J-LEOが描く日本の通信自立シナリオ——楽天モバイルとAST SpaceMobileの1500億円
総務省が約1500億円(1480億円)を楽天モバイルとAST SpaceMobile(ASTS)に補助したという話題が持ちきりだが、この内容は何なのか、それが日本をどう変えるか批評する。
AST SpaceMobileはアメリカの新興通信衛星事業者であり、自前の衛星を各国の携帯キャリアに貸すことで収益を得るビジネスモデルを持っている。楽天モバイルは携帯キャリアである。この二社が合弁会社を作り、総務省がこの会社に約1500億円を助成するというのが大まかな枠組みだ。
この根拠は『「デジタルインフラ整備基金助成事業「低軌道衛星通信インフラ整備事業」』であり、その大元は「特定電気通信施設等整備推進基金補助金交付要綱」である。1480億円を上限として、2分の1を上限とした助成金であり、つまり一次効果は最大2960億円となる。
この要綱は通信ネットワークの強靭化の文脈で定義されており、自動運転や、海底ケーブルの増強も含まれ、その一つが低軌道衛星通信インフラであり、その部分を抜き出した事業助成が今回決定されたものである。
https://www.ciaj.or.jp/ciaj-wp/wp-content/uploads/2026/03/j-leo01_guideline.pdf
https://www.soumu.go.jp/main_content/001052869.pdf
つまりこの助成はStarlink勢の独占を阻むために、新興企業であるASTSと楽天モバイルを支援するという単純な図式ではなく、国土強靭化政策の一端とすると全体を見誤らずに済む。すなわち総務省が衛星通信企業に首輪をかけ、手綱を握ったのだ。
スマホと衛星が「直接」繋がるとはどういうことか
本題に入る前に、いま通信業界で起きている「ゲームチェンジ」の正体をざっくりと整理しておきたい。
数年前まで人工衛星と通信するには専用のパラボラアンテナ(あるいは分厚い衛星電話)が必要だった。
2022年以降、SpaceX Starlinkは地球低軌道に多数の通信衛星を配置することで、空が広く見渡せる屋外にフェーズドアレイアンテナを設置するだけで安定的なインターネット接続を提供している。

2025年以降、SpaceX Starlink Directと称して既存キャリアと提携し、普通のiPhoneやAndroidや端末が地上局の圏外でもSMS・メッセージ送受信やデータ通信ができるという魔法のような技術だ(Direct to Cell = D2Dと呼ばれる)。
そして現在、ASTSが実用化しようとしているのはStarlink Directを上回る高速通信を上回るスループットでのサービスであり、地球上全域を「ブロードバンド圏内」にすることが技術的に可能になる。
楽天モバイルはASTSの衛星の電波を部分的に使わせてもらうという形になる。ASTSは楽天モバイル以外にも、AT&T、Vodafone、Orange(フランス)、stc(サウジアラビア)等と提携している。

だが、地上数百キロの上空から、手のひらサイズの微弱なスマホ電波を拾うのは至難の業だ。現在、この壁を突破するために、大きく分けて3つの商用サービスが進行している。
① Starlink Direct to Cell V2(現状の初期サービス) イーロン・マスク率いるSpaceXが先行して提供を始めているサービス。 Starlink V2を用いたサービスであり、テキストや低スループットの通信に限られる。
② Starlink Direct to Cell V3(SpaceXの次世代大型衛星) SpaceXが巨大打上機「Starship」での打ち上げを前提に開発している次世代衛星。Starshipが就役後に逐次軌道に配置されると考えられる。公称150Mbps。
③ ASTS + 楽天モバイル(超巨大アンテナの力技) スループットはStarlink V3 D2Dに伍する性能。より大型のアンテナであり、より高い通信品質を確保しうる。
いずれにせよ大きなフェーズドアレイアンテナの通信衛星を宇宙空間に大量に配置して地上との通信を確立するというアプローチであり、前世紀と比べれば目新しいものの、技術的な最適化がかなり進んでいて、各社ともに同じ勝ち筋で勝負しているのが現状である。
屋内でのサービスには向いていない方式であり、特に都市部では地上アンテナによる補完が必要と言える。同時に波動需要を満たす為に衛星通信が肩代わりすることも可能だろう。地上アンテナと通信衛星は相互に補完的と言える。

この「数のStarlink」と「巨大さのASTS」という決定的な違いを踏まえた上で、日本政府が楽天モバイルとASTSの陣営に「1500億円」という少なくない額の国費を投じようとしている背景を読み解いていこう。
1. 既存キャリア依存からの脱却とインフラの自律性
政府が1500億円という規模の支援を行う背景には、国土強靭化に加え、通信インフラにおける「自律性の確保」という重大な命題が存在する。
現在、国内の通信メガキャリア(NTTドコモ・ソフトバンク・KDDI)は、D2Dサービスにおいて、SpaceXのStarlinkへ依存している。グローバルなインフラを利用することは経済合理的ではあるものの、国家の基幹データを預かる通信網を特定企業に委ねることは、経済安全保障上の単一障害点(SPOF)となり得る。特にソフトバンクは反日思想を持っており、この企業に依存するのは安全保障上危険であるだけでなく、経済合理性の面からも良い効果は望めない。
SpaceXが構築したインフラに依存する事は幾つもの面でリスクであり、既存のメガキャリアの枠組みとは独立した、楽天モバイルとASTSによる合弁会社を中心とした「国内に紐づけた運用権を持つもう一つのネットワーク」を育成することは、国家のリスクヘッジとして極めて論理的な判断である。
「Starlinkを使わせてもらう」という関係と「ASTSとの合弁会社で衛星を打ち上げ運用する」では天と地ほども違うのだ。
ASTSに依存するという面で国産とは言えないが、少なくともこの助成事業の完了後5年間は運用報告義務を課している。そして助成は1480億円では終わらないだろう。ASTSを完全に御す事は出来ないが、片腕にチェーンを括り付けておくくらいの効果はある。
2. ASTSとStarlink Direct to Cellの技術的グラデーション
衛星直接通信において、ASTSとStarlink Direct to Cellは明確に異なる設計思想を持っている。
SpaceXが展開するStarlink V2は1.25t程度。ロケット(Falcon 9)への搭載効率を優先し、一つの衛星のサイズを一定の枠内に収め、その「数」で地球を覆うアプローチをとっている。アンテナサイズは小さい。
Starshipで輸送する予定のStarlink V3は2t程度と、より大型化している。
ASTSの衛星は6.1t程度と更に大きい。
衛星サイズはより大きな発電能力を確保できるだけでなく、フェーズドアレイアンテナの大きさと言う形で通信能力に大きく影響する。アンテナサイズの違いはそれぞれのサービスが想定する「カバレッジの質」にグラデーションを生む。
V2は「屋外の見晴らしの良い場所での、テキスト送信や限られたサービス」に限られる。
V3は公称150Mbpsのサービスを提供できる。アンテナサイズが大きくないため、屋内のカバレッジは期待できない。固定アンテナで電波を受け、wifiルーターをかませるなどの対策が必要。
ASTSも公称150Mbps。屋根一枚やビルの谷間程度であれば通信できるとされている。
Starlink、ASTSともに地上アンテナが無い郊外のカバレッジ提供を主眼に置いており、基本的に都市部の通信機能の強化は目指していない。
一方で総務省は災害時等の通信の確保を主眼に置いており、すなわち停電等で携帯電話用地上アンテナが使用不能になった都市部にもカバレッジを提供せねばならない事を意味する。現状のStarlink V2を用いたNTTドコモ・KDDI・ソフトバンクの「Starlink Direct」はその用を十分に成さない。
Starlink V3はASTS Block2に伍しうる性能を持つと考えるが、アンテナサイズという物理的性質から、災害時等のカバレッジの最大値でASTSにかなわない可能性がある。
衛星ブロードバンドの都市部へのカバレッジ提供を実現する為には多くの実証が必要であり、おそらく恒常的に都市部にある程度のカバレッジを提供することで基礎データや運用ノウハウの蓄積を行うと考えられる。
また楽天モバイルは都市部を含めたカバレッジで競合他社よりも一段落ちる評価を受けており、衛星通信による補完が期待されても不思議ではない。
3. アンテナ開口面積が決定づけるスループットの物理法則
ASTSがStarlink Direct to Cellよりも高いスループット(通信速度)を実現し得るのは、マーケティング上の誇大な主張ではなく、電波伝搬の物理法則に基づく必然である。通信の容量は、アンテナが受信できる信号の強さに大きく依存する。
アンテナの利得(Gain: )は、以下の式で表される。
$$G = \frac{4\pi A_e}{\lambda^2}$$
ここで、 はアンテナの実効開口面積(有効面積)、 は使用する電波の波長である。この式が示す通り、波長が一定であれば、アンテナの面積 に比例して利得は増加する。
受信側の利得が向上すれば、地上端末(スマートフォン)に届く信号電力( )も増加する。これが最終的な通信容量(スループット: )にどう影響するかは、シャノン=ハートレーの定理によって以下の通り定義される。
( : 通信路容量、 : 周波数帯域幅、 : 信号電力、 : 雑音電力)
ASTSの衛星は、Starlink V2と比較してアンテナ面積 が数倍規模で大きい。したがって、同等の帯域幅( ) と送信電力を用いた場合でも、ASTSは圧倒的に高い信号対雑音比()を確保できる。対数関数的ではあるものの、この 比の差が、そのまま「テキストしか送れない回線」と「動画視聴に耐えうる回線」という、スループットの決定的な差を生み出すのである。この差は同じ公称速度を予定しているStarlink V3との比較においても潜在的に、絶対的に存在し続ける。すなわち、もしASTS Block2とSpaceX Starlink V3の技術力が同等であれば、SpaecX側に勝ち目がないという事だ。
4. 今後数年スケールの動き
「おかわり」が行われるだろう
1500億円は3年間に渡って運用されるスキームへの助成である。総務省が首輪に繋がった手綱をたった3年(+5年)で手放す筈はない。
既存キャリアは年間数千億円以上の設備投資を続けており、それに対しても助成金が拠出されている。つまり通信衛星の配置に助成金を出すことは公平性の面から十分に正当化されうる。
また地方の基地局を衛星側に統合する動きも生まれるだろう。戦時を見据えるならば地上と衛星両方を維持した方が強靭性を確保できると考えられるが、平時においては衛星に依存してしまった方が投資額・維持費ともに安くなる可能性が十分にある。そういった具合であるから、「おかわり」として毎年数千億円の助成が継続する可能性は十分に高いと言える。むろん楽天モバイル・AST SpaceMobile以外の企業への助成も含まれるだろう。
国内の他の衛星メーカー・衛星運用者との提携や競合も?
ここまで、ASTSやStarlinkといった米国の巨大プレイヤーとその技術的な背景について論じてきたが、「純国産」の衛星通信網を目指す動きについても触れておきたい。
国内メーカー・国内運用の通信衛星を日本で使う事は外国の衛星を使うよりも安全保障上有利であるだけでなく、他国から利用料を得るビジネスに発展させられるため、是非とも推進せねばならない分野である。
既に見えている動きの一つを紹介する。
国産「Our Stars」の通信衛星が直面する時間の壁
国内の宇宙ベンチャー、インターステラテクノロジズ(IST)の傘下にある「Our Stars」は、低軌道通信衛星の開発を進めている。ホリエモンこと堀江貴文氏が関わるプロジェクトとしてメディアでも度々取り上げられているが、残念ながら国産の衛星コンステレーションに対する期待の声は少ない。
ロケットと衛星開発運用は今やビジネス的に表裏一体のものであり、企業として収益化、黒字化する為には衛星事業の獲得が鉄板と考えられているのが2026年のトレンドである。
IST社もまたこのトレンドに乗ろうとしている。

しかし、Our Stars衛星を冷静に現在の開発段階を分析すると、国産のインフラとして通信サービスを商業展開するまでには、多くのステップと「時間の壁」が存在することがわかる。
Starlinkがすでに宇宙空間でのサービス提供を行っており、ASTSのサービスも2年以内程度で動き始めるフェーズにいるのに対し、Our Starsの通信衛星は、現時点ではまだ「地上での試験」や要素技術開発の段階にとどまっている。彼らが目指す通信網を完成させるためには、今後、以下のような膨大なマイルストーンをクリアしなければならない。
軌道上でのフォーメーション試験: 実際に宇宙へ打ち上げ、複数の衛星を連携させるため、自力で正確に軌道を変更し、フォーメーションを維持する「衛星群」としての運用実績の蓄積。そして宇宙と地上の高ビットレート通信の実証。
群体軌道制御:自社衛星群同士の相対位置を適切に維持するための推進力を持った衛星の開発も必要であり、それを使って衛星群を軌道制御できることを確認する。
実用機の大量生産と配置: 通信網として機能させるためには、数十〜数百群規模の実用機を量産し、次々と軌道上に投入し続ける生産力と輸送力と資金力が必要となる。
宇宙開発において、地上試験の成功と軌道上での実運用との間には、時に残酷なほどの壁が存在する。
筆者の私見ではあるが、これらの技術的課題を乗り越え、実用に耐えうる通信サービスとして商用化されるまでには、保守的な見積もりとして「10年程度」の歳月が必要だろう。10年後といえば、StarlinkやASTSはすでに次世代の衛星を展開し、西側世界の通信インフラの覇権を完全に握り終えている可能性が高い。電波リソースは有限であり、新規参入者は帯域の売買のみならず、所轄省庁での調整が必要になるだろう。
結語
最後に触れた国内スタートアップの現状が示す通り、宇宙通信インフラを一から自前で構築するには、日本企業ではあまりにも長い時間がかかりすぎる。しかし一方で、既存のメガキャリアのようにStarlinkの「屋外向けメッシュ網」に全面依存してしまえば、インフラの自律性は失われ、国家レベルの通信インフラを他国企業に握られることになりかねない。
日本政府が、楽天モバイルとASTSの陣営に最大1500億円という少なくない額(とはいえ全体の整備費や経済波及効果と比べるとあまりに少額である)の国費を投じる真の理由は、衛星通信に首輪をはめる事である。
それは同時に「アンテナ面積」という絶対的な物理法則の優位性を持つASTSの技術を活用し、都市部から山間部までをカバーしうる強力な通信網の主導権を、特定外資の支配が完了する前に確保するための「時間買い」でもあり、極めて合理的な戦略的投資と言える。
宇宙空間に展開される巨大アンテナが通信インフラの構造そのものを再定義していく。このパラダイムシフトの中で、日本が自律性をどこまで維持できるか。1500億円の賭けの真価は、そこにかかっている。