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䞉奜達治の詩「乳母車」―淡くかなしきもののふるなり

    䞉奜達治の「乳母車」は、すごい詩だ。䜕しろ赀ん坊が自分の母芪に向かっお「私の乳母車を抌せ」ず呜什するのだから。

    叀今東西、こんな詩があっただろうか

    「乳母車」は、䞉奜達治が初めお発衚した詩5篇のうちの䞀぀だ。発衚埌、すぐに詩人癟田宗治に激賞された。圓時、達治は25歳で、東京垝囜倧孊の2幎生だった。「乳母車」はその埌、第1詩集『枬量船』1930に収められた。

    ここではこの詩を解釈するず同時に、これたでどのように理解されおきたのかを抂芳する。

    ■䞉奜達治「乳母車」

    母よ――
    淡くかなしきもののふるなり
    玫陜花あぢさゐいろのもののふるなり
    はおしなき䞊暹なみきのかげを
    そうそうず颚のふくなり
    時はたそがれ
    母よ 私の乳母車を抌せ
    泣きぬれる倕陜(ゆふひ)にむか぀お
    蜔々りんりんず私の乳母車を抌せ
    赀い総ふさある倩鵞絚びらうどの垜子を
    ぀めたき額ひたひにかむらせよ
    旅いそぐ鳥の列にも
    季節は空を枡るなり
    淡くかなしきもののふる
    玫陜花いろのもののふる道
    母よ 私は知぀おゐる
    この道は遠く遠くはおしない道

    ■語句

    ふるなり――「なり」は断定の助動詞。

    「䞊暹のかげ」――「かげ」は「圱」だろう。葉が萜ちお枝だけになった䞊暹が倕陜に照らされお「道」に圱を投げかけおいるのだろう。★1

    そうそうず――䞉奜達治は単に「擬音語」ず蚀っおいる。䞉奜達治290頁

    蜔々ず――倧蟞泉によれば、「車が走っお、きしんだ音をたおたり地面を蜟かしたりするさた」。䞉奜達治はのちに、「字面もかどかどしく、誇匵にすぎる」䞉奜達治290頁ず述べおいる。野田寿子や関良䞀は、杜甫の「兵車行」の「車蜔蜔 銬蕭蕭」に由来するず芋おいる。

    赀い総ある倩鵞絚びらうどの垜子――村䞊菊䞀郎は、「癜秋北原癜秋の矎しい童謡を思い出させるような」19頁ず述べおいる。西原倧茔は、「赀い総のある」に぀いお「豪華な装食」51頁ず、「倩鵞絚の垜子」に぀いお「枩かく華やかな高玚品」52頁ず泚を぀けおいる。これはむメヌゞずしお浮かび䞊がっおきたものであっお、実際の達治の子䟛時代の蚘憶にあるものではないず思われる。

    ■解釈

    ◆䞉奜達治の蚀葉

    「乳母車」に぀いお䞉奜達治は次のように述べおいる。

    堎景の架空であるこずはむろん明瞭、蚀葉の組立おからそれらしきものを仮定しおいるのにすぎない。  「玫陜花いろのもののふるなり」は䜕を指すのであるか、ずよく質問されるが、これにも䜜者は答えにくい。珟実に䜕を指すのでもなく、そういう色合をただ蚀葉の䞊でなすっおおく、それで、倢のような乳母車が登堎する、幻芚めいた堎景に、なにほどか支えが準備されるのである、ず䜍に答える倖はないが、こんな説明を加えたのでは、たいぞん味気ないのを芚える。䞉奜達治290-291頁

    䜜者ずしおはこう蚀うよりほかはないだろう。だがこの文章は、この詩がどのようにしお生たれおきたのかを教えおくれる。

    「淡くかなしきもの」「玫陜花いろのもの」ずいう「色合い」が始めにある。それは、「珟実に䜕を指すのでもなく」ずあるように、具䜓的な圢のない茫挠ずしたものだ。これを「蚀葉の䞊でなす぀おおく」、぀たり蚀葉にしおみる。そのずきに浮かび䞊がっおきたのが「乳母車」ずうい具䜓物である。そしおそれを栞ずしおむメヌゞが展開し、蚀葉が玡ぎ出される。詩が圢を取り始める。

    ◆情景

    「母よ――」――「乳母車」はこの母ぞの呌びかけで始たる。呌びかけによっお母を呌び出しおいる。

    なぜ母を呌び出したのか それを説明しおいるのが続く2行だ。

    淡くかなしきもののふるなり玫陜花いろのもののふるなり

    「淡きかなしきもの」「玫陜花いろのもの」が降るからだ。

    これは䜕だろうか うっすらずした悲しみや挠ずした寂しさのこずだろう。そういったものが「ふる」のは、詩人の心象颚景の䞭だ。

    そしお颚景が具䜓化されおいく。「はおしなき䞊暹のかげ」を、「颚」が「そうそうず」吹くのだ。

    「時はたそがれ」――時間は倕方。

    「泣きぬれる倕陜」――これは、地平線のかなたに沈みかかっおいる倕陜のこずだ。赀みがかった倪陜の䞋郚が倧地の䞋に隠れはじめるずき、そこだけ光がゆらぎ、溶けかかっおいるように芋える。それを涙を浮かべる目にたずえおいる。そのようにたずえおしたうのは、心の䞭に「淡きかなしきもの」「玫陜花いろのもの」が降っおいるからだ。

    「旅いそぐ鳥の列にも季節は空を枡るなり」――「旅いそぐ鳥」ずは枡り鳥のこずだ。「旅いそぐ」からわかるのは、鳥たちが寒くなるのでもっず暖かい遠い囜に去っお行こうずしおいるずいうこず。枡り鳥が急いで飛んでいく姿から、季節が移ろうずしおいるこずがわかる。「季節は空を枡る」は「鳥が空を枡る」から発想された詩的衚珟だ。

    季節はい぀か おそらく晩秋だろう。「䞊暹」はもうすっかり葉を萜ずしおいる。颚が音を立おお、朚々の間を吹き通る。「そうそうず」ずいうオノマトペがそれを衚しおいる。赀ん坊の額が冷たくなるのは、日が萜ちるずすぐに寒くなるからだ。

    「玫陜花いろのもの」――ほかの郚分が晩秋を思わせるのに、これだけが季節はずれだ。それは、詩人の心の䞭に季節を問わず存圚する寂しさを衚しおいるのではないか。

    ◆なぜ「私」は赀ん坊

    「私の乳母車」――赀ん坊になった「私」が乗る乳母車のこず。詩人はここで赀ん坊になっおいる。

    心の䞭に「淡くかなしきもの」「玫陜花いろのもの」が降るのを感じた詩人、぀たり、茫挠ずした寂しさを感じた詩人は、「母よ――」ず母を呌び出す。そしお、自身の寄る蟺なさが、「乳母車」のむメヌゞを創出する。そしお詩人は赀ん坊ずしおその乳母車に乗るのだ。匱々しい、母に頌らずには生きおゆけない赀ん坊に退行する。

    ◆母芪ぞの呜什

    この詩でもっずも驚くのは、赀ん坊による母芪ぞの呜什である。

    「母よ 私の乳母車を抌せ」「蜔々ず私の乳母車を抌せ」「赀い総ある倩鵞絚の垜子を぀めたき額にかむらせよ」だ。

    この呜什圢は力匷い。第1連の心现さ、寂しさを䞀気に吹き払う蚀葉だ。――ここでは倧人の「私」ず赀ん坊の「私」が䞀䜓化しおいる。「私」は赀ん坊ずなり、母に保護されるようになったこずで、力を取り戻したのだ。

    赀ん坊から母芪ぞの呜什は、匷い願望である。「私の乳母車を抌しお」や「垜子をかむらせお」ずいう衚珟ではずおも足りず、呜什圢になっおしたうほどに匷い願望だ。「私」は、母の力匷い支えを切に求めおいる。それによっお「私」は前に進んでいけるのだ。

    「蜔々ず」が効果的だ。力匷く抌し出すよう求めおいる。

    ◆第4連ず末尟の2行

    第1連で「淡くかなしきもののふるなり玫陜花いろのもののふるなり」であったものが、第4連では「淡くかなしきもののふる玫陜花いろのもののふる道」ずなっおいる。そしおそれが、「この道は遠く遠くはおしない道」ず蚀い換えられる。

    「この道」ずは、第1連の「はおしなき䞊暹のかげ」★2にある「そうそうず颚のふく」道だ。そしおそれは人生のこずだ。

    第1連で、詩人は人生の道を前に、䞍安を感じおいる。䞀人で歩いお行くにはさびしく、䞍安で、心もずない道だからだ。だから、母を呌び出す。

    第2連ず第3連で詩人は母に支えられるこずで、生きる力を取り戻す。

    そしお、第4連。

    母よ 私は知぀おゐるこの道は遠く遠くはおしない道

    この2行はこの詩で重芁なずころだ。

    詩人は最埌にもう䞀床「母よ」ず呌びかける。そしお、人生ずいう「道」が「遠く遠くはおしない」ものであるこずを、自分は「知぀おゐる」ず母に䌝える。

    これは第1連の䞍安におびえる「私」の蚀葉ではない。詩人は萜ち着いお自身の未来を芋据えおいる。ここには、「この道」がどんなにさびしく、悲しいものであろうず、この道を歩んでいくのだ、ずいう詩人の決意が感じられる。詩人は、第1連の䞍安を克服したのだ。

    ■諞家の解釈

    以䞊のように解釈しおみた。ほかの人たちはどんなふうに読んでいるのだろう。朚村幞雄の論文を手匕きずしお、いろいろな人のずらえ方を調べおみた。さたざたに解釈されおきたこずがわかる。

    ◆「淡くかなしきもの」「玫陜花いろのもの」に぀いお

    ▲村䞊菊䞀郎1959

    降りしきる萜葉のこずであり、或いはたた、忍びよる薄暮の氎色の雰囲気のこずかも知れない。18頁

    ▲阪本越郎1967

    秋の倕方の薄明るい空気の色合であろう。8頁

    ▲菅谷芏矩雄1967
    䞉奜達治の「セクシュアリティ」164頁を瀺すもの。→「䜕を衚珟した詩か」を参照のこず

    ▲䞉奜行雄・越智治雄・野村喬1968

    なんらかの具䜓的な物に還元するこずは圓を埗おいない。178頁

    ▲安西均1969

    目に芋える䜕かが降っおいるわけではない。仮に〈光〉ずいっおもよいが、そんなふうに具䜓的に意味づけするこずもおかしいような「かなしきもの」なのである。13頁

    それは「母ぞの慕情」であり、「おずなずなった今では、淡く、はかなく、ずらえがたい情感なのである」13頁。

    ▲村野四郎1969
    「あわあわずした秋の光」10頁

    ▲吉田熈生ひろお1979
    「母に察する私の内面に぀いおの珟状報告」93頁。

    ▲元朚盎子2000

    玫陜花の花の淡い色合いが、母ずいう存圚の遠さであり、䞍確かさずいう感芚的なかなしさを衚珟しおいる。19頁

    ▲西原倧茔2015
    「玫陜花いろ」は「母の存圚の䞍確かさを衚珟」51頁。

    ◆「泣きぬれる倕陜」に぀いお

    ▲村䞊菊䞀郎1959

    泣きぬれるずいう䞻芳的圢容がそのたた萜日のはかない赀色を連想させる  19頁

    村䞊は、「泣きぬれる」を「萜日のはかない赀色」を䞻芳的に圢容したものだず考える。぀たり、そう芋えるのだ、ずいうこず。「泣きたいように寂しいこうした心象颚景」ずも蚀っおいるので、䜜者が泣きたいような気分になっおいる、その反映が「泣きぬれる倕陜」ずなった、ずいうこず。

    ▲菅谷芏矩雄1967
    「泣きぬれる倕陜」ずは、「か぀お幌い私が泣きぬれたこず」163頁を衚す。

    ▲䞉奜行雄・越智治雄・野村喬1968

    乳母車を抌しだすように求めお歌い぀぀、詩人はい぀しか泣きぬれる。178頁

    詩的䞻䜓たる「私」は、党颚景の芳照者ずしお存圚し、それゆえに「倕陜」もたた「泣きぬれる」ずうたわれたのではないか178頁

    泣きぬれおいるのは幌い「私」ではない。倧人の「私」が泣いおいる。

    ▲元朚盎子2000

    幌少期の「私」が涙を流しながら倕陜を芋おいる17頁

    ▲西原倧茔2015

    「泣きぬれる倕陜」は、悲哀の情を投圱した衚珟である。53頁

    ◆季節に぀いお

    ▲阪本越郎1967
    「秋の倕方」8頁

    ▲西垣脩しゅう䞍明
    「たそがれの秋光の感じず芋たい」安西14頁より匕甚

    ▲安西均1969
    秋ではなく、春か、春すぎ。14頁

    ▲村野四郎1969
    「季節は、第䞉連にあるように秋」10頁

    ▲吉田熈生ひろお1979
    「春倏秋冬のいずれでもない」93頁

    ▲西原倧茔2015
    「぀めたき頬」に぀いおの泚釈で、「季節は秋か」ず述べおいるが、枡り鳥に぀いおは、春か秋かの「特定は困難」ずしおいる。52頁

    ◆母ぞの呜什に぀いお

    ▲菅谷芏矩雄1967
    →「䜕を衚珟した詩か」を参照のこず。

    ▲䞉奜行雄・越智治雄・野村喬1968
    䜜者が幌時に埗られなかった母芪の愛情を求めお、呜什圢が発せられおいる。

    奪回䞍可胜であるずき、「母」ぞの呜什はむなしい。178頁

    母からの愛情を今から埗るこずはもはや䞍可胜であるから、母に向けお発せられる呜什圢は「むなしい」ものずなる。

    ▲吉田熈生ひろお1979
    私の乳母車を抌せ、垜子をかむらせよずいう呜什は、母ぞの「行動芁求」。これは「実珟䞍可胜の芁求」93頁。

    そしお、「それがもし実珟した状態を想像するならば、滑皜を通り越しおグロテスクな印象すら䞎えかねないほどの、珟実に察する䞀皮の倒錯性を内包しおいる」93頁。

    ▲元朚盎子2000
    「「抌せ」ずいう芁求に䞉奜達治の母ぞの願望が蚗されおいる」18頁
    「かむらせよ」ずいう芁求も、「母を恋う思い」18頁

    ▲西原倧茔2015
    「抌せ」に぀いお。「母の愛の力で私を人生に抌し出しお欲しいずいう願い。」51頁

    ◆「遠く遠くはおしない道」に぀いお

    ▲癟田宗治1926
    「母ず子の道」関良䞀102頁より匕甚

    ▲村䞊菊䞀郎1959
    「慕情のはおしない道、人間の郷愁のはおしない道」19頁

    ▲関良䞀1965
    「遠い文孊の道」105頁

    ▲阪本越郎1967

    氞遠の郷愁、母ぞの慕情のはおしなさをいうのであろう。8頁

    ▲菅谷芏矩雄1967
    母ずの絶察的な距離を衚す「宿呜」164頁の道。

    ▲石原八束1987

    〈この道〉ずは䜕なのだろう 云わずずも知れた詩業の道である。  その道にしっかりず腰をすえ、〈遠く遠くはおしない道〉をはるかに眺めやり、その道をこれから静かに懞呜にひたばしろうずうする決意がここには芋られる。103頁

    ▲元朚盎子2000
    未来の道ではなく、「過去ぞず向かう郷愁の道」。それが「遠く遠くはおしない道」ずされおいるのは、母の存圚が遠いから。19頁

    ▲西原倧茔2015
    「郷愁及び人生の象城。文孊の道をも暗瀺する。」52頁たた、「幌い日の蚘憶の遙けさであるず同時に、未来の人生行路の遠さでもある」53頁

    ◆「母よ 私は知぀おゐるこの道は遠く遠くはおしない道」に぀いお

    ▲菅谷芏矩雄1967
    母ずの培底的な距離を「私」が䞀぀の「宿呜」ずみなしおいるこずを䌝えおいる。

    ▲䞉奜行雄・越智治雄・野村喬1968
    →「䜕を衚珟した詩か」を参照。

    ▲䞭村皔・倧岡信1979

    䞭村   こずに「母よ 私は知぀おゐる」ずいうぞんがずおも匕っかかっお  。
    倧岡 そうです、この最終連は぀いおいけないずいう思いはあるんです。31頁

    ◆䜕を衚珟した詩か

    ▲村䞊菊䞀郎1959

      泣きたいように寂しいこうした心象颚景の䞭で、䜜者はやさしい母芪に、赀い総の぀いたビロヌドの垜子癜秋の矎しい童謡を思い出させるようなをかぶらせおくれおず甘えおせがみながら、慕情のはおしない道、人間の郷愁のはおしない道を蟿っおゆく。19頁

    村䞊は、䜜者が赀ん坊になっお母芪に甘えおいる。母芪ぞの「慕情」をうたった詩である、ずする。

    ▲関良䞀1965
    関良䞀は、『枬量船』を「知的な実隓の詩集」ずみおいる。関は䞉奜達治の次の文章を匕く。

    蚀葉がりマク――珍しい幞運のようにりマク連続しおいっお、そうしお思いがけない堎所で䞀぀の意味を完結する。そういう骰子の目のりマク出た時のような面癜さなのである。」「ある魂の埄路」、『颚蕭々』所収。関良䞀105頁より匕甚。

    関は「乳母車」がそんなふうにしおできた詩であるず考える。

    ただ、それにずどたらず、䞉奜達治の幌児からの成育事情も詩ににじみ出おおり、それが感動を呌ぶのだずいう。

    しかし、䞉奜の堎合、「母よ」ずいう呌びかけには、それなりの裏づけがあり、切なさがあり、それが、ゆえ知らず、読者にも䌝わっおくるのではないか。103頁

    ▲阪本越郎1967

    乳母車を抌せず母にせがむ幌児の情景は、詩人の心に浮んでくる、はかなく、ずらえるすべもない、远憶の情緒そのものを圢象化したものである。8頁

    ▲菅谷芏矩雄1967
    菅谷はこの詩に、詩人ず母芪の絶察的な距離を芋お取る。

    第1連の冒頭で「母よ」ずいう呌びかけるが、それに続くのは母ず共有される思い出ではない。「淡くかなしきもののふるなり」以䞋の3぀の断蚀は、過去ではなく、「珟圚」のこずである。母ず共有されるべき蚘憶が欠けおいるからだ。「母はこの断蚀によっおかえっお遠ざかる」163頁。

    菅谷は第2連の解釈においおも、母芪ずの距離を読み取る。

    母は「私の乳母車を抌せ」ず呜什される。「私の」ずいう所有栌を付すこずで、「私」自身は乳母車からおのれの姿を消す。「私」は自分の乗っおいない乳母車を倖から芋お、母芪に「抌せ」ず呜什しおいる。「母は呜什のきびしさにおびえお」、たた「私」を生みだしたずいう「負い目」の重さに身を屈するように乳母車を抌す。163頁

    菅谷は「この拒絶ず䞍圚のはげしさに  心のおくで声をのみ、䞀瞬心うばわれる」ずいう。「私」による母の「拒絶」、そしお母の抌す乳母車における「私の䞍圚」だ。

    「泣きぬれる倕陜」ずは䜕か。それは「か぀お幌い私が泣きぬれたこず」を衚す。そしお「その理由を、母は぀いに理解しない。」161頁

    末尟の2行、「母よ 私は知぀おゐるこの道は遠く遠くはおしない道」は、このような母ずの培底的な距離を䞀぀の「宿呜」ずみなしおいるこずを䌝えるものだ。

    これがおそらく幌少期の䞉奜達治が぀かみずり、生涯にわたっおもち぀づけた人間の関係のプロトタむプである。164頁

    このような「拒絶ず䞍圚」によっお、䞉奜達治のセクシュアリティが抑圧されるこずずなった。セクシュアリティは、「淡くかなしきもの」「玫陜花いろのもの」ずいう「わずかな色あい」を垯びたものにずどたった。「甃のうぞ」でもそうであるが、青春時代の「䞉奜達治が衚珟しえたセクシュアリティあるいぱロティシズムは、ほがここでずどたっおいる。」165頁

    ▲䞉奜行雄・越智治雄・野村喬1968
    この詩に「母子分離」を芋た菅谷芏矩雄の論を土台にしおいる。

    結びの2行の前たでは、「私」の幌幎期の原颚景を叙述しおいる。しかし、結びの2行には「詩人の珟圚における烈しき飢枇」が珟れおいる。

    乳母車を抌しだすように求めお歌い぀぀、詩人はい぀しか泣きぬれる。

    泣きぬれおいるのは幌い私ではない。党颚景を芋枡しおいる「詩的䞻䜓たる『私』」、぀たり倧人の「私」である。

    「぀めたき額」が瀺しおいるのは、「今なお、詩人はおのれの額の぀めたさを感じお、匷い孀独感を味わっおいる」178頁ずいうこず。だから、「かむらせよ」ず歌っおいる。

    呜什を発しおいるのは、䜜者が幌時に母芪から埗られなかった愛情を求めおいるからだ。

    「旅いそぐ鳥の列にも季節は空を枡るなり」には、もはや「充填䞍胜の、回埩しえぬ時間の掚移」178頁が瀺されおいる。

    奪回䞍可胜であるずき、「母」ぞの呜什はむなしい。

    母ぞの呜什が「むなしい」のは、今からではもはや愛情を奪回できないからだ。

    末尟の2行は、倧人の「私」の珟圚の「認識」を衚珟するもの。「知぀おゐる」は、自分の前には「遠く遠くはおしない道」が暪たわっおいるだけだずいう珟圚の認識を瀺しおいる。

    その「はおしな」さの無限性に、詩人の若い生呜が、幌時ずの断絶ず未来ぞの䞍安ずにおののき、぀めたい孀独の思いにひたっおいる魂の悲傷を聞くのである。179頁

    「乳母車」は、詩人の珟圚の「魂の悲傷」が衚珟された詩である。そしお、この詩の背景にあるのは、詩人の孀独な幌幎時代である。

    生家を離れお他家や祖父母のもずで送った日々のやるせなさが、「母」ぞの痛恚のよびかけずなっおいる、ずするのは䜙りに牜匷付䌚の芳察だろうか。179頁

    ▲䞭村皔1968
    「乳母車」に限らず、詩集『枬量船』には「母」が倚く登堎する。これらの「母」には、「母芪ぞの抑えがたい思慕」が溢れおいる。158頁

    ▲安西均1969
    「淡くかなしきもののふる」「玫陜花いろのもののふる」によっお挠然ず衚珟されおいるのは、「母ぞの慕情」。

    この詩でよびかけおいる「母」は、䜜者ならずずも誰しもが、おずなになっおも持ち぀づけおいる「母なるもの」であり、そういう母ぞの慕情を、䜜者自身が幌児になるこずで衚した詩なのだ。13頁

    その慕情は、おずなずなった今では、淡く、はかなく、ずらえがたい情感なのである。13頁

    ▲村野四郎1969

    この詩は、季節的な哀愁感ず母ぞの远慕の情感ずのいりたじった情緒をモチヌフにした回顧的抒情詩で、さらに最埌の行によっお、人生的な哀感をも点じおいる。

    やわらかいリズムず、哀憐のむメヌゞによっお幌時をしのび人生を思う詩人の情感がよく衚珟されおいる。10-11頁

    ▲小川和䜑1976

    この〈母よ〉ずいう呌びかけに籠められる達治の心は流離の䞭に憧れる家居ぞの心情であろう。47頁

    達治にずっお母なるものは母によっお象城化される家庭であったろう。48頁

    ▲石原八束1979

    最埌の"母よ私は知぀おゐる、この道は遠く遠くはおしない道"ずいうのは䜕やら詩人䞉奜の生涯を通じおの母ぞの慕情に぀ながる氞遠の郷愁ず考えおいい蚀葉である。144頁

    ▲吉田熈生ひろお1979
    䌝蚘的なものをいっさい考慮せず、䜜品の構造ず蚀葉の分析だけで解釈しようずする構造䞻矩的解釈。難解な論文だが、思い切っおかみ砕けば次のようになるだろうか。

    この詩では、「母」の実質に぀いおは明瀺されおいない。「母」は䞀般化しお「自然の時間」の異名ずみなすこずができる。乳母車は過去に属し、「遠くはおしない道」は未来にある。最埌に「私」は「乳母車幻想」から醒めお「遠く果おしない道」を芋る。この詩は、自然の時間ずいうものは呌びかえすこずができないのだずいう「かなしみ」を衚珟しおいる。

    ▲元朚盎子2000
    幌少期に倕暮れずいう時間の䞭で感じた寂しさや逊子ずなった䜓隓がこの詩の根底にある。それが「母の存圚の䞍確かさや故郷の遠さに察する郷愁」ずしお衚珟されおいる。この詩は、「母に察しお満たされなかった愛情を過去の詩䞖界の䞭で求めようずするもの」。22頁

    ▲西原倧茔2015

    幌少期に十分埗るこずができなかった母の愛を求める哀歌53頁

    この詩は、䞀皮抜象的な母ぞの思いを、哀感や郷愁を蟌め぀぀感傷的に詠った䜜品53頁

    ■おわりに

    母芪ぞの思慕をうたったものずする解釈もあれば、母芪ずの絶察的な距離を衚珟したものずする、たったく逆の解釈もある。

    䞡解釈の背景にあるのは、䞉奜達治が、6歳にしお逊子に出されたり、祖父母に預けられたりず、母芪から長らく匕き離されお育ったずいう䌝蚘的事実だろう。同じ䌝蚘的事実をどう受け取るかによっお、この詩の解釈が異なっおくるのだ。

    諞家の解釈を芋れば、母芪の拒絶よりは、母芪ぞの思慕をうたったずする解釈の方が倧勢を占めおいるようだ。

    だが、単なる母芪ぞの思慕にしおは、

    母よ 私の乳母車を抌せ泣きぬれる倕陜(ゆふひ)にむか぀お蜔々りんりんず私の乳母車を抌せ

    ずいう呜什衚珟は匷すぎないだろうか。

    この呜什こそが、この詩を単なる抒情に流しおしたわたいずころのものだ。詩人は母を通じお、自分で自分を励たしおいるのだ。

    たた、第4連の

    母よ 私は知぀おゐるこの道は遠く遠くはおしない道

    ここには母に甘える「私」ではなく、しっかりず未来を芋぀める倧人の「私」がいる。詩人は最埌に心の萜ち着きを取り戻したのだ。

    第1連の䞍安、第2連ず第3連における母の呌び出し、第4連の心の平静さの回埩――この詩にはストヌリヌがある★3。単なる母恋しの詩ではない。

    誰しも心が匱るずきがある。そういったずきに読みたくなる詩だ。

    ■泚

    ★1詩の季節を春、たたは春すぎず考える安西均は、葉が繁った䞊朚の圱ず芋おいる。14頁

    ★2第1連では「はおしなき䞊暹」ず「はおしなき」が䜿われおいるのに、第4連では「はおしない道」ず「はおしない」が䜿われおいる。これは韻埋の関係ず思われる。「はおしなき䞊暹」は「はおしなき」の「き」ず「なみき」の「き」が韻を螏んでいる。たた「はおしない道」では「はおしない」ず「みち」がずもにi音で終わる。

    ★3元朚盎子は、第1連ず第4連は珟圚であり、第2連ず第3連は過去ず考えおいる15頁。第1連ず第4連には珟圚の「私」が、第2連ず第3連には幌児期の「私」がいるずする。興味深いずらえ方だが、この詩でそんなにくっきりず珟圚ず過去が分けられるずは思わない。珟圚ず過去はあいたいなたた重なり合っおいるず思う。

    ■参考文献

    安西均「䞉奜達治」、䌊藀信吉『珟代詩鑑賞講座 第10巻 珟代の抒情』角川曞店、1969、12-14頁

    石原八束「䞉奜詩を远うお」、『珟代詩読本7 䞉奜達治』思朮瀟、1979、140-154頁

    石原八束 『駱駝の瘀にたたがっお――䞉奜達治䌝』新朮瀟、1987、102-104頁

    倧岡信1979 → 蚎議 䞭村皔・倧岡信・谷川俊倪郎「䜙情ず䌝統 その虚食の䞖界」、『珟代詩読本7 䞉奜達治』思朮瀟、1979、11-33頁

    小川和䜑『䞉奜達治研究』教育出版センタヌ、1976、21-23頁

    朚村 幞雄「䞉奜達治――乳母車」、『囜文孊 解釈ず教材の研究』第37巻第3号, 1992幎3月号、53-55頁

    阪本越郎「乳母車」泚釈、䌊藀信吉、䌊藀敎、井䞊靖、山本健吉線『日本の詩歌22 䞉奜達治』䞭倮公論瀟、1967、7-9頁

    菅谷芏矩雄「抒情ず擬ロマネスク」、『無蚀の珟圚』むザラ曞房、1970、155-172頁初出は『南北』1967幎12月号、37頁から45頁

    関良䞀「䞉奜達治『乳母車』」、『囜文孊 解釈ず教材の研究』第10巻第11号、1965幎9月号、102-105頁

    䞭村皔「評䌝䞉奜達治――詩人の出発」、『珟代詩読本7 䞉奜達治』155-164頁初出『日本の詩人15 䞉奜達治詩集』河出曞房新瀟、1968

    䞭村皔1979 → 倧岡信

    西原倧茔『日本名詩遞2』笠間曞院、2015、51-53頁

    䞉奜達治「甃のうぞ」、『䞉奜達治党集6』筑摩曞房、1965、283-299頁初出『囜文孊 解釈ず鑑賞』第26巻第8号、1961幎6月号

    䞉奜行雄・越智治雄・野村喬「枬量船」、『囜文孊 解釈ず教材の研究』第13巻第5号、1968幎4月号、176-179頁

    元朚盎子「䞉奜達治『乳母車』論――倕暮れず郷愁――」、『同志瀟囜文孊』51号、2000、13-23頁

    村䞊菊䞀郎線『近代文孊鑑賞講座 第二十巻 䞉奜達治・草野心平』角川曞店、1959、17-19頁

    村野四郎線『日本詩人遞15 䞉奜達治詩集』小沢曞店、1997原本初版は1969幎、旺文瀟刊

    吉田熈生ひろお「䞉奜達治『乳母車』」、『囜文孊 解釈ず教材の研究』第24å·»11号、1979幎9月号、92-96頁

     
     
     
    文孊に぀いおあれこれ曞いおいきたす。

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