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掌編小説 ベイビーカステラ

    コロコロオギャー。

    今日もうまくベイビーカステラが焼けた。甘いにおいが鼻先に流れてくるだけで、なぜこんなに幸せな気持ちになれるんだろう。

    オーブンを開けると、ずらりと並んだベイビーたちがこちらを向いた。見るからにふわふわではちきれそう。庫外の空気に触れると、すぐにしぼんでしまうのが残念だ。

    材料は粉や卵、牛乳など、ごく一般的なものである。特別な型も使わない。生地がだれないよう、冷めてもおいしいよう、自分なりの黄金比で混ぜ合わせ、天板に水玉を描くようにしぼり出していく。

    ある日、アレンジしてみようと思い立って、ひとつ材料を加えてみた。それだけで、まあ、違う顔つきのベイビーになった。頬がぷっくりして焦げ目も愛らしい。次は、加える材料を別のものに変えてみた。風船みたいに弾む生地を噛むと、笑い声を上げるように空気が飛び出してくる。バターとはちみつの混じりあった香りは、口から鼻へと、トンネル遊びをするように抜けていった。

    楽しくなってきて、次の週末はあれもこれもと欲張って生地に混ぜ込んだ。オーブンに放り込み、部屋でわくわくしながら焼き上がりを待つ。今日は天気もいいし、焼きたてをもっていって公園で食べようか。うまく焼けたら、きれいにラッピングして、友達におすそわけするのもいいかもしれない。そうそう、レシピを教えてほしいとも言われていたんだっけ。

    妙なざわめきが聞こえて、耳を澄ませた。台所からだ。ぶつぶつ、くっくっ、ぴちぴち、どろり。話し声か。いや、粘り気のある液体が沸き立つような。鍋で煮詰まるいちごジャムとか、火山を流れ出すマグマとか。突然、がしゃんと激しい音が轟く。シンク横に積んでいた食器類が倒れたらしい。

    駆けつけてみると、いつものように小粒で行儀よく並んだベイビーたちはいなかった。一体の大きな「ベイビー」が、オーブンの扉からあふれ出していた。手とも足ともつかないふくれたものをさざなみのように動かして、こちらに這ってくる。

    身動きができず立ちすくむ。ベイビーはどんどん大きくふくれ、ついにわたしの背丈ほどになった。いまにも腕が触れそうなところで立ち上がり、わたしに抱きつこうとする。熱気がかぶさってきて、とっさに目をつぶった。

    ――ママー

    頬に熱いものがびたっと張りつく感じがした。それだけだった。おそるおそる目を開けると、なま焼けの生地がそこらじゅうに飛び散っていた。

    頬の火傷はコイン大の痕になり、しばらく残った。その日のレシピは誰にも言わない。だけど、まだとってある。




    *****

    短い小説を書いています。よろしければ、こちらもぜひ。


     
     
    ことばの世界にひきこまれたひとり。英語がらみの仕事のかたわら、短い小説を書いています。ふしぎでちょっとドキッとする作品、季節や時間のうつろいを感じられる作品が好きです。ひとやすみの友は、コーヒー、花、猫。

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