
最後の級長
私の祖母は、小学生の頃、成績が一番の人が級長を務める時代に、ずっと級長をしていた。
成績は、今でいうオール5。
足も速く、県の大会にも出場していた。
私たち孫が遊びに行くたび、祖母は当時の成績表を見せながら、足が速くて大会に出ていた話をよく聞かせてくれた。
「すごいね。」
「こんな成績の人、見たことないね。」
私たちは、毎回、目を丸くして驚いた。
祖母は、良妻賢母だった。
近所の友人とも仲が良く、毎年、私たち孫に浴衣を縫い、編み物を作って贈ってくれた。
家へ行くと、玄関にはいつも季節の花が飾られ、床も台所も隅々まできれいに磨かれていた。
祖父も、そんな祖母を深く愛していた。
祖父は80代半ばで旅立つとき、感謝の言葉とともに、
「世界一愛している。」
その一言を祖母に贈り、この世を去った。
祖母はその後も毎朝、お花とお水、そして食べ物を供え、仏壇に手を合わせる日々を送っていた。
やがて、コロナ禍の少し前に施設へ入居した。
娘たちが会いに行くたび、祖母はいつも娘や家族の健康を気遣い、その優しい雰囲気は変わらなかった。
しかし、ある日、母が面会に行くと、祖父の遺影が裏返しに倒されていた。
母は元通りに直して帰った。
ところが、次に訪ねたときも、遺影はまた裏返しに倒されていた。
「あんなに愛し合っていたのに、どうしてだろう……。何かあったのかね。」
母は不思議そうに話していた。
その後、コロナ禍となり、家族は誰も祖母と面会できなくなった。
施設の方が電話で様子を伝えてくださる。
「毎日きちんと起きて身支度をして、しっかり食べていますよ。」
その言葉に、家族みんなが安堵した。
祖母の100歳の誕生日には、母と姉妹が施設の中庭から誕生日のお祝いをした。
食べ物の差し入れは禁止になっていたため、庭から皆で手を振ることしかできなかった。
それでも祖母は、笑顔で手を振り返してくれた。
祖母は103歳まで生きた。
毎日きちんと身支度を整え、自分の生活を守り続けていたという。
家族は悲しみよりも、
「よくぞここまで頑張ってくれた。」
そんな拍手を送りたいような気持ちだった。
そのとき、母がぽつりと言った。
「おばあちゃんが、おじいちゃんの遺影を倒して
見ないようにしたのは、もう誰にも頼らない。
これからは自分しかない。
そんな、おばあちゃんなりの強い意志表示だったんだね……。」
その言葉を聞いたとき、私は、小学生の頃、ずっと級長を務めていた祖母の心意気を感じた。
祖母は、戦争を生き抜き、戦後を生き、時代が大きく変わるなかを、一歩一歩、懸命に歩き続けた。
家族へ惜しみなく愛を注ぎ、みんなをその愛で包み、最後の日まで、きちんと生き抜いた。
そして103歳。
祖母は静かに、自分の人生の幕を閉じた。
棺には、おじいちゃんの遺影と、あの成績表を入れてほしいと、生前に伝えていたという。
最後まで、自分の人生を誇りに生き、世界一愛した人のもとへ旅立っていった。
おばあちゃん。
いつも、本当にありがとう。
