『育っていただく』という言葉
以前、統合報告書をつくる仕事に関わっていた。
統合報告書:ざっくり紹介
財務・非財務の両軸から、企業の過去・現在・未来について、株主をはじめ、従業員やその家族、求職者、取引先など向けに、企業の持続的価値を伝える本(またはウェブコンテンツ)。
これまでの歩みや業績、経営者の考えや戦略、サステナビリティ(社会と企業の持続的関係・成長)の取り組み⋯などなどを、数字(財務)&事例など(非財務)で紹介する。
発行は任意だが、その企業が1冊で詳しく分かる。
内容もページ数も、なかなかボリューミー。
企業分析のために読んでいるらしい。
ホンマでっか?
経営層へのインタビュー企画を考えたり、
質問書をつくったり、当日に同席したり。
ライターさんが書いた原稿を確認して、
必要なら加筆や修正もする。
その他、そもそも今年号のコンセプトや、
誌面構成や企画、進行管理、等々。
あるとき、
とある大手企業の役員さんへの
インタビューに立ち会った。
インタビュー自体は、事前に、
インタビューの主旨や伺いたいこと等、
具体的な質問と回答例をお渡ししておく。
当日までに読んでもらい、
必要なら答えも準備しておいていただく。
当日はそれに沿って話をふくらませ、
後に書き起こし、原稿を作り込んでいく。
その企業は総合商社でありながら、
ものづくりの機能も持っていた。
勿論、何でもつくるわけではない。
お客さんが何を求めているのか。
これから何を必要とするのか。
それを現場で見て、聞いて、考えて。
社員一人ひとりが、
それぞれの場所で情報を拾い、
知識や経験を積み重ねていく。
そうやって人が育つことが、
会社そのものの成長につながっていく。
人材について、そんな話をしていたときだった。
その役員さんが、
育っていただく
とおっしゃった。
“育てる”ではなかった。
“成長してもらう”でもなかった。
“育っていただく”。
色々お話になられている最中の、一言。
最初は「んぇ⋯?」と思った。
突拍子もないことをおっしゃりたかったのか、
ただインタビュー向けにへりくだったのか。
はたまた、何かの言い回しなのか。
話を聞きながら、
強烈にその言葉が引っかかってしまった。
なぜなら、
経営者と社員。
雇う側と、雇われる側。
会社という場所では、どうしても前者が上で、
後者が下という関係に見えやすい。
だから、人材育成という言葉にも、
会社が社員を育てる。
上司が部下を育てる。
そんな方向が、
どこか当たり前のように
含まれている気がする。
でも、その方の口から出てきたのは、
育っていただく
だった。
もちろん、会社には人を育てる責任がある。
学ぶ機会をつくったり、
経験を積める機会を用意したり、
挑戦できる環境を整えたり。
けれど、会社がどれだけ場を用意しても、
最後に育つのは本人だ。
そして、その人が育ってくれなければ、
会社だって育たない。
現場で新しいことを知る人がいる。
お客さんの変化に気づく人がいる。
新しい技術を学ぶ人がいる。
誰かが考え、動き、経験を積んでくれる。
それらを、こちらから求めたり、
斡旋するのではない。
それでは、いつまでも牽引しなければならない。
そうではなく、社員自らが、率先して、
“そうしたい”と思えるようにする。
それが大事なのだ、と。
そうでなければ、この急速な変化の時代に、
企業の成長が追いつけないのだ、と。
そして、そうして初めて、
会社は次へと進んでいけるのだ、と。
その為にも、この人材確保が急務な時代、
環境や機会、待遇など、
あらゆる面を整えていくのだ、と。
そんな意思が、
あの一言には入っていた。
あの企業は、あの方は、社員を単なる
“会社を動かすための人員”として
見ていなかった。
“会社を一緒に育ててくれる仲間”として見ていた。
たった一つの言葉で、
こんなに見え方が変わるものなのだ。
あれから何年か経った。
会社も違う。
仕事も違う。
でも、
育っていただく
発行した本には、そのくだりは、
結局載せられなかったのだが。
あの言葉だけは、今もまだ残っている。
どこを探しても、もう見つからない。聞けない。
私の中にだけ、
深く深く、刻み込まれてしまっている。
‘育てる”ではなく、
“育っていただく”ことで、
自分も、チームも、会社も支えられている。
その感覚だけは、忘れないでいたい。
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