「いつもの」に憧れたわしが、季節限定ばかり覚えられていた|日常エッセイ
喫茶店で「いつもの」と頼んでみたい。
席へ着くと、何も言わずとも好きな飲み物が来る。長く通った者と店の間にだけ通じる、短い合図じゃ。
わしは「いつもの」という言葉を、ちょっとした称号のように思っておる。
通い、選び続けた者だけが名乗れるものじゃ。
近所に、何度か通っている店がある。
椅子の座り心地も、午後には窓際がまぶしくなることも覚えた。
店員殿も、わしを見ると小さく会釈してくれる。
あとは注文を覚えてもらうだけである。
前回のキャラメルラテは、たいへんよかった。
上のクリームを珈琲へ沈めると、最後まで甘かった。
あれを、わしの「いつもの」にしよう。
そう決めて店へ行くと、入口に栗のラテの写真があった。
秋限定。
栗のクリームが、たいへん高く盛られておる。
わしの「いつもの」は、店員殿に一度も告げぬうちに立場が危うくなった。
今回はキャラメルにして、次に栗を頼めばよい。
席へ着き、そう思って別紙を裏返した。
裏には、栗のクリームを混ぜながら楽しむと書いてあった。
隠したつもりで、食べ方まで教わってしまった。
店員殿が水を置いた。
「今日は栗ですか?」
もう決まっているような尋ね方じゃった。
「まだ、少し迷っておる」
「キャラメルもお好きでしたよね」
覚えておった。
急に、キャラメルを頼む意味が増えた。
飲みたいだけではない。
覚えてくれた注文に、本人がきちんと出席できる。
わしは通常のメニューへ指を置いた。
「うむ。前のは、よかった」
「その前の桃も、気に入ってくださいましたね」
指が止まった。
そうじゃった。
桃もよかった。
あの時も、次からこれを頼もうと思った。
「苺の時は、クリームを最後に残していらしたので。栗もお好きかなと思って」
飲み方まで覚えられておる。
わしは店の椅子や日差しを覚えていた。
どうやら店員殿の中で、わしの注文は品名ではなく季節で更新されておる。
「いつか、いつもの、と頼んでみたかったのじゃが」
そう言うと、店員殿は栗の別紙をこちらへ向け直した。
「新しい甘いほう、ですね」
わしは少し考えた。
「……では、いつものを」
店員殿は迷わず栗のラテを通した。
栗のクリームを混ぜて、ひと口飲む。
たいへんよい。
帰り際、入口の写真の端に小さく書いてあった。
「次回、紫芋」
二歩進んだ。
そして戻った。
