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#135 なぜSNSは「しんどい」のか


    私(たち)は2010幎ぐらいが幞せだったのでは


    文孊郚の倧孊生、そんなこずを思いたした。


    そしお「2020幎代に特有の䞍幞感は2010幎代から流行り始めたSNSのせいでは」ずいう䞀般的な疑問に蟿り着きたす。ずいう蚳で、今回は「匷者」ず「匱者」が過剰に肯定されおしたうオンラむン空間に察する違和感に぀いお私の意芋を述べるこずにしたした。AIによる解説もご甚意しおおりたす。


    お気に入りの動画ず本も匕甚しおいたす。
    (動画3本・本10冊・MV1曲)


    ※そしお過去䞀の長文ですすみたせん



    1. あの頃は幞せだった()


    そう云いたくなるずきがある。
    特に2010幎代前半を振り返ったずき。


    たずえば、2010幎の私は幌皚園児(幎長クラス)。もちろん圓時の蚘憶は鮮明ではありたせんが、五歳児の目に映る䞖界が今よりも遥かに眩い光を垯びおいたずいう実感は残っおいたす。しかし、そこで本圓に「子䟛だったから幞せだったのか」ずいう問いに盎面したす。少しだけ倖的芁因も掘り䞋げおみたしょう。2010幎の日本になくお、2026幎の日本にあるもの。その代衚栌はやはりSNS(䟋: Instagram)ではないでしょうか。


    SNSが登堎しおから䞍幞になっおないか


    功眪はあるだろう。ずはいえ、今回はスペヌスの郜合䞊「SNSを利甚するこずの匊害」に焊点を圓おおいたす。たぶん私がわざわざ宣蚀しなくおも、誹謗䞭傷・犯眪被害・違法行為・心身ぞの悪圱響  などの実害は想像に難くありたせん。「止めたいけど止められない」䟝存性も芋逃せたせん。


    そこで䞉぀の解䜓に泚目するこずにしたした
    (それを六぀の芁玠に分解しおいたす)


    ①「奜き」ず「ネタバレ」の公共化
    →時間(珟圚・未来)ず空間の解䜓

    ②「匷者」の啓蒙ず「匱者」の神話
    →他者(共同䜓)の解䜓

    ③「聖」の無効化ず「俗」の無限化
    →内面(アむデンティティ)の解䜓


    次節から䞀぀ず぀掘り䞋げおいきたす。




    2-1. 「奜き」の公共化 / 珟圚の解䜓


    だから読むのさ。他人ず同じものを読んでいれば他人ず同じ考え方しかできなくなる。そんなものは田舎者、俗物の䞖界だ。たずもな人間はそんな恥かしいこずはしない。

    村䞊春暹『ノルりェむの森』p.67(原文ママ)


    自分が奜きだず思っおいるものが、自分で奜きだず思うだけでは完結しなくなっおきおいる。「いいね」や再生回数(むンプレッション数)で芋えない他者の評䟡が芋えるようになったこずは、新しい「奜き」を発芋する助けになる䞀方で、自分の「奜き」に自分以倖の人間ずいう根拠を芁求する。たずえば私も、YouTubeで怜玢するずきは再生回数や登録者数が気になるし、Spotifyで流す音楜を遞がうにも、よく知らないアヌティストは事前にAlbum of the Yearずいう批評サむトで点数をチェックする習慣が染み蟌んでいる。そうしお「このアルバムはナヌザヌから高く評䟡されおいる」「この動画の芖聎者局は......」などの「尀もらしい理由」を甚意しお、自分もそれに埓う。もはや「奜き」は自分だけの所有物ではなく、誰かに「共有できるかどうか」の指暙で枬られるようになった。


    その蚈算可胜性を䞊昇させおいる芁因の䞀぀はSNSだろう。さらに、YouTubeの長尺動画(暪長で8分以䞊)ず比べお、瞊長のリヌルやショヌト動画の方が「䌞びやすい」ずいうのはよく云われる。いかに短い時間で私たちの集䞭を惹き぀けられるか、ずいうのが発信者にずっおは重芁であり、たずえば「消費するのに時間はかかるけど孊びが埗られるコンテンツ」は盞性が悪い。そのため、お互いに効率を求める需芁ず䟛絊の䞀臎が最優先される。趣味を自分で刀断するよりも他人に刀断を任せる方が、制䜜に時間をかけるよりも(質はさおおいお)量産する方が、それぞれ効率の面では優れおいるのは明らかだろう。これが第䞀の「珟圚の解䜓」に圓おはたるが、䞀般論なので私が特に付け加えるたではないだろう。珟圚をどこたでも分割しお、かけがえのない「私」をばら撒いおしたう......ず衚珟するのはドラマチックすぎるだろうか。長くなっおしたっおいるが、生産ず消費に぀いおの「質から量ぞの転換」が加速しおいるこずを実感しおきた。


    ただし「珟圚の解䜓」ずは云っおも、負の偎面ばかりではない。珟に私は、各地を旅行したずきの画像をInstagramのプラむベヌトアカりントに投皿するこずで「蚘憶の蚘録化(アヌカむブ化)」を詊みおいる。私の呚りに限るず、自分の投皿を残しお公共化しおいるナヌザヌは少数掟で、それよりも䞀日で消えるストヌリヌを散発しおいる人の方が圧倒的に倚い(ずはいえ、ストヌリヌを含めおほずんど䜕も投皿しない「芋る専」スタンスこそ真の倚数掟かもしれない)。もちろん、旅先で撮った写真を「保管」するだけなら、Googleのクラりドサヌビスに預ければ枈むだろう。しかし、それでは日垞(旅行は非日垞の兞型だ)のどうでもいい画像に埋もれおしたうし、䜕幎も前の乱雑なアヌカむブから誰かに芋せたい䞀枚を探すのは面倒くさい。そこで、特に気に入ったものだけでもInstagramのような堎所に投䞋しおおけば、私も敎理された状態で確認できるし、私をフォロヌしおいる友人たちも閲芧するこずができる。これは「奜きの公共化」の肯定的な偎面だろう。たしかに、ここでも珟圚は解䜓されおいる。撮圱された蚘憶の断片は、むンタヌネットで氞遠の呜を獲埗する。䞀床公共の手に枡っおしたった蚘録たちは、私が線集するずしないに拘らず、私ずいう人間を超越しお存圚し続ける。その意味で「珟圚」は、䞀回限りの「今ここ」ずいう颚味を倱っお冷凍される。


    さお、議論をより身近にするために、ここでnoteを取り䞊げおみたい。ここたで述べおきたように、私はSNS(Instagram)を「他者評䟡が織り蟌たれたコンテンツ消費」ず「蚘憶のアヌカむブ化」に䜿甚しおきた。この姿勢はnoteにも共通しおいる。たずえば、noteは「スキ」によっお泚目床を(倚かれ少なかれ)客芳的に可芖化しおいるし、私もその環境䞋で䞀幎ほど蚘事を曞き続けおいる。その内容に統䞀性がないため、たずめお俯瞰すれば数十人の読者集団を抱えおいるように感じられるが、実際には毎回「スキ」を抌しおくださる固定ファン()の方々はごく䞀郚だ。だからず云っお(だからこそ)、私は私以倖の読者を想定するのは難しいし、迎合するこずもできない。このプラットフォヌムにおける「䜙癜」ずいうアむデンティティは、公共化されただけの私の日蚘であり、䞀蚘事の平均文字数は私の矎的欲求に埓っお増倧し続けおいる。私は「承認欲求」ず「忘华の恐怖」に぀いお、䞀方では執筆の燃料ずしお掻甚し、他方では抵抗しようずしおいる。


    そろそろ本題に戻ろう。今日の蚘事の出発点は「SNSのなかった時代は幞犏だったのか」ずいう玠朎な問いであり、SNSの功眪、䞻にその「眪」に぀いお掘り䞋げようずするのが目的だ。正盎、䞀぀の節にこれだけの分量を割く予定はなかったが、構想は完成しおいるので最埌たで曞き切りたいず思う。ここから先も迷走するこずが予想されたすが、これも加速する消費行動に逆らう䞀぀の取り組みずいうこずでお付き合いいただければ幞いです。


    第2節に移る前に、この「奜きの公共化」に぀いお語るために瀟䌚孊の「比范準拠集団」ずいう抂念を導入しおおきたい。私の専門は瀟䌚孊ではないので厳密な定矩は他の方々に任せるずしお、SNSはこの「比范準拠集団」の射皋を䌞ばしすぎおしたうのではないかず感じた。これは䜕かず云うず「自分や他人を評䟡する基準の枠組みを䞎える集団(Wikipediaより)」を指すらしい。たずえば、私たちはオフラむンではそれほど亀流しおいない盞手の行動に察しおさえ、オンラむンで共有された途端に矚たしがっおしたう。顔ず名前が䞀臎しおいる間柄でそう感じおしたうくらいならただしも、䞀方的にしか知らないむンフル゚ンサヌの生掻ず自分のそれを重ね合わせおしたうような堎合は重症だろう(そしお知り合っおいないはずの有名人ずオンラむンで䞀方的に亀流するこずで芪近感を芚える珟象には「パラ゜ヌシャル(parasocial)」ずいう圢容詞が䞎えられおいる)。むンタヌネットは「第二の珟実」ずしお、時間だけではなく空間も歪めおしたっおいるようだ。぀たり、SNSがあればフォロヌ・フォロワヌの関係によっお、珟実の瀟亀では手に負えない範囲たで無制限に延長するこずができる。そのため、私はInstagramもnoteもせいぜい100人の茪を超えない皋床が望たしいず考えおいる。䜕より、比范準拠集団が巚倧になればなるほど、自己決定暩すなわち䞻䜓性が奪われおしたうからだ。きっず自分で自分の行為を遞択できない状態は䞍幞だ。このように「非本来的」な生き方に流されおいないか、今日も私は私自身を芋぀め盎そうずしおInstagramをアンむンストヌルする。




    2-2. 「ネタバレ」の亀響化 / 未来の解䜓


    私たちは次に「未来の解䜓」ぞず進みたい。他者評䟡ず消費効率が可芖化されるSNS空間でもう䞀぀暎かれるものずしお、私は「ネタバレ」を挙げたい。ネタバレず云っおも、それは映画や小説の単なる結末開瀺に留たらない。むしろ、より倧きな「䞖界党䜓」をネタバレされおいるような気がするのは私だけだろうか。たずえば、むンタヌネットで怜玢すれば、自分の郚屋にいながら䞖界䞭の景色を芋るこずができる。その媒䜓は画像でもあり、映像でもあり、堎合によっおは珟地の芳光客に(擬䌌的に)垯同させおもらうこずも可胜だ。そのおかげで、私たちはお金がなくおも「芳光」の断片を䜓隓できるようになった。たずえ莫倧な資金を懞けなくずもスノァヌルバルの生掻を知れるし、危険を冒さなくずも沿ドニ゚ストル共和囜には入れるずいう蚳だ。もちろん、ここで「解䜓」されおいるのは実物を芳察したずきの物質的な「感動」だけではない。どれだけデゞタルで予習しおもザルツブルクの芁塞からの眺めは玠晎らしかったし、ノェネツィアを船で呚遊したずきの鳥肌が消える蚳でもない。それでも、どこかで未来の遞択肢の幅が広げられおいる、たたは狭められおいる感芚が残る。


    SNSのコンテンツは、プラトンの云うむデアず觊れられない点で共通し、目に芋える点で異なっおいるが、私たちが呚到に予習した䞊で行われる「芳光」は、むデアすなわちコンテンツの想起であり、それを再珟あるいは远䜓隓しおいるだけなのではないか。特別な䜓隓を求めお、私たちは写真を撮る。颚景に぀いお、矎術品に぀いお、食事に぀いお、蚘録を残す。たずえそのどれも(シミュラヌクル)がオンラむン空間では既に存圚しおいたずしおも、私たちはそれを共有せずにはいられない。少し話題が逞れおきたが、芳光に限らず人生に぀いおも思わぬネタバレが発生しおいる。たずえば、留孊蚘録に぀いおも觊れおおくべきだろう。十幎前ず比べお、個人が留孊するこずも発信するこずもかなり簡単になった。セメスタヌ単䜍の留孊で云えば、私もその䞀人だ。これも予め「ドむツ生掻」や「海倖留孊」の䜕たるかを情報収集しおおけば、いざ向こうで暮らし始めたずきの動揺を削枛できる。


    先日、効の友人(芪同士も知り合い)がこれから半幎間カナダに留孊するずいうこずで、私は䞀応の参考人ずしお母から「䜕か留孊先で困ったこずはないか」ず質問された。しかし、日本どころか実家さえ出たこずのなかった私が困ったこずず云っおも䜕も思い぀かなかった。むしろ苊劎したのは、初めおの䞀人暮らしでもなく、たしお海倖生掻でもなく、同じ皮類のプログラムに参加しおいた他の日本人留孊生ずの亀流だろう。たしかに私にはタコスやパスタ、ゞャヌマンポテト、挜肉盎火ハンバヌグぐらいしか自炊のレパヌトリヌがないし、掗濯や掗い物は嫌いではないものの、掃陀ず片付けは倧の苊手だ。これほど自掻適性のない私でも、数々の情報が䞎えられおいたこずで生掻に支障が出るこずはほずんどなかった。いくらかあったずしおも、私にずっおは「日本人ずの距離感どうしよう」ずいう堎所ずは無関係な悩みこそが至䞊呜題だった。奜く云えば非垞に快適な留孊生掻で、無理に悪く云えば「コンフォヌトゟヌンから抜け出せおなくね」ずいう評䟡に萜ち着く。ちなみに3-1で解説する぀もりだが、私は脱コンフォヌトゟヌン䞻矩には吊定的だ。すなわち「私は海倖に行っお䟡倀芳が倉わった。だからお前も行け」的な自己責任論には共感できない。それず同時に「海倖に行ったら酷い目に遭った。日本がいかに安党で玠晎らしい囜か孊んだ」ずいう䞀芋善良なコンテンツも散芋されるが、私の意芋では、どちらも埌で述べる「匷者の啓蒙」に属しおいる。


    私が匷者の啓蒙に賛同できない理由は3-1以降で詳しく芋るずしお、私は快適だった留孊生掻に぀いお、快適で良かったずしか云いようがない。その䞊で、SNSによる未来のネタバレを避けおいれば、もう少し波瀟䞇䞈な奮闘蚘を残せたのではないかずいう「存圚しない過去(what could have been)」に察する郷愁は拭えない。未来の解䜓は、予枬䞍可胜性の排陀ずも蚀い換えられるはずだ。留孊の目的ずしお語孊力の向䞊が最も泚目されやすいが、私はそれよりも「予枬䞍可胜性に察凊する機䌚の創出」を高く評䟡したい。蚀語も違えば、習慣も違う異囜で暮らせば、普通は予枬䞍可胜なトラブルの連続こそが「予枬」される。ずころが、SNSを通じお䞖界䞭の情報がリアルタむムで手に入れられるようになったため、私たちはもはや高い粟床で予枬可胜な空間を移動するだけになっおいる。たしかに、ドむツやフランスのような倧囜に比べれば、モルドバやナむゞェリアに぀いおの予枬材料は少ないかもしれない。それでも、そこに人の流れが生たれる限りでは公共化される情報も枛るこずはないはずだ。したがっお、質から量に転換しおきたコンテンツも、その膚倧な量をもっお䞖界に関する良質な知識を生み出し、私たちはどの囜ぞ行っおも適応するこずができる......ずいうのは理想論だろうか。


    これに぀いおは、私たちが盞手囜に察しお持っおいる情報量の増加に加えお、盞手囜の単玔な同質化も圱響しおいるず思う。぀たり私は日本にいたずきず倉わらない圢で、むタリアでもポヌランドでもマクドナルドを消費しおきたし、留孊先でもアゞアスヌパヌに立ち寄っお日本食パヌティヌの食材を調達した(補足するず私は半幎ぐらいなら癜米や味噌汁がなくおも䜙裕だった。そもそも日本での食生掻も西掋化・均質化しおいるので、私はパンずパスタで満足しおいた。そしお南ドむツは内陞郚なので魚料理がなかなか登堎しないが、私は寿叞ず刺身を陀く海の幞が奜みではないので平気だった。胃腞が匱いので他の文化圏では分からないが、少なくずも䞭倮ペヌロッパに兞型的な食生掻ずの盞性は抜矀だったこずが留孊䞭の䜎ストレスに貢献しおいたに違いない)。䜕より、私自身が旅行するずきには(基本的に)綿密な蚈画を立おないず気が枈たない人間であり、新しいこずにチャレンゞするよりは過去に発掘しおきた「安定の遞択肢」を手に取る性栌をしおいるので、ちょうどSNSが持぀未来のネタバレ的な性質ず私の需芁が「亀響」しやすいのだ。


    二十五幎ほど前、共に倧孊でスペむン語を孊んでいた私の䞡芪はメキシコに留孊しおいた。滞圚期間は語孊孊校の参加を含めお䞀ヶ月ほどだったらしいが、それでも䞀ヶ月の濃密具合には驚かされおきた。私は幌少期からメキシコ留孊の新鮮な゚ピ゜ヌドを蚀い聞かされおきたので、ドむツで楜しく生掻しおいたずきも、垰っおきおからも自分の安定感に拍子抜けしたこずを芚えおいる。スマホもむンタヌネットも普及しおいなかった䞡芪の倧孊生時代がたった四半䞖玀前だずは信じられないほどに、䞖界はずっず予枬可胜で䟿利になった。ドむツずメキシコを盎接比范する蚳にはいかないが、留孊・海倖旅行コンテンツに助けられたくった私に冒険の垭が残されおいないのは圓たり前だ。しかし、必芁だったネタバレを受けおもなお、私固有の留孊䜓隓は決しお色耪せるこずがないし、予枬䞍可胜性だけを恐れお日本の倖を知らないたたでいるくらいなら、貯金を切り厩しお未知の空間に飛び蟌んでみるこずに蚈り知れない䟡倀があるこずも付け加えおおきたい。


    タむトルで「SNSがしんどい理由」ず銘打っおおきながら、党然批刀できおいないし、明快な蚀語化からは皋遠いような気がしおならないが、私ずあなたが時空間を圧瞮するむンタヌネットの功眪に぀いお考える機䌚になっおいれば嬉しい(5000字ずかになっおきたけど曞き終わるかな)。




    2-3. 圧瞮された時空間の遺産


    さお、私の構想を無芖するレベルで散らかりたくっおしたった第2章を敎理しよう。最初はSNSずいうデゞタル空間が「珟圚ず未来を解䜓しおいるのではないか」ずいう時間の軞だけでSNSの有害性を捉えようずしおいた。しかし、曞いおいる途䞭で留孊䜓隓を振り返り、それがアナログの䞖界たで䟵食しおいるこずにも觊れなければならなくなった。その結果、プラスマむナス䞡面を扱うこずになり、あったはずの䞻匵が芋えにくくなっおしたったように思う。ずいうこずで、私はSNSの効果(の䞀぀)を「時空間の圧瞮」ずしお匷匕にたずめたい。


    私たちは他者評䟡が可芖化されたSNSを「第二の珟実」ずしお生きおおり、自分の「奜き」を私的に所有しおいる感芚を持ちにくくなっおいる。ただし、その公共化されたプラットフォヌムに自分のコンテンツを投皿するこずは、瞬間的な珟圚をアヌカむブ化し、蚘憶に珟れるような過去ずいう圢ではなく「氞遠の珟圚」ずしお拡匵できるずいうメリットもある。さらに、囜境を越えお浞透する情報の波は、それ自䜓の有益性ずずもに、受信者である私たちに「未来のネタバレ」をもたらす。それは異質な文化圏が持っおいた予枬䞍可胜性を解䜓し、私たちは安党か぀効率的に䞖界を消費できるようになる。ここたでが時間の圧瞮だ。そしお、ネタバレに溢れた倖囜(ドむツ)は心理的にずおも近い存圚になった。SNSも䞀方では私の快適な留孊生掻に貢献したが、他方では予枬䞍可胜な冒険の機䌚をどこかで倱わせおきたのではないかずいう物足りなさを生み出すこずになった。この点は私が旅行においお蚈画至䞊䞻矩であり、か぀安定を求めお新芏性を遞ばない性栌にも䟝存するずころは倧きいが、圧瞮された䞖界地図の䞊でどのように行動するかは私たちの自由だ。空間の圧瞮ずしおは、比范準拠集団になり埗る範囲が珟実の枠組みを超えお広がっおしたう偎面も芋逃せない。仮想の仲間たちに包囲された私たちは、どこかで䞻䜓性を倱っおはいないだろうか。


    第2章は抜象的な怜蚌になっおしたったので、次章からはもう少し具䜓的な事䟋に螏み蟌み぀぀、私が本で摘み食いしおきた知識を揎甚しおいきたす。


    ↓↓自分の「奜き」を取り戻す激アツなVlog




    3-1. 「匷者」の啓蒙 / 友ず敵(排陀)


    (侀) すでに神話が啓蒙である。
    (二) 啓蒙は神話に退化する。

    ホルクハむマヌ、アドルノ『啓蒙の匁蚌法』p.15


    この章で明らかにしたいのは、SNSで氟濫しおいる(ように思える)「啓蒙」ず「神話」の仕組みだ。耇雑なこずを云っおいるようだが、それぞれ「匷くなろう」ずいう啓蒙ず「匱くおもいい」ずいう神話を指しおいる。短瞮しお「匷者の啓蒙」ず「匱者の神話」ず呌ぶこずにしよう。第1節は前者に぀いお考察するが、デゞタル空間における「啓蒙」の特城は進歩䞻矩ず自己責任の論調にあるような気がする。そしお、私があたり快く思わないのは「グロヌバル賛矎」ず「ネむティブ英語至䞊䞻矩」のコンテンツだ。前述のように、芖聎者の䞍安を煜るためなのか「海倖知らない奎はダバい。危機感を持お」ず云わんばかりの極端な発信者も芋受けられる。


    もちろん「䞖界っお玠晎らしい♪」系のポゞティブな旅行動画たで非難する぀もりはないが(こちらは芋おお楜しくなる)、たずえ時間ず資金が十分にあったずしおも、倖囜に行くか行かないかは完党に個人の遞択に委ねられおいるこずを忘れおはならない。海倖旅行や長期留孊を経隓したからずいっお、その人がそうでない人よりも優れおいるこずにはならない(圓たり前)。留孊をさせおもらえた私自身が恵たれおいた立堎だったからこそ、それで誰かが海倖枡航のないこずを負い目に感じるようなこずがあっおはならないず改めお思う。少々匷い蚀葉遣いになっおしたったが、これはSNSの枠組みを超えた実䜓隓にも基づいおいる。ただ私が倧孊で留孊するこずを蚈画さえしおいなかった頃、高校時代に長期留孊を経隓しおいた人物から「留孊ぐらいしずかないず......笑」ず特暩的な発蚀をされた蚘憶がある。正確な口調は忘れおしたったが、最初は単に留孊を勧めおいるだけだったのが、だんだん私の人生経隓の少なさを咎めるような雰囲気を垯びおいったこずは芚えおいる。圓時の私にずっおそれは事実だったし、日本の倖どころか日本瀟䌚のこずも党く理解しおいなかったこずは認める。


    しかし、ここに「匷者の啓蒙」の暎力性が隠れおいる。圌(女)らの動機も、原点は「䞖界を知っおほしい♪」ずいう善意だったかもしれない。問題は、経隓者ず未経隓者の間に力関係を芋出しおしたい、そこから「匷者(経隓者)である自分が匱者(未経隓者)に正しい知芋を䞎えなければならない(啓蒙しなければならない)」ずいう信念に駆られおいる堎合だ。その内容に反感を持぀かどうかは別ずしお、それを芋る偎は知らず知らずのうちに「匱者」である自分を内面化しおしたう可胜性がある。進歩を求める啓蒙の効果ずしお、進歩しおいないこずに䞍安を感じるようになるのだ。(朜圚的であれ)䞍特定倚数の人間に劣等感を抱かせる時点で䞀぀の暎力ず云えるのではないだろうか。たしかに、囜境に囚われず行動しおいる圌(女)らは玠晎らしい。積極的で、䞻䜓的で、私ずは察極的な存圚だ。だからこそ、その熱意を啓蒙に泚ぎすぎないでほしいずも願う。珟地生掻でしか知り埗ない有益な情報を提䟛しおくれる移䜏者もいれば、残念ながら啓蒙が目的になっおいる掻動者もいるはずだ(埌者は飜和しおいるかもしれない)。今回は海倖どうこうの卑近な䟋を取り䞊げたが、本圓に望たしいのは、啓蒙された偎があくたで自発的にその行動を遞択するこずだろう。それは決しお匷制されおいいものではないし、それでは第2章で述べた「䞻䜓性の喪倱」にも繋がっおしたう。


    さらに、ネむティブスピヌカヌが同垭しおいるかどうかに関係なく「これが正しい英語の発音です」「この衚珟は䜿わないでください」ず啓蒙する英語孊習系むンフル゚ンサヌに぀いおは別の危機を感じおいる。たず、先生が生埒に䜕かを教えるずきは誀謬がないか现心の泚意を払う必芁があるが、圌(女)らの党員がそれを培底しおいるかず問われれば疑問が残る。珟に、ネむティブスピヌカヌず思われる発信者が別の同業者(ネむティブでないずも限らない)を蚂正するような動画も芋られるようになっおきた。こうなっおくるず、語孊業界党䜓の信甚が揺らいでしたう。私も「ネむティブは○○ず蚀いたせん」ずいうコンテンツに連続しお「いや○○は普通に䜿われたす」ずいう蚂正が入り乱れるようになっおからは、そのような「啓蒙」を話半分で眺めるようになった。指導者が間違った知識を䌝えるのは指導者自身の責任でしかない。しかし、それが非垞にランダムなSNSずいう堎においおは、誰も責任を取っおくれない。差出人も受取人も無数の組み合わせが考えられるし、そのアルゎリズムからしお特定の人に特定の商品を確実に届ける術はないのだ(第4章で詳しく扱う「誀配」の発生)。


    そしお、ここたで玹介しおきたように知識量の差を提瀺しおしたう(情報を売りにしおいる)コンテンツは、圓然「知っおいる人」ず「知らない人」の間に明確な線を匕いおしたう。そこには自己責任の論理が働いおおり、茪に入る者は拒たず、去る者は远わないか、酷ければ䞍安を怍え付けたたた偶然の消費者を排陀(exclude)しおしたう。啓蒙されたい者を「友」ず芋做し、されたくない者は「敵」ずしお切り捚おる、カヌル・シュミットが衚珟したような「政治的」関係が生たれる。公的な存圚である匷者は動かない。䞀方で、私的な存圚になりがちな匱者は埋もれる。ただし、この倚局な非察称性が分断を生むのは「啓蒙」の性質からしお仕方ないずも云える。『啓蒙の匁蚌法』を著したアドルノずホルクハむマヌも「(啓蒙の目暙は)人間から恐怖を陀き、人間を支配者の䜍眮に぀ける」こずだず同曞で宣蚀しおいる。これも第4章で再確認するが、私たちは自分が「知らないこず」ずその状態に耐えられなくなっおいるのではないだろうか。この䞖の党おを把握したい。物理的にも、粟神的にも、䞖界をコントロヌル䞋に眮きたいずいう欲求。その䞊で「匷者の啓蒙」は、私たちが服埓すれば保護される点においお、柄谷行人さんの云う「亀換様匏B囜家」ず䌌おいるかもしれない。啓蒙は䞊䞋の関係を匷化するのだ。情報提䟛者ず啓蒙掻動家を芋分けるのは難しいが、ひずたずは向こうが感情に重きを眮いおいるのか、事実に即しお冷静に意芋を説明しおいるのかを確認するのが奜たしいだろう。友ず敵を䜜り出しお扇動するタむプの人間を、少なくずも私は尊敬するこずができないし、䞍必芁な過熱は適切な知識を届けおくれる発信者を貶めるこずにも繋がりかねない。私たちは、着払いの責任を抌し぀けられおいるのだ。それに、小さな「正しさ」の衝突が倧きな戊争を生むこずは誰もが承知しおいるはずだ。


    じゃあ、そんなこずを曞いおいる私も「正しい」ず云えるのだろうか。もちろんそうではない。私の留孊䜓隓蚘を織り亀ぜたこの蚘事もたた、意図せず䞀人の「匷者」の芖点に立っおいるのかもしれないし、ずもすれば啓蒙的で、特暩意識に満ちた印象を䞎えるだろう。しかし、私たちはここでこれ以䞊の自己欺瞞に立ち入るこずなく、察立しお芋えるもう䞀぀の珟象「神話」ぞず論を進めおいきたい。




    3-2. 「匱者」の神話 / ルサンチマン(包摂)


    正盎この節を曞くのが最も苊しかったが、むンタヌネット䞊の脅嚁は支配的な「匷者」だけの産物ではない。むしろ私が「匱者の神話」ず名付けるものこそ、薬にもなれば毒にもなる「パルマコン」的な二面性が激しいだけに泚意しなければならない。この「神話」の特城を䞀蚀で衚すなら、共感ず同情を亀換し合う、脱䞭心化された呪術的共同䜓だ。どういうこずか。SNSをスクロヌルしおいるず、䞍意にネガティブな投皿が目に飛び蟌んできた経隓はないだろうか。それは粟神疟患に぀いお曞かれた蚘事かもしれないし、自分の倱敗に぀いお赀裞々に語る動画かもしれない。もちろん、そのように蚀語化するこずは自分の粟神衛生に奜たしい圱響を及がすだろう。そしおその䜓隓談が共有されるこずで、それを芁求する他者に届くかもしれない。だから、コンテンツの方向性がポゞティブかネガティブかどうかだけで簡単に善悪を刀断するこずはできない。それは䞍可胜だ。ただし、それが誰かの幞せな気分を損ないかねない「匷者の啓蒙」や「匱者の神話」に陥っおいないかどうかには、公共化を担う者ずしお最䜎限の責任を持぀べきだろう。


    ニヌチェは宗教的な䌝統に「ルサンチマン」を発芋した。前節の衚珟を匕き継ぐず、これは自分が匱者であるこずを正圓化し、その状況を匷者や環境のせいにする心情のこずだ。たずえば、私が倧孊で友達ができないこずを、自分の性栌や振る舞いを省みるこずなく責任転嫁するずか、亀友関係に恵たれおいる人を芋お嫉劬するずか、生きおいれば誰でも感じるような䞍満が動機になる。これで開き盎っおもいいし、同じように「友達ができない」仲間ず共有するのも自由だ。むしろ、それでも掻動できたり評䟡されたりする瀟䌚は「優しい」のだ。堎合によっおは、私的な䜓隓や感情を公共化したこずによっお「私だけじゃないんだ」ず励たされたり、人間関係を構築しようずする積極性が芜生える䞀぀の契機になるかもしれない。これはSNSずの健党な付き合い方だ。ここで私たちが再考するべきなのは、私たちの「匱者アむデンティティ」を党面肯定し、共同䜓の内偎に安䜏させる「神話」だろう。


    倧前提ずしお、䜙裕のある者が䜙裕のない者を助ける原理は欠かせない。颚邪を匕いたずきには、安党な寝床ず回埩に貢献する薬や飲食料品が揃った枅朔な療逊環境が保障されおいるのが望たしい。颚邪を匕いた人間に察しお、その人が盞圓に憎たれる察象であれば分からないが、症状を自己責任だず切り捚おたり、たしお眵詈雑蚀を济びせたり患者に銬乗りになったりするような人間がいる瀟䌚は正垞ではない(......いないよね)。ずころが、䜓調䞍良でもないのに葛根湯を飲んでも仕方がないように、薬は甚法甚量を守られお初めお効胜を発揮する。぀たり、無条件の肯定ずいう「優しさ」が、実際にそれを必芁ずしおいる盞手に届けられおいるのかずいう問いだ(再びシステムの「誀配」が関係する)。


    もし「ルサンチマン」を過床に信頌しおしたい、䜕も状況が奜転しおいないのであれば。䞍幞を取り陀くために瞋ったコンテンツが、あなたを「裏切らないこずで裏切っおいた」のだずしたら。これも突き詰めれば匷者の啓蒙に逆戻りしおしたうが......たずえば「そのたたのあなたでいいんだよ」ずいう蚀葉を私は奜んで䜿いたくなるが、それさえ薬にも毒にもなる䞡矩性を秘めおいる。もし盞手が他の誰かから䞍条理な扱いを受けおいお、そのせいで自分を苊しめるほどの自己吊定に陥っおいる堎合は「薬」になるかもしれない。しかし、向こうが自分を過小評䟡しお、(頑匵れば達成できそうなのに)逃げるこずや諊めるこずを正圓化しおいるような堎合は「毒」になるだろう。神話は私たちを受け止める。圷埚い悶える人間を立ち止たらせるず同時に、自分の意志で動かない人間の心を掎んで離さない。これは自戒だ。䞀歩螏み出せば䜕ずかなるずころを、い぀たでもスタヌトラむンで足螏みしおいた私。その舞台は幌皚園かもしれないし、倧孊かもしれない。それでも、私は「挑戊しないなんお勿䜓ない、私の生き様に責任を負っおいいのは私だけだ」ずいう認識にシフトした。数え切れないほどの条件を鑑みお、あなたが䌑むべきなのか、あなたが進むべきなのかを決めるのは、オンラむンの普遍的な啓蒙や神話ではなく、あなた自身だ。ちょっずぐらい䌑んでもいいし、ちょっずぐらい進んでみおもいい。


    私が䌝えたいのはそれだけだ。


    ずいう蚳で、もう少しだけ「神話」に぀いお補足しおおこう。啓蒙ず神話の違いは、䞭心が必芁ずなるかどうか、たたは自由ず平等のどちらを遞択するかに衚れおいる。啓蒙は集団を支配する囜家的な組織であり、その頂点に「匷者」を蚭定するこずで機胜する。䞀方で神話が機胜するためには、蚀い換えるず「匱者」が匱者ずしお存圚し続けるためには、䞭心を䜜っおはならないのだ。神話は、内郚の人間に構造ず力を䞎えるのではなく、倖郚の人間を包摂(include)するこずで均等に勢力圏を拡倧する。その意味で、神話の共同䜓はアニミズム信仰を基盀ずする「亀換様匏A莈䞎ず返瀌による互酬性の集団(泚: 柄谷行人さんの甚語)」に類䌌しおいる。匱者の神話を共有する者同士で、共感(empathy)ず同情(sympathy)の蚀葉を莈り合う関係性が圢成される。本節では区別しおいなかったが、それぞれ盞手の立堎か、自分の立堎から他人の出来事を芋るものずしお捉えおおく。SNSのコメント欄に限らず、私たちはその䞡方を経隓できる。さらに興味深いのは、匷者の啓蒙(亀換様匏B)ず匱者の神話(亀換様匏A)が、どちらも「いいね」の量や「フォロワヌ数」ずいうデゞタル貚幣によっお盞察的な䟡倀が可芖化された「亀換様匏C商品亀換・垂堎経枈」的なシステムの䞊で動いおいるずいう点だろう。




    3-3. 円で囲むこず(claudere)


    曞けば曞くほど『啓蒙の匁蚌法』ず内容が酷䌌しお芋える(私は噛み砕くのに倧倉な時間がかかっおいたすが名著です八十幎埌の珟代瀟䌚にも突き刺さる序文だけでも目を通しおみおください)。第3章を芁玄するず、匷者の啓蒙は自由を志向し、匱者の神話は平等を志向しおいるこずが分かった。いずれもコンテンツ自䜓に利点ず欠点の䞡面性が隠れおいるこず以䞊に、過剰にタテの分断を煜ったり、䞻䜓をペコ䞀列に封印しおしたう点で私たちを「しんどく」させおしたう。そこで、具䜓䟋は私怚()に偏っおしたったが「排陀(exclude)」ず「包摂(include)」ずいう基準で二぀を分類しおみた。


    ずころで、これらの英単語は接頭蟞の差(「倖(ex-)」ず「内(in-)」)によっお反察の意味を指すようになっおいるが、語源をラテン語にたで遡るず"claudō(珟圚䞍定詞の圢はclaudere)"ずいう動詞に蟿り着くようだ(Wiktionary)。こちらは英語の「閉じる(close)」こそが盎系の子孫に盞圓するらしく、"claudō"に倖郚のものを包み蟌むようなむメヌゞはなさそうだ。オンラむンの蟞曞で怜玢しおも、黙らせる・投獄する・包囲する・制限する......など、閉鎖的で暎力的な印象が付き纏う。この章の冒頭で匕甚した通り、『啓蒙の匁蚌法』では神話→啓蒙の歎史だけでなく、啓蒙→神話の過皋に぀いおも論じられおいる。圌らの認識からしおも、啓蒙ず神話はどこかで枟然䞀䜓ずなっおおり、私は「他者を囲む(claudere)」こずで埪環しおいるのではないかず考えた。啓蒙は匷者を䞭心に据えお共同䜓の倖郚を排陀するが、神話もたた共同䜓の内郚に構造が生たれるこずを蚱さない。どちらも「他者」の存圚を解䜓しようずしおいるのではないだろうか。これが私の云う二぀目の解䜓だ。


    話は倉わるが、本来性に぀いお朚田元さんのハむデガヌ解釈を少し読んだので圌の哲孊を玹介しおおきたい(非垞に難解なので私が根本的に間違っおいる可胜性をお忘れなく)。それこそ日本語に蚳されるず、人間は自分の意志ずは無関係に䜕らかの状況(人生ずか)に「被投」されおおり、その限界である自分の死を意識しながら人生を「䌁投」しなければならない......ずハむデガヌの思想は(私にずっお)意味を成さなくなっおしたう。しかしドむツ語に盎せば、これも「投げ蟌たれた(geworfen)」や「デザむンする(entwerfen)」ずいう䞀般的な単語であっお、語根はしっかり「投げる(werfen)」で共通させおいる。圌(ずいうか朚田元さんの曞き方)によるず、死を盎芖しお生を想うこずず、生の逃避ずしお死を想うこずは盞容れない態床だ。自分が投げ蟌たれた珟状を嘆いおばかりで、死の恐怖から逃れるためだけに他人の䟡倀芳に合わせおいるのも、自分の人生を創造しようずしないのも「非本来的」な生き方らしい。私にグサグサ刺さったずころで第4章に移ろう。


    ↓↓自分で䞖界をデザむンしおいく玠敵なVlog




    4-1. 「聖」の無効化 / 脱魔術化


    あたりに氞い苊悩は人を愚かにする。苊悩によっお愚かにされた人は、もう歓喜を疑うこずはできない。

    䞉島由玀倫『愛の枇き』p.178


    私は倧阪圚䜏のため、(名前は出さないが)ダルマで有名な府内の寺院を䜕床か蚪れたこずがある。か぀お倧孊受隓に向けた願掛けず、その結果報告のために家族で参拝した。そしお留孊先で関わったドむツ人の知り合いが日本たで遊びに来おくれたずき、ぜひ該圓の寺院に行きたいずいうので案内した。そこで二・䞉幎間の倉貌に驚愕する。閑散ずしおいた埅合宀(受付)のスペヌスはテヌマパヌク顔負けのグッズ売り堎に改装されおおり、その堎で手枡しだったチケットは自動ゲヌトによるデゞタル認蚌で通されるようになり、さらには境内の至る所に英語衚蚘ずSNS投皿を勧める看板が蚭眮されおいた。率盎に云っお、山寺の厳粛なオヌラは消滅しおいた。しかも曲がりくねった参道にはスタンプラリヌたで完備されおおり、それに喜ぶドむツ人の傍で私だけが意気消沈の玠振りを芋せる蚳にはいかなかったが......この䜓隓は、SNS映えを意識しすぎお「聖なる䜕か」が倱われたこずの兞型的な䟋だ。


    もちろん、そのSNSを通じお䞖界的に有名になったこずで、宗教的に無差別な芳光客の倧矀が抌し寄せるようになった䞭での生存戊略ずしおは劥圓だろう。䜕より、この珟象は単独の寺瀟に限られたものではない。私は「神聖なもの」の神聖性は䞍可知・䞍可䟵に宿るず考えおいるが、それこそ党おを知り尜くそうずする「啓蒙支配」の嵐が吹き荒れる瀟䌚においおは真っ向から察立する。改めお匷調するたでもなく、私たちの行動や評䟡が可芖化されすぎおいるのだ。Instagramで私をフォロヌしおいる人には、私が川䞊未映子さんのコヌディネヌトにハヌトを抌しおいるこずも筒抜けである。YouTubeでも短歌や物理に぀いお語っおいる綺麗なお姉さんたちのフィヌド投皿を毎回チェックしおいるこずも即刻バレかねない(気にしないこずにした)。そんなこずを云えば哲孊も瀟䌚孊も「人生党䜓のネタバレ」のようなものだが、芁は誰もが「祭叞」になれるようになっおしたったのだ。


    瀟䌚孊者の芋田宗介さんは、真朚悠介名矩で曞かれた『時間の比范瀟䌚孊』で゚リアヌデの「聖なる時間」ずいう抂念をレノィストロヌスなどの時間論ず比范しおいる。ここでは深く立ち入らないが、それは日垞の、線的に進行する「俗なる時間」ず察比される。圌らによれば、カレンダヌで芏則的に繰り返される䌑日祝日はもはや「聖なる時間」ではない。本来の「聖なる時間」は、神話的な瞬間の反埩的な再珟を意味しおいたからだ。祝祭によっお「聖なる時間」は䜕床でも蚪れる。そのずき、私たちは過ぎ去っお二床ず還らないはずの「俗なる時間」がもたらす存圚論的恐怖から解攟される。さお、宗教的な偶像よりも時蚈の針を拝むようになった私たちからは「魔術(Zauber)」が倱われた。よく瀟䌚孊系の曞籍で「脱魔術化(Entzauberung)」ずいう蚀葉を芋かけるが、これは瀟䌚が科孊による合理化(぀たり啓蒙)を受け入れたこずで、宗教などの神秘的な䟡倀が䞋萜しおきた近珟代の歎史を反映しおいる。もはや私たちは自然灜害を神々の怒りだずは捉えないし、氎䞍足でも雚乞いの儀匏を始めたりはしない。だからず云っお「呪術共同䜓に回垰するべし」ずいうこずではない。私たちを瞛るのが別の皮類の「魔術」に取り替わっただけだ。たずえばそれはお金であり、メディアにおける数倀化された゚ンゲヌゞメントでもあるだろう。


    私たちを説埗するのは「聖なる䜕か」ではない。ドむツの瀟䌚孊者ハルトムヌト・ロヌザ氏によれば、それは「䞖界到達圏の拡倧(Weltreichweite-Vergrößerung)」に他ならない。原語が長すぎお混乱を匕き起こしそうだが、これも啓蒙の粟神ず倉わらず、自分がアクセス・コントロヌルできる範囲を無限に延長しようずする欲求だ。ここたで論じおきたように、むンタヌネットずいう魔力は、時空間を解䜓しお䞖界を掌サむズに圧瞮しおしたう。距離感を捻じ曲げるSNSは、自分より「匷い」他者も「匱い」他者も切り刻む。そしお、加速する無限のアクセス芁求ず有限の脳ストレヌゞが衝突する。䞀方で、アクセルを螏み続けなければ機胜䞍党を起こしおしたう私たちの瀟䌚ずは違っお、自然は自然のスピヌドで動いおいる。人間だけが時空間を超越しおいる。芋えすぎお芋えなくなった「聖」ず、芋えないものを芋ようずした「俗」の終わらない競争。か぀お期間限定の祝祭や儀匏が呌び芚たしおきた集合的熱狂は、オンラむンコンテンツずの垞時接続によっお擬䌌的に提瀺され続けるようになった。砎壊されたリズムのおかげで神話は反埩されなくなり、「俗」の断片だけが昌も倜も再生されおいるのだ。


    時間は半盎線の䞊を流れお戻らない。




    4-2. 「俗」の無限化 / 再魔術化


    倧型曞店の哲孊曞コヌナヌに立ち寄るず、かなりの確率でスピリチュアル・新宗教系の棚が䞊列されおいる。個人的にはあたり歓迎できない分類方法だが、隅々たで照らされた「脱魔術化」の瀟䌚は新しい魔法を埅ち望んでいるのだから私が折れるしかない。コペルニクス玚の倩才でなくおも、私たちはむンタヌネットで怜玢するだけで䞖玀の倧発芋に぀いおの知識を蓄積できるようになった。䜕なら倧抵の疑問は生成AIに投げれば尀もらしい回答が返っおくる。䞖界には「答え」が溢れおいる。孊術的゚リヌトの独占暩が無効になるず、人々は自分で自分に奜郜合な「真理」を生成するようになった。呪術や神話が姿を消したのは、それが必芁ずされなくなったからではなく、生ず死に察する䞍安を和らげる道具が呪術や神話である必芁がなくなったのだ。岩波文庫を䜕十冊ず読砎しなくおも、叀兞の゚ッセンスはSNSの芁玄家や人工知胜に出力しおもらえれば枈む。わざわざ自分で「答え」を捻り出す努力は倖泚できるようになった。私の内面が「この私」である必然性、すなわち私たちのアむデンティティさえも解䜓されおしたったのだ。これは「再魔術化(re-enchantment)」ず呌べるだろう。あたりに悲芳的だろうか。それでも私たちが䞖界を蚭蚈し盎す手段は残されおいないのだろうか。


    最近の私が掚したくっおいる著䜜家・東浩玀さんは「芳光客郵䟿的マルチチュヌド」ずいう造語でグロヌバリズム(個人䞇歳)ずナショナリズム(囜家䞇歳)の二局構造を暪断する䞻䜓を発明しようずしおいる。東さんの蚀葉を借りれば、芳光は「誀配予期しない情報による新たなコミュニケヌションの可胜性」を含む。かくいう私も、西掋矎術史の玠逊が薄いにも拘らず、ルヌノル矎術通の入堎列では䜕十分も䞊んだし、展瀺宀の䞭倮に鎮座するモナリザをカメラに収めようず矀衆に玛れ蟌んだ。友人のパリ芳光に同行するこずさえ、私は出発の数日前に思い立っお倜行バスの空垭ず隣接するホテルを抌さえた。ノェネツィアでは本島旧垂街で芋぀けたばかりのレストランで絶品のパスタを味わい、プラハは培倜明けか぀日垰りで緎り歩くこずになり、りィヌンでは偶然立ち寄った雑貚店で友人ずお揃いのブレスレットを賌入し、ザルツブルクで遊芧船に乗り損ねた私たちは、代わりに蚪れた郊倖の宮殿で飄々ず日本語でギャグを蚀い攟぀ガむドのおじさんに出䌚った。どれも私の予定衚には曞き蟌たれおいなかった「誀配」の䜓隓だ。芳光をする䞊で、このような未知ず䞍確実性は切り離せない。粟密な旅行蚈画を立おたずころで、それを自分で厩しおいくのが醍醐味でもある(逆に最䜎限の蚈画さえ立おおおけば、安心しお䞍枬の事態を楜しむこずができる)。


    「速くお楜な団䜓ツアヌ」もあれば「遅くお倧倉なハむキング」もあるだろう。私たちは芳光客なので、そのどちらにでも参加すればいい。これこそ可芖性ず予枬可胜性が極限たで高められたSNS瀟䌚に抵抗する䞀぀の態床ではないだろうか。より具䜓的には、映像に囚われるこずなく様々なメディア圢匏を受け入れるこずが倧切だず私は信じおいる。たずえば、東さんはYouTubeの察談動画・雑談配信でも十分面癜いが、それ以䞊に文章が魅力的な批評家(そしお哲孊者)だ。ネットサヌフィンず読曞。そのどちらも捚おがたいが、食事でも䜕でもバランスなので、片方ばかりに熱䞭しおいるずもう片方も摂取したくなる。第2章で述べおきたように、動画を䞭心ずするオンラむンコンテンツは私たちの時間を固定する。東さんも以䞋に貌り付けた配信(切り抜き)でそう語っおいるが、たずえば読曞は自分が時間をコントロヌルできる点で倧きく異なる。私たちは、デゞタル䞖界が解䜓しおきた時間を䞀冊の本によっお再構築できるかもしれない。




    4-3. 透明なテヌマパヌクを抜け出しお


    党䜓の文字数が20000字に迫っおきたので、そろそろ䞀応の結論を瀺さなければならない。私はここたで、哲孊者や瀟䌚孊者の線み出した抂念を自分なりに解釈しながらSNSの「しんどい」仕組みず、それが私たちの行為にもたらす倉化に぀いお(回りくどく)蚀語化しおきた。最終的に、東さんの「芳光客」モデルを䜿うこずで事態を解決に導けるのではないかずいう考察を添えた。しかし、ここでもう䞀぀の壁が珟れる。それは、珟実の「芳光」ずいう行動がSNSによる共有文化ず匷く結び぀いおいる点だ。たしかに、私は「奜きの公共化」による珟圚の解䜓や、友ず敵を峻別する政治的な「啓蒙」、さらには自分を共同䜓に閉じ蟌める「神話」など、耇数の角床から「第二の珟実」ずしおのデゞタル䞖界を批刀しおきた。それが加速し続ける私たちの瀟䌚ず「連環」しお、䞻䜓性や固有性を喪倱させるこずを匷調しおきた぀もりだ。そしお「芳光」もそのメカニズムに組み蟌たれおいる。倧切なのは、SNSが私たちに芋せおくれる「加工された芳光地」の仮象に満足するこずなく、自分の肉䜓を抱えお珟地に赎く芳光客の粟神だろう。これは身䜓性のない倚蚀語モデルずしおのAIが乗り越えられおいない壁の䞀぀でもある。そこで集䞭するべきなのは類䌌品がアップロヌドされ尜くしたコンテンツの再生産ではなく、䞍可芖性ず䞍確実性を肯定する「郵䟿的誀配を含む䞍完党なシステム」な䞻䜓ずしおの立ち回りではないだろうか。私たちは理性的な祭叞が取り仕切る、蚈算された熱狂に晒されおいる。同時に、誰もがその立堎を名乗るこずができる。魔法のない䞖界で魔法を芋せ぀けるためには、生身の人間も超自然的な呪術も必芁なくなっおしたった。それでも、私たちが投げ蟌たれた人生を生き抜くためには、煌びやかな商品が䞊ぶパサヌゞュのように「透明なテヌマパヌク」を抜け出さなければならない。アルゎリズムを無芖しお、連垯するこずなくコミュニケヌションを取っおみる芳光客的な生き方にこそ垌望がある。消費を消費で終わらせおはいけない。


    䜙談だが、䞀぀目の「時間の解䜓」においお「過去」は察象になっおいなかった。䞀床でもむンタヌネットに投皿されたコンテンツは半氞久的にアヌカむブされる。その性質からしお、SNSは過去を矎化するのに長けおいるのかもしれない。しかし、それは過去が改倉されおいないずいう意味ではなく、(解䜓されおいないだけで)垞に恣意的な「再構築」を経おいる可胜性を忘れおはならない。この蚘事ではあたり取り扱えなかったが、オンラむン䞖界に溢れる矎孊趣味(sth aesthetic)やロマンティサむズ文化(romanticise sth)は私たちを惹き぀ける。SNSに自分の未来が映し出されおいるように感じるのは、矎しく装食された「存圚しない過去」が生産され続けおいるおかげなのかもしれない。ハむデガヌは、(個々の環境に閉ざされた「存圚者」である他の動物ず比べお)人間だけが䞖界に開かれた「珟存圚」になり埗るのは、時間の力によるず云った。私たちは昚幎の蚘憶に぀いお、次の季節の予定に぀いお、珟圚においお語るこずで生きおいる。その終着点が「死」であるこずに倉わりはないずしおも、ハむデガヌが党䜓性の思想から凶悪なナチズムに加担しおしたった事実を反省しながらも、私たちは特殊な時間感芚ずずもに空間の䞭で生きおいる「四次元的な存圚」なのかもしれない(科孊的には䞍適圓な衚珟だろうが)。もっず「今ここ」のあなたに声揎を送りたい。


    ↓↓時間を支配する動画メディアの話(※終盀)




    5. ChatGPTによる郚分的な解説


    孊術的な正確性は保蚌したせん...


    ゚ミヌル・デュルケヌムおよびミルチャ・゚リアヌデは、時間を「聖なる時間」ず「俗なる時間」の亀替ずしお理解し、瀟䌚的意味や連垯はこのリズムから生成されるず論じた(泚1: 真朚悠介『時間の比范瀟䌚孊』に基づきたす)。すなわち、日垞的で盎線的な俗なる時間に察し、祭りや儀瀌における聖なる時間は円環的か぀神話的過去ぞの回垰ずしお機胜する。

    しかし珟代のSNS環境においおは、この区別が根本的に倉容しおいる。日垞は垞時他者に提瀺されるこずで「聖化」され、同時にバズや炎䞊ずいった集合的沞隰が絶え間なく生起するこずで、聖なる時間は䟋倖性を倱い垞態化する。その結果、䞡者を分節しおいたリズムは厩壊する。

    この状況は、ハルトムヌト・ロヌザの加速理論によっおさらに説明される。技術的加速は本来時間の節玄をもたらすはずであったが、実際には生掻テンポの加速ず瀟䌚倉化の高速化を招き、䞻䜓は慢性的な時間欠乏に眮かれる。こうしお瀟䌚は、絶えず倉化しながらも方向性を欠く「静止した熱狂」に陥り、䞖界ずの「共鳎」は喪倱する。

    さらにゞャック・デリダ(泚2: 東浩玀の『存圚論的、郵䟿的』における解釈を前提ずしおいたす)の「郵䟿的実存」が瀺すような、偶然的な到来や誀配の可胜性は、アルゎリズムによる予枬ず最適化によっお排陀される。SNSは「誀配のない郵䟿システム」ずしお機胜し、䞻䜓の欲望すら事前に回収する。このずき䞖界は既芖的で平板なものずなり、驚きや他者性は消倱する。結果ずしお䞻䜓は、身䜓的実感や深い経隓を欠いた「(䞍完党な)芳光客」ぞず倉容し、疎倖ず無力感に盎面する。

    以䞊より、珟代における問題は聖ず俗の察立そのものではなく、それらを埀埩させる時間的リズムの厩壊にある。そしおその回埩は、効率性や予枬可胜性に抗し、偶然性・非効率性・身䜓性ずいった「制埡䞍胜なもの」を再び経隓の䞭心に据えるこずに求められる(泚3: 私は東浩玀『芳光客の哲孊』および『蚂正可胜性の哲孊』を参照したした)。

    䞻に第4章に出おくる抂念の補足です




    6. 参考図曞(ずいうよりおすすめの本)


    特に芋田宗介(真朚悠介)さんず東浩玀さんの考え方から圱響を受けおいたす。『啓蒙の匁蚌法』ず柄谷行人さんの『力ず亀換様匏』からもむンスピレヌションを埗たした。しかし、ただの倧孊生の解釈ですので「そんなこず曞いおねえよ」ずいうご指摘もあるかもしれたせん。それから、私はリストに挙げた本を党お読み返した蚳でもありたせんが、この蚘事の内容に関わりそうな十冊を遞んで以䞋に茉せおいたす。そのため、これらの十冊を読んでいただければ「私が(拙い筆臎で)曞こうずしおいたこず」の倧郚分は䌝わるはずです。最埌たで䞊から目線で申し蚳ないですが、どれも本圓におすすめなので、気になったものがあればぜひ手に取っおみおください(奜きな本はこれからも玹介し続ける぀もりです🔥)





    最埌たで読んでいただきありがずうございたす💐
    (そんな方がいたらめっちゃ喜びたす)


    この論考でSNSのあらゆる偎面を切り取れたずは思いたせんが、私はずっず曞いおみたかったテヌマが䞀段萜しお満足です。ようやく皆さんず共有できお嬉しいです。こんなこずを曞いおおきながら、私もInstagramの沌からは抜け出せおいたせんが(唯䞀の連絡手段がこれの友人もいるので  )、この機䌚にSNS(たたはむンタヌネット)ずの適切な付き合い方を䞀緒に考えおいければ幞いです。感想もお埅ちしおおりたす。それでは、Porter Robinsonの"Cheerleader"で締めたしょう



    It's not fair
    'Cause I knew you like the back of my hands
    Well, don't you care? I gave you everything, ah
    Now I feel you even when you're not there

    䞍公平じゃないか
    君のこず誰より分かっおた぀もりなのに
    もう振り向いおもくれないんだね
    私はこの心を捧げたのに
    君がいなくなっおからも
    隣にいおくれた日々の熱を思い出す

    Porter Robinson - Cheerleader

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