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真夏 真夜中の 迷い蝉

    当たり前のように身近にいて疑う点は何もない
    あいつから想像できるのは
    突き抜ける青空/
    眩しいくらいの白い雲/
    体温の感覚を失うような暑さ/
    傍若無人な鳴き声/

    そんなあいつがこれらの想像の域を超えて現れたとき、とんでもない違和感と動揺が押し寄せ、怖気ずく。




    熱帯夜が予想されていたその日の夜は、夕方の通り雨のお陰か、扇風機の風があれば眠りにつくことができる優しい夜だった。今年の夏は連日猛々しい暑さで、昼夜の差といったら空の青と黒、喧騒か静寂だけなのではないかと思う程だ。


    月日の流れというのは早い。
    そう感じ始めたのは20代前半くらいからだったか、子供の頃はあんなに長かった夏休みが駆け足で過ぎていく8月に変わった頃、このままだと20年後はどんな早さで過ぎてくんだろうなんて考えていたことを思い出す。
    20年が経ち40代真っ盛りの今、あの頃より早くなったかといえば、少し違っている。一日一日は染みるように体で感じている、けれど気づけばカレンダーをめくる日がやってくる。昨日も一昨日も、今日も明日も、生活は変わり映えしないのに歩みは止まらない。止まらない歩みに焦りを感じるこういう感情のことを、焦燥感というんだろう。
    昨日と同じ枕に頭を乗せ、同じ天井を見つめ、そんなことが頭の中を通過していく。こうなったらなかなか眠りにつけない。扇風機の音に耳を澄ましグッと目を瞑る。

    近年の扇風機の進化には驚かされる。眠りを妨げないナチュラルな風と適度な静音だ。
    音の無い場所というのは苦手だ。耳をすませど何の音も捉えられないとき、聴覚は体の内側からなにかをとらえようとシフトチェンジする。心臓の鼓動、唾を飲み込む喉奥の動き、瞬きに伴う瞼の筋肉の収縮、意識が私の体の挙動すべてに敏感に働き眠れたものじゃないからだ。
    扇風機の静音はそんな私の意識を穏やかに先導してくれる。

    そんな時だった。
    異質な音が鼓膜をついた。

    この音は。
    蝉だ。
    どこかに蝉がいる。さえぎるものは何も無いクリアな声色だ。とても近い。窓辺から聞こえるが、室内か室外かは判らないくらいすぐそこにいる気がしてならない。普段耳にする蝉の声というのは私が想像する5倍以上遠くから聞こえているものなのかもしれない。
    声が大きくてゾッとする。
    こんな真夜中に何故。
    ベッドから立ち上がり窓辺に向かい、恐る恐るカーテンを揺さぶってみる。
    室内にはいないことが判り強気になる。思い切ってカーテンを開けてみると、ピタと声が止んだ。
    『逃げていったか。』
    ふうと胸を撫でおろしカーテンを閉めベッドに戻ると、再び鳴き声が聞こえた。

    なんて大きい声なんだ。
    もう一度カーテンを開ける。
    再びピタと止む。

    鳴き止んだことでこちらの気配を感じ取っていることが判り、俄然不愉快な気持ちになる。
    子供の頃から虫が好きでは無い。虫取りなんてもっての他、蝉とは距離を置いて過ごしてきたつもりだ。


    この日、蝉と私は生まれて初めて〝出会った〟と思った。


    暗いバルコニーと暗い寝室を隔てる透明の窓ガラスが1枚。蝉の姿は見えないが、向こう側から見つめられている気がしてならない。
    真夜中の真っ黒な空の下で、木の幹も緑色の葉もないこの狭いバルコニーに迷い込んだのか。
    窓を開ける勇気はなく、よそに行っておくれとテレパシーが届くよう豪快にカーテンを引きベッドに戻り、目を瞑った。


    扇風機からは、ぶれることのない静音が聞こえている。どうか、私を穏やかな眠りへと誘ってください。
    蝉もぶれずに大きな声を放つ。
    『ジジジジジジ ジジ ジジジジ ジュジュ ジッ』
    なんだ?なんだか様子が違う。蝉らしくない、安定しない鳴き声だ。穏やかかと思えば突然早口で喋るように変則的だ。
    あの眩しい青空の下で奏でる揺るぎない鳴き声はどこへ行った?

    どうして今日はそうなんだ?


    扇風機の音はまったく聞こえない。




    蝉か私か、どちらが先に寝落ちしたかは分からないが朝がやってきた。
    静かな朝だ。太陽が登って間もない時間は5メートル先の蝉たちもまだ黙っている。
    恐る恐る窓を開けてみると、蝉の姿はなかった。


    朝食のパンを頬張りながらテレビをつけると情報番組のお天気コーナーが流れていた。
    「暦の上ではもう秋です。暑さも今日からは残暑ということです。」
    お天気キャスターが日傘の影の下で笑っている。8月7日。立秋の朝だった。
    春との境目もわからぬまま何食わぬ顔で始まった暑い季節、ここから先、まだ夏の全貌が見えていないのに、もう〝残り〟なんて言ってしまうんだ。
    溶けないほどの氷を浮かべたアイスコーヒーを飲み干し、喉から下の体を冷やす。
    今日も朝から猛暑だ。


    昨夜の不安定な鳴き声を思い出す。
    ーヒトリニナリタカッタンデス、コンヤコチラノバルコニーニシツレイシテイマスー
    夏の終わりの始まりをひとりで過ごしたかったのか?迷い込んだのではなく計画的なショートステイだったのか?
    小さい蝉の意図的な企だてを妄想し、巻き込まれた自分が蝉よりも小さな何物かに思えた。
    あのとき、優勢だったのは私ではなくあの蝉だ。

    あいつは今日も鳴いているだろうか?
    蝉の寿命は2〜3週間と言われるが昨夜は一生の何パーセントくらい生きた夜だったんだろうか?
    あいつは残りの夏を生きれるんだろうか。
    そもそも自覚しているのだろうか。
    授かった命の割合を。

    そんなもの知ることなどできるのだろうか?

    残りという言葉に囚われ身動きできないでいるのは偏った価値観を持った私の方なのではないか?


    『ジジジジジジ ジジジ <残暑ヲドウ過ゴス?>』
    あの不安定な鳴き声が背中を押すエールのように脳内でリフレインしていた。
    グラスに残った氷の山がカチと音を立てて水に変わっていく音がする。
    夏はまだ終わらない。
    外からは蝉の声が聞こえ始めていた。

     
     
    記憶を集めて文字にして読んで思い出して共感するnoteを           短歌も少し。

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