ』のみ
    @SMG音乐频道 2024/08/19  


    《ステージで歌うディマシュの様子》

    ディマシュは最近この曲をライブのアンコールで歌うようになり、その時にはもう「最後だぜー!」と、とても楽しそうに歌います。
    なにせそれまで3時間以上も歌ってて、アドレナリン出まくってます。

    今回はTVの歌番組、さっきまでずーと椅子に座っていて、同時通訳を聴きながら番組の進行を見ていたため、まだアドレナリンはそんなに出ていません。
    ですので、ものすごーく真剣な顔で、一生懸命歌っています。
    ダンスにも非常に気合が入ってます。
    1番の間は、ちょっと「怖い顔」にも見えます😂

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    ちょっと怖い顔で歌ってるディマシュ

    ところが2番の途中で、もしかしたら見知った顔の中国dearsでも見つけたのか、客席を見てニヤッと笑いました。
    するとそのあと、ディマシュの雰囲気から怖さがちょっと消えて、いつもの感じが出てきて、グロウル(唸り)も出ました。
    つまり、曲の世界に入り込んだって感じです。

    ステージでひとりで歌うのは、すごく勇気がいることです。
    どんなベテランでも、ステージの1曲目は、それはもう緊張と恐怖との戦いだそうです。
    なので今回の番組のように、目の前に最初っからものすごく反応してくれるファンがいると、シンガーやミュージシャンたちは本当に安心します。
    からの~、ディマシュがブリッジで片肌脱いで、大サービス~💕
    もちろん最初からそうする予定でしたでしょうけども🤣

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    《3つのバージョンの存在》

    この曲は、ディマシュ曰く、マイケル・ジャクソンの何かのライブを見ていた時に思いついて、数時間で曲(メロディ)を書き上げたというものだそうです。

    1:2019年版
    初演は、2019年3月のモスクワでのイベント・ライブでした。
    番組内でもちょっとだけ流れた、白いスーツで歌っているバージョンです。
    この時のディマシュ公式のYouTube動画を見ると、声にはまだ幼さがあるというか、まだ甲高い若い男の子の声で、この曲が持っている「軽さ」に良く似合っていました。

    ★YouTube動画『Dimash - Give Me Your Love | 2019』
    Dimash Qudaibergen(公式) 2019/05/08
    URL➡ https://youtu.be/SG7Nn7Dn3UU

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    @Dimash Qudaibergen スクリーンショット


    2:2021年版
    公式YouTubeチャンネルでの2回目登場は、2021年1月。
    コロナ禍でライブが出来なかったため、ディマシュは「デジタルショウ」を開催し、2曲目がこの曲でした。ダークな赤紫のスーツのバージョンです。
    モスクワより2年経ち、ディマシュの声には少し深みが加わっています。
    デジタルショウは全体的に非常に緻密な構成で、準備にも時間をかけたようで、大変見ごたえのあるものでした。
    しかしこの「デジタルショウ」は、コンサート・ホールらしいステージで演奏しているにもかかわらず、コロナ禍で客席に観客がひとりもいないため、どことなく寂し気な気配がディマシュの声に漂っています。
    (※後で知ったのですが、実際にディマシュはデジタルショウのあと、観客がいなくて寂しかったとインタビューに答えていたそうです)

    その寂しげな気配が、一種の「憂鬱」や「哲学性」「神秘性」となって聴こえる曲もあります。
    途中から、女性ダンサーとの超絶に色っぽい絡みのあるダンス。
    今のところ、ダンスはこの曲のバージョンが一番完成度が高いかな?

    ★YouTube動画『Dimash - Give Me Your Love 2021』
    @Dimash Qudaibergen(公式)2021/09/17
    URL➡ https://youtu.be/_hqV3Dm0HPA

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    @Dimash Qudaibergen スクリーンショット


    3:2024年版

    そして今回の「Our Song, 2024」バージョン。
    前2回とは衣装のコンセプトが違っていて、革ジャンに黒のタンクトップにスニーカー。
    スタイリストが何を狙っているかはまあ、一目瞭然ですね。
    ディマシュの声は、低音の響きが以前よりもさらに強くなっていて、さらに深みを増しており、はっきりと大人の男性の声です。
    そうするとこの3つのバージョンは、それぞれ曲の意味が違って聴こえてきます。


    《3つのバージョンの違い》

    2019年、ディマシュ24歳の時の白スーツバージョンは、若い男の子が持つ、矢も楯もたまらず表現されるような若さ、それも自分が何に駆り立てられているのかまだよく分からない青さのある歌でした。
    覚えたてのダンスも、それはもう懸命に踊っていて、そこがまた可愛らしくて魅力的でもありました。

    2021年、ディマシュ26歳の時のデジタルショウ・バージョンでは、自分が何を求めているかをある程度知っている年齢です。
    ただし先ほど書いたように、このデジタルショウには観客がおらず、自分の表現をその場で受け止めてくれる相手がいないため、声に「寂しさ」が乗っています。
    そのため、表面的にはきわどいダンスを女性ダンサーと踊っているのに、ディマシュの声の表現には、どんなに求めても何も得られない焦燥感のような感触があり、それがこのバージョンに「2重底」のような複雑な深みをもたらしています。

    そして2024年、今回の「Our Song」バージョン。
    もう30歳ですから、大人の男の色気が出て来ています。
    それも、この年齢になった普通の男性の色気ではなく、「一種の諦め」を知っている色気というか。
    30歳という年齢は、普通の人間なら “人生これから” です。
    でも、シンガーにとってはこのあたりから「声の衰え」との戦いが始まる年齢です。
    本人も時々ライブで茶化して言ってますが、一般的に、若さと新鮮さで女性ファンを惹きつけることができた時期が過ぎてしまったアーティスト、特にシンガーは、この先、何をもってして人気を維持するべきか悩ましい時期に突入します。
    何も知らなかったがゆえに楽しかった若い頃の自分が過去のものとなり、色々とわかるようになってしまったがゆえの「諦め」、その割には増えていく周りからの期待値の高さとの「軋轢」。
    そういう人生の複雑さが発生し始める時期なのに、今の年齢はそれでもまだ若い範疇に入るためにそれらの問題を容易に解決できないという新たな不安も感じさせる、そういうような「哀愁漂う色気」です。
    歌が終わると、出演者さん達も客席も、スタンディングオベーションで盛大に盛り上がっています。
    こういう反応をしてくれると、ディマシュも歌った甲斐があって嬉しいでしょうね🥰

    今私が書いたような深読みというか妄想というか、そういうことは一切考えないで、素直~にディマシュの歌を楽しんであげるのがホントは一番良いわけですよ。
    ……と、わかっててもやめられないのが妄想中毒者の性(さが)なんです、許して下され😂

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    【『レッド・ムーン・ルール/红月亮规则』:「Our Song」第6回 】

    ★『レッド・ムーン・ルール/红月亮规则』のみの動画
    @SMG音乐频道  2024/08/26


    この歌の原曲は、黒山老鬼という作家が書いた小説『從紅月開始(始まりは赤い月)』(2020年11月ウェブサイト初出)に基づいたウェブ・アニメシリーズ『紅月昇以来(紅い月が昇ってから)』の主題歌です。
    原作のアニメについては【番組実況+解説1/3】にありますので、そちらをお読みください。

    《アニメの感想をちょっとだけ》

    アニメの感想をちょっとだけ話しますと……。
    YouTubeで全編見ましたが、小説が原作なので、物語の設定が細かい所まで良く出来ていて、とても面白かったです。
    実は、期待以上に面白かったので一気見してしまいました🤣
    何かの映画で見たような悪役やシチュエーションのパロディも多く、退屈しませんでした。
    そして、主人公の見た目がなんとなくディマシュに似てて、ハンサムです💕
    また、途中から登場して彼のメンターを務める「ビーフ―/壁虎=ヤモリの意」の見た目が、リン・パパことテリー・リン(林志炫)に似ていたので、これも視聴を楽しめた要素でした💖


    《まずは、シャオユンさんの歌唱》

    まず最初に、ヴァース1を歌うシャオユンさんについて。
    彼女は歌が、ものすごく上手いです。
    彼女がデビュー前にオーディション番組に出場した16才の頃の歌を聴きましたが、とんでもなく上手くて驚きました。[1]
    彼女も音楽一家に生まれて幼児期から歌っていたため、ステージで歌うことに対して彼女自身が何も疑問を持っておらず、「ここが私の居場所です」と彼女の身体がすでに決めているような堂々たる雰囲気があります。
    シャオユンさんのこの雰囲気は、ディマシュや、ゴン・リンナさん、さらに言えばクラシック界で子供の頃から神童と呼ばれていた著名な演奏家たちとも共通しています。
    それは、彼ら自身が生まれた時にすでに自分で音楽を選んでおり、ためらいなくその道に生きる人々が持つ、共通点なのかもしれません。

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    また、彼女はサイドボーカルも非常に上手いな、と思いました。
    コーラス1の最後でふたりのデュエットになってから、彼女の強弱のつけ方がディマシュと同じであること。
    コーラス2の途中でユニゾンになった時、2人の声がまるでひとりの声のように聴こえること。
    同じくコーラス2の最後のロングトーンで、ふたりのビブラートが一致していること。
    これらと同じことが、ゴン・リンナさんとのデュエットでも起こっていました。

    たぶんですけど、どの場面でも、シャオユンさんの方がディマシュに合わせています。
    優秀な音楽的能力と、聴いた音から先を予測してメインボーカルと同じ方法で歌うことができるという、一種の超感覚のような感じがあります。
    ふたりの声が何の違和感もなく同じ世界を作っていて、非常に驚きました。
    シャオユンさんはまだ25才なので、これから先、彼女がどういう表現力を身につけていくかが楽しみなシンガーです。


    《ディマシュの歌唱》

    では、ディマシュの方です。
    彼が舞台にせり上がって来てからのコーラス1は、役割的にはシャオユンさんに変わってメイン・ボーカル風になってはいますが、普段のディマシュの声のパワーからすると少し大人し目です。
    まだ1番の途中なのと、この歌での主役はシャオユンさんなので、ディマシュが少し抑え気味にしているのではないかと思います。
    それでも、衣装のサーコートと同じく古典的で神秘的な、惚れ惚れするような声ですね💕

    ヴァース2に入ると、ディマシュはサイド・ボーカルとして、前半部ではスキャットで楽器の伴奏のようなメロディを歌います。
    カウンターメロディのようです。
    (※カウンターメロディは「対旋律」で、合いの手のような別のメロディのこと)
    ヴァース2後半では、ユニゾンとカウンターを混ぜて歌詞を歌い、途中から再びスキャットでカウンターを歌います。
    (※ユニゾンは、メインメロディを複数で同時に歌うこと)
    コーラス2の前の短いブリッジ2では、ディマシュは長三度の和声で歌っています。
    (※これは日本語で「ハモリ」という歌い方)

    合唱で使う手法をこれだけ使い、非常に複雑に構成してあって、本当に凝り性なディマシュです😂
    それらを全部ひとりで歌って、なんの違和感もなくフツーに聴いていられるという歌唱力。
    しかも、シャオユンさんの声を邪魔していないという、とんでもなさもあります。

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    また、この曲のバックトラック(伴奏)も、非常に聴き応えがありました。
    アレンジが非常にゴージャス、かつ、カッコいいのです。
    1番まではクラシックなテイストでしたが、2番でエレキ系とドラムスがインしてくると、ジャズっぽい雰囲気も漂います。
    そして、ドラムスがもの凄く上手いです。
    このバックトラックに対して、全然違和感なく歌うふたりの歌唱力も凄過ぎるんですが😂

    また今回、この番組でこの歌と『詩人になる』を聴いて、ディマシュの歌唱に関してはっきりとわかったことがあります。
    それは、ディマシュが持っている「人に歌を聴かせるための技術のバリエーションが異常なほど豊かだ」ということです。
    フォルティシモからピアニシモなどの「声の強弱」の細かな使い分け。
    歌の前半と後半をどこまで違う世界にするかの加減。
    どこで高音や低音を使うと効果的か、などなど。
    特に、強弱の変化のさせ方。
    クレッシェンドやディミヌエンドをどう使うか、その間のどこでエアリーな声で歌うか、どこで地声に戻すかなどのタイミング、などなど。
    そういう技術が、もう異様に細かくて、しかも1曲の中に同じ技術的な表現が繰り返して出てくることがほとんどないのです。
    なので、聴いている方は退屈する暇がまったく無くて、ずーっと楽しく集中しっぱなし。
    しかも、彼が歌の内容や感情を表現したくてそれらの技術を「結果的に使っている」ように感じるので、とても自然に聴こえます。
    それは、歌っているというよりも、湧き上がる「感情」の揺れや種類や色合いを音にして、直接聴き手に伝えているようです。
    それがもう、うっとりするほど素晴らしいなあと、いつも感じます。
    さらに彼のその声自体が、どの音程のどの種類の声でも、一貫して凄まじく洗練された周波数なのですよ!
    鼻歌でさえも!
    (※「2/3:第6回」ゴン・リンナさんとの打ち合わせの時)

    ただし今回のこの歌には、ひとつだけ特徴?がありまして……。
    この歌は「アニメの主題曲」で、しかも【解説1/3】の歌詞の項目で解説したように、単純にアニメのストーリーを追いかけている歌です。
    なので、番組の〈字幕〉が解説したほどには「哲学性」は感じません。
    つまり、ふたりが得意とするオペラ歌唱でデュエットしたらどうなるかな?という好奇心が勝ったプログラムだったってことかな?



    【『詩人になる/成为诗人』:「Our Song」第6回】

    ★YouTube動画『【我们的歌6】 年度最佳!迪玛希龚琳娜动情演绎《成为诗人》为罕见病发声,对飙高音实力献唱!#我们的歌第六季……』 SMG音乐频道 2024/08/26


    《歌詞(抜粋+意訳)》

    (ヴァース1)
    午後の日差しが半分照りつけている
    ガラス窓の少女の机の上を 温かく明るく
    平らな紙がペンを待っている
    成長について書こうか、それとも夢か
    それとも厄介な猫についての短いお話か

    (ブリッジ1)
    彼女の詩は、二十歳(はたち)の自由と不毛を書く
    咲き誇る薔薇は、萎れていても枯れてはいない
    力を込めて、呼吸して

    (コーラス1―1)
    詩人になる
    詩人の魂は永遠に生き続ける 自由は呼吸と同じくらいたやすい
    言葉の中に生きるのだ 悲劇は悲劇でなくなり、それは糧となる

    (コーラス1-2)
    詩人になる
    私の魂は永遠に生きる 私の呼吸は自由でなめらかになる
    私はもう、私ではない 花火か、星なのかもしれない

    (ラップ要約)
    運命が死と結びついた、自分の背骨が信用できない
    呼吸する機械が家具になったのに、凍った体は機会に恵まれない
    死の接吻を全力で拒否する、恐怖は勇気よりも勤勉で誠実だから
    この体に閉じ込められ、翻弄される人生
    だが運命が押し付けたものを彼女は認めない
    戦い続け、咲かせ続け、成長し続ける、詩人になるために

    (ブリッジ2、コーラス2は各1の繰り返し)

    (詩人の肉声ナレーション)
    あなたは燃えるような愛の中で 私を見るでしょう
    あなたは透きとおった涙の中で 私を見るでしょう
    あなたはこの時この瞬間の中で 私を見るでしょう
    私の心を見るでしょう それは名もなき星のように
    何光年も離れた彼方でひとり 輝いているでしょう


    《イントロ ~ ヴァース1:少女と部屋の声》

    ふたりが立つステージの背後の巨大スクリーンには、薄いカーテンが掛かった大きな連窓が映り、室内に太陽の光が差し込んで来ました。
    どうやらここは、病室のようです。
    イントロの時計の針の音、オルゴールのような楽器の音、そして、規則正しく鳴る機械音。
    これはおそらく、人工呼吸器の音を模しているのでしょう。

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    この難しいイントロの導入から、リンナさんはどう歌うのかなと思っていたら、やや抑え気味に違和感なくすんなりと入って来ました。
    ヴァース1の歌詞に出てくる「少女の机」「紙とペン」「何を書こうかと思案する主人公」。
    これらをごく普通の風景として、少女の1人称(私視点)と、部屋の2人称(あなた視点)が混ざったような歌詞を、リンナさんは彩り豊かな生命感を感じる声で歌いました。


    《ブリッジ1:2つの立場を歌い分けるディマシュ》

    ディマシュが担当する「ブリッジ1」で、視点は突然、完全な3人称に変わります。
    「彼女の詩は、二十歳(はたち)の自由と不毛を書く」
    これは物語の「地の文」であり、遠くから彼女の運命を見ている誰かの視点でもあります。
    この一行は、この歌の中で最も重要な場面です。
    ヴァース1で積み上げた「文学少女の平凡な日常」が、一瞬でひっくり返るからです。

    視点が変わったことと、突然出て来たネガティブな単語の「不毛(贫瘠=土地がやせていること)」によって、リスナーはショックを受けます。
    この世界は、ヴァース1の描写ほど簡単なものではない、と。

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    この時のディマシュの声に乗っている「感情」は、少女を見守りながら泣いている、誰か別の人の感情のようです。
    もしかしたらそれは、彼女を取り巻く人々……彼女の父母、彼女を助けようとする医師や看護師、彼女の先祖、そして、もしかしたら彼女の守護天使。
    そういう彼らの、えも言われぬ複雑な悲哀の感情。

    しかし、ディマシュの「声の音色」の方はというと、それとはまた違う意味を持っているように聴こえます。
    この歌を歌っている時の彼の、儚くて柔らかく、たおやかな声。

    リンナさんが歌声は、「窓から差し込む温かい太陽の光」のようで、少女の強い生命力と、生きようとする強い意志を感じます。

    しかしディマシュの歌声は、その正反対のイメージを持っています。

    歌の途中、リンナさんが窓の光の前に立ち、ディマシュが暗闇の前に立って歌う姿が同じ画面に映る箇所がありますが、そういう違いです。

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    もしかしたら、ディマシュの歌声それ自体は「歌われている少女の声」なのかもしれません。
    たった1本の指しか動かせない体に閉じ込められてしまった少女。
    死の恐怖に怯え、啜り泣き、絶望し、自分の体を呪い、疲れ切った少女の、力のない声。
    助けを求めても、誰も自分を助けることはできないと自覚した、細い声。
    それは、眩しい太陽のその真反対にいる、青白くおぼろげな三日月の声のようです。

    少女を取り巻く人々と、少女自身。
    この2つの異なる立場を、ディマシュは「声に乗せた感情」と「声の音色」で同時に表現しているように聴こえます。
    いやこれは……凄いと思いました。
    この2つの視点を、同時に歌えるのか、と。
    そして、ヴァース1とブリッジ1の対比を、これほど美しく表現するのか、と。

    ブリッジ1の最後のフレーズを、ふたりが声をそろえて歌います。
    「ヨン、リー、フー、シー」(用力呼吸)
    それは、呼吸ができずに意識を失いそうな少女の耳が聞いた、医師や看護師たちの声だったのかもしれません。
    「強く、息をして!」


    《コーラス1-1と1-2:詩人の概念》

    この歌はもともと、ゴン・リンナさんと作詞作曲者の女性ラッパーとのデュエットで歌われていました。
    なので、もともと2つの異なった声で異なった表現を重ねる歌だったと思います。

    「ヨン、リー、フー、シー」のあとのコーラス1-1を歌うリンナさんの声に、ディマシュが1オクターブ下のユニゾンを重ねて歌いました。

    この箇所の歌詞の主語は、「詩人の概念」です。
    太陽と月、どちらの声も加わって、少女が夢見る「希望の姿」を歌います。
    詩人になりたいと願うのは、太陽の意志だけではなく、か弱い月の執念でもあるのだ、と。

    次のコーラス1-2では主語が「私」になり、「太陽の意志」(リンナさん)で独唱されます。
    ディマシュはこの時、ハミングを歌って途中だけ加わりました。
    それはまるで雲間から見え隠れする青白い月の光のようで、夢見る少女の強い意志の裏にある、表現の源泉としての「宿命への深い悲しみ」を見るようです。
    ディマシュのその表現を生んでいるのは、やはり「愛」、少女の生きる強さだけでなく、少女が味わったであろう絶望的な深い悲しみを、優しくすくい上げて抱き寄せるような「慈愛」なのだろうと思います。
    もしかしたらディマシュは、少女の表現の源であるその「深い悲しみ」に、自分の歌の表現と同じ何かを感じたのだろうか、という気もします。

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    《ラップ:詩人の魂》

    ゴン・リンナさんが、中間部のラップ部分を歌います。
    この箇所は、元々は作者の女性ラッパー、ユージェンが歌う箇所です。
    ユージェンの声はラッパーらしく鋭く尖っていて、さながら戦う女戦士のような声です。
    歌詞もまた、ややシニカルで戦闘的です。
    自分の意志と自分の身体の対比、自分の身体とそれを見る社会の対比、そして、運命を打ち負かそうとする燃えるような闘魂。
    リンナさんのラップは、人生の苦労を知ってなお立ち上がり、さらなる苦労を自ら背負おうとする重い決意や粘り強さ、そしてその背後には自分を信じる楽観性を感じます。

    これはもしかしたら、ディマシュの声との対比でそのように感じるのかもしれません。
    ディマシュの声が「悲劇性」を担っているため、リンナさんの声の「楽観性」が理解できるように思えるからです。
    主人公の少女はもちろん、動けない難病患者ではあるのですが、彼女の魂まで病に侵されているわけではなく、むしろ誰よりも際立って健全で力強いものなのであろうと、リンナさんの声を通して感じるのです。


    《ラップ・言葉の韻》

    またここはラップなので、歌の表現のほかに、詩の「韻」を楽しむ箇所でもあります。
    例えば、1行目と2行目に出てくる「和你/フェアニー」。
    4行目の最後の「家具/ジャジュ」と、5行目の最初の「加剧/ジャジュ(悪化させる)」。
    同じく5行目の最後の「趁机/チェンジ―」と、6行目の最後の「刺激/ツージー」。
    ラップ部分の終盤あたりで3回連続する「要/イャオ」。
    最後の「诗人/シーレン」は、その2行前の最後の「不甘认/ブーガンレン」と呼応しているようです。
    聴き慣れない中国語ですし、スピードも速いのでちょっと難しいですが、その辺を注意して聴くと面白いと思います。


    《バックトラック(伴奏)と編曲者について》

    『詩人になる』のバックトラック(伴奏)は、『レッド・ムーン・ルール』とはまた違う編曲者によるものです。
    編曲者のひとり、ケン・ウー(Kenn Wu)はシンガポールの有名なプロデューサーでミュージシャン。中国の動画共有サービス「ビリビリ(bilibili)」の「Rap New Generation」の音楽監督を務めているという人物でした。[2]

    もうひとりはオランダ人のヨッヘム・ファン・デル・サーグ(Jochem Van Der Saag)という人物です。[3]
    グラミー賞を受賞しているプロデューサーですが、むしろミキシングやエンジニアリング、サウンドデザイン、ドラム・プログラムなど、現代音楽の制作に必要な役割をすべてこなす職人のようです。
    彼はまた、伝説的プロデューサーであるデヴィッド・フォスターの右腕と言われている人です。
    デヴィッド・フォスターといえば、ディマシュのMV『OMIR』の最後あたりで、ディマシュとグータッチしていたメガネのプロデューサー氏です。
    探してみると、いろいろと関係があるものですね。

    最初にこの歌を聴いた時、あまり中国的ではないなと思いましたが、そういう人たちが制作したサウンドでした。
    繊細で優しくロマンティックなサウンドですが、どこか乾いた電気的なテイストと、全体的に「プログレッシブ・ロック」や「環境音楽」「ミニマル・ミュージック」のような印象もあります。
    そういう音が逆に、ふたりの歌手の豊かな感情表現とぶつからず、なおかつ機械と切り離しては生きることのできない「少女」の残酷な環境を物語っているようです。
    特にラップ部分では、それまでのロマンティックな雰囲気が後退し、シンセ・ドラムの強いリズムと電気的な効果音が前面に出て来ます。
    それがこの部分の歌詞が持つシニカルでやや戦闘的な雰囲気を音で聴いているような感覚になります。
    非常に面白いサウンドです。


    《再びディマシュのブリッジ2》

    歌はブリッジ2に進み、ディマシュが再び3人称で少女の状況を歌います。
    今までラップで聞いていた強い決意から一転、歌は再び少女の力のない身体に戻ってきました。
    サウンドも、ピアノとハープが前半よりもさらに繊細で悲劇的な環境を強調しています。
    ディマシュはブリッジ2の最初のメロディを1音変えており、ブリッジ1で使ったランを1カ所、消しています。
    そのため、ブリッジ1の時よりも三人称の目線が少女をまっすぐに見ているような印象なりました。
    ふたりがそろって歌う、「用力呼吸/ヨン、リー、フー、シー」。
    これも、ふたりの感情がブリッジ1の時よりも強く乗っているため、今度は少女自身の言葉のように聴こえます。
    詩人になることを決めた彼女が、自らの弱々しい体に向かって「生きるのよ」と切実な願いを込めているようです。


    《ディマシュのエアリーボイスについて》

    また、ディマシュのエアリーな声は、私たちがファルセットを歌う時に閉じた声帯を震わせて少ない呼気を押し出して出る声ではありません。
    声帯をめいっぱい開いたままで、出ていく息のふちで開いた声帯をひっかけるようにして震わせる声です。
    そのため、このようなエアリーな声には、普通の声の何倍もの呼気と体力が必要です。
    それを酸欠にもならずに歌うわけなので、いかにディマシュの呼吸法が凄いかっていう話です。
    あのエアリーな声は、物凄い体力と呼気を使うからこそ、あのように繊細で美しいのです。

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    《コーラス2ー1と、2-2》

    最後のコーラス2-1は、ディマシュがリードを取りました。
    儚くて柔らかく、たおやかだった彼女の身体が、まるで目覚めたように力強い声で自分の願いを叫んでいるようです。
    ディマシュが全身で歌うチェストボイスはやっぱり美しくて、説得力があって、何よりも「主人公」の性質を持っています。
    そのため、この声が主人公の「本音」を正直に語っているのだなと感じてしまいます。

    2-1の後半では、ディマシュは歌い方を変え、ややエアリーな声に戻しました。
    すると今度は、ヴォカリーズを歌うリンナさんの声が聴こえてきました。
    リンナさんの声に乗っている「悲しみ」は、どんなに強い意志の持ち主であっても、それはやはり辛くて苦しいのだと語っているようで、リスナーの胸を打ちます。
    それもまた、少女の強い意志の裏側にある「本音」だからでしょう。

    コーラス2-2では、リンナさんがリードを、ディマシュがヴォカリーズを歌います。
    ここでやっと、少女の意志と身体が同じ「本音」を語り、同じ「願い」を語ります。
    リンナさんの声は2-1の時の「悲しみ」が乗ったままです。
    ディマシュ渾身のミックスボイスのヴォカリーズには、か弱い身体がありったけの力を振り絞って、「詩人」という自由を手に入れたいと悲鳴を上げているかのようです。

    途中、客席で聴いている髪の長い眼鏡の女性が口元に手を当てて、ステージを見ている姿が映ります。
    その直前、ディマシュが上向きに反り返りながら歌う場面では、彼の首に浮かび上がった2本の筋が見えます。
    もしかして『Hello』(「Singer2018」)の時みたいな感情の巨大なオーバーフローがディマシュに起こっているのだろうか?と感じました。
    先ほどの眼鏡の女性が再び画面に映り、ディマシュの感情のオバーフローに直撃されたんだろうなというような表情で泣いていました。

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    《詩人の肉声》

    ふたりの歌が終わると、今度は別の女性の声が詩を朗読し始めました。
    これは歌のあとでリンナさんが説明したように、ジェニー・バオ本人の肉声です。
    しかし、なんと綺麗な声でしょう。
    そして、スクリーンに映し出されていく彼女の詩の字面と声の美しさ。
    歌い終わったディマシュがジェニーの声に振り返った時、彼もまた印象的な表情をしていて、胸を打たれます。
    それはまるで、まだ未来を知らない少女が、こうなりたいと自分が望む未来の自分を発見して呆然としている……かのようです。

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    ジェニーの朗読が終わると、背後の画面にはだれも座っていない椅子が映りました。
    ここには居ないけれど、ジェニー・バオがここにずっと座っていました、という意味です。
    いままでデュエットを聴いていたつもりだったけれど、本当はトリオであったことが最後に明かされたようで、非常に良い演出だと思いました。

    リンナさんが涙ぐんだような表情で胸に手を当てて、大きく息を吸い、吐き出しました。
    この時の呼吸音は、あとから加えられた別撮りですが、リンナさんがライブで行った深呼吸のしぐさは、歌の中で大きな役割を持っていた「呼吸」でピリオドを打った形になり、これで歌が本当に終わったと思える、とても印象的なしぐさでした。


    【デュエットであること:コーラス2-1の緻密な構成】

    ディマシュはこの歌のブリッジ1と2で、彼の繊細で忍びやかな声をことさら強調していて、肺活量を目いっぱい使ったエアリーな声で歌っています。
    それはやはり、リンナさんの生命力に満ちた力強い声と対比させるための、彼の選択だろうと思います。
    ジェニー・バオの物語の根幹は、彼女の強い意志と動かない身体との対比にあります。
    歌が元々そのように作られていることもあって、「対比」は非常に重要なテーマでした。
    ディマシュの声は少女の「悲しみ」や「悲劇」と親和性が強く、対比となるリンナさんの太陽のように強い声があったからこそ、ディマシュのあの優しげでたおやかな、月の光のような声も、より生き生きと感じられたのだろうと思います。

    ディマシュは事前に、この歌をどう表現するかについて、かなり綿密に計画したのではないかという気がします。
    それが感じられるのは、コーラス2-1で彼がリードボーカルを取った時の歌い方です。
    このセクションを歌詞の行ごとに、3つに分けて構成されています。

    1行目は超強力なハイ・チェストボイス、もしかしたらヘッドボイスも混じってミックスのような声になっているのかもしれませんし、途中、中国語にはない巻き舌も出ました。
    そのようなパワフルな声で歌って、まずはリスナーにショックを与えます。
    2行目では、声の強さをほんの少し押さえて美しいチェストボイスで歌い、最後の一言の語尾で、強さを徐々に落として行きます。
    3行目以降は、時々エアリーなボイスも使って、非常に繊細に強弱の変化をつけて歌っています。
    しかも、ダイナミズム(強弱)は明らかに弱になっているのに、声の印象はむしろ弱になった3行目以降の方が強いという不思議。

    しかも、これだけ複雑な構成なのに、リンナさんの声との力関係がイーブンな状態に聴こえるという、これもまた不思議です。
    特に1行目でふたりの声が拮抗している状態は、非常にインパクトがありました。

    コーラス2-2では、ディマシュは渾身のミックスボイスで悲鳴のように歌い上げ、リンナさんの声とイーブンのままで終わります。
    そのあとに聞こえてくるジェニー・バオの声の音質も、ディマシュの構成の計算に入っていると思います。
    非常に聴き応えのある、緻密な構成だと思いました。

    自分の声やデュエット相手の声の表現を、客観的に把握して緻密に計算し、構成していること。
    ソロの場合は、自分というシンガーに対して、さらに細かく計算と構成をしていること。
    それはシンガーというよりもむしろ、音楽ディレクター的なアプローチの制作方法です。
    それによって、ディマシュの歌の世界が「どこか別の世界」でありながら、現実味と説得力があり、引きずり込まれるように彼の歌に聴き入ってしまう「魔法」のような魅力を持つのだろうと思います。
    彼自身が歌唱を構成し、演出していることが、ディマシュの歌の素晴らしさの秘密のひとつであろうと考えています。

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    【アウトロ:ホントは尊敬してますと白状ときます💦】

    以上、ディマシュが「Our Song/我们的歌」で歌った3曲について、私個人の感想でした。
    ディマシュは番組では、持ち前のコメディ体質で出演者さん達や観客を笑わせていますが、こと歌や音楽に関しては、やっぱり規格外の創作者なんだなと思います。
    そして、彼のボーカル・コントロールの精妙さと大胆さ。
    この世に別世界をもたらす、歌唱表現の豊かさと説得力。
    記事上では私、ディマシュのことを相当おちょくった扱いしてますけども、本当のことを言いますと、ものすごく尊敬してます🌷✨
    これからも、彼がリリースする素晴らしい作品を楽しみにしています💕

    (おしまい🌷)


    【注解】

    [1] シャオユンのデビュー前、デビュー後の歌の集合ブログ
    https://ameblo.jp/china-shanghai-taichi/entry-12541911456.html?frm=theme

    [2] Kenn Wu 百度百科 
    https://baike.baidu.com/item/Kenn Wu/55716076

    [3] Jochem Van Der Saag「ミックスエンジニアの秘密:ヨッヘム・ファン・デル・サーグ」
    https://www.soundonsound.com/techniques/secrets-mix-engineers-jochem-van-der-saag


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    音楽ゲーム書籍大好き。人生前半は漫画家アシスタント、高校時代からロックバンド、クイーンのファン。クイーン限定でシンコー・ミュージックの書籍「クイーン・ファイル」「クイーンムック本」雑誌「THE DIG」などに記事を書く。現在はカザフスタンの天才シンガー、ディマシュのファンです🌷

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