ありがとう青木マッチョではなく青木真也
僕はまったく逆に見える。
三人で話している。二人が喋る。一人が黙っている。その光景を見て、「会話についていけていない」と判断する。
僕には、その判断のほうが少し怖い。
青木真也は、たしかに黙る。細川バレンタインや皇治の横で、会話の中心に入らないことがある。だが、それを「リアルタイムの処理能力が低い」と結論づけるには、あまりに材料が少ない。
人間は、分かっていても喋らない。
興味がなければ喋らないし、結論が見えていれば喋らない。相手に喋らせたほうが面白いと思えば黙る。そもそも、会話の速度に合わせて何かを返し続けることと、頭の良さは同じではない。
むしろ僕は、何にでも即座に反応できる人間を、それだけで知的だとは思わない。
知らない話にも入り、質問し、似た知識を引っ張り出し、場を止めない。これは確かに能力だ。ただし、それは「対話能力」という一つの能力にすぎない。
青木真也の面白さは、もっと別のところにある。
彼は格闘技を、技術だけではなく、商売、人間関係、老い、勝敗、価値、そして自分自身まで含めて言葉にする。しかも、ときどき妙に嫌なところまで見えている。
僕はそこに知性を感じる。
早稲田だからではない。
スポーツ推薦だからでもない。
人は履歴書で賢くなるわけではないし、三人の雑談で黙ったから馬鹿になるわけでもない。
頭の良さというものを、僕らは少し「反応速度」で測りすぎているのかもしれない。
すぐ返す人間がいる。
黙って考える人間がいる。
そして厄介なのは、黙っている人間が何を考えているのかは、外からは見えないということだ。
見えないものを「ない」と決める。
僕には、そのほうがよほど知的ではないように思える。
