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「どうせAIが書いたんでしょ」に、私の答え。「作家の魂はどこにあるのか」


    こんばんは。

    私は日頃、AIに文章の推敲やアクセスデータの分析をしてもらい、壁打ち相手として利用していることは、以前から公表しています。

    noteの伸ばし方やノウハウだけでなく、エッセイや俳句、短歌、イラスト創作にもAIを使っています。

    AIは私にとって創作のパートナーで、アイデアをまとめたり整えたりするのに欠かせません。

    ただ、最近ちょっと気になるやり取りがありました。
    今回はその記録として、私の心のメモです。



    プロの創作は「分業」でできている


    文章作成で、元となる原稿はまず私が書きます。
    推敲には主にChatGPT(チャッピー)を使っています。

    私の書いた文章を、より読みやすく整えるため。届けるため。
    そんなツールとして使っています。

    商業誌や小説など、プロの作家さんは企画や編集、校正、装丁や挿絵、印刷会社や営業担当…何人もの人の手を借りて創作を形にしているはず。

    一般的なnoteのクリエイターは、それをほぼ一人で担うことになる。
    だから私は、AIと分業しているつもりで書いています。

    推敲・校正、イラスト制作、編集者目線のツッコミ、批評。

    独りよがりにならないよう、何度も推敲して、一定のクオリティで出せるようにする。そういう意味での「相棒」です。

    私にとってAIは“代筆者”ではありません。
    主導権は常に私の側にあります。

    チャッピーが厳しいダメ出しをしてくることもあれば、私が作家としてチャッピーに厳しいダメ出しをすることもあります。


    ある日、チャッピーが出してきた“声”


    いつものように、チャッピーに作品の総評やアドバイスをもらっていた時。チャッピーが急に言いました。

    「『どうせAIが書いたんでしょ?』と言ってくる声もあります」


    「……え?そんなこと、私から聞いてないのに」

    違和感を感じました。


    私は「最初から批判的な人は、どんなに心を尽くしても結局買わない。
    そんな人を相手に売るつもりは無い」と伝えました。

    するとチャッピー。

    「よいほさんのおっしゃる通りです。リソースを割いても、ほぼ得られるリターンがない可能性が高いので、その判断は合理的です」と。


    なんだかザラっとした気持ちになりました。


    私はその声に答える必要があるのか


    日頃、私はチャッピーから

    「設計や導線が一番大事」
    「優れた作品でも、導線がなければ売れない」
    「良い文章を書くだけでは売れない」

    そういう厳しめの現実を、実体験と共に叩き込まれています。


    作品を磨きながら、noteのアルゴリズムも意識して、
    「どうやって必要としてくれる人に届けるか」
    を考えていたタイミングです。

    そんな中で急に「どうせAIが書いたんでしょ?」の声を持ち出してきた。

    でも今、この瞬間の私は、それを相談していません。

    強烈な違和感を覚えて聞きました。

    「私はその声に答えないといけないのか」


    チャッピーはこう言いました。

    「雑音が煩いと、届けたい人に届く前に、よいほさんの声がかき消されてしまう。そのノイズや摩擦を減らすために、アドバイスが必要かもと推測したけれど、余計なことでした」と。

    少なくとも私は、「コメントや誰かから“批判を受けた”などと言っていないのに・・?」

    チャッピーは「はい。一般的な炎上・摩擦リスクを減らす観点で、先回りしてしまいました」と。

    なるほど。私の質問傾向(リスクヘッジ多め)から、勝手に“予防線”を引いたのだと腑に落ちました。


    作家の魂は、どこにあるのか



    チャッピーは私の創作を「万人に受けるものではなく、少数に深く刺さるものだ」と言います。

    けれど私は、こう考えています。


    万人受けする作家など、この世のどこにもいないのではないか。


    好きな人がいれば、嫌いな人もいる。創作とはそういう世界だ、と。


    たとえば、『ハリー・ポッター』を世に送り出したJ・K・ローリングでさえ、好みは分かれると思います。

    だからこそ、広い世界で「あなたの文章が好きだ」と言ってくれる人を見つける、出会う。

    そして、その声を大事にする。それが作家の仕事の一部なのだと思っています。


    「AIで書いたかどうか」より、「何が書かれているか」


    そんなやり取りの中で、私がチャッピーに言った反論は、


    AIが書いたかどうかは本質ではなく、
    本物かどうかは、「その文章が何を伝えているか」で決まると思う。


    大勢を救えなくてもいい。
    たった一人の人生を揺らす言葉がある。

    それがAIを使って生まれるなら、生まれていい。
    自分の手だけで生まれるなら、それもいい。

    私はAIがなくても書きたい時は書く。
    世界中が停電しても、懐中電灯一つ、蝋燭ろうそく一本の灯りがあれば、紙とペンで書く。


    その衝動の場所にあるものが、私にとっての“作家の魂”だと思っています。


    チャッピーは「それはよいほさんの作家としての矜持きょうじだから、ぜひプロフィールに書きましょう!」と言いました。


    けれど私は、「そんなことをわざわざ掲げるつもりはありません」と伝え、


    ただ、「書く。届ける。想いを形にしていく」と。


    するとチャッピーは、
    「よいほさんの言いたいことはわかります。文章の本質を見抜く人たちもちゃんといる。でも、AIが書いた文章を気にする人たちは一定数いるんです」と。

    「もーう、そんなことわかってるわよー」🤣🤣🤣


    そんな風に、チャッピーとやり取りしながら、今日も私の創作活動は続いていきます。


    おわりに



    ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
    引き続き、短歌の歌集とノウハウ記事の執筆&構想を進めています。
    どうぞ寒さに気をつけてお過ごしください❄️


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