
思いの正体
こんにちは、こんばんは、あるいは、おはようございます。よだかです。
今日は、名前について連ねていく。
名前とは、辞書的にいえば物や人を識別するための名称にあたるだろう。
名前には、名付けた者の思いがある。人名は多くの場合、親の思いが込められるように。
近年では、キラキラネームなどと呼ばれる名前も存在する。それは、思いが「一般的な名前」の枠にはまらなかった結果だろう。思いに対しての考え方はそれぞれただ。「誰にでも読まれやすい」や「他人と被らない」も名付ける上での思いにあたるだろう。
どのような角度で名前に対する『思い』を見るかによって、感じ方は十人十色である。ただそれだけの事である。それ故に名付けられた人が、その名前をどう捉えるかも変わる。それは避けることのできない思いのすれ違いだ。
ここまで人名について書いてきたが、ペンネームやアカウント名等はどうだろう。
大抵の場合、自身でつけるそれぞれのコミュニティで名乗る自分の名前だ。
このnote上で私は、「よだか」と名乗っている。本名とは何ら関係ない。そして、その名に思いは大してない。
そうとなるとなぜこの場での名前を「よだか」にしたのか、という疑問が生まれる。由来は、小説にある。宮沢賢治の短編小説『よだかの星』の主人公から(物語の様に言えば)名を借りている。
この物語は、『よだか』という鳥がその醜さ故に周囲から疎外され、生きる事に対しての罪悪感を覚え、絶望する。そして、命をかけて夜空をどこまでも高く飛び、やがて燃え続ける星になるという話です。
なぜこの名前なのか端的に言えば、「この物語が好きだから名を借りている」という理由だ。大した理由には、あたらないだろう。だが、『よだかの星』が好きという思いがある。
ここで前述した名前には、名付けた者の『思い』があるというのは、ペンネームやアカウント名にも通ずる事がわかる。確かに思いの重みは、天と地の差があるが、あるという事実は変わりない。
では、なぜ思いの重みに差が生まれるのか。それは言わずもがなだが、様々な要因もあると思うので、一応言葉にしておく。
重みは、名を使用する『時間』と比例するだろう。長ければ重く、短ければそうではなくなる。
例えば、「このイベントだけのニックネームを考えてください」と言われつける名前に、重い思いを込める事はほぼない。その場に適当な名をその場で決めて名乗るだろう。
対して、「これからの人生で常に名乗る第二の名前を考えてください」と言われたらどうだろう。真剣に「名前」というものと向き合い考えるだろう。そして決めた名前に対する思いは重くなる。
『名は体を表す』という言葉がある。この言葉は、仏教用語に由来するそうだ。そして、この言葉は誰しも聞いた事がある言葉である。
この意識こそ、思いの『正体』を知る鍵になると思う。
『他人からどう見られるか、どう見られたいか』これは人間として重要な観点だ。この考えの先には、自分が『どうなりたいか』という考えがある。
つまり、どのような『体』を表したいかによって、『名前』が変わってくるという事だ。
なので、人はその場に合わせ名乗る名前を変えている。苗字かファーストネームなのか、本名かあだ名なのか、アカウント名Aかアカウント名Bなのか。
つまり、『どうなりたいか』また『どうなって欲しいか』、『どうありたいか』『どう思われたいか』などの願望が名前をつける上での思いなのだ。
おわり