「交流しなきゃ」とがんばらなくても、よかった。3年間の毎日交流を休んでみて分かったこと【YeKuの舞台裏】
「交流しなきゃ」と苦しくなっていませんか?
「noteでは交流が大事」
よく言われることですね。
実際、私もそう思います。
交流の「良い面」はたくさんあります。
まずnoteに限らず、新しい場所に行ったら「自分がここにいるよ」と気づいてもらいたいじゃないですか。
現実では、新しい職場などのコミュニティに行ったら自己紹介の機会を誰かがくれます。
自分から積極的に輪に入ろうともしますよね。
昼休みに女の子たちのグループが雑誌を見てワイワイ盛り上がっていたら、
「あ、私もそのモデルさん、好きなんだ!」
と多少話を盛ってでも話に加わってみたり。
馴染もうと努力するんですよね。
けれどSNSでは、自然にそういう機会が生まれるわけじゃない。
だから自分から
・「自己紹介」の記事を書いてみたり
・誰かの記事にコメントを書いてみたり
・積極的にスキを押してみたり
するんです。
現実でもよくあることで、そんなに悪いことではないと思うんですけど、noteになると『スキ営業』とか『コメント営業』みたいに言われているのを目にします。
確かに、実質的には
「この素敵な記事を書いている人が、私の記事も読んでくれたら嬉しいな」
「この素敵な人に、私の存在に気づいて欲しい」
と思ってスキしている部分もあるのかもしれません。
100%相手のための、純粋なスキじゃないと、ダメなのかな。
私自身も交流には積極的な方です。
それが好きなんですけど、毎日続けるうちに
「もし交流をやめたら、私の記事を読みたい人なんて、一人もいないんじゃないか」
という恐怖も生まれました。

※この「YeKuの舞台裏」シリーズ記事では、私の泥臭い工夫とか、毎日記事を書く裏側で考えていること、気づき、困ったことなどを記事にしてお届けすることにしています。
「交流しなきゃ」と、必死になっていませんか
他の書き手さんの記事を読みに行って、スキを押して、マガジン登録して、コメントを返して。
noteを書いていると、そういう時間が結構かかりますよね。
私も普段、他の書き手さんの記事を読んだり、スキやマガジン登録を続けています。
体調次第ですけど、1日に読む記事の平均は50~100件くらいじゃないかな。
さらにTALESの小説も読みに行くので、毎日本当にたくさんの文章を読んでいます。
私は「誰かの記事を応援したいから」という気持ちをメインにそういう交流をしています。こんな私でも、ささやかなことで喜んでもらえるのが嬉しいんですよね。
けれどそれを続けて、だんだんとフォロワーさんが増えていくのと比例して
「私の価値は交流にしか無くて、私の記事なんて誰も求めないんじゃないか」
「みんなが義理で私の記事を読みにきてくれているんじゃないか」
という恐怖もまた、どんどん大きくなっていったんです。
ところで、私は文章を書くのが好きです。
人の記事を読むのも、もちろん好きですけど、自分の記事を読んで欲しいという願いだって強い。
時間をかけて書いた自分の記事が「良いもの」だと思いたいんです。
でも思い切れない。
どこかで「どうせ私なんて」と思ってしまうんです。
だからスキなどの「交流」をやめたら、誰も読んでくれなくなるのではないか、という恐怖は、フォロワーさんやスキの数が増えれば増える程、重くのしかかるようになった。
そんな折に、先日、1週間(厳密には丸8日間)記事以外の交流を全て休んでみました。実際にはどうなるのか、自分の目で確認できます。
「私は交流するから読んでもらえているのか」
「それとも一切交流しなくても、誰かは読んでくれる記事が書けているのか」
数字を見て、確かめてみることにしたんです。
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