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ぜんぶを一つに預けない

    いま、多くの人がどこにも属していないと感じている。 昔より豊かで便利になったのに、つながりだけが薄い。 その理由をたどっていくと、会社という場所に行き着く気がする。

    かつて、暮らしのつながりは会社の外にあった

    少し時代をさかのぼると、人の暮らしは会社だけで回っていたわけではなかった。 収入は仕事から得るとしても、居場所や日々の支え、老後の世話、困ったときに頼れる相手は、地域や親戚が担っていた。 近所づきあいがあり、親族が近くにいて、祭りや寄り合いがあった。 つながりは、会社の外の暮らしの中に、いくつも散らばっていた。

    なぜ、それが会社に集まっていったのか

    高い成長の時代に、人は仕事を求めて地方から都市へ大きく動いた。 移り住んだ先には、もう昔の近所も親戚のつながりもない。 散らばっていた受け皿が、都市への移動でごっそり薄くなった。 その空いた場所を、会社が引き受けていった。

    終身雇用で長く居られる場所を用意し、社宅で住まいを抱え、社員旅行や運動会で仲間を作り、年功と手厚い福利で老後まで面倒を見た。 会社は、ただ働く場所から、暮らしのつながりをまとめて引き受ける器になっていった。 収入も、身分も、老後も、居場所も、気づけば会社という一つの器に集まっていた。

    一つに集めた代償

    一つの器に全部を集めると、強くて手厚い。 ただ、集めれば集めるほど、その器に何かあったときの打撃も大きくなる。 そしてこの集め方には、もともと三つの弱さがあった。

    一つ目。会社が全部を抱えられたのは、条件がたまたま揃っていたからだ。 ずっと右肩上がりで、人手が足りず、男性が一家を養う前提もあった。 その条件が崩れた1990年代あたりから、丸ごと抱えられる会社は減っていった。

    二つ目。あの手厚さは、優しさではなくお金で決まっていた。 重い福利を単独で維持できたのは、体力のある大企業だけだった。 同じ会社勤めでも小さな会社の人は薄い版しか持てず、非正規や下請けの人は、はじめから外側に置かれがちだった。

    三つ目。深く抱えてもらう代わりに、強く縛られた。 長い労働時間があり、転勤があり、会社への忠誠が求められ、私生活にまで会社が入ってきた。 包むことと縛ることは、たぶん切り離せない。

    器が、もう抱えられない

    その会社が、いまや暮らしのつながりを抱えきれなくなっている。 終身雇用は揺らぎ、福利は薄くなり、転職も当たり前になった。 会社が、暮らしをまるごと引き受ける役目からおりはじめた、と言ってもいい。

    ここで問題が起きる。 つながりは、昔の地域や親戚から会社へと移ってきた。 その会社が引き受けをやめると、次の受け皿がどこにもない。 外の暮らしにあったつながりは薄れ、それを肩代わりした会社も抱えられない。 二段階で受け皿が消えたあとに残ったのが、いまの孤立なんだと思う。 豊かなのにどこにも属していない感じは、たぶんここから来ている。

    だから、一つに預けない

    だとすると、これからの問いは「次に全部を抱えてくれる器は何か」ではない気がする。 また一つの器に集めれば、それが傾いたとき、同じことが繰り返される。 むしろ逆で、集まっていたものを、いくつかに分けて持ち直すことなんじゃないか。

    収入はここ。居場所はここ。ゆるい支えはここ。相談できる相手はここ。 別々の薄いつながりを、いくつも持つ。 どれも人生を丸ごと預けるほどではないから、深くは縛られない。 一つが切れても、全部は崩れない。抜けても、また戻ってこられる。

    会社という大きな器がほどけていく時代に、僕らが次に覚えるのは、たぶんその持ち方なんだと思う。 一つに預けるのをやめて、薄いつながりをいくつも結び直すこと。 孤立の反対は、一つの強いつながりではなく、たくさんの軽いつながりなのかもしれない。

     
     

    余白

     
     
    余白(よはく) 答えを埋め尽くさない場所、というより、 今いるベクトルを俯瞰できる、その状態のこと。 事業を経営しながら、資本主義に疑問が消えない矛盾の中にいます。 暮らしの『当たり前』を一つずつほどいて、 一緒に眺めてみませんか。

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