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『もうここには残っていないものたち』

     神棚の前で手を合わせたとき、なぜか豚の臭いを思い出した。

     もちろん、部屋に臭いが残っているわけではない。日曜日の午後五時、窓の外にはまだ九月の明るさがあって、さっきまで読んでいた本が机の上に伏せてある。クリーニング屋には午前中に行った。スーツも出した。二日前、横浜へ向かう途中で通った豚舎の臭いが、まだ布地のどこかに潜んでいるような気がして、ホテルで一晩過ごしたあとも、家へ帰ったあとも、それだけが妙に気になっていた。鼻を近づけて確かめれば、もう何も臭わない。それなのに、ふとした瞬間には確かに臭う。臭いというものは不思議である。そこを離れてしまえば、もう存在しない。それなのに鼻の奥には残る。記憶も似たようなものかもしれない、とおれは思った。

     二日前の金曜日、十時に横浜でナースコールの提案があった。駅から施設へ向かう途中に豚舎があった。都会からそう遠くない場所に、こんな臭いが存在すること自体が意外だった。息を止めても意味がない。鼻だけではなく、髪にも、シャツにも、鞄にも付着してくるような臭いだった。ようやく施設へ着くと、会うはずだった施設長が体調不良で休んでいるという。

    「そうですか」

     おれは言った。それだけだった。九時にはわかっていたんじゃないの、とは思った。一本電話をくれれば、おれはここまで来なくてよかった。しかし、来てしまったものは仕方がない。腹を立てたところで十時は九時には戻らない。受付にいる人間に文句を言ったところで、その人間の十時まで悪くするだけである。帰り道には、当然また豚舎があった。

     人生には往路だけで済まないことがある。

     それは豚舎に限った話ではない。会社にも、何度追い払ったつもりになっても、いつの間にか自分の売上の近くを這っている男がいる。おれは心の中でそいつをゴキブリと呼んでいた。実名を出すほどの価値もない。人の仕事の匂いを嗅ぎつけて、気がつけば数字の近くにいる。反対に、営業部にはよく笑う女がいて、彼女はゴキブリとはまるで違う仕方で人の間に入ってくる。さらに、数字を取っていく若い男もいる。三人とも同じ会社にいて、おれの視界へ入ったり消えたりする。嫌いな男も、悪くない女も、若い男も、それぞれ家へ帰れば別の顔をしているのだろう。ゴキブリにも母親がいて、「ちゃんと食べてる?」などと訊かれ、「うん」と答えているのかもしれない。そこまで想像しても、別に好きにはならなかった。嫌いなものは嫌いでいい。しかし、嫌いな人間にさえ、おれの知らない時間がある。そのことだけは妙におかしかった。

     午後二時、水天宮のロイヤルパークホテルに入った。部屋に鞄を置き、ジャケットを脱ぎ、机にパソコンを開いた。さっきまで豚舎の脇を歩いていた人間が、数時間後にはホテルの静かな部屋で仕事をしている。その落差がおかしかった。メールを返し、電話をし、資料を見る。会社員というのは自分の時間を売っている、と言ってしまえば簡単だが、おれはそれほど悲観的には考えていない。時間を売っているのは会社員だけではない。野球選手だって最も身体が動く十年か二十年を売っている。俳優は顔と声を売り、歌手は喉を売る。テレビに出る人間は、カメラが回っている数十分のために、その前後の何時間かを差し出している。

     娼婦ならどうだろう、とそのとき考えたわけではない。そういうことを考えたのは、もっと後だった。しかし記憶というものに順番がないのなら、ここへ書いてもいいだろう。男に一時間を売る女がいる。映像の中で裸になる女もいる。何やってんだ、カメラの前で、と男は勝手に思う。しかし、野球選手が何万人もの前で身体を酷使することには拍手する。同じものだと言うつもりはない。ただ、カメラがこちら側にあり、その向こう側で自分の何かを差し出しているという点では、案外遠くない。撮影が終われば女は服を着るだろう。選手もユニフォームを脱ぐ。おれも客先を出ればネクタイを緩める。そして全員、腹が減れば飯を食う。

     夜七時半、人形町今半へ行った。

     一人だった。

     カウンターは静かで、客もほとんどいなかった。鉄板の向こうに料理人がいて、その前におれがいる。余計なものがなかった。肉が鉄板に置かれると、乾いた音がして、少し遅れて脂の香りが立った。朝には豚舎の臭いから逃げていた人間が、夜には獣の肉が焼ける香りを喜んで吸い込んでいる。人間とはずいぶん勝手な生き物である。料理人は肉を見ていた。火を見て、表面の色を見て、頃合いを見ていた。必要なときだけ言葉があり、それ以外の時間には沈黙があった。

     この沈黙がよかった。

     一人で飯を食うというのは、寂しいことではない。一人でいさせてもらえる店にいると、それがよくわかる。放っておかれることとも違う。こちらを見ている人がいて、それでも踏み込んでこない。その距離が気持ちよかった。肉を口に入れ、酒を飲む。次の一切れが焼ける。その間に誰とも話さなくていい。昼間の臭いも、施設長の不在も、仕事も、その時間にはどこか遠くにあった。

     女が皿を運んできた。女将だったのか、仲居だったのか、いまとなってはどうでもいい。おれの記憶の中では着物を着ている。皿を置いた指が白かった。

    「どうぞ」

     それだけだった。

     その白い指を見た瞬間、おれの頭の中には、店の奥に実際には存在しない一室ができた。細い廊下があり、その先に襖がある。襖の向こうで女は一人、次の膳を整えている。おれが開けても驚かない。最初から来ることを知っていたように顔を上げる。店の喧騒はそこまでは届かず、女とおれだけが、東京の中にぽっかりと開いた別の時間へ入る。女の帯におれの手が触れようとしたところで、

    「こちら、塩でどうぞ」

     料理人の声がした。

    「あ、はい」

     おれは現実へ戻った。

     四十五歳の男が一人で高い肉を食いながら何を考えているのだ、と少し笑った。しかし、それでいいとも思った。朝には豚の臭いに顔をしかめ、昼にはパソコンを叩き、夜には着物の女を抱くことを想像する。仕事をし、腹を立て、酒を飲み、肉を食い、女を欲しがる。そのうち都合のいい部分だけを取り出して、それがおれです、と名刺のように差し出す必要はない。人間はもっと散らかっている。

     金を払って食事をするのだから、うまいものが出てくるのは当たり前だと言うこともできる。しかし、人間が金を払って買っているものは料理だけではないのだろう。二時間なら二時間、自分の人生の一部をそこへ置く。その時間をどう扱われるかまで含めて、おれたちは店を選んでいる。料理人は肉を見ていた。そして客を見ていた。見られているのに、邪魔されていない。その夜のおれには、それが何より贅沢だった。

     今半を出たとき、おれは満足していた。ホテルへ戻ったのは九時頃だった。そのまま眠った。想像の女は、当然ついてこなかった。

     翌朝三時に目が覚めた。仕事をした。八時に朝飯を食べた。本当は午後二時までホテルにいるつもりだったが、十時にはチェックアウトした。十一時に会社へ行き、十二時には客先にいた。障害対応の連絡が次々に入った。

     土曜日だった。

     だから何だ、とも思う。

     年収一億のサラリーマン深井陽一は、土曜日も働くのである。

     もちろん一億円ももらっていない。しかし、そういうことにしておくと少し面白い。誰に認定してもらう必要もない。おれがそう言っているだけだから、税務署以外には迷惑もかからない。会社には会社の評価があり、数字があり、他人がいる。営業部の女も、若い男も、ゴキブリもいる。しかし、そいつらがどうであるかと、おれが自分をどう見るかは、本来別の話である。

     十四時半頃、会社へ戻ると人がいた。土曜日くらい誰にも会いたくないと思い、近くの喫茶店へ逃げた。パソコンを開いたものの、仕事はたいして進まなかった。隣では赤ん坊を連れた女が友人と話している。声が耳に入る。赤ん坊もいる。静かではない。

     それでも、それはそれでよかった。

     女には女の土曜日があり、赤ん坊には赤ん坊の土曜日がある。おれにはおれの土曜日がある。ただ同じ店に居合わせただけである。昨日、皿を置いた女だって、今日は別の場所で友人と喋っているかもしれない。映像の中で裸になった女も、撮影の翌日にはこんな喫茶店でコーヒーを飲んでいるかもしれない。娼婦だって仕事が終わればスーパーで牛乳を買うだろう。テレビで見るスポーツ選手も、家へ帰れば冷蔵庫を開ける。人間は他人の人生へ登場するとき、いつも途中から現れ、途中で消える。おれはこの母親がここへ来るまでの午前中を知らないし、この女も、数時間前のおれが客先で何をしていたか知らない。そのことは寂しいことではなく、むしろ途方もなく自由なことのように思えた。

     十六時半頃に会社へ戻った。二十時まで仕事をした。まだ働いている人がいた。

     すごいね、と思った。

     二十一時頃、一人で焼肉屋へ入った。

     席は空いているように見えたが、店員は何かを確認してから「ご予約されていますか」と訊いた。していないと答えて席についた。ビールを二杯頼んだ。二杯来たので、ぐいっと飲んだ。厚切りのタンを焼いた。ナムルを食べ、ロースを焼き、ハイボールを頼んだ。サラダも食べた。上ミノも頼んだ。ハイボールは結局五杯になった。

     若い女の店員が来ると、また何か頼んだ。かわいい女だった。彼女には何の問題もなかった。むしろ感じがよかった。おれが四杯目か五杯目のハイボールを飲んだあと、トイレへ立った。

     扉を閉めると鏡の中に四十五歳の男がいた。少し酔っている。その背後に、さっきの女が立っているような気がした。

     もちろん、いない。

     それでも想像の中では女がいた。狭い場所だった。便器があり、消毒液があり、壁には清掃の確認表まで貼ってある。そんな卑小な場所の中で、女だけが妙に鮮明だった。おれが振り返る。女は逃げない。さっき注文を取っていたときとは違う目をしている。おれの手がその腰に触れ、女の制服がわずかに乱れる。頬に熱が浮かぶ。その先まで想像しかけて、鏡の中の自分と目が合った。

     何やってんだ、おれ。

     笑った。

     手を洗った。水は冷たかった。店へ戻ると、女は何事もなかったように働いていた。当然である。何も起きていない。ところが、おれの中では数十秒の別の時間が確かに存在した。実際に起きなかったことは、人生に含まれないのだろうか。抱かなかった女、殴らなかった男、辞めなかった会社、乗らなかった電車、言わなかった言葉。現実にならなかったものは無数にある。それらを全部捨てた残りだけが、人間の人生なのだろうか。

     最後に冷麺を頼んだ。

     しばらくして、奥から男の声が聞こえた。

    「ねえよ」

     何について言ったのか、本当のところは知らない。ただ、おれにはそう聞こえた。やがて女の店員が来て、冷麺がないことを告げた。

    「じゃあ、カルビスープ」

     そう言った。

     それから待った。肉はもうない。酒も十分飲んだ。テーブルの上には食事の終わったあとの空気だけが残っていた。カルビスープは来なかった。

     もういいか、と思った。

    「会計お願いします」

     カードで払った。

    「ごちそうさまです」

     おれは普通に言った。

    「ありがとうございました」

     普通に返ってきた。

     店を出た。

     歩きながら、会計を見た。

     カルビスープが入っていた。

     立ち止まった。

     金額の問題ではなかった。あのとき、おれはレジの前にいたのである。カードを出して、会計が終わるのを待っていた。もし本当にカルビスープを作っていたのなら、「お客様、カルビスープまだですが」、その一言で済んだ。

     電話をかけた。

    「おい、さっきカルビスープ出してないだろ。会計からちゃんと引いとけよ」

     電話に出たのは、さっき奥にいた男だった。

    「クレジットカード支払いですので、もう一度こちらに来ていただかないと」

     謝罪より先に、それが来た。

     おれは少し前に、ロイヤルパークホテルでカード決済の訂正をしてもらったことを思い出した。あのときは戻れなどと言われなかった。

    「さっき、お前カルビスープ作ってもないだろ」

    「いいえ、作っていました。お客様が帰られただけです」

     妙な言葉だと思った。

     おれが帰った。それは事実である。しかし、その少し前まで、おれはレジの前にいた。カードを渡し、ごちそうさまと言い、向こうからはありがとうございましたと返ってきた。その一連の時間の中で、誰もおれを見ていなかったのだろうか。

    「だったら会計するとき言うだろ。カルビスープまだですよって」

    「スタッフが追いかけたのですが、見当たらず」

     おれは少し黙った。

     今半の料理人が肉を見ていたことを、なぜか思い出した。火を見て、肉を見て、客を見ていた。

     見ているというのは、目を向けることではないのかもしれない。

    「じゃあ今から行くから、机に置いとけよ」

     男の名前を訊いた。

    「じゃあ、あんた宛てに行くからな」

    「はい、わかりました。お待ちしております」

     声は落ち着いていた。

     電話を切った。

     行くわけねえだろ、と思った。

     こんなやり取りをしたあとで、誰がその男の作ったスープを飲みに戻るのだ。想像の中では一度戻ってみた。テーブルにカルビスープが置いてある。男が立っている。おれが座り、ひと口飲む。もし、それが驚くほどうまかったらどうする。おれは歩きながら少し笑った。それならそれで面白い。しかし現実のおれは戻らなかった。

     警察だとか、店へ戻って文句を言うとか、そんなことも頭をよぎらなかったわけではない。しかし、それをすれば、さらに三十分、一時間と、この出来事に自分の時間を渡すことになる。

     カルビスープより、そちらのほうが高い。

     だから帰った。

     寝た。

     日曜日は、零時にも、一時にも、二時にも、三時にも、四時にも、五時にも起きられなかった。まあいい。会社は休みである。

     十時頃に起きて、クリーニング屋へ行った。あのスーツを持っていった。豚の臭いなど本当はもう残っていなかったのかもしれない。それでも出した。店員に「これ、臭いますか」と訊こうとしてやめた。もし真顔で「豚ですね」と言われたら困る。帰りにビールを買った。家で飲んで、また寝た。

     目を覚ますと三時だった。

     そこから本を読んだ。夢中になって読んだ。書いた人間が費やした時間が文字になり、何年も、あるいは何十年もあとに、別の人間の午後へ入ってくる。それを考えると、会社員も、娼婦も、スポーツ選手も、映像の女も、作家も、結局は自分の時間を何かへ変えているのかもしれなかった。金に変える者がいる。記録に変える者がいる。記憶に変える者がいる。誰かの一時間に変える者もいる。

     気がつくと五時になっていた。

     そして、おれは神棚の前に立った。

     二日前の十時には豚舎の横を歩いていた。夜には今半で肉を食べ、実在しない部屋で実在するかどうかも曖昧な女の帯に手をかけていた。昨日は会社で仕事をして、喫茶店で赤ん坊の声を聞き、夜には焼肉を食べ、狭いトイレの中で起きてもいない出来事を生き、カルビスープ一杯のことで電話をした。今日はビールを飲んで眠り、他人が何年も前に書いた本を読んでいる。

     会社の女も、若い男も、ゴキブリも、着物の女も、焼肉屋の女も、喫茶店の母親も、赤ん坊も、映像の女も、娼婦も、スポーツ選手も、それぞれおれの知らないところで自分の時間を生きている。その時間のほとんどは、おれとは何の関係もない。おれが死んだあとにも世界は続くし、いまこの瞬間にも、おれの知らない何億という部屋で、何億という人間が笑い、怒り、服を脱ぎ、飯を食い、働き、眠り、誰かを嫌い、誰かを抱きたいと思っている。

     どれがよくて、どれが悪かったのだろう。

     そう考えて、やめた。

     豚の臭いも、休んだ施設長も、ホテルの机も、鉄板の上の肉も、白い指も、喫茶店の女も、赤ん坊の声も、土曜日に働いていた人たちも、五杯のハイボールも、実際には抱かなかった女も、腹の立つ男も、来なかったカルビスープも、全部、おれが生きていた時間だった。

     だったら、喜ばしい。

     四十五年生きてきて、あと何年あるのかは知らない。ただ、時間というものが無限ではないことくらいは、もうわかる。

     だから、くだらないことに腹を立ててはいけない、という話でもない。腹が立つなら立てばいい。嫌いな人間は嫌いでいい。女を見て欲情することもある。笑えるなら笑えばいい。うまい肉ならうまいと思えばいい。臭ければ臭いと思えばいい。負ければ悔しいし、金が欲しい日もある。誰にも会いたくない土曜日もある。それらを一つずつ削り取って立派な人間になったところで、最後に残ったものが本当におれなのかはわからない。

     それも全部、生きている時間なのだから。

     ただ一つ、自分の時間を、いつまでもそこへ置いておく必要はない。

     おれは手を合わせた。

     何かを願ったのかもしれないし、何も願わなかったのかもしれない。神様がいるのなら、おれが二日前に嗅いだ豚の臭いも、昨夜腹を立てたカルビスープも知っているのだろうか。知らなくてもいいと思った。

     目を開ける。

     部屋は静かだった。

     豚の臭いはしなかった。

     女もいない。ゴキブリもいない。カルビスープもない。

     机の上には、読みかけの本がある。

     時計を見る。

     午後五時は、もう午後五時一分になっていた。

     一分前にはまだ未来だった時間が、いまはもう、どこを探してもない。

     おれは神棚に背を向け、本のところへ戻った。

     
     
    時間は未来から過去へ流れている。 地球儀を見るように全体を眺め、気になったところを拡大する。 内容はすべて個人の意見です。

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