
私は何に苦しんでいたのか
母になってから、
ずっと思っていたことがあった。
私は、
母になるべき人じゃなかった。
周りはみんな、
当たり前のようにやっているのに、
自分にはできない。
イライラして、
余裕がなくて、
子育てを楽しいなんて全然思えなくて、
子どもに優しくできない日もたくさんあった。
子育てが向いていないんだと、
何度も思った。
このまま、この先もずっと、
うまくやれないままなんじゃないかと、
どこかでずっと不安だった。
ある日、
炊飯器のスイッチが押せなかった。
それだけのことだった。
でも、
それができなかった。
お風呂にも入れなかった。
やらなければいけないことは
山積みなのに、
何もできなかった。
それでも私は、
「ちゃんとやらなきゃ」
とだけはずっと思っていた。
だから、
余計にしんどかった。
あの頃の私は、
仕事の中でも、
同じように自分を追い込んでいた。
仕事は、好きだった。
営業という仕事は、
結果がすべてだった。
数字が出れば、
評価される。
できたかどうかが、
そのまま価値になる。
私は、
その分かりやすさに
救われていた。
今思えば、
私は、
営業に向いていたのではなく、
“成果で評価される世界”に
安心していただけだったのかもしれない。
そして気づけば、
成果が出ている自分だけが、
価値のある自分だと、
思うようになっていた。
4年間の育休を経て、
やっと仕事に復帰した。
それなのに、
思うように成果が出せなかった。
限られた時間。
時短勤務。
あと少し詰めたい。
でも、
退勤の時間が来てしまう。
本当なら、
残業して取り返す。
休日出勤で巻き返す。
それが、
今までのやり方だった。
でも、それができない。
私は、
“以前の自分のやり方”を
使えなくなっていた。
成果が出ない。
でも、時間は増やせない。
周りには、
同じ条件の中でも
結果を出している人がたくさんいた。
だから思った。
やっぱり私には、
能力がなかったんだ。
唯一、自信があったもの。
「結果を出せる私」。
それが、
崩れていく感覚があった。
でも――
部長も支店長も、私を責めなかった。
それでも、
私が、責めていた。
過去の自分と比べて、
今の自分に失望していた。
できていた自分に、
戻れないことが、
何よりつらかった。
そして、そんな中、
限界は、
静かに来ていた。
少しずつ、
バランスが崩れていた。
気づいたら、
戻れないところまで
もう追い込まれていた。
それでも、
仕事も家庭も
どちらも手放したくないのに、
どちらも中途半端なまま、
1人で抱え続けていた。
ある日、
保育園のお迎えが、
いちばん最後になった。
扉を開けた瞬間、
子どもたちは、
いつも通りの顔で駆け寄ってきた。
「ママだー!」
怒っていない。
責めてもいない。
ただ、嬉しそうだった。
その笑顔が、
胸に刺さった。
もしこのまま続けていったら、
私はもっと余裕をなくしていく。
その先にあるものを、
想像してしまった。
“子どもとの関係が壊れてしまう未来”
が、見えてしまったこと。
それが、
私の本当の限界だった。
だから、
仕事を辞めてしまった。
あのときは、
逃げたような気がしていた。
退職してから
時間は増えたのに、
何もできなかった。
一日中、
ソファの同じ場所に座って、
当てもなくスマホを見続けていた。
仕事のことを思い出して、
昼間から泣いた。
仕事を辞めたら
楽になると思っていたのに、
心は軽くならなかった。
そんな日々の中で、
保育園から電話が来た。
「ちょっと荒れていて」
…辞めたのに。
仕事さえやめれば、
すべてうまくいくと、
どこかで思っていた。
でも違った。
私が担う、子どもたちとの日常は、
何も変わっていなかった。
外で働く人を見ると
劣等感でいっぱいになった。
それでも、
このときやっと思えたことがある。
外で成果を出すことよりも、
目の前の小さな気持ちを、
認めてあげること。
うまくやることよりも、
揺れている心に、
気づくこと。
私はずっと、
「できるかどうか」で
自分の価値を測ってきた。
でも、このとき、
自分の“価値の基準”を
はじめて疑った。
そんな時期に、
久しぶりに会社の先輩たちと会う機会があった。
アフタヌーンティーだった。
変わらず素敵に見える人たちも、
それぞれに、
しんどさや葛藤を抱えながらやっているんだと
このとき初めて気づいた。
衝撃だった。
私は、
今まで何を見ていたんだろうと思った。
仕事も子育ても両立していて、
ちゃんとやれている人。
そういう“表に見えている部分”だけを見て、
自分と比べて、
勝手に落ち込んでいた。
みんなできているんじゃなくて、
みんな抱えながらやっていた。
私はずっと、
“正解”を探していた。
そんな“誰かの正しさ”を見て、
それを自分の基準にしていた。
でも、
その裏側は、
何も見えていなかった。
最近は、
少しだけ落ち着いてきたのかもしれない。
自分が変わったことで、
子どもたちとの関係も、
少し変わった気がしている。
今でも、
過去を思い出して、
苦しくなることはある。
もし時間が戻るなら、
やり直させてほしいと
思ってしまう日もある。
でも、
それでもいいのかもしれないと、
思えるようになってきた。
しんどい時間でもあったけれど、
私の人生の中で、
必要な時間だったのかもしれない。
母になって崩れたことで、
私は初めて、
自分を苦しめていたものの正体に気づいた。
それは、
会社でも、
子どもでもなく、
過去に作られた自分だった。
子どもたちを育てる中で、
気づけば私は、
自分と向き合うことになっていた。
私はずっと、
結果でしか自分を評価できなかった。
でも今は、
過程を見つめ直すことで、
少しずつ
自分を取り戻している。
どん底だと思っていた出来事が
ただの苦しい記憶ではなく、
私の人生の意味に
少しずつ変わっていった。
子どもがいると、
私の人生は後回しになる。
母になったんだから当たり前のこと。
ずっと、
そう思っていた。
それでも、子どもたちが生まれてから、
「私ってなんだろう」と
私はずっと考えていた。
でも今は、
少しだけ違うふうに思っている。
子どもを大切に思うのと同じくらい、
これからは自分の人生も大切にしたい。
楽しそうに笑って過ごす母の姿を、
家族に見せていきたい。
「我慢する人」じゃなくて、
「人生を楽しむ人」として。
迷うことも、
きっとこれからも、
まだたくさんあると思う。
それでも、
うまくできるかどうかじゃなくて、
私がどうありたいかで、
選んでいきたいと思っている。
自分で選ぶ人生を、もう一度。
私は、
私の人生を歩いている。
このnoteでは、
母になってから人生を見つめ直した日々を、
少しずつ言葉にしています。