
警報を止めても、問題は止まらない
航空事故の調査報告書を読んでいると、ときどき不思議な感覚に襲われます。
事故の数分前まで、操縦士たちは普通に会話をしていました。
そして何らかの警報が鳴ります。
しかし、その警報は重大な異常として認識されず、
「また誤作動だろう」
「いつものことだ」
という方向へ解釈されてしまうことがあります。
もちろん、実際にセンサーや警報装置が故障している可能性もあります。
だから警報そのものを疑うこと自体は間違いではありません。
問題は、その仮説を十分な検証なしに結論へ飛躍させてしまうことです。
人間は問題よりも不快感を消したがる
ここで興味深いのは、人間は必ずしも問題を解決したいわけではないということです。

もっと正確に言えば、
「問題によって生じる不快感」
を消したいのです。
例えば警報音。
警報音は耳障りです。
焦ります。
不安になります。
すると脳はこう考えます。
「この警報が間違いなら安心できる」
と。
そして、
「警報を止めること」
と
「問題を解決すること」
を無意識に混同してしまいます。
毒虫の比喩
私はこれを次のような比喩で考えています。

毒を持っているかもしれない虫を見つけた。
気持ち悪い。
怖い。
不快だ。
そこで虫を飲み込んでしまう。
すると虫は見えなくなります。
そして人は、
「よし、問題は消えた」
と思ってしまう。
しかし本当に消えたのは虫ではありません。
視界から消えただけです。
むしろ状況は悪化しているかもしれません。
なぜこんなことが起きるのか
人間には、
「自分がそうであってほしい方向へ解釈する」
という癖があります。
問題があるかもしれない。
しかし問題が無い方が安心できる。
だから、
「問題は無い」
という説明を優先的に採用したくなるのです。

これは愚かだからではありません。
人間の脳が持つ自然な傾向です。
安全哲学の本質
だから安全とは、
優秀な人を信じることではありません。
ベテランを信じることでもありません。
ましてやブランドを信じることでもありません。

人間は誰でも間違える。
人間は誰でも安心したくなる。
その前提の上で、
警報を無視できない仕組みを作る。
検証できる仕組みを作る。
異論を歓迎する文化を作る。
それこそが安全哲学の本質なのだと思います。
おわりに
見えなくなったことと、
解決したことは違います。
静かになったことと、
安全になったことも違います。
私たちが本当に向き合うべきなのは、
警報そのものではなく、
警報が知らせようとしている現実なのです。
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